例外
心配していた割に、トビとダーネソンはあっさり無傷で戻って来た。 拍子抜け?
いや、とんでもない事が起こって欲しかった訳じゃないけどさ。 手に汗を握って待っていたから、ちょっと損した、みたいな?
ほっとした途端、トビの後ろにいるのは例の帽子を射抜かれたラーザンタ人だと気が付いてどぎまぎした。 被っていたド派手な帽子があっさりした帽子になっていたから、すぐに気付かなかったんだ。 あの帽子がだめになっちゃったんで代わりの帽子を被っているんだろう。 でも普通は代わりの帽子だって格式を変えたりしないんだけどな。 これって平民が被る帽子、と言うより、寝る時被る帽子なんじゃ?
それに神妙な顔をしている。 もう怒ってはいないみたい。 それは有り難いが、ついさっき憎しみの籠った視線を投げつけられたばかりだし。 やっぱり俺の方から謝っておくべきよな? でも何て言ったらいいんだろ。
なにしろ準大公になった。 やたらに謝るな、とそちこちから注意されている。 下手に謝ると、それをネタになんだかんだ謝罪を要求されるからって。 そういう場合もあるだろうけど、少なくとも帽子を台無しにした事は謝っておきたい。 俺の小遣いの範囲でもいいなら弁償だってする。 とは言っても今俺は金を持っていない。 トビにたて替えてもらわなきゃいけないんだけどさ。
あ、今月の小遣い、もう使い果たしたんだ、と思っただろ。
ぶーっ、ぶーっ。 外れっ!
まあ、財布が空っぽな事は空っぽだ。 でもこれは自分の為に使ったんじゃない。 将軍から言い渡される通常任務なら大隊予算から金を出せばいいが、今回の旅は一応私用だから大金なんて持って来ていなかったのに皇太子殿下からいきなり直命が下ったりして。 ベルドケンプ島へ行く為の食料や水を買う金は俺の財布から出した。 それですっからかんな訳。
金を借りようと思えば借りられたが、どうせあの島じゃ買い物したくたって店なんてひとつもない。 金なんて持って行ったって使い道がないから全然心配していなかった。 取りあえず俺の財布から出したって直命なら後で北軍に申請すれば払い戻してもらえるはずだし。
もちろん家族で海水浴とかしていたら費用の申請なんてしない。 だけど結局全然遊んでないし。 直命任務が終了したかどうかは海坊主の落ち着き先がはっきりするまで分からないから、その確認が残っているが、真面目に任務だけ遂行したんだ。 最悪、またベルドケンプ島に行く事になったとしても今回の費用は払ってもらえると思う。 でも今、金を持っていない事に変わりはない。
ただ俺の財布の中身がどうだろうと、この人の帽子を弁償する気があるならここで払うしかない。 相手が皇国人なら次に会った時に払うでもいいが、ラーザンタ人の航海士はいつも世界中の海を巡っている。 この人の目的地がどこか知らないけど、おそらく二度と会う事はないと思う。
いつもだったらトビから前借りすれば済むけど、たぶんトビだって大金を持って来てはいない。 空っぽではないとは思うが。 いざとなったらここで誰かから金を借りるという道もあるが、出来ればそんな事はしたくない。 返さなくてもいいです、とか言われそうで。
相手にしてみればそんなこっちの都合なんて知ったこっちゃないだろうな。 でも正直に言うと、金を充分に持っていたとしても弁償額が三万ルークを越えるのはちょっときびしい。 それじゃ来月の俺の小遣い、全額ぱー。 俺としては二万ルーク以下で手を打ってもらいたいというのが本音だ。 誠意を見せろ、と粘られたら涙を呑んでもっと出すけどさ。
なにしろラーザンタ人の帽子って大事にするだけあって安いもんじゃない。 値段ははっきり覚えていないが、外国人の観光客用だって結構高かったような気がする。 それに俺が射抜いたのは高級感溢れる帽子だった。 十万ルークと言われてもあながち嘘とは言い切れない。
そんな金の話は後回しにするとして、まずはきちんと謝らないとな。 ラーザンタ語で言ったら有り難みが増すんじゃないか? ごめんなら何度も言った記憶がある。 えーっと。
ぶれーは?
ばれーは?
ぶばれーは?
