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弓と剣  作者: 淳A
海鳴
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御下問

 俺のペット、と言えるかどうかは微妙だが、俺は子供の頃、見た事もない生き物に海坊主と名付け、餌付けした事があった。 


 初めて会ったのは、確か俺が九つになった年の夏。 バーグルンド将軍(当時大隊長)に連れられてベルドケンプ島へ海水浴に行った時だ。 その島の岩壁でオーアバック大隊長(当時中隊長)と一緒に釣りをしていたら、近くの砂浜に黒い背中で白い腹の生き物が流れ着いたんだ。

 怪我をしていたし、お腹が空いているみたいだったから釣った魚を食わせてやった。 それ以来ベルドケンプ島に行った時は一緒に泳いだりして遊ぶようになった。

 だけど俺が入隊してからは一度も会っていない。 ところが先代陛下が御出発なさった後で皇太子殿下に御挨拶申し上げたら意外な御下問を戴いた。

「ベルドケンプ島に準大公の愛玩動物が住んでいるとは真か?」


 俺の愛玩動物? ケルパをベルドケンプ島に連れて行った事はない。 時々鳥が飛んで来たり、亀が砂浜を這っているのなら見た事あるけど、島全体が岩に覆われている緑がない無人島だ。 陸の動物なんて一匹も住んでいない。 という事は、お訊ねの動物は海坊主だろう。

 でもあれが俺の愛玩動物? 会えば必ず魚を食わせたりしていたからかわいがっていたとは言える。 だけど愛玩動物って、いつも一緒にいて世話をしている動物の事なんじゃないの?

 これがケルパなら迷わずはいと答えたが。 もう何年も会っていない海坊主の事を愛玩動物かと聞かれても、はいと申し上げていいものかどうか迷った。

 ただ皇王城や離宮での正式なお目通りではないとはいえ、これが皇太子殿下直々の御下問である事に変わりはない。 侍従を通じてのお訊ねじゃないって事は、わざわざ直接お聞きになる理由が何かある。

 例えば海坊主が何かまずい事でもやらかした、とか? 一緒に暮らしている訳でもない動物がした事まで飼い主として責任を取らされたら嫌だ。

 なら、そうじゃありません、て言う? それはそれでまずいような。 だって誰かが、海坊主は準大公の愛玩動物です、と皇太子殿下に申し上げたから、今こんな風に御下問されているんだろ。 なのに俺が、そうじゃありません、と答えたら、その人は皇太子殿下に嘘をついた事になっちゃう。

 誰に嘘をついたってまずいけど、皇王族に嘘をついたらたとえよかれと思ってついた嘘だって死罪だ。 この場合、ちょっと違うというだけで嘘って訳でもないのに。


 まったくー。 誰が言ったんだか知らないが、皇太子殿下に申し上げる前に、まず本人に確認してくれよ。 と言いたい気持ちはある。 でも取りあえず穏便に済ませるには、はいと申し上げるしかないだろう。 詳しい説明は後で聞かれたら答えればいい。 それより簡単な質問の返事に長々手間取ったら後ろ暗い事があるんじゃないかと勘ぐられる。 急いで答えようとして、うっと詰まった。

「はい」て、丁寧語でなんて言うんだっけ?

 こんな質問が来るとは全然予想してなかったから、どういう言葉遣いで答えたら正しいのか、ぱっと浮かんで来ない。 そのまま「はい」じゃ、絶対後で駄目出しを食らうに決まっている。


 御意。

 お言葉承りました。

 畏まりました。


 どれも質問に対する答えになってないだろ。

 ま、まずい。 皇太子殿下をお待たせしちゃってる。 早く返事しないと、と焦りに焦った俺の口から飛び出したのは。

「真にもって、その通りなりでございます!」

 俺みたいなあわてん坊なんて皇太子殿下の周りには一人もいないからだろう。 殿下を始めとしてお側に侍る侍従長、侍従、護衛の皆さんのお目々がいつもより見開いている。 二割り増しくらい? 珍しい動物がここにいるぜ、みたいな? 

