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弓と剣  作者: 淳A
海鳴
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帽子

 いつもは頭が痛くなるから深く考えない様にしているけど、俺だって偶には深く考える事がある。


 あ、何、スルー? うっそだー、もなし?

 冬でもないのに世間の風が冷たいっ!


 え、マッギニス補佐? どこ? どこっ!?

 ……んもー。 ほんと、人が悪いんだから。 すこーし取り乱しちゃったかも。


 ま、そのー。 とにかく俺が深く考える時もあるというポイントだけ掴んでくれたらいい。 もちろん、ここで考えているのは夕飯のおかずは何かじゃない。 夕飯こそ人生の基本、それより重要なものはない、と信じている人もいるみたいだから、それを悩んだっていいんだけどさ。 普通は夕飯を作る人が何を作ろうかと悩むのであって、俺みたいに食べるだけの人が悩んだりしないだろ。


 今俺が深く考えて迷っているのは出航するかどうか、だ。 食料や燃料の積み込みだって終わった。 ゴーンザーレ桟橋から出航するばかりになっている。 なのに何を迷っているのか。 事の起こりは帽子だ。


 なーんだ、たかが帽子と言わないでくれ。 そりゃ皇国で帽子といえば日除けや防寒のために被る実用品で、それ以外の意味はない。 被りたい物を被りたい時被ればいいだけの話だ。

 ヴィジャヤン伯爵家の結婚式では新郎が帽子を被るけど、それは昔からそうしてるってだけで深い意味はない。 今更なんで変えなきゃいけないの、て感じ? マッギニス補佐やシナバガー男爵家の結婚式の時、新郎は帽子を被っていなかったから皇国の貴族だったら新郎は帽子を被るという訳でもないんだろう。

 だけどラーザンタ国で帽子はとても大切だ。 体の一部と言うか、自分が誰であるかを表している。 被っている帽子を見れば、その人の身分や職業、金持ちか貧乏かがはっきり分かるようになっているんだ。 服を見てもある程度分かるけど、質素な格好を好んで着ている金持ちはいても、こっちの方が安いから、と質素な帽子を被る金持ちはいない。 それだけ見たって帽子は服以上に重要なんだって事が分かる。


 俺は子供の頃、家族でラーザンタに旅行した事があった。 その時、宿でお風呂に入ったら脱衣所にへんな棒があったから、何これ、と聞いたら帽子掛けなんだって。 寝室にはタンスの他に帽子を置くための棚があったから、たぶんラーザンタではお風呂に入る時や寝る時でもない限り常に帽子を被っているんだろう。

 外を歩いている時に帽子を被っていない人を見た事はなかった。 と言うか、帽子を被らずに外出するのは御法度だ。 裸で外出したのと同じ。 そんな格好で公衆の面前に出ようものなら警察にしょっぴかれる。 俺は子供だったから許してもらえたけど。 それだって宿の中の話なんだぜ。 外へ行く時は必ず帽子を被るようにと言われていたけど、宿の部屋から一歩出たらそこはもう外、て事が分かっていなくてさ。 廊下で会ったラーザンタの女の子に、きゃーってすごい声で叫ばれた。 ちょっとかわいい子で、最初の日にロビーで会った時はにこっと俺に笑いかけてくれたのに。 翌日宿の食堂で会った時には目を逸らされた。 苦い思い出だぜ。


 それはともかく、なぜ今そんな異国の習慣が問題になっているかというと、俺がラーザンタ人の帽子を矢で射抜いちゃったから。 しゅぱって感じで。 ラーザンタの帽子は風が強い日でも簡単に飛ばされたりしない様、しっかり頭に止められるようになっている。 その人は矢の勢いで桟橋に叩き付けられた。 ほーんと、まずい事しちゃった。

 そりゃ悪い事したな、とは思うよ。 だけどあっちはもっと悪い事しようとしていたんだぜ。 人足に斬りかかって行ったんだ。 そんなのを見たらほっとけないだろ。 但し、その人がなんで斬りつけようとしたのか分からないでもない理由があるんだけどさ。


 ゴーンザーレ桟橋からブラースタッドまでなら一気に行ける距離だ。 それで俺達はこの先どこにも停泊しないで済む量の食料や燃料を積み込もうとしていた。 すると俺の船だって気付いた人足が、頼んでもいないのに俺の船の積み荷を手伝おうとわらわら集まって来ちゃったんだ。

 人足を雇いたいなら桟橋事務所に行って求人する事になっている。 でもいくら俺が金を払うと言ったって、ただでいいとか言われそうな気がした。 それに俺がやりたい、いや、俺にやらせてくれ、という人足同士の揉め事になったら仲裁が面倒だ。 そういう事を心配して積み荷は俺達だけで手分けして運ぶつもりで人足を頼まなかった。


 ギラムシオ号はちょっと見にはただの漁船だが、貴族の船に譲れと言われないよう俺が甲板に立っていた。 なもんだから桟橋に着いた途端、他の船より先に港の人足に気付かれちゃって。 あっという間にギラムシオ様だ、ギラムシオ様だ、て。 俺の船だって事が桟橋中に広まっちゃってさ。 積み荷が届く頃には俺に雇われた訳でもないのに人足が次々と俺の船の荷物を運び始めたんだ。

 人足を雇う時は最初に賃金をいくらいくらと決め、仕事が終わった時点で金を払う仕組みになっている。 賃金を決めずに働いたらいくら払うかは雇い主の気分次第。 最悪、ただ働きになる事だってあるのに。

