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弓と剣  作者: 淳A
海鳴
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鼻歌  猛虎の話

 ふーん、ふふん、ふん、と本歌が何か分からない、調子っぱずれの鼻歌がギラムシオ号の甲板から聞こえてきた。


 なんであの日あの時、あいつを助けちまったんだろうな。 今更だが、四年前、オークの邪魔をした自分をぶん殴ってやりたくなる。 今日みたいな日は特に。

「ヴィジャヤン大隊長、御機嫌ですね」

 従者のゼンがにこやかに続けて何か言おうとしたが俺の顔を見た途端、口をつぐんだ。


 ギラムシオ号に乗船するとサダが遠足へ行く準備をしている子供みたいに、あっちこっち駆けずり回っている。 突然の直命任務なんて悪運とまでは言わないが、喜ぶような事であるはずがない。 どんなに簡単そうに見えようと絶対裏がある。 それくらい俺に言われなくたって分かりそうなもんじゃないか。 これが初めての直命でもあるまいし。 しかも今回の任務は海の物とも山の物とも知れない動物を動かせ、だ。 どんな困難が待ち受けているか見当もつかない。 なのにサダときたら、妻子を連れて行くと言う。


 本人が全く心配していないのは幸先いいのかもしれないが、一体何なんだ? あのはしゃぎ様は。 乗船して見ると北進が甲板の隅に放り投げられている。 自分の身を守る唯一の武器を何だと思っているんだか。 おまけにどこを見回しても矢筒がない。 道理でアラウジョが慌ててヘルセス別邸へ引き返して行った訳だ。 

 思わずため息が零れる。 こいつに大隊長らしくしろとは言わない。 それは豚に空を飛べと言うようなもんだろう。 大人しく座っていてくれるだけで御の字だ。 赤ん坊でもあるまいし、なぜそれくらいの事が出来ない? 赤ん坊のサリの方が辺りを注意深く見回している。

 こいつの場合下手に育ち切っている分、抱いてりゃ済む赤ん坊より始末が悪い。 少し頭を冷やせと言って海に放り投げてやりたいのは山々だが、そんな事をしたって魚も同然のこいつには蛙の面に水だろう。


 何度も命を助けられているんだから、少し落ち着きがないくらい大目に見てやれってか?

 そりゃ恩義はあるさ。 だがお互い様って事もある。 それにサダのせいで何度も死ぬ目にあわされているって事も事実だ。 差し引きチャラどころか、こっちの持ち出しと言ってもいいくらい恩義を返しているじゃないか。


 本人に悪気はない? 悪気がないのは結構だが、なんでこう次々とやらんでもいい事に首を突っ込む? マーシュへの旅にしたって先代陛下の見送りなんぞ他の奴らにやらせりゃいい。 命令された訳でもないのに、なんでわざわざ南に行く? 簡単な事だって面倒事に早変わりさせる特技を持っているくせに。

 案の定、初っ端から御用船の乗り換えをしやがった。 あそこまでいったらもう特技と言うより異能かもな。 サダの事だ。 だってあれはケルパのせいでー、俺にはどうしようも出来ないしー、とか言いやがるんだろう。

 サダの「だって」と「でも」にはつくづく聞き飽きた。 今度それを言ったら一発お見舞いしてやらなきゃ気が済まない。 何に挑戦してくれても構わんが、俺の忍耐の限界に挑戦するのだけは止めてくれ。


 それでも今では上級貴族の姻戚がごやごやいる。 御用船乗り換えに関しては何とか揉み消してくれるだろう。 みんなサダに恩を売りたくてうずうずしているんだから。

 問題は上官への報告だ。 ブラースタッドを出発する時サダは将軍に伝令を出さなかった。 いくら辺りに何人もの兵士がいようと将軍に報告しろと命令された兵士が報告するのと、何も言われていない兵士が報告するのでは大きな違いがある。

 兵士が伝令に任じられ、誰それに報告しろと言われたら、その人の元へ走る。 だがそうではない場合、兵士は自分の直属上官に報告し、その上官は更に一つ上の上官に報告する。 頭越しの報告をする奴なんていない。


 俺達がブラースタッドを出発した日、将軍は馬を見にジンドラ家へ向かっていた。 俺達の旅はいくら見送る相手が先代陛下であっても私用だ。 マッギニスも俺達の見送りには来ず、将軍に随行した。 将軍への伝令を出さなければ、桟橋にいた誰がすぐに連絡しようと将軍のお手元に知らせが届くまでかなりの時間がかかる。 それくらいの事にどうして気付かない?


