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弓と剣  作者: 淳A
胎動
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希望  エスクヴェル先代陛下の話

 最初に準大公を見たのは皇王陛下が皇太子殿下だった時に行われた御成婚式だ。 次に見た時、彼は瑞鳥ロックと共に空を飛びながら父のヴィジャヤンに手を振っていた。


 自ら空を飛びたいなどとは思わぬ。 そんな機会が差し出されたとしても私が受け取る事はない。 なのにこの心の奥底に潜む羨望が消し様もないのは何故か。

 いや、羨望のみとは言えぬ。 瑞鳥に選ばれし者は私には為し得なかった事を成し遂げる者であると同時に私の重荷を担う者。 私から重荷を取り去ってくれる者でもある。

 遥かな祖先から受け継いだものを私の代で全て失う事だけはすまい、と考えつく限りの努力はした。 だが所詮は時の流れに逆らう小木。

 私は疲れ果てていた。 おそらく、皇王位に即く以前から。


 国の衰退は民の疲弊となって現れる。 税収減として報告されなくても目を逸らさねば感じられるもの。 緩慢に、しかし確実に。 崩壊へと向けて歩む我が国。

 どうすれば改善するのか。 臣下からは万の相反する進言が寄せられている。 そのどれを選ぶべきなのか。

 せめて我が身に予言能力があれば、と何度思ったことだろう。 けれど我が一族から予言能力が失われて久しい。 伝説によれば、興国の英雄、ダー・トムジックが予言能力の有る者を選び、初代皇王とした擁立した事になっている。 予言能力のある治世者のおかげで国は豊かになり、良く治まり、次第に国土を広げていった。


 子々孫々受け継がれていたはずの能力がいつの代に失われたのか定かではない。 息子の誰にも予言能力はない事を知った皇王は、ある者を探し出し、祭祀長に据えて治世の助けとするようになった。 しかし今では祭祀長からさえ予言能力は失われている。 予言を認識する能力だけは私にも祭祀長にもまだ受け継がれているが。


 二十七年前、グリマヴィーンが予言を見つけ、私に伝えた。 覇王が生まれたと言う。

 古きものを壊さねば新しきものは育たぬ。 私は諦めと共に避け得ぬ未来を受け入れた。 破壊と殲滅に立ち向かわねばならぬ我が子が痛ましい。 とは言え、皇王族は時として民に多大なる犠牲を強いてきた。 自らの番が来たからと言って躊躇する訳にはゆかぬ。

 皮肉な事に次代の覇王にも予言の能力はないと言う。 では私に不足していた何をその者は持っているのか?


 最初に彼を見たのは九年前、北軍新人戦出場者としてだ。 一見しただけでは他の剣士より荒削りという印象しか持てなかった。 けれど、あの咆哮。

 六年前の軍対抗戦で見せた、自らをこの世に合わせるのではなく、この世を自らに合わせようとする意志。 あれは、止められぬ。


 我ながら意外な程、私の後を継ぐ者に対する興味は湧かなかった。 どの様な運命を辿るか、予言能力などなくても予測出来る。 いつの時代であろうとも覇王の道筋は血塗られた孤独で敷き詰められるものだから。

 しかし準大公には会いたいと思った。 覇王となる訳でもない男のどこが気になるのか、自らを問うてもこれと言う理由は見出せない。 だが敢えて言うなれば、好奇心。

 いや、準大公に対する好奇心ではない。 準大公を語る者達の瞳に浮かぶ、あれは一体何なのか?

 私を見る瞳に現れた事はなく、畏敬ではないし、ましてや崇拝でもない。 単なる人気とも違う。 民に愛されている事は確かだが。

 あれが何であるか私には理解不能で、準大公に会えば分かるのではないかと思ったのだ。

 

 オードラ離宮の謁見室へ行くと準大公夫妻が控えていた。 天駆ける準大公を見てはいたが、これ程近くで目通りするのは初めてだ。 地に立つ彼から際立った所など何一つ感じられない。 どうして彼の一挙手一投足があれ程までに皆の耳目を集めるのか? 


