天然
天然、恐るべし。
何自分の事言ってるんだって?
それ、違うから。 最近、世間に誤解の風が吹き荒れてるみたいなんで、この際きっぱり、ずっぱり、言わせてもらいます。 あ、「ごかい」は四階の上じゃない方ね。 それは俺もやった事がある勘違いだから気にしなくてもいいけどさ。
よくよく考えてみると、改めてびしっと言った事なんてなかったよな。 何度も言ったりしないから、ちゃんと聞いてくれよ。
俺は天然なんかじゃありません。 <- これ、心の中で下線入れといてくれない?
天然だったら辺りの顔色を窺ったりしないだろ。 やってしまった自分の失敗をくよくよ気に病んだり、明日どうしよう、大丈夫かな、と心配したりとかさ。
正真正銘の天然なら辺りの思惑なんて関係なし。 平気で自分のやりたい様にやっちゃうじゃないか。 ケルパみたいに。
あいつときたら、自分の飼い主が拳骨を食らっているっていうのに涼しい顔で魚をばーくばく食べていたんだぜ。 師範を止めようともしないどころか尻尾を振り振りしちゃってさ。 もっとやれーって感じ。 どう見たって明らかに師範の方を応援していた。 そしてそれを悪かったと反省している様子もない。
犬にしては忠義心に欠けているだけ、と思うかもしれないが、それならなんでリネやサリを守る事には必死なんだ? はっきり自分の好みを前面に押し出して生きているとしか思えない。 天然の極みだ。 俺が同じ事をやったら、上司、同僚、親戚、部下、奉公人からどんな突き上げを食らうと思う?
だけど今俺が言ってる恐るべき天然はケルパじゃない。 俺が今まで会った人達の中で一番の天然。 最強っていうの? それはずばり、師範です。
天然の恐ろしい所は何と言っても自覚がないって事。 自分が間違っているかも、とは欠片も思わない。 師範の場合辺りも甘やかしているというか。 あの御方はそういう御方ですし、て感じで誰も意見しないから余計始末が悪い。
因みに、これは師範が大隊長に昇進してから始まった事でもないらしい。 俺が見ているのは小隊長になってからの師範だけど、誰に聞いても師範は新兵の頃からずっとああだったと言っている。 師範の出身村に行った事はないが、子供の頃からああだったと村人から教えられたって驚かないね。
それにいくら子供の頃は天然だって軍隊に入ればそれなりに揉まれて辺りへの気遣いをするようになるもんだろ。 俺のように。 そんな常識は師範のような規格外の人には当てはまらない。 別に拳骨でぐりぐりされた所がまだ痛むから言ってるんじゃないんだぜ。
たとえば師範が、ずばっと一言、北へ帰る。 そう言っただけで、辺りはへへーって感じ。 思わず、この船の船主って俺じゃなかったの、とドレジェッツ船長に聞きたくなっちゃった。 もちろん本気でそんな事聞いたりしないけど。 違います、と言われたら困るだろ。
それはどうでもいいが、さすがは最強。 師範ほどの人になると、明らかに師範が決める事じゃない事を命令しても誰も逆らわない。 単に押しが強い、てだけじゃないと思う。 本人に迷いがないんだ。 人にこう言われるかも、ああ思われるかもと悩んだりしない。 それって俺みたいな凡人には到底真似が出来ません。
だってマーシュの湾内では海坊主が停泊していた船にすごい迷惑を掛けたんだぜ。 どうやらギラムシオ号がアブーシャ川に入った途端、水が変わった事に気付いたらしくて。 それまで大人しく泳いでいた海坊主が突然ぎゃあぎゃあ騒いで水をばしゃばしゃ叩き始めたんだ。
良いお天気だったから高波注意警報が出ていた訳でもない。 そこにいきなりぶわっと大波だ。 転覆した船こそなかったようだけど、そっちこっちの船から人や荷物がぼとぼと海に落ちたのが見えた。 師範だってしっかり見ている。 俺達はその大波に助けられ、あっという間に北上出来たから助かったけど。
何しろマーシュから二日はかかるはずのホドロフ桟橋をその日の内に通り過ぎ、八日かかるはずのゴーンザーレ桟橋に三日で着いたんだ。 南軍の最速船顔負けの速さだぜ。
海坊主は悪あがきというか、三日間ギラムシオ号の後ろでじゃばじゃばしていたが、ようやく諦めてくれたらしく、四日目の朝には姿が見えなくなっていた。 たぶん海へ戻ったんだろう。
それにはほっとしたけど、迷惑を掛けちゃった皆さんには、もうほんと、申し訳なくて。 迷惑を掛けないよう注意はしていたんだけどさ。
またそっちこっちからがっつり怒られる、すぐに戻って謝らなきゃ、と思ったんだ。 俺はな。 でも師範は違う。
「はあー。 せっかくここまで来たのに、またマーシュに戻るのか」
俺がそう愚痴ったら、師範が不思議な顔をした。
「戻る? なぜ? このまま北へ帰ればいい」
「え? 海坊主が起こした大波で人やら荷物やら随分沢山海に落ちていましたよ。 その人達に謝らないとまずいでしょう?」
「謝るだと? 馬鹿を言うな。 船に乗って揺れた事に文句を言うのは、北で雪が降った事に文句を言うようなもんだ。 海に落ちたら落ちた奴の責任だろ。
第一、マーシュまで連れて来たのはお前がしたくてやった事じゃない。 動かせという直命が下ったから動かしたまで。 海坊主をここに連れて行けとか、マーシュに連れて来るなと言われた訳じゃないんだ。 通り過ぎたくらいで文句を言われる筋合いはない。
おかげでちゃんと任務を遂行した証明にもなったじゃないか。 こっちが海でどんな苦労をしていようとそれを実際見ていない連中に何が分かる。 任務を無事完了しましたと報告したって、証拠はどこだ、結局何をしていた、遊んでいただけじゃないのか、と根性の曲がった奴らに疑われないものでもないからな。 そんな難癖つけられたら、どんなに癪に障ったって反論のしようがないだろ。 誰かがベルドケンプ島へ行って海坊主が確かに移動した事を確認するまでは」
「でも海坊主は俺の愛玩動物って事になってるのに。 飼い主が謝らなくていいんですか?」
「いいか、海坊主だか山坊主だか知らんが、愛玩動物だの、あいつの飼い主は俺だの、余計な事を言うんじゃないぞ。 そこを突っ込まれたら損害賠償の話になりかねん。 そうなったら面倒だ。
お前がここ数年南に来ていないのは周知の事実。 そんなに長い間会ってなかったお前があいつの飼い主だと思う奴はいない。 皇太子殿下がなぜそんな事をおっしゃったのか知らんが、あの島の事を知っている奴だってろくにいないんだろ?
