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弓と剣  作者: 淳A
海鳴
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誤算  ムーリキン筆頭侍従の話

「少々、とは言い難い見込み違いではある」

 セジャーナ皇太子殿下がこれ程明確に御不興をお見せになられた事は嘗てない。 それも無理からぬ事。 私が申し上げた予想がこれ程大きく外れては責められて当然の誤算と言えよう。

 いかな六頭殺しといえども長さ十メートルを越える海中動物を矢で射殺すのは不可能。 そう予測した事自体に誤りがあったとは思わない。 直命を拒否する事は出来ないのだから、これ程大任、必ずや周囲の援助を乞うはず。 まさかそれさえ誤算であったとは。


「準大公閣下が只今御出航なさいました」

 港からの急使よりの知らせを受け取った私の顔色が常の如くであった自信はない。 南軍将軍は先代陛下と共に出航しているし、副将軍も不在。 準大公が南軍へ援助を乞うたところで、軍船の出航命令を出せるのは皇太子殿下以外にはいないはずではないか。

「一体、どこから助けを借りて?」

「付近の者が見た限りでは自家用船に予め乗っていた者以外、新たに乗船した乗組員はおらず、護衛船も付いておりません」


 どのような勝算があっての事なのか? しかもサリ様をお連れになったという。 自家用船と言えば聞こえは良いが、元はといえば皇王族用に建造された訳でもない民間漁船。 軍船のような装備を隠し持っているはずもない。 にも拘らず、護衛船を一隻も付けずに出航なさったとは。 長年数多の驚嘆すべき事件を見聞した私ですらその報告には我が耳を疑ったが、港にいた者が出航を見ていたのだ。 皇太子殿下に報告せずにいる事は出来ない。


「殿下。 今更見苦しい弁解を申し上げるつもりはございません。 さりながら仮にこれが何の危険もない通常任務だったとしても皇王陛下より御養育を信任された将来の国母を無断で外洋へお連れするとは畏れ多き事。 ましてや今回の任務は怪物退治。 そこへ唯一無二の瑞兆を御同道なさるとは常規を逸脱した暴挙と申せましょう。 皇王陛下直々の懲罰となる事は免れぬと推察致します」 

「其方の予想には同意出来ぬ。 準大公の破天荒な気性は陛下なら先刻御承知。 このような難問を易々と引き受ける程とは、内心驚愕の念を禁じ得ないが、陛下も驚かれるかどうか定かではない。

 サリ様に不測の事態でもあれば懲罰もやむなしとなろうが、御無事ならば下手な懲罰は世間の耳目を集める。 そもベルドケンプ島とは何ぞや、という要らぬ関心に繋がらぬものでもない。

 慢心した故の安請け合いか、策ある故の自信かは知らねど、一見実行不可能な任務を朝駆けの駄賃の如く次々と完遂してきた準大公だ。 海中動物を射殺して戻ったと聞いても私は驚かぬ。 陛下も終わりよければ全て良しと御判断なさるのでは?

 穿った見方をするなら、準大公の疵瑕を御存知であればこそ、万が一の事態に備え皇寵を御下賜になったとさえ思える」

「御賢察はごもっともなれど、何事にも限度というものがございます。 たとえ準大公がこの任務を無事完了したとしても護衛船を伴わずに出航した事、そしてそれをお止めする者が周囲に居なかったという事は大きな問題となりましょう。

 ウィルマー執事は中々の切れ者。 出自不詳ながら皇王族内の仕来りに関する知識もあり、準大公に対し少なからぬ影響力があると聞き及んでおりますが。 お側に居なかったのならともかく、すぐ後ろに控えていたのに、お止めする間もなかったという申し開きが通用するとは思えません。 これはブレベッサ号救助とは別件の審議となって当然かと存じます」

