後見人 4
ナジューラ様と念書を交わしたりはしなかった。 異母弟とは言え碌に話をした事もなく、お人柄など噂でしか知らない。 お言葉をそのまま信頼してよいものか、疑念が浮かばない訳でもなかったが。 次代なら念書を無視した所で責める者はいない。 公爵軍の掌握が難しい庶子が爵位を継承するのとは訳が違う。 元々ナジューラ様にはフィシェルズ大公家という後ろ盾もある。 そのうえ正嫡子。 公爵軍を意のままに動かすのに大した時間はかかるまい。 念書があろうとなかろうと、約束を果たすのはナジューラ様の胸先三寸である事に変わりはないのだ。
ナジューラ様との会見の後でライーラボルトに承ったお役目の事を話し、ディルビガー公爵との交渉について相談した。
「この場合、飛竜でセライカへ向かうのが最善かと存じます」
「飛竜?」
「相手に考える時間を与えてはいらぬ小細工をさせる元となりましょう。 出来るだけ早く到着し、即断即決を迫り、合意をもぎ取り次第、戻る事が最も後腐れのないやり方です。
飛竜で旅をするとなると護衛を数人しか連れて行けないのが難点ですが。 この場合ロジューラ様の身の安全は保証されていると見てよいのですから、ある程度の危険を冒してでも見合うだけの見返りがございます。 他の交通手段ではこちらがどれ程急ごうとナジューラ様が次代様と決まった知らせの方が私達より先に向こうに届く事は避けられません。 廃嫡される継嗣との婚約ならあちらの方から金を払ってでも破棄したいでしょうが、ダンホフ次代との婚約を破棄したい者はディルビガー公爵でなくともいないでしょう」
「ふむ。 道理でナジューラ様はあの場での御指名をお喜びではなかった」
ブレベッサ号の沈没は当然ディルビガー公爵にも伝わっているだろう。 今頃どのように婚約を解消したら安く上がるか考えている最中に違いない。
「次代決定がせめて来月でしたら座して待つだけであちらの方から婚約解消を申し込んで来たでしょうが。 それを今更申し上げても詮なき事。 ディルビガー公爵にこの知らせが届くのは時間の問題。 急がねばなりません。 娘がダンホフ公爵夫人となる事によって受け取れる利益を勘定し始めた後では紅赤石をちらつかせた所で相手にうんと言わせる事に手間取ります。 飛竜なら私達の到着の方が先。 相手は婚約解消を考えている所で、そこにあの紅赤石を見せればすぐさま合意を得る事が可能です。
又、こちらはダンホフ公爵家が派遣した公式の使者。 滞在中はディルビガー公爵の方で飛竜の餌を用意せねばなりません。 ブルセルで飛竜の餌を調達するとなると毎日一頭当り約二万ルーク前後の出費となるはず。 私達の滞在が長引けば長引く程あちらの持ち出しが増えるのですから、吝嗇なディルビガー公爵へのよいプレッシャーになるかと存じます」
「しかし飛竜を使用するには父上の許可が要る。 ナジューラ様の命だけで操縦士が飛んでくれるだろうか?」
「それに関しましては御心配無用かと存じます。 三年前、正嫡子には旦那様の許可がなくとも飛竜の使用を許すとのお言葉がございました」
「それはナジューラ様への許可ではないのか?」
「継嗣は元々旦那様の許可がなくとも飛竜の使用が許されております。 ですからこのお言葉はロジューラ様への許可と申せましょう」
知らぬ間に父から数々の恩恵を被っていた事に感動した訳ではないが。 母の遺産の原資が父であった事と言い、驚きを覚えなかったと言えば嘘になる。 顔を覚えてもいない生母と、顔を知っているというだけの父の結婚の経緯に興味はなかったが、事実は知っておくべきと思い直した。
「ナジューラ様は父上が恋に落ちて私の生母に求婚したとおっしゃっていたが、そなたの目から見て事実だと思うか?」
「損得の計算抜きで結婚相手を決める事を恋と呼ぶなら、ナジューラ様のお言葉に誤りはございません」
「そなたが父上から派遣された事も事実か? なぜ黙っていた?」
「私は旦那様から派遣された訳ではございません。 以前申し上げた通り、私は先の奥様の御指名によりロジューラ様の側近になったのです」
「母上に金融関係の才があって、そなたの才に目を留めたのか?」
「いいえ、全く。 けれど先の奥様は実に鋭く旦那様のお気持ちが読める御方でいらっしゃいました。 旦那様が何をお好みで、何を大切になさっているか等。 時には長年お側でお仕え申し上げた私が見抜けぬ事までお察しになる。 旦那様は金に関する事なら額が大きければ大きい程、私を頼っていらっしゃいました。 それを御覧になり、私の価値を御推察なさった。 それでロジューラ様の側近に私を、とお強請りなさったのではないでしょうか」
「父上は、その、母上のどこをお気に入られたのか知っているか?」
「存じません」
「母上が結婚に承諾なさった理由は?」
「それも存じませんが、大変御仲睦まじき御夫婦でございました。 先の奥様は旦那様の事を常に愛称でお呼びでしたが、旦那様がそのような事をお許しになったのは先の奥様だけでございます」
「愛称?」
「はい。 ノーナム・シューマと。 先の奥様は皇国語に堪能でいらっしゃいましたが、御結婚後も変わらず、旦那様をそうお呼びになっておられました。 ブルセル語で私の魔法使いという意味です。 ブルセルの子供達は一年に一度、欲しい物をノーナム・シューマに手紙を書いてお願いするのだとか。
念の為に申し上げますが、先の奥様が頻繁にお強請りなさった訳ではございません。 エイウィルの間の家具調度に限らず、贈り物と言う贈り物は全て旦那様が御自分からなさった事。 私が知る限り、先の奥様が旦那様にお強請りらしいお強請りをなさった事は一度もございませんでした。
私が引き抜かれる事は旦那様にとりまして少々痛いお強請りであったはず。 けれどこれは先の奥様が初めてなさったお強請り。 だからこそ旦那様も嫌とはおっしゃれなかったのでございましょう」
ふと、父に後見人をお願いしてみようか、という気になった。 ライーラボルトは私と共にセライカへ出発する。 万が一、私だけでなくライーラボルトも戻らなかった場合、たとえナジューラ様が私の子を殺そうと思わなくとも私の子である事を利用しようとする者が必ず現れる。
溺れる者は藁をも掴む、を地で行くようなものとは思うが。 私はその場で短い手紙を認めた。
「ノーナム・シューマへ
私の子の後見人になって下さい。
ロジューラ・ダンホフ」
ライーラボルトが持ち帰ったその手紙には父の筆跡で「諾」と書いてあった。
追記
銀行間の金融決裁が処理可能な国際銀行として有名なセライカ信託銀行がダンホフ公爵家所有である事は、金融関係者を除き一般には知られていない。 これはダンホフ系列銀行ならどこに所在していようと必ずダンホフ公爵家の家紋をロゴ及び銀行印に使用しているのに、セライカ信託銀行だけは魔法使いをロゴ及び銀行印に使用している事による。 このロゴ及び銀行印はセライカ信託銀行初代総裁リジューラ・ダンホフ(ロジューラ・ダンホフの長男)によって選ばれた。 現在、セライカ信託銀行はセライカ国民からノーナム・シューマと呼ばれ、親しまれている。
「零れ話 III」の章、終わります。