そもそも任務内容を部外者にべらべらしゃべるものじゃないって事を忘れるな。 通常任務であったとしても上官に報告する以外の義務はない。 モンドー将軍以外の誰に何を聞かれたって、任務に関する事だから返答出来ません、で通せ」
「あの、他の皆さんには謝らないとしても、皇太子殿下に報告するにはマーシュに戻らなきゃいけないですよね?」
「あの化け物がどこに行ったのか分からないのに何をどう報告する気だ? 任務が完了したかどうかはあいつの行き先次第だろ。 どこか遠くに行ってくれたなら万々歳だが、ベルドケンプ島に舞い戻ったのなら、またあの島に出掛けて何とかするしかない。 だがその確認をお前がする訳にはいかないだろう? 途中であいつに見つかったら百年目だ。 絶対付き纏われる。 確認はバーグルンド将軍にお願いしろ。 甲冑を献呈しているお前の頼みだ。 それくらいやってくれるさ」
「それはやって下さると思いますけど。 海坊主の落ち着き先が分かったら、それを皇太子殿下に報告するのは俺が自分でやらなきゃまずいんじゃないんですか?」
「直命だからな。 代理を頼む訳にいかないのは確かだが、海坊主がどこに行くか、お前にだって予想が付けられないんじゃないのか? いくらあの大きさだって深く潜られたら見失う。 跡をつけるのだって簡単じゃないはずだ。
要するにあの島の周りをうろちょろしてなきゃいいんだろうが、戻っては来ないという事を確認するだけでも何週間、念には念を、なんて言ってたら何ヶ月もかかる。 その結果が分かった時に皇太子殿下がどこにいらしゃるかなんてお前に分かるのか? 俺は皇太子殿下の御予定なんて知らないが、お見送りに来ただけのマーシュに何週間も滞在なさるとは思えん。 ならバーグルンド将軍からの報告をマーシュで待つのと北で待つのと何の違いがある?」
そう言われてみれば、そうかも。 もっとも、ここで師範が北へ帰れと言っているのは、ヨネ義姉上の顔が早く見たいからなんじゃないか、て感じがするんだけど。 そこはかとなーく、な。
ヨネ義姉上が側にいると師範の視線がふと緩む事があるんだ。 四六時中緊張していたら誰だってすごく疲れるだろ。 でも師範は道場だけでなく、毎日いつどこで会ってもぴりっとしてる。 そんな風に緊張し続けていられるのは家に帰って緊張を緩ませているからなんじゃないかと思うんだ。
師範は自分の疲れが溜まっていてもそれを顔に出す様な人じゃないけど、この旅ではいつもいらついている感じ。 それってヨネ義姉上が側にいないせいなんじゃないかな。
いや、もちろんそんな事を面と向かって師範に言ったりしません、て。 生きて家に帰りたいし。 それに俺だって妻子とは一緒だけど、早く北の家に帰りたい事は同じなんだ。 やっぱり船で暮らすのは落ち着かないっていうか。 いくら自家用船だって家と呼ぶのは無理があるっていうか。
帰ったら帰ったで、そっちこっちから散々文句を言われるとは思うけど、先に延ばした所で文句を聞かなきゃない事に変わりはない。 それなら嫌な事はさっさと済ませてしまうに限る。 ただマーシュで大人しく連絡を待ちながら謝罪して回った方が、世間受けがいいんじゃないかと思ったんだ。
何しろ今回の旅ではいきなり御用船を乗り換えている。 これに関して大審院の審問がある事を覚悟しておくように、と父上から言われていたし。 この召喚は被告として呼ばれるから証人として呼ばれた前回のような訳にはいかない。 知ってる事をそのまま言えば無罪、という訳にはいかないみたいで。 きちんと下準備をしておかないと。
でもどんなに準備しようと俺の評価が下がっちゃう事は確実だ。 考えたくはないが、元々高いとは言えない評価なだけに、これ以上下がったら父親として相応しくない、サリはやっぱり後宮入りさせろという話になるかもしれない。
待てよ。 すると皇太子殿下への報告は審問の後? 審問が長引いたら直接お目通りして報告するのは無理だから書面で済むかも。 それだったら出す前に問題がないかマッギニス補佐に見て貰える。 言い間違いの心配もない。 上手く行けば、マッギニス補佐がその報告書を書いてくれて、俺は署名するだけ、とか? そうなったら嬉しい。 そこまで都合よくは行かないとは思うけど。
はあ。 結局、師範の言う通りに北へ向かうのが一番なのか。 まあ、天然に逆らったら後が怖いしな。




