救助
初めて漁船に乗り、物珍しくて、これは何、あれは何をするの、とドレジェッツ船長にいろいろ質問した。
船に関しては本場仕込み、明日から船員になれるぐらい詳しいと言っておきながら、やっぱり法螺か、なんて言わないでっ! バーグルンド将軍の元で船員修業した事は事実なんだから。 軍艦、貨物船、旅客船なら大小様々な種類の船に乗ったし、それなら何をどうすればいいか分かってる。
俺って、なぜか船長さんや船員のおじさんに不思議な人気があってさ。 分からない事を聞くと何でも教えてくれたんだ。 漁船だって基本は同じなんだし、慣れるまでそんなに時間はかからないだろう。
とは言っても、漁船の種類は魚の種類ほどある。 どの魚を釣るかによって設備が違うし、漁船だとその設備に合うように建てられる事もあるから、たとえ俺が本職の漁師だったとしても全部の漁船に詳しくなるなんて無理。
ただいくら漁船に乗ったのは初めてでも、今まで乗った船と比べる事は出来る。 一番大きな違いは復元性じゃないかな、と思った。 網を揚げる時、魚が入っているからすごく重くなる。 それを片側から引っ張っても船が転覆しないように平たくて低い造りになっているんだ。
それに魚を追う漁船の航路は客船や貨物船よりずっと複雑だからだろう。 航路の変更が簡単に出来るような工夫がされている。 上甲板だって樫より強いと言われるウカマギを使っていた。 ウカマギは樫の二倍の値段なのに。
思った以上に頑丈な造りだからこれなら少々の嵐は凌げるだろう。 新しくないだけで、丁寧に磨き上げられたいい船だ。 ぼろ船なんて思ったりして悪かったな。 やっぱり船も見かけじゃなかった。
そこでリネとサリが乗船してきた。 するとドレジェッツ船長を見たケルパが、例のひよひよ挨拶をしたのだ!
おお。 人材って意外な所で見つかるもんだな。 自分の船を持っていないから船長を雇うだなんて考えもしなかったぜ。
俺は早速ドレジェッツ船長に北方伯家に仕えてくれる気はないかと聞いた。 するとドレジェッツ船長飛び上がって喜びながら、こちらこそよろしくお願いしますと言ってくれた。
よくよく聞いてみると、俺は何年も前にドレジェッツ船長の家に三日間泊まった事があったんだって。 その時宿泊のお礼として海から獲って来たポロメロをドレジェッツ船長にあげたんだとか。 それを売ったら借金が返せた。 それに恩を感じ、遥々南から北方伯家まで一年お礼奉公しに来たと言う。
「でもあの奉公希望者名簿の長さには参りました。 で、北軍に入隊しようかとも思ったんですが。 そっちは年齢制限にひっかかってしまいまして」
まあ、四十歳じゃ断られたって仕方ないよな。 有り難い事に船付きで奉公してくれると言う。 やったね! これで俺も憧れの船主だ。 給金を払うから一年と言わず、ずっと奉公してくれるようにお願いした。 乗組員四名も同じくポロメロの恩でお礼奉公に来たと言うので、ついでに雇った。
お昼を過ぎてドレジェッツ船長に長さ五十メートルある流し網の使い方を教えてもらっていると、遠くから、どどーーんと言う雷鳴みたいな音が聞こえた。
空は雲一つない快晴。 雷が落ちるような天気じゃない。 音がした方角を見ると俺達の後を付いて来ていたブレベッサ号の船尾近くから、もうもうと煙が立ち上っている。 何か爆発した? まさか、エンジン? そんな、船が沈んじゃう!
幸い川はまだ凍える様な水温じゃないが、ここから川岸まで一キロ以上離れている。 それでなくてもナジューラ義兄上は泳げるような御方には見えなかった。 それにあれだけ船が大きいと沈む時の水流はすごい力だ。 泳げる人でも水流に巻き込まれたら岸まで辿り着けない。
ギラムシオ号だって近づき過ぎたら渦に巻き込まれる。 でも近くにいるのは俺達だけだ。 川岸にいる人があの爆発音を聞きつけたとしても助けの船を出すまで時間がかかる。 早く何とかしないと。
あ。 だけどブレベッサ号の船員って、確か八十人はいたよな。 ギラムシオ号にそんな数の人間を乗せたら沈んじゃう。 じゃ、乗せられるだけでも乗せる?