 それに桟橋にいる人足は他の船に雇われているからそこにいるんであって、今やっている仕事を放り投げてこっちに来たら、そっちからの賃金だってふいになる。 それじゃ申し訳ない。 運ばないでと言いたいんだけど、すっごく嬉しそうに荷物を運んでいて。 運ばなくていいと俺に言われたらどんなにがっかりするかと思うと何も言えなくてさ。


 皇国の船の船員は俺に気付いたから人足が突然いなくなっても騒いだりしなかった。 それどころか明らかに人足ではない格好の人まで人足に混じって荷物を運んでいる。 だけど事情を知らない外国船の乗組員は雇ったはずの人足が突然他の船の仕事をやり始めて頭にきたんだろう。

 仕事をしなかった人足に賃金を払う必要はない。 とは言っても長く停泊すればする程余計な金が掛かる。 それは人足の賃金どころじゃない大金だ。

 最初は下っ端っぽい人が、約束が違う、みたいな事を怒鳴っていたが、それを無視されたもんだから、ラーザンタの国旗を掲げている船から派手な帽子を被った人が下りてきてさ。 ギラムシオ号の荷物を運んでいる人足達に向かって片言の皇国語で、戻れ、と怒鳴り始めた。

 怒鳴り返している人足こそいなかったが、戻る気もないって事が雰囲気で伝わったらしく、それが余計相手の怒りを煽ったようだ。 そのラーザンタ人はラーザンタ語で人足を罵り始めた。 俺はラーザンタ語をしゃべれないが、音は聞き取れるし、なんとなく言ってる事が分かる。

 俺にはどんな帽子だったらどの身分とかの詳しい違いまでは分からないが、帽子を見る限り船長ではないにしても平の船員じゃない。 トビはラーザンタ語がしゃべれるから面倒な事になる前に事情を説明してくるように頼もうとした。 ところが、そこでいきなりそのラーザンタ人が腰の剣を抜いたんだ。

 単なる脅しだったのか本気で人足を斬るつもりだったのかは分からない。 でも何をするつもり、と聞いている暇はない。 俺は咄嗟に矢を番え、男の帽子を狙って矢を放った、という訳。


 俺にしてみれば悪い事をしようとしている奴を止めただけ。 だけどラーザンタ人にとって帽子に矢が突き刺さったなんて、たとえここが皇国だって恥ずかしくて剣を振り回しているどころの騒ぎじゃない。 剣を収めてくれるだろう。

 ただ相手に大恥をかかせた事に変わりはない。 帽子に傷を付けられたというのは名誉に傷を付けられたのと同じ事だから喧嘩を売られたと思われたって仕方がないんだ。 皇国人だって帽子を矢で射抜かれたら、このやろうって思うだろ。

 なら、どこを狙えばよかったの? 北進みたいな強弓で腕を射抜いたら大怪我をさせてしまう。 最悪、腕を切り落とすか、切り落とさなくても剣を振り回す力は戻らないかも。 だからって足ならいい、てそんなはずはないよな?

 腕や足をなくしたら恥はかかなくたってその後の人生が滅茶苦茶になる。 ごめんね、じゃ済まされない。 かと言って、俺の手伝いをしたせいで殺されそうになっている人足を見捨てる訳にも。

 俺にしてみれば腕や足を無くすよりましだろうと思って帽子にしたんだ。 ところがまずい事に、それを見ていた人足が一斉にどっと笑ってさ。 尻餅をついた剣士を囃し立てたんだ。

 もう、そいつは怒り心頭って感じ。 トビが説明に駆けつけようとしたが、相手に聞く気はなかったみたいで。 その男は俺を思いっきり憎しみを込めた目で睨んで走り去った。


 これで終わりのはずはない。 絶対文句を言いに来る。 いや、文句で済むなら良いが、たぶんそんなものじゃ済まない。 何を仕掛けて来るか分からないが、俺を殺しに来たとしても驚かない。 向こうの船は中型客船だから護衛の剣士だってそこそこいるだろう。 あいつが下っ端の船員だったら他の剣士に命令する事は出来ないが、部下がいる人だったら号令一つですぐに攻めて来れる。

 いくら悪かったと思ったって襲われたら俺としては防戦するしかない。 こちらには師範を始めとする指折りの剣士がいるし、桟橋に停泊している限り、停泊している他の船が黙って見てはいないだろう。 余程の事がない限り勝てると思うが、どんなにぼろくたってこの船は皇国の瑞兆が乗っている御用船だ。 御用船が外国人に襲われたとなると、仮にサリが無事だって国の威信に関わる騒ぎになる。 たとえ相手が知らずにやったと後で謝罪したとしても、皇国とラーザンタの間が険悪な事になるのは避けられない。 開戦とかになったら原因は誰だとか、どっちが謝れば済むとかの問題じゃなくなる。 そんな物騒な事になる前に何とかしないと。


 それなら今の内に帽子の弁償をしに行く? いくら払えばいいと思う? 千ルーク? そんなに安いはずはないな。 じゃ、一万? 十万? 百万出せって言われたら、それでも出す?

 それに金の問題じゃないと言われたら? これは先祖代々受け継いだ帽子で掛け替えがない、とかさ。

 こちらが偉いと分かれば引いてくれるかもしれないが、あっちだって俺が知らないだけで結構偉い人かも。 そしてラーザンタまで謝りに来い、みたいな要求を出されたら? 行く行かないで交渉すればする程拗れ、帽子を弁償して終わりって事にはならないような悪い予感がする。

 はああ。 どうしよう? たかが帽子、されど帽子、だ。


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