表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弓と剣  作者: 淳A
胎動
332/490

救命具  船舶設計技師、ハズマーノの話

 瑞兆であらせられるサリ様をダンホフ公爵家自家用船にお乗せ申し上げる事になったという知らせは、ブレベッサ号主任設計技師である私に一早く伝えられた。

 皇王族を船にお迎えするには様々な制約がある。 最初から皇王族用に建造されている船を買う方が結局は安くつくのだが、この話は急に決まった。 ダンホフ公爵家なら購入資金に問題はないが、急な話なだけに相手がすんなり売ってくれるかどうかは予測出来ない。 旦那様は値段を吊り上げられて言い値を払う事や値下げ交渉に時間を費やす事を嫌い、間もなく進水予定のブレベッサ号を改造すれば早いし安上がりと御判断なさったのだろう。


 しかし船の増築には常に危険が伴う。 ブレベッサ号はほとんど完成している為、公爵御夫妻用主船室の上に階を重ねる事でしか部屋を増やせない。 そうすると船が高くなり過ぎ、少々波が荒れたくらいで沈没する船になる。 オーグンセ号なら建設開始前だから設計変更が容易だが、完成まで少なくとも後三年はかかる。

 御用船提供は名誉な事だからブレベッサ号が選ばれた事は嬉しいが。 無理な増築を敢行すれば長年私の心血を注いで作り上げたブレベッサ号が一瞬の内に海の藻くずとして消える恐れもある。 それを想像しただけで身を切られるようだ。 そのような増築には設計担当主任として到底同意出来ない。 だが退職願を提出したら継嗣のナジューラ様に引き止められた。


「ハズマーノ。 懸念は理解するが、今回の旅は川。 川の上り下りだけなら海を旅するような嵐の心配は要らぬ。 又、一度でも皇王族がお乗りになった船は、それ以降皇王族の御利用以外の目的で使われる事はない。 サリ様のお年を考えれば当分海へのお出掛けにお許しが出るとは思えぬ。 出たとしても五年から十年先となろう。 オーグンセ号は今秋の旅には間に合わぬが、サリ様が次に船旅をなさるまでなら余裕で完成している。

 ブレベッサ号であれば元々ダンホフ公爵の御旅行用に設計されており、贅を尽くしてある。 ただ皇王族をお迎えする設えにはなっていない。 つまり内装が問題なのだ。 川の上り下りにしか使われぬ船に荒れる波を心配するなど無用の費え」


 ナジューラ様は船舶建造に御関心があり、御自分で設計しようと思えば出来る程の知識がおありだ。 船の事を何も知らぬ御方に押されたら最後まで抗ったが。 結局押し切られ、最終的にはこの増築に同意した。

 不安が全くないとは言わない。 だが快適な旅になるはずだった。 北方伯御一家がブレベッサ号に御乗船なさっていらしたら。

 一体何がお気に召さなかったのか理由は分からないが、北方伯は突然御乗船なさらないとおっしゃった。 その時点で別の船をお召しになるよう、私はナジューラ様に強く進言した。 北方伯御一家がどの船を選ばれるにしてもブレベッサ号より遥かに遅い事は確実。 御用船の露払いとして前を運行するか、護衛船として後ろに従う事になるかは分からないが、いずれにしても極力速度を落とした航行となる。 場合によってはエンジンを逆回転させねばならないだろう。

 それでなくても増築による船体の重量増加でエンジンに許容値ぎりぎりの負担をかけているのだから長時間に渡って逆回転し続けるのは望ましくない。 しかも北方伯が選ばれたのはなんと中型漁船。 事故が起こるのは時間の問題だ。

 しかしナジューラ様は私の警告を退けられ、ブレベッサ号での御出発を御決断になった。 

「適当な船がすぐに見つかるとは思えない。 仮に見つかったとしてもブレベッサ号より見劣りするのは確実で、なぜ乗り換えたのか、その理由を世間に説明せねばならなくなる。 言い訳をすればする程、そんな船しか建造出来なかったのか、と物笑いの種となる事は必至。 最悪の場合そのような船にサリ様をお乗せしようと申し出るとは不敬極まる、という非難にもなりかねない」


 政治的には正しい御決断なのかもしれない。 けれど私に言わせれば自殺行為だ。 残念ながら私にお止めする権限などありはしない。 それにナジューラ様はブレベッサ号の建築を指揮なさった。 大変明晰な御方で技術的な詳細もよく御理解なさっている。 私が何を言っているか分からないために無茶をおっしゃっているのではないのだ。

 恐る恐る出発したとは言え、まさか初日にエンジンが暴発するとは予想していなかった。 第一、不調の予兆が少しもないのに突然エンジンが爆発するなど考えられない。 事故が起こるとしてもこの旅ではなく、次の航行か、或いはその次。 その前にエンジンを改良する時間はいくらでもあると楽観していた。