「……よもや、こちらの目論みを看破された?」

「何分準大公のお人柄に関しては未知の側面が多く、確実な判断は難しき事ながら、御下問は準大公にとって予期せぬものであったはず。

 あの『その通りなりでございます』が、殿下を惑わせる為の演技という事がございましょうか? 深謀遠慮で知られる御方でもないだけに、直命の背後にある思惑を即座に読み取ったとは俄には信じ難いものがございます」

「だが準大公は単なる、ふむ、何と言うのだったか、巷間で、沈着を欠く者を指す?」

「おっちょこちょい、でございましょうか?」

「そう、それだ。 単なるおっちょこちょいとも言い切れぬ様な」


 準大公を見たままの人物と見なしたのは大きな間違いであったのか。 そこで初めて疑念が首を擡げた。 もしや、今回の直命さえ?

 いや、ベルドケンプ島に巣食う物が何であろうと、それは取り除かねばならない。 準大公でなければ他の誰かがやらねばならなかった事なのだ。 直命が問題なのではない。 ただ直命を下す際に「準大公の愛玩動物」と言ったのは、準大公に上陸問題を解決させる為に使った口実。

 バーグルンド将軍から、例の怪物がまだ小さい頃、準大公が餌付けした事があるとの報告は受けていたが、最後にあの島に上陸してから五年以上経つ。 その間打ち捨てていた生き物を愛玩動物と呼ぶのは明らかに言い掛かりで、準大公の否とは言えない性格を見越して使った言葉だ。

 準大公の突然の出航が問題となった時、出航の原因である直命に問題があった事は、準大公御自身はともかく、周辺に群がる上級貴族が看過するとは思えない。 そこを突かれる可能性はあるが、その点に関してだけは皇王陛下が皇太子殿下をお庇い下さるだろう。


 ベルドケンプ島は皇王陛下にとって重要な意味を持つ。 遥か昔、道を誤り、まつりごとを乱した皇王陛下がいらした。 その御代に陛下の寿命を延ばす力を持つ宝玉がベルドケンプ島へ向けて飛び去ったと伝えられる。

「飛び去った」とは暗喩? 或いは持ち去った者を隠蔽するための便宜。 はたまた文字通りの不思議が生起したか。

 記録は多くを語らない。 宝玉を失った皇王陛下は間もなく崩御され、次に戴冠された皇王陛下は即位と同時にベルドケンプ島へ大軍を遣わした。

 島が見える所までなら行ける。 だが周辺一帯には海面上に現れない巨大な岩がいくつもあり、筏や小舟のような底浅の船でないと岩に衝突して沈没の憂き目に遭う。 かと言って近くまで大型軍船で航行し、そこから小舟で上陸しようとしても不思議な潮流に阻まれ流されるのだ。

 創意工夫を凝らしたあの船この船この方法と様々な上陸の試みはいずれも失敗に終わった。 遂には皇王子殿下御自らお出ましになった事もあったのだが、儚くも護衛の兵士諸共海の藻屑となられた。

 その事件以来、大掛かりな派兵は行われていないが、少数ながらも毎年派兵はされている。 宝玉が失われて何百年もの歳月が流れ、上陸叶わずという報告を受け取るのみにも拘らず。

 派兵の真の理由は秘され、皇王族の中でも当代陛下、先代陛下、皇太子殿下及びその侍従長、祭祀長、御典医筆頭と、限られた者にのみ口伝されている。 伝説か真か、知る術はない。

 とは言え、宝玉が飛び去って以来、どなたの御在位も十数年前後で終わりを迎え、二十年を越えた例はないのもまた事実。 初代皇王陛下を始めとして治世が三十年、四十年を数えたのは全て宝玉が飛び去る前の事。 もしこれが真実だとしたら尚更秘さねばならぬのは言うまでもない。


 ところが十四年前、ベルドケンプ島への上陸が成功したという吉報が南軍中隊長バーグルンドから齎された。 それは誠に喜ばしい。 大した広さでもない岩だらけの無人島で、動物さえ住めぬ上に建物や樹木に覆われている訳でもないという。 それなら一寸刻みに検分する事は可能なはず。 肝心の宝玉は未だに発見されていないとは言え、宝玉の大きさや見かけを伝えた絵や文書があるでなし、雲を掴む如き探索であるのは私自身が赴いた所で変わらない。