 続く無言がチクチク俺の肌に突き刺さった。 元々わいわいおしゃべりするような人達じゃないとは思うけど。


 あ、お言葉の通りでございます、にすればよかったんだ。 もう一呼吸置いていたら、ちゃんと思い出せたのに。 せめて、せめて、さようでございます、だったなら。 む、無念じゃっ。

 ほら、皇太子殿下のお言葉が、真か、で終わっていたからさ。 つい、釣られちゃって。

 無駄に明るく語尾に力を込めたせいで誤魔化そうにも誤魔化しようがない。 人間焦るとろくな事がないっていう見本?


 ふと、俺の儀礼の先生であるブラダンコリエ先生の悲しげな顔が思い浮かんだ。 こんな返事じゃ丸は貰えないよな。 だけどお目零しで三角とか?

 ブラダンコリエ先生が、そっとため息をついた。

 ひょっとして、バ、バツ?

 ブラダンコリエ先生が遠慮がちに頷いて俯く。

 やっぱり? ううっ。

 せっかくこの日に備え、二度と使わないであろうお見送り用儀礼をがんばって覚えたのに。 それにこんな質問、俺でなくたって考えつかないだろ。 俺の予想では、お茶か夕飯、何かは分からないが、とにかく何かへの御招待がある、だった。

 これって充分あり得る予想だと思わない? だってリネを虎視眈々と狙っている御方なんだぜ。 だから御招待をいかに無難に断るかの練習なら一生懸命したし、それなら変な言い間違いなんてしなかった自信がある。

 因みに、俺が用意していた模範解答はこれ。

「御好意大変有り難く、恐悦至極に存じます。 残念ながら何分明日、北へ向けて出発の予定でございまして。 次なる機会を衷心よりお待ち申し上げます」


 皇太子殿下からどんな質問されると思う、とトビに聞いておかなかった俺が悪いのかもしれないが。 聞いておくべきだった? ブレベッサ号の件ならレイ義兄上にちゃんと聞いていたのにー。 そしてブレベッサ号の沈没について皇太子殿下が御下問なさる事はおそらくないと言われていた。

「皇太子殿下は既に譲位された先代陛下より複雑なお立場でいらっしゃいます。 もしサダ様のお答えが不適当であった場合、罰せねばなりません。 罰せずに許す、或いは軽過ぎる罰では不適当の誹りを免れず、さりながら重すぎる罰では後々覆されるか面倒な事になる可能性が高く、引いては皇太子殿下の権威に傷が付く畏れもございます。 故に、この件に関しましては大審院に任せた方が無難と御判断なさるでしょう」


 なんで罰が不適当だったら皇太子殿下の権威に傷が付くんだか、実はよく分かっていないんだけど、要するに御下問はないんだろ。 それを聞いて安心し、他はどうでもいいやって感じで。 それ以外にも何か質問されるとは考えなかったんだ。 まさか海坊主の事を聞かれるだなんて。

 いや、聞かれた事自体は世間話みたいなもので大した意味はないのかもしれない。 それより俺がやらかした言い間違いだ。

 皇太子殿下は見逃してくれるだろうか? それとも注意される? もしかして、厳罰?

 見逃してやるから、リネを愛人として差し出せ、とか?

 ひーっ。 そ、それだけは勘弁してっ。

 内心冷や汗を垂らしながら皇太子殿下のお言葉を待った。


「それではくだんの愛玩動物をベルドケンプ島から移動させておく様に」

 おしっ! 今度こそ間違えないぞ。

「お言葉、確かに承りました。 身不肖なれど、サダ・ヴィジャヤン、直ぐ様全力を尽くして皇太子殿下の直命を成し遂げるでありましょう」

 皇太子殿下に対する正式な礼を取りながらそう申し上げた。 すると皇太子殿下は俺のまともな返事に対して何もおっしゃらず、静かに御退席なさった。


 はあああ。 危なかったー。 皇太子殿下ともあろう御方が、悪代官でもあるまいし、妻を差し出せなんておっしゃるとは思えないけどさ。 ちょっと意地悪して困らせてやろうか、くらいはされたって仕方がない程のおばかな言い間違いだった。

 皇太子殿下って、案外鷹揚なお人柄? それとも意地悪するような御気分じゃなかっただけ?

 あれ? そういえば、結局何にも御招待されてないな。

 それはとても有り難いけど、拍子抜けって感じ。 なんでだろ。 なにか裏でもあるのか?

 いやいやいや。 ここは俺のお粗末な受け答えに文句を言われなかっただけでも感謝しないと。


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