 見送りに来てくれた事に対し私が準大公を労うと、挨拶の言葉を返してくる。 その後で平伏しようとしたのにはさすがに内心驚いた。 すると準大公は平伏の一歩手前で踏みとどまり、膝を擦りながら言った。

「本日はお日柄も良く、船旅日和でございますね」


 腹の底から笑いが生まれる経験など嘗てない。 それを抑えるのに皇王として君臨する為に施された厳格な教育の全成果を投入した様な心地がした。

 お日柄も良くと言うと如何にも今日が吉日であるかのように聞こえるが、今日は吉日ではない。 出発予定の明日だとて吉日という訳ではないのだ。 船旅には天候こそ第一に考慮すべきとの南軍将軍の進言で、明日となったに過ぎない。 又、たとえ今日が船旅日和であろうと明日も同じ天候である保証等ないではないか。

 平伏しようとする事自体があり得ぬ過誤だが、咄嗟の誤魔化しのあり得なさはその上を行くものと言える。 準大公を語る時に賢いと言った者はいなかったが、それにしてもこれは。


 サハランの準大公贔屓は既知の事。 それで隣にいた侍従長のヤンコードに視線を投げたところ、何卒お聞き下さいますな、と言うかのように目を伏せて足下を見ている。 肩に微かな震えがある所を見ると、さしものヤンコードも笑いを堪えかねたか。

 他の侍従や警備兵からも微妙に目線を外し、必死に笑いを堪えている様子が窺えた。

 準大公が意図して笑いを取ろうとする男だとは聞いておらぬ。 そもそも意図して言った冗談が面白かった事はなく、笑わせようと意図していない行動であればあるほど爆笑を誘うのだとか。

 ちらとサハランに目をやった。 必死に笑いを堪えている事は握りしめた拳を見ればわかる。 そして私に、いつもはもう少しましなのです、と縋るような視線を送って寄越した。 稚拙な言い繕いは笑止で済まされるとしても、この平伏もどきが室外に漏れたら皇寵ありし者といえども厳罰は免れぬ事を知っているからだろう。


 だが今日、室内に尚書庁から派遣された書記はいない。 いくら譲位したとは言え謁見する皇王族の側に書記がいないのは異例の事だが、何でも準大公付き書記が風邪を引き、病欠したのだとか。

 皇王族でもない準大公に何故専用書記がいるのかは不可解ではあったが、ともかくここに居るのは全員サハランが選り抜いた者のみ。 宮廷の思惑に頓着する者などおらぬ。 いたとしてもヴィジャヤン準公爵派閥が宮廷を完全に掌握していると聞く。 これが問題になるかと問えば、ならぬであろう。

 但し、準大公が沈没する船から乗組員を救出した件に関しては不問という訳にはゆくまい。 サリを乗せていながらそんな真似をするなど、当代陛下はともかく皇王庁が黙ってはおらぬ。 どのような弁解を並べ立てた所で大審院の鉄槌は免れまい。 皇寵があるから爵位が剥奪されたとしても、後で恩赦があるやもしれぬが。


 準大公が一体何と答えるつもりか興味が湧いて聞くと、自ら泳いで引っ張ったと言う。 嘘ではないだろう。 多くの者が準大公自ら泳いでナジューラ・ダンホフを引っ張った事を目撃した、とヤンコードから聞いている。 更にその詳細を聞こうとしたら、準大公がサリを差し出してきた。

 孫の嫁ならかわいいだろうとでも思ったか? 私は自らの血縁である孫にさえ興味を持った事はないというのに。

 ふと興が乗り、サリを抱いてみた。 なんと小さい。 それでいながら父である準大公を思い起こさせるこの瞳。 真っ直ぐに私を見る。 猛虎のような何物をも怖れぬ瞳ではない。 これは恐れを知っている。 怖れるからこそ見る事を逡巡せぬ瞳なのだ。

 この瞳を我が一族に迎えるのだな。 そう考えた時、私の脳裏に希望という言葉が思い浮かんだ。


 希望。

 そうか。 明日が今日より良き日である、と信じさせてくれるもの。 私を見る瞳には決して現れず、準大公を見る人の瞳に浮かんでいたのは、それなのだ。

 陽は落ち、かつまた昇る。 我が民の上に恵みを齎すべく。

 初めて自らの重荷の全てが下ろされたような気がした。


 準大公夫妻が退出した後で、あの膝を擦る滑稽な仕草と馬鹿げた言い訳を思い出し、堪らず笑いを洩らす。 サハランがいかにも申し訳なさそうな顔をして準大公を庇おうとするのを押しとどめ、ヤンコードに命じた。

「季節外れの水泳を厭わぬ青年の気概、愛すべし。 次代を担う者の覇気、挫くべからず。

 テイソーザ(皇王庁長官)とケイフェンフェイム(大審院最高審問官)に、そう伝えておくがよい」

「御意」


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