何人? 誰を? その後はだめって言うの? そんな事を言わなくちゃいけないと考えただけで涙が出そう。 俺は思わず、ぎゅっと網を握りしめた。
網? そうだ、網があった。
「ドレジェッツ船長。 この網に八十人が掴まってもギラムシオ号が引っ張る事って出来る?」
ドレジェッツ船長は一瞬あっけに取られた顔をしたが、ごくんと唾を飲み込んで頷いた。
「岸まで着けばいいんですよね? それなら何とか」
「ではブレベッサ号乗組員の救助に向かう。 面舵いっぱい」
ドレジェッツ船長は舵に飛び付き、乗組員に向かって叫んだ。
「面舵いっぱーい! 投網準備!」
乗組員が船長の言葉を繰り返し叫ぶ中、俺は急いで船室に駆け下りて行ってリネに状況を説明した。 乗組員に川へ飛び込んで網に掴まるように言わないと。 民間漁船ならともかく、貴族の自家用船の乗組員は軍隊と似たような規律に従っている。 上からの命令がなきゃ船と運命を共にするだろう。 ナジューラ義兄上が乗組員に逃げろと命じたらいいんだけど、ナジューラ義兄上って船を救おうと最後までがんばりそうな感じ。
ただナジューラ義兄上は船着場で俺を準大公と呼んで挨拶してくれた。 乗組員はそれを聞いている。 準大公は公爵家継嗣より上だから、俺が逃げろと命じたら従ってくれるはず。 水音に掻き消されて声がちゃんと届いてくれるかどうか分からないけど。 俺達の中で一番声の大きなリネが叫べば届くかもしれない。
なるべく近くまで行くつもりだが、沈没しかかっている船に近づき過ぎるのは危険だ。 ブレベッサ号が沈む時の水流に逆らわなくちゃいけなくなる。 ギラムシオ号は大した速度が出る船じゃないし、その上八十人が掴まっている網を引っ張らなきゃいけないとなると結構きびしい。 百メートル辺りまで近づいて網を流せば、それくらいなら何とかみんな泳ぎ着いてくれると思いたい。
ギラムシオ号はゆっくり方向転換し、船首を上流に向けた。 そしてこれ以上は危険と言う所まで近づいてからリネに叫んでもらった。
「乗組員の皆さん! 川に飛び込んで網に掴まって下さい!」
ギラムシオ号の乗組員が所々に浮標を付けた網を右舷と左舷から一つづつ投げる。 リネが声を限りに網に掴まれと何度も叫び続けたら、間もなく乗組員が次々と川に飛び込み始めた。 どうやら無事リネの声が届いたようで、十人、二十人、三十人と泳ぎ着き、網に掴まった。
ところがいつまで経ってもナジューラ義兄上が飛び込んだ様子はない。 まさか泳げないから躊躇しているとか言わないよな? 泳げる乗組員が何人もいるんだから、その人達に掴まって来ればいいのに。 みんな中々の泳ぎ手だ。 俺程じゃないけど。
いらいらして網に掴まった乗組員の一人に聞いた。
「ナジューラ義兄上はどうして飛び込まないの?」
「離船は船長が一番最後とおっしゃいました」
だーーーっ。 船が沈みかかってるのに。 そんな事言ってる場合じゃないだろ。
第一、船長と言ったってナジューラ義兄上は名誉船長であって実際の船の舵取りをしている人は他にいるじゃないか。
ほんとに、もー。 俺の周りって、どうしてこう融通の利かない人ばっかりなの? 嫌になっちゃう。
仕方がない。 俺は諦めて服を脱ぎ、川に飛び込んだ。 一気にブレベッサ号へと近づき、水に浸かりかかっている船縁を掴んで甲板に這い上がると、ナジューラ義兄上が驚愕の表情を見せていた。
「ナジューラ義兄上ったら。 驚いている場合じゃありませんよっ。 こんな手間掛けさせて。 これでブレベッサ号に乗らなかった失礼は、ち、帳消しにして下さいねっ!」
チャラにして、と言おうかと思ったが、ナジューラ義兄上がチャラなんて俗語を知っているはずはない。
有無を言わさず、ほらほら服を脱いで、とナジューラ義兄上から上着を剥ぎ取った。 義兄上の腰のベルトには小刀が差してあった。 船が沈むまでもう少し間がある。 せっかくだ。
「ちょっとこれ、貸して下さいね」
俺はそう言って、小刀を口に銜えて船首によじ上り、ロックの瞳に嵌め込まれている紅赤石をくり抜いた。 銀の爪も勿体ない気はしたが、爪を剥がしている暇はない。 石はナジューラ義兄上の腰のベルトに付いていた小袋の中に入れた。
それからナジューラ義兄上の脇下に縄を回してしっかり止め、もう一方の先を俺の腰に回して止める。
「じゃ、行きますよ」
ナジューラ義兄上は、どこへ、と聞きたかったのかもしれない。 何か言いたそうに口を開いたのが見えたが、鼻を摘んで大きく息を吸って止めて、と俺に言われて黙った。
ナジューラ義兄上が掴まれる様に、甲板にあった軽い板を一枚手渡す。 俺達は船縁を蹴って川に飛び込む。 俺は後ろに水しぶきがかからないよう、平泳ぎでギラムシオ号へ向かった。
俺達で最後だったみたい。 俺が網の端に縋った途端、ギラムシオ号は岸に向かってのろのろと動き始めた。