「こっちの船になりました」とサダが俺に言った時には、ギラムシオ号は既に桟橋を離れていた。 だから俺も伝令を出していない。

 北に帰れば、将軍の愚痴が俺を待っている。 俺が側に付いていながら何とかならなかったのか、と。

 それでも伝令を出さなかった事だけなら謝って済む事もあり得た。 しかし沈没する船に向かって泳ぎ出されちゃお手上げだ。

 もっともサダのやった事がどんなに紙一重だったか、見ていなかった奴らには分からんだろうが。 あんな危ない橋を渡る奴がどこにいる? こっちの船に乗っている者は全員真っ青になって激流に逆らうサダを見ていた。 あれに巻き込まれたら魚だって泳いで逃げる事は出来ないだろ。 泳ぎが上手い事は湖で泳ぐサダを見て知っていたが、まさかあれ程とは。


 南には相当な泳ぎ手がいると聞いているからドレジェッツ船長に聞いてみた。

「俺には無理だが。 南にならあれくらい平気でやれる奴がごまんといるんだろ?」

 するとドレジェッツ船長はぶんぶん首を千切れんばかりに横に振って答える。

「あんな真似をして溺れないのは、南、いえ、皇国中を探したってギラムシオ様だけでしょう。 泳ぎ手どころか船だって沈没船に近づき過ぎたら巻き込まれてお仕舞いです。 正直な所、あんなに近づいたら余程大きな船でもない限り明日のお天道様は拝めない、てやつで」


 もしかしたらサダは魚の生まれ変わりなのかもな。 ふん、それなら陸に上がって来なけりゃいいのに。 俺だって人には出来る事と出来ない事があると承知している。 サダにやれない事をやれと言ったって無駄だ。 それよりせっかく人外並みの異能を持っているんだ。 それをうまく使うしかない。 兵士として最低限の事さえやってくれるなら後は息をしているだけでいい。 沈没する船の船員を見殺しに出来なかった事だって責めはしない。 だがブレベッサ号の船員を救助し終わったら、なんですぐに戻って来ないんだ?

 おまけに船に戻って来たサダに、伝令を出したんだろうなと聞いたら、きょとんとした顔をしやがった。 なんで上官に報告しない。 ヒャラを踊っている暇ならあったくせに。


 大隊長まで昇進した奴に基本の基本を叩き込んでやらなきゃいけない方の身にもなってみろ。 少しは俺の迷惑も考えてくれ。 それでも上官から油を絞られるなら如何に理不尽な理由であろうと部下には黙って聞くしか道はないし、まだ諦めもつく。 なぜかサダの周りには本人に直接言うより俺に言った方が話が早い、と思い込んでいる奴がかなりいる。 


「リイ義兄上、お初にお目にかかり、恐悦至極に存じます」

 ヨラ・グゲンは侯爵家継嗣らしい礼儀正しさで、まず目上に対するきちんとした挨拶をしてきた。 ヨネと良く似たかわいい顔立ちだが目に力があり、内に秘めた強い意志を感じさせる。 こいつ、結構強情かもな。 但し、サダのような、なんでそんな事に拘るんだか訳が分からない、という強情ではなさそうだ。


「お会いしたばかりで早速御忠告申し上げる御無礼をお許し下さい。 さりながら製塩業はまだしも、準大公家が漁業に手を染めるとは如何なものでございましょう。 しかも御用船の当日お乗り換えとは。 傍若無人もここに極まれり」

「俺はサダの子守りじゃないんでな。 責めるなら本人を責めてくれ」

 義弟に向かって木で鼻をくくったような返事をしたい訳じゃないが、サダの尻拭いを一々させられたら俺の体がいくつあっても足りはしない。 似た様な事はそっちこっちから言われている。 言う方にとっては初めてかもしれないが、聞く方は耳にたこができているんだ。 そもそも何の因果でこんな苦労をさせられているんだか。


 その大元なんだ。 ちょっとは済まなそうな顔をすりゃいいのに、あの鼻歌だ。 あれを聞くとぞっとする。 鳥肌が立つとはこういう事をいうんだろう。 何しろ振り返ってみれば、いつもあいつが上機嫌で鼻歌を歌い始めた時に限って次に度肝を抜かれる様な目にあっている。

 オークに襲われる前はどうだったのかトビに聞いてないから知らないが、サダと一緒にフレイシュハッカ離宮に行った時がそうだった。

 エダイナに無事到着した晩だってサダが鼻歌混じりで、観光でもするか、と部下に話していたのを聞いている。

 よくよく考えてみればイーガンの橋が大雪で落ちた知らせが届いたのはサダは鼻歌混じりで、かまくらでも作りましょうよ、と浮かれていた時だ。

 大峡谷に行った時も明け方寝言でサダが鼻歌歌っていたかと思うと、ロックに攫われていったし。

 神域で刺客に襲われた時だって、心配するほどの事でもありませんでしたね、とサダが帰り道で鼻歌を歌い始めた途端だ。


 そういう意味では、甲板からサダの鼻歌が聞こえて来た途端、船が滅茶苦茶揺れ出したって、やっぱりな、と思って驚かなかったが。 まさか海坊主にまで好かれていたとは。

 頼むから、その鼻歌を歌う癖だけは止めろ。


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