 上陸の功によりバーグルンド中隊長は翌年大隊長に昇進した。 それ以来、毎年上陸出来るようになり、それがバーグルンド大隊長の副将軍、そして南軍将軍昇進へと繋がったのだが、上陸は全くの僥倖という。 水面下の巨岩、不思議な潮流のいずれも依然として存在する為、大挙しての派兵が不可能である事に変わりはなく、その後の探索も少人数で行われている。

 不思議な巡り合わせと言うべきか。 準大公もベルドケンプ島に上陸なさった事があり、そこで一頭の動物に餌付けした。 その動物が年々成長し、今では大型軍船でさえ沈没させられかねない大きさとなった為、再び島に近づけなくなったという報告がバーグルンド将軍よりあった。 そのような障害は即座に除去せねばならない。 皇太子殿下の御為に。


 当代陛下の玉の緒がどれだけ保つか、知っているのはスティバル北軍祭祀長と御典医筆頭のボルチョックのみ。 皇太子殿下といえども御存知ではない。 しかしこのまま放置しておけばオスティガード第一皇王子殿下が成人なさる前に譲位となる可能性が非常に高い。 政治の表舞台に立つ事を望まぬ皇太子殿下にしてみれば、当代陛下に出来るだけ長く在位して戴きたいのだ。

 皇太子殿下が即位なされば第一正嫡子、ラムシオン皇王子殿下にも皇王位継承権が生じる。 即位なさったとしてもセジャーナ皇王陛下はオスティガード殿下が成人するまでの中継ぎである事に変わりはない。

 次に即位なさるのはオスティガード殿下のはずだが、お二方の御生母の出身国が違う為、フェラレーゼがオスティガード殿下を、ヤジュハージュがラムシオン殿下を推すのは当然と言えよう。 それに因る皇王位継承権争いが起これば、安寧な治世でさえ御多忙な皇王陛下の日常が、どれ程心身を消耗される日々となるか想像に難くない。 仮に御自身が戦場に赴く事にはならずとも楽器を爪弾く暇のなき毎日となるであろう。

 また、セジャーナ皇太子殿下が即位なさる時、皇太子殿下となるのは成人なさっていればラムシオン皇王子殿下だが、成人前であればレイエース皇弟殿下だ。 セジャーナ皇太子殿下に政治への御関心はないがレイエース皇弟殿下も同様とは言い難い。 皇王位を狙うお気持ちまではなくても、サリ様を我が子の婚約者に、程度の画策はなさると予想される。 事と次第によってはそれが他国を巻き込んだ内乱の種となるかもしれない。

 

 準大公に怪物移動の直命を下すよう進言したのは、ベルドケンプ島探索を容易にするのが第一の目的だが、これには余禄が付いて来るはずだった。

 一人で果たすにはあまりの大任。 万策尽き、困り果てた準大公が皇太子殿下にお縋りする。 そこで準大公を不憫と思し召されたセジャーナ皇太子殿下が、南軍動員許可を皇王陛下にお願い申し上げ、それによって上陸問題を解決する。 準大公は殿下の奔走に恩義を感じ、今後いかなる御招待であろうと断れない。 一挙両得、となるはずだったのだ。

 その予想は大きく外れ、準大公は誰の助けも借りず、直命を受けたその日の内に出航なさった。 それでなくてもブレベッサ号救助の詮議がある。 サリ様がベルドケンプ島から無事お戻りになればいいが、もし万が一の事があれば、準大公が猪突猛進の人である事はブレベッサ号の救助に駆けつけた事で承知していたろうに、何故そんな直命を出した、とセジャーナ皇太子殿下が陛下より責められる事にもなりかねない。


