残念
「早く船に上がれ!」
ギラムシオ号の甲板から師範の怒鳴り声が聞こえた。 最初は俺だって船に上がるつもりだった。 でもギラムシオ号じゃお湯を沸かせない。 ナジューラ義兄上は真っ青な顔色をしている。 怪我はしていないけど、早く温めてあげないと風邪をひいちゃうだろう。
川岸では爆発音を聞きつけたらしく人が集まっている。 船から人が飛び下りたのを見て火の準備をしてくれてるのが見えた。
こんな人数を引っ張っているんだ。 とろとろ運行しているギラムシオ号が川岸に辿り着くまで相当時間がかかる。 だけど俺なら十分もかからない。
それにギラムシオ号はいくら小さいと言っても川岸ぴったりには付けられない大きさだ。 どうせそこから岸まで泳がなきゃいけない。 もう水に浸かってるんだし、さっさと火にあたった方が温まる。
「先にナジューラ義兄上を川岸に連れて行くから! 心配しないで!」
ギラムシオ号の船縁でこちらを見ているみんなにそう一声かけ、俺は岸を目指して泳ぎ始めた。
岸に着いた途端、北方伯様だ、北方伯様だ、と村人が囁きを交わし始め、それはすぐに大きな叫び声となり、人がそっちこっちに駆けだして辺りは蜂の巣を突ついたような騒ぎになった。
「北方伯様だーっ」
「北方伯様よおおーっ」
「北方伯様がいらしたぞーっ」
「ぽっぽしゃまーっ」
ぽっぽ? まさか、鳩ぽっぽ? 空を飛んだから?
「もっと火だっ! 火を起こせええっ」
「乾いた布、どんどん持って来いっ」
「着替えっ、着替えよっ」
「バリシャツだっ」
「短パンもっ」
子供や老人だけじゃない。 もう、村中総出で仕事を放り投げ走り回ってる、て感じ。 秋の収穫時に入っているし、冬準備だってある。 何かと忙しい時期なんだから、皆さんお仕事の最中だったんじゃないの?
明らかに野良仕事を放り出して来た格好の農夫が辺りに向かって叫ぶ。
「食い物、何かないかっ」
その人に向かって言った。
「いや、お昼はちゃんと食べたから、そんな気を遣わな」
俺の言葉が終わる前に、だだだっと娘さんが駆け寄って袋を差し出す。
「焼き菓子ですっ」
「お、ほっかほか。 じゃあ、まあ、その。 せっかくだし? ん、んまい」
泳いだ距離は大した事なかったが、久しぶりに全力で泳いだせいか自分で思った以上にお腹が空いていたみたい。 もう、どんどん入っちゃう。
それを見た野菜を背負った奥さんっぽい人が、弁当箱みたいなのを取り出して蓋を開ける。
「つ、漬け物は如何でしょう?」
「きゅうり! あ、ぱりぱりしてる」
疲れた時に塩気がある物って嬉しいよな。 俺の食べっぷりを見て周りの人がどんどん勢いづいたみたい。
「トウモロコシ、召し上がりますか?」
「はいっ。 それ、一本を半分こにしてくれる? 八十人いるからさ。 足りなくなっちゃう」
「すぐ茹であがりますっ! みなさんに充分なくらい、あちらに用意いたしますのでっ」
俺一人だったら船に戻れば食べ物があるから遠慮したが、ブレベッサ号の乗組員はここでちゃんと食べておかなきゃ後で困るだろう。 次々目の前に差し出される果物、野菜、手料理は全部有り難く受け取った。
一番有り難かったのは火だけどな。 俺はずっと泳いでいたから平気だが、ナジューラ義兄上の唇は紫色になっている。 すぐに体を乾かしてあげた。 火にあたったおかげでナジューラ義兄上の顔色が元に戻ったので、ほっと胸を撫で下ろした。
ナジューラ義兄上に万が一の事があったら大変だ。 いくら凍えるほどじゃないとは言っても九月ともなれば川の水は随分冷たい。 他の乗組員が全員助かったってナジューラ義兄上が助からなかったら、なぜナジューラ義兄上を一番先に助けなかった、と責められたような気がする。
紫色の唇を見たら、ふとマッギニス補佐を思い出した。 今頃どうしているかな。
……ゔ、鳥肌?