なんとなくなら思い出せるんだけど、今イチ確信が持てない。 頭の中でどれだったっけ、とぐだぐだ迷っている内にトビが言う。
「旦那様、この者の名はカレジャ・アワッドと申します」
するとアワッドが甲板に膝を折って座り、帽子を取って礼をし、ラーザンタ語で何かを早口でしゃべった。 これってラーザンタ人にとってこれ以上ない深い謝罪じゃなかったっけ? どうして、という俺の疑問にトビが答えた。
「アワッドが心よりお詫び申し上げたいと申すので連れて参りました。 御用船の積み荷を運ぶ人足に向かって剣を振り回すなど、許し難き無礼。 さりながら外国人ではこの船が尊き瑞兆をお乗せしている御用船であると気付けなかったのも無理のない事。 本人が深く反省している点を鑑み、今回に限りまして広いお心でお許し戴けないでしょうか?」
思わずほっとして大きくふうっと息を吐いた。
「うん、許す。 許すけど、今後人足を剣で脅すなんて真似をしないと誓ってくれる? 俺の船の人足だからじゃなくて。 それから帽子に穴を空けてごめんなって謝っといて。 大事な帽子だったんだろ」
「イグノシテミヒシテパ、ペスオミニスラディオコミナリ、ナムクアムメンティ。 フーラダムニタエニテトホクエセット。 ドレーハ」
お。 思い出した。 ごめんは「どれーは」じゃないか。
そう言えば、「ぶれーは」ってバカ野郎じゃなかったっけ? ふう。 早まって言わなくてよかった。
トビの通訳が終わると、アワッドが「いぐのしら(誓います)」を何度も繰り返し、その後でなんたらかんたら言い始めた。 トビのラーザンタ語は遅くてはっきりしてるから聞き取れたけど、アワッドのラーザンタ語は早過ぎて何を言ってるか全然聞き取れない。
「旦那様。 アワッドを当家の奉公人として雇ってもよろしいですか?」
「は? どーして? 帽子を射抜かれたのが不名誉で、あの船に戻れないから?」
「通常の喧嘩の末に帽子を射抜かれ、しかもやられっぱなしでしたらそうだったと思いますが。 この場合それが問題なのではありません。 ラーザンタは海洋王国。 皇国より更に深く海王ギラム、海王の愛孫ギラムシオを崇拝しております。
ギラムシオ様が現れたという噂はラーザンタにも届いているとの事。 アワッドの船の乗客は観光客とは申しましても、旦那様縁の各地を参拝するのが目的の巡礼なのだそうです。 船長も熱狂的な崇拝者なようで、アワッドの帽子の射手がギラムシオ様であったと知ると、非礼をお詫びするため、アワッドを処刑し、自分も死のうとしました」
「えええっ!?」
「幸いそれは止める事が出来ましたが、船長は許しても旦那様のお荷物を運んでいた人足に向かって無礼を働いたと乗客が知れば黙ってはいないでしょう。 旦那様があの船へお越しになり、乗客を宥める事は出来ると思いますが、人の口に戸は立てられません。 遅かれ早かれこの経緯がラーザンタに伝わるはず。 そうなればギラムシオ様のお怒りが全てのラーザンタ人に下る事を怖れる者が、お怒りに触れたアワッドを殺そうとする事が予想されます」
「そ、そんな。 俺は別に怒ってないし」
「旦那様が実際に怒っていらっしゃるか、いらっしゃらないかが問題なのではなく、そう思い込む者が必ずいるという事が問題なのです。 このままではアワッドが故国に帰るのは死にに行くようなもの。 ギラムシオ様の存在を知らない遥か遠くの国へ行くしか生きる道はありません。
しかしながら遠国へ行こうにもアワッドは乗船していた船の船長に戻らぬ事を伝えております。 矢を射られた場面は多数の者に目撃されておりますので、顔も覚えられたでしょう。 現在この桟橋に停泊中のどの船からも同じ様に乗船を拒否されると思われます。
すると陸路を取るしかありません。 船でしたら船員として働きながらの旅も可能ですが、陸路では旅費が尽きれば乞食をするか、盗賊になるかの二択。 どちらも嫌なら遠からず飢え死の運命。 家名を穢す死に様となる前に、ここで自死する道を選ぶ、とアワッドが申しております」
「ちょ、ちょっとー。 早まった事をするのだけは止めて、とアワッドに言って! 我が家でもギラムシオ号でも働いてもらうのは全然構わないから。 どっちも嫌なら親戚のどこかに職を探してあげるし。 大型船で仕事がしたいって言うなら、いくつか伝手もある」
トビが俺の言葉を伝えたらアワッドがたどたどしい皇国語でアリガトを繰り返した。 考えてみれば漁船を手に入れて漁業を生業にする事にしたんだ。 奉公人にラーザンタ人がいたらすごく重宝するよな。 ただもしアワッドに航海士の知識があるなら、ギラムシオ号みたいなしょぼい沿岸漁船に乗せるのは宝の持ち腐れだ。 師範が俺専属の剣の先生になるみたいな感じ? いずれきちんとした遠洋航海船を紹介してあげなきゃいけないだろう。