 爆発した瞬間、乗組員全員が死を覚悟したに違いない。 乗組員は全員泳げるが、ナジューラ様は泳げない。 自分だけならまだしも人一人を引っ張りながら川岸まで辿り着くなど不可能に近い。 仮に二、三人組んで泳いだとしても水流に逆らうのは難しいだろう。

 乗組員は主のダンホフ公爵からナジューラ様をお守りするようにと命令されている。 ナジューラ様を助けずに生き延びた所で処刑される運命だ。 エンジンへの負荷をなるたけ軽くしようと緊急避難用の小舟を一叟も積まなかった事を後悔したが、もう遅い。


 ナジューラ様のお顔からは何も読み取れない。 まるで最初から死をお覚悟なさっていたかのよう。 死に直面しても揺るがぬお覚悟でなければ公爵家継嗣などそもそも務まらないのかもしれないが。 もしや最初からこれを予想なさっていたのでは、という疑いが脳裏を過る。

 私は船舶設計技師で、ダンホフ公爵家奉公人ではないから詳しい事情は知らないが。 長年ダンホフ公爵家の造船に携わった関係で爵位を巡る内部抗争なら小耳に挟んでいる。 ブレベッサ号が無理な航行をしているのを知らずにいたら、この爆発は公爵家継嗣の座を狙う者の仕業と考えただろう。


 いや、いくら無理をさせていたとは言え、エンジンの不調を思わせるような出来事は何一つとしてなかった。 これ程簡単にエンジンが爆発するだろうか? 負荷に耐え切れずに起こった事故か、それとも誰かが仕掛けた暗殺か。 真相を究明する術はないのが悔やまれる。

 その時、ブレベッサ号の前を走っていた北方伯の船が方向転換したのが見えた。 そしてどんどんこちらに近づいて来る。 まさか、ナジューラ様を救助なさろうとしていらっしゃる?

 さすがは北方伯と言いたい所だが、あんな漁船に何が出来る。 それにサリ様をお乗せしているのだ。 沈没船に近づくなど、そんな危険な真似をしている場合ではないではないだろうに。


 程なくして女性の声が届いた。 川へ飛び込み、網に掴まれと言っている。 同時に漁船から網が放たれた。 乗組員を網で引っ張る? なんと奇想天外な。

 それをお聞きになったナジューラ様が、凛としたお声で乗組員に告げた。 

「ヴィジャヤン準大公閣下の御指令である。 即座に従うように」

 北方伯の御指令と言われていたら乗組員は従いたくても従う事は出来なかった。 乗組員の主はダンホフ公爵であってナジューラ様ではない。 伯爵の命令だったら主の命令を覆せないが、準大公閣下ならそれが出来るお立場だ。 従ったとしても後で罪に問われる事はない。


 乗組員は次々と川に飛び込んで網を目指した。 私も必死に泳ぎ、何とか網を掴む事が出来た。 ところがナジューラ様が飛び込まれた様子はない。 ブレベッサ号と運命を共にされるおつもりか?

 見かねたらしく北方伯がナジューラ様の御説得に自ら赴いて下さった。 魚と見紛う速さでブレベッサ号に泳ぎ着いたかと思うと、ナジューラ様を抱いて川に飛び込まれ、後ろに人ひとりを繋いでいるとは思えない速さで漁船に戻られた。 てっきりそこで船上に上がられると思っていたが、なんとそのまま川岸を目指して泳いで行かれる。 私達を引っ張っている漁船よりも速く。


 ようやく私達が川岸に上がった時には辺り一帯が秋祭りの真っ最中であるかのような賑やかさ。 火や食べ物、着物を用意するために沢山の村人が笑いながら駆けずり回っている。

 北方伯は村人が勧める慎ましい心づくしを受け取り、漬け物や焼き菓子を摘まれ、美味しいとお顔を綻ばせては、ありがとうと繰り返しおっしゃっていた。 そのお姿はまるで祭りを楽しみに地に舞い降りた神の御使いのよう。

 次々と差し出される御供物のお零れに与りながら我が身の幸運に感謝せずにはいられない。 もし北方伯がいらっしゃらなかったら、たとえ私達の何人かが川岸に辿り着いていたとしても村人の歓待は望めなかった。 はっきり言うのは憚られるが、ダンホフ公爵家は金貸しとして悪名高い。 どこの船かが分かった時点で、勝手に死ね、と見捨てられていたと思う。

 焚き火で暖を取り、温かいスープを啜った時、初めて助かったという実感が湧き上がった。 そして北方伯を遠目に見ながら考える。 この御方の為に私は何をして差し上げられるだろうか、と。 



 追記

 タズ・ハズマーノ

 御用船、瑞兆号の主任設計技師。 エンジンの回転を変えずにプロペラの角度を変える事で速度の調節や後進が出来るようにした可変プロペラを発明。 瑞兆号に初めて搭載され、その後改良を重ね、普及した。 又、現在船員一人に付き一着常備が義務付けられている救命具、ハクイラズを考案した事でも知られる。 正式名称はギラムシオ・ベストで、ハクイラズは俗称。 「北方伯要らず」が短縮されたもの。

(「皇国船舶史」より抜粋)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