温まらなくちゃいけない時に、俺ってば何考えているんだよ。 ったく、もー。 乾布摩擦でもするか。 しゅっしゅっ、と。
「ふーっ。 そうだ、ナジューラ義兄上もやってみませんか?」
ナジューラ義兄上は乾布摩擦なんてした事がなかったらしく、少し目を見張った。
「簡単ですから。 ほら、こんな風に両端を掴んで」
やらない、と断られるかと思ったが、ナジューラ義兄上は手ぬぐいを掴み、俺に教えられた通り体を擦り始めた。 案外素直な人だったんだな。
それにしても、さすがは公爵家継嗣。 短パン一丁だというのに高貴な雰囲気が辺りに漂っている。 誰も近寄ろうとしない。 その点、俺には平民っぽい気安さがあるからだろう。 村人が次々俺に話しかけて来た。 その中に秋祭りで俺のヒャラを見た人がいて。
「あれは本当に楽しかったです。 心が踊り出すと申しますか。 帰ってからみんなにやって見せてくれと言われたんですが、残念ながら覚え切れませんで」
「勝手に踊ってくれていいのに。 でもお囃子してくれるならここで踊って見せてあげるよ」
そう言ったら、どっと歓声が上がった。
食べ物と火のお礼にヒャラって、しょぼいとは思うが、今あげられるような物は何も持っていない。 物はもらえなくても楽しければいい思い出にはなるだろう。 手拍子が始まったのに合わせ、こんな感じ、と踊って見せた。
そうこうしている間にギラムシオ号がようやく川岸に着き、乗組員全員の無事を確認する事が出来た。 村長さんが来て第一駐屯地と領主へ早馬を走らせてくれたし、ここに俺がいても何もする事はない。
この先何もなければお見送りに充分間に合うはず。 でもギラムシオ号じゃのんびりしてもいられないから俺は船に戻る事にして、ナジューラ義兄上はどうなさるかを聞いた。 するとちょっとお考えになってからお答えになる。
「別の船を手配させます。 別便が到着するまで少々待たねばならないでしょうが、その間に事故の報告と沈没船の後始末を済ませたいと存じます」
そこでナジューラ義兄上と別れ、俺は村人が出してくれた小舟に乗ってギラムシオ号に戻った。 川岸を見ると村人が一生懸命こちらに向かって手を振ってくれている。 俺はサリを頭上高く掲げた。 サリだという事が分かったらしく、一際高い歓声が湧き上がる。
ダンホフ公爵家の船員達は最敬礼で俺達を見送ってくれていたが、先頭に立つナジューラ義兄上は敬礼ではなく、川岸にいた村人達のように手を大きく振っていた。 まるで別れを惜しむかのように。 船が見えなくなるまで。
今朝、乗船前に会った時のナジューラ義兄上は四角四面という感じだった。 サリへの挨拶だって皇王族に対する臣下の礼を取っていたし。 それは確かに礼儀に適っているが、何も親戚同士でそこまで堅苦しくしなくても、と思ったくらいなのに。
岸に上がってからのナジューラ義兄上はどこか違っていた。 どこがどう違うんだと聞かれてもはっきりとは答えられない。 なんとなく、堅苦しさが取れたと言うか?
乾布摩擦を一緒にした事といい、バリシャツを選んで着た事といい。 もしかしたら俺を弟と思ってくれたのかな?
と言うのもナジューラ義兄上は着替えを選んだ時、北方伯家のシンボルである六つ矢が「護衛」の周りに染め抜いてあるバリシャツにしたんだ。 貴族は普段着であろうと緊急事態だろうと他家の家紋を身に付けたりしない。 それが正式な家紋であろうとなかろうと。 他家の家紋入りの服しかないなら裸でいる事を選ぶだろう。
結婚や養子縁組みで家紋が変わり、実家が婚家より格上だったりすると、実家の家紋を身に付ける事もあるが、格下の家の家紋を身に付ける貴族なんていないはずなんだ。 一応親戚はみんな俺の事を準大公と呼んでくれているが、六つ矢は北方伯家のシンボルだからナジューラ義兄上の侍従は無地のシャツを差し出したのに。 ナジューラ義兄上は首を横に振り、北方伯の護衛を意味するシャツを着た。
まあ、六つ矢は単にシンボルで正式な家紋じゃないから気にならなかったのかもしれないが。 それとも怪我人や死人が出なかった事がそれほど嬉しかった、とか?
下手をするとナジューラ義兄上を含めた乗組員全員が死んでいたんだ。 そういう意味では確かに運が良かったが、沈没となると全損。 あれほど豪華な船、いくら皇国一の金持ちのダンホフ公爵家だって相当な痛手だろう。 俺なんか、あの船を建てるのに一体いくらかかったかを想像しただけでぶるっと震えがきた。
一億? そんなもので済むか? なら二億? ひょっとしたら三億?