それまでは一緒に暮らす事になる。 これも何かの縁だ。 よろしく、をラーザンタ語で言うとするか。 これはちゃんと覚えている。
……あれ? 言葉が出てこない。
「えーっと、えーっと。 ハジメマシテ?」
んもー、どうして皇国語で、初めまして、になるんだよ。 大体、今初めて会った訳じゃないだろ。 おまけに外国人っぽい訛りでさ。 意味なく疑問形だし。
目の前にラーザンタ語がぺらぺらのトビがいるんだから分からなかったら聞けばいいじゃないか。 俺だってラーザンタ語で挨拶出来るんだぜ、という所を見せたかったばっかりに。 ほんと、余計な見栄を張ると碌な事がない。
自分でも訳が分からないんだ。 他の人に分かったはずはないのに、俺の周りにはちょっとやそっとの意味不明では動じない奉公人が揃っている。 俺がハジメマシテと言ったぐらいで訝しげな表情を見せたりしなかった。 おかしな事なんて何も聞いてませんという表情で、みんなきれいに流してくれている。
シビアな奉公人に囲まれていると笑いを取りたい時には苦労するが、こんな時には助かるよな。 照れずに済むから。
アワッドも、勤続十年です、みたいな無表情だった。 でもこれは一瞬の内に我が家の水に馴染んだからというより元々皇国語が不自由な上に変な訛りがくっ付いていたせいで、俺が何を言ってるのか分からなかったんだろう。
これを機会に俺もラーザンタ語を復習してみようかな? 外国語はどれもさっぱりな俺だが、ラーザンタ語だけは結構分かる。 子供の頃そっちこっちに行ったし。 長い船旅だと必ずラーザンタ人の船員がいて、退屈しのぎに故郷の歌やお伽噺を色々教えてくれたんだ。 しゃべれないけど意味を知っている単語が沢山ある。
お伽噺の中で一番好きだったのが、レオール王子の冒険だ。
昔々、その昔。 レオール王子は王宮の陰謀によって外国に捨てられた。 命だけは助けられて普通の人として育ったが、故国の危機存亡の時、その平穏な幸せを投げ捨て、立ち上がったんだって。
ドキドキワクワクする話で、船員のおじちゃんに何度も話してくれとせがんだっけ。 歌もラーザンタ語の響きが好きで、原語で歌えるようになった。 何年も歌ってないから歌詞を忘れた所があるかもしれないけど。
「アワッド。 俺ね、レオール讃歌をラーザンタ語で歌えるんだぜ」
それをトビに通訳してもらったら、アワッドがちょっと目を見開いた。 ふーん、そうですか、て感じ?
何となく信じてなさそうな。 もしかして見栄で嘘をついていると思われた? 嘘だろ、と思っても主に向かってそんな事は言わないだろうし。 よーし、歌ってみせてやる。
そして、ぶわんだらさー、で始まるレオール讃歌を歌った。
おおっ。 最後までちゃんと歌えたぜ。 案外覚えているもんだな。
音はすこーし外しちゃったかも? お、アワッドの目が大きく見開いた。 俺の意外な才能にびっくりして? すごいって感動されちゃった、とか?
「ね、トビ。 歌詞がちゃんと合っていたか、アワッドに聞いてみて」
「アンポシタリック?」
「……アンポシタ。 リック」
「歌詞は合っていた、との事です」
間違っても褒めているようには聞こえない。
……ま、正直っていうのは美点だし? 第一、我が家にはダーネソンとケルパがいる。 嘘なんかついたって無駄だ。
改めてアワッドを見ると、鍛えられた体といい、きりっとした顔付きといい、頼りがいのある海の男って感じ。 おそらく三十より四十に近い。 アワッドから見れば俺なんてまだまだ小僧で名ばかりの英雄だろう。 なりゆきで主になった俺にお追従を言う気持ちになれなくても当たり前だ。
でもさ、命の瀬戸際から救われたんだよな? 俺に。 命の瀬戸際になっちゃったそもそもの原因が俺なんだし、命の恩人とまでは言わないけどさ。 もうちょっと、その、あってもいいんじゃない? 遠慮、とか?
待てよ。 この不躾とも言える遠慮のなさ。 なんだか馴染みがあるような。
そこで師範の顔がぽっと思い浮かんだ。 次にマッギニス補佐を思い出しそうになり、慌てて打ち消した。
まーったく、俺ってば。 寒さイボが出ちゃうじゃないか。 冬物を持って来た訳でもないのに。
だけど俺の知っている頼りがいのある男って頼りがいがあればある程みんな無遠慮って感じがする。 俺だったらとてもじゃないけど面と向かって言えないような事だってずけずけ言ったり。
うーん。 ひょっとしたら無遠慮って、頼りがいある男のデフォルト?
だとしたら俺は例外なんだな。