 皇太子殿下が少し眉を顰められる。

「それにしてもこのような危険な任務にサリ様を同行するとは。 準大公のサリ様への慈愛は偽りであったという事か?」

「それもまた信じ難いと申し上げるしかございません。 つぶさに観察申し上げた訳でもないながら、準大公はサリ様を抱き慣れていらっしゃる様に見て取れました。 サリ様も準大公の(かいな)の中で御機嫌な御様子で」

「遂行不能な任務に自棄の念を起こし、死なば諸共、という可能性は?」

「準大公は乗船の際、鼻歌混じりであったとか。 更に、一週間で戻る、と。 それは準大公のお言葉のみならず、ウィルマー執事も各所に同様の連絡をしております。 何より準大公は準大公夫人の水着を握り締めていらしたとの事」

「水着、とな? それは何か?」

「水遊びをする際、身に着ける服でございます。 水着は本来男性が身につける物で、女性用があるとは寡聞にして存じませんでしたが。 この夏、準大公夫人が初めてお召しになって以来、巷の話題を席巻し、今や妻や娘に水着を強請られない者は皇国中を探しても居ないと申し上げてもよろしいかと。 それが港湾警備兵の目に留まり、御家族で海水浴に行かれるという印象を与え、誰も御出発をお止めせねばとは思わなかった様子でございました」


 沈黙が流れ、暫くの後、皇太子殿下が軽くため息をつかれた。

「今更警護の船を出航させても遅かろうな」

「残念ながら皇太子殿下が陛下の御許可なく南軍へ命令を下しては越権行為となります。 出航させるとしたら皇太子殿下お付きの護衛船のどれかを選ぶしかございません。 それですと出航を命ずる事は可能ですが、ベルドケンプ島の所在を知る者がおりません。 運良く準大公の船に追いついたとしても複雑な潮流に巻き込まれ、護衛するどころか準大公に救出される羽目にならぬとも限らず、百害あって一利なし。 ここはバーグルンド将軍の帰りを待つのが最善かと存じます」


 準大公が出発して四日後、南軍将軍旗艦船がマーシュに入港したとの知らせが離宮に届いた。 すぐさま港に駆けつけ、乗船した途端、マストの上にいた偵察兵が緊急警戒警報の旗を振りながら叫んだ。

「ギラムシオ号、御入港! 船尾に未確認動物! 高波注意! 高波注意!!」

 兵士の叫びを掻き消すかの様に、ギラムシオ号の後ろにいる前代未聞の巨大な何かが鳴き声を上げた。


 わっきゃー、わっきゃー

 わっきゃー、わっきゃー


 その怪物が湾内で起こした大波を受け、私が立っていた大型軍船でさえぐらりと揺れた。 慌てて船縁にしがみつき、揺り返しが収まった後で湾内を見ると、停泊する何十艘もの船から落ちたらしい人や物が海に浮かんでいる。

 高波に助けられたか、ギラムシオ号はアブーシャ川を北上したらしく既に視界のどこにも見えない。 私も隣のバーグルンド将軍も暫く無言でいた。 姿が掻き消えてしまえば、たった今目撃した事は夢か幻のようだが、周囲から転げ落ちた人や物を集める為の喧噪が聞こえて来る。


 この顛末をどのように皇太子殿下へ申し上げるべきか。 考えるだけで頭が痛いが、見たままを申し上げる他はない。 離宮へ戻るべく下船しようとする私にバーグルンド将軍が訊ねた。

「皇太子殿下からの御用がおありだったのでは?」

「いや、もうよい」

 そう短く答えただけで乗船の理由を説明する事は避けた。 あのような怪物が辺りを徘徊していては仮に海賊が現れたとしても接近不可能だ。 同じ事が護衛船にも言える。

 何故あの怪物がギラムシオ号の後に従っているのか、質問しようかとも考えたが、それを訊ねた所で皇太子殿下の直命の件を知らないバーグルンド将軍が答えられる訳でもないだろう。


 離宮へと向かう馬車に揺られながら肝に銘じた。 準大公の行動を予測するという愚を犯す事だけは二度とすまい。


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[気になる点] こんどの皇太子もやらかしやがる
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