想像もつかない。 実際いくらかかったのか知らないが、安くない事だけは確かだ。 俺にあんな船を建てる金はないから建てるとしたら借金するしかない。 それが建ててすぐに沈没、て事になったら破産だぜ。
だけど俺が見る限りじゃナジューラ義兄上がお金の事を気にしていた様子は全くなかった。 あんなでっかい宝石を川底へ沈む事から救ったのに、ありがとうもなかったし。 さすがはダンホフ公爵家継嗣。 太っ腹の桁が違う。 と言うか、ナジューラ義兄上は元々何があったって動じない御方なんだろうな。 動じたとしてもそれを面に出したりしない、て事なのかも。 本音はどうだか分からないが。
因みに俺はリネが俺の活躍をちゃんと見てくれていたのかどうかが一番気になった。 もちろんそれは後でちゃんと聞くが、今はそれより先にまずケルパにお礼を言わないと。
我が家にはエナ、カナを始めとして全然泳げない人が何人もいる。 もしブレベッサ号に乗船して事故にあっていたら、どんなに泳ぎが得意な俺でもリネとサリを助けるだけで精一杯だ。 ケルパは俺の家族にとって命の恩人、いや、恩犬だ。
だから船に戻って真っ先にケルパにお礼を言った。 するとケルパは、ひよひ、ひよひ、と答えてしっぽをぱたぱたさせた。
苦しゅうない、てか? 相変わらず偉そうに。 どっちが主なんだか分からない態度にはむっとしたが、幸運を齎してくれるものを粗末に扱ったら罰があたる。 知っていて止めたんじゃなくても多少の事は大目に見てやらなきゃ。
ところで全員無事だったのは嬉しいが、残念な事がなかった訳でもない。 俺は北方伯のシンボル入りシャツなら何枚も持っている。 それで着替えのバリシャツを差し出された時、胸に狛犬の絵と「ケルパ神社」が染め抜いてある紺色のやつにした。 その時後ろを確かめなかったんだ。 背中にでーーっかい文字が染め抜いてあったのに。
「愛」って。
これって、一体どういう組み合わせ? ケルパが前なら後ろは家内安全にすべきだろ。 無病息災でもいいけどさ。
他人の趣味にどうこう言う気はないが、これを注文した持ち主のセンスを疑うぜ。 しかもそれを知ったのは夕飯の後。 一緒に夜空の星を眺めようとリネを甲板に誘った時に、シャツに告白させる気ですか、とフロロバにそっと囁かれて初めて気が付いたんだ。
あっちゃー。 雰囲気ぶち壊しもいいとこ。 それでなくても世間から軽い男と思われて苦労しているのに、その誤解に拍車がかかったじゃないか。
ぬううっ。 どうしてすぐに教えてくれないの、と騒いだって後の祭り。 自分じゃ格好良く立ち去ったつもりが、実は背中で愛を叫んでいたのかよ。
川岸にいた村人が俺に遠慮して何も言えなかった気持ちは分かる。 助けられた事を感謝しているブレベッサ号の乗組員だって、背中の文字が愛になってますよ、なんて言えなくても当たり前だ。 今日雇われたばかりのギラムシオ号の乗組員が俺に気軽に声を掛けられなかったのも無理はないが、なんで古顔の部下や奉公人が黙っている訳? 面白がっていたからじゃないの?
ダーネソンはこの春から勤め始めたばかりだけど、俺の嘘を容赦なく暴いている。 先月来たばかりのロイーガだって俺の普段着が気に入らなかったらしく、俺の家に来たその日に、少々単調な御趣味ですね、とか言ってたんだ。 どうやら服にはちょっと五月蝿いらしい。 なのに肝心な時には黙っているだなんて。 ひどいだろ。
黙っていられなくて俺はロイーガに文句を言った。
「どうして教えてくれなかったのさ」
「良くお似合いだったものですから」
それを真顔で言うんだぜ。 俺みたいな色黒に紺色が似合うって嘘っぽくない? そのうえ隣にいたダーネソンから訝しげな顔で聞き返された。
「わざとではなかったのですか?」
「わざとって。 俺がそんな受け狙いする男に見える? 嘘を見抜ける男のくせに真実は見抜けないのかよ」
主の間違いをさりげなく正すのが奉公人の役目なんだぞ、と珍しく俺の方から説教してやろうとしたら、トビにびしっと言われた。
「旦那様。 今回のように奉公人がお召し物を御用意出来ない場合も多々あるかと存じます。 その際には今一度、後ろを御確認下さいますように」
なんだよー。 結局後ろを確認しなかった俺のせい、て言いたいの? それって、すこーーし奉公人寄りの発言じゃない? とは思ったが、愚痴も説教も諦めた。 余計な事を言ってトビを怒らせると後々面倒だし。
だけど人助けしたんだぜ。 良くやった、とみんなから褒められると思ったのに、ぜーーんぜん誰も褒めてくれないんだもんな。 内心がっかりしちゃった。 褒めて、なんて誰にも言ってないけど。 褒められるどころか師範に何をされたと思う?
「散々心配かけやがって。 言う事を聞かない奴にはこうだ」
がしっと頭を掴まれ、拳骨でぐりぐりぐりぐりされた。 痛いのなんのって、もう、涙目。 なのに誰も止めに入ってくれないんだもんな。 冷たいったらありゃしない。 そりゃ師範を止めるなんて俺にも出来ないけど。 ヨネ義姉上がここにいてくれたら、とつい思っちゃった。
おまけに普段使っていない筋肉を目一杯使ったもんだから朝起きた時の筋肉痛もすごかった。 痛み止めの軟膏なら持って来ていたけど、少し痛みを感じた方が自重されるでしょうとか言って、リスメイヤーが薬の出し惜しみをしたんだ。 俺が上官だって事、忘れているんじゃない?
どいつもこいつも。 ほんっとに、もー。
俺の人生って、幸運に出逢う度に必ず何か同じくらい残念な目にあっているような気がする。




