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弓と剣  作者: 淳A
胎動
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噂  若の義姉、ピピの話

「リネ様がさ、湖で泳いだんだってよ!」

 お昼にタジばあさんが来て、おったまげたあ、と目をまんまるにしながら教えてくれた。

「男を悩殺する花柄の水着で、北方伯様はイチコロだったんだと。 リネ様をぎゅうううって抱きしめて片時も離さなかった、てんだから。 こりゃ、お二人目もすぐだねえ」


 めったな事じゃ驚かない義父さん、義母さんにリノも、この噂には驚いてた。

 男を悩殺する水着って。 夏に半袖を着るのだって嫌がってたリネさんが?

 女って結婚すると変わる、てよく言うけど。 そこまで変わるもん?

 でもタジばあさんが嘘つくはずないし。 タジばあさんが教えてくれる噂はリネさんが手紙で教えてくれる知らせよりずっと細かい。 それにリイ義兄さんの結婚式へ行った時、リネさんの侍女にタジばあさんから聞いた噂が本当かどうか聞いてみたんだけど、全部本当だった。 リイ義兄さんが結婚するって知らせ、リネさんは町の不動産屋から聞いた、て事まで。


「リネさんて泳げたんだあ」

 タジばあさんが帰った後であたしが感心してそう言ったらリノが呆れた顔をした。

「ばか、んな訳あるか。 男の俺でさえ泳げねえのに。 リイ兄さんだって入隊するまで泳げなかったんだぞ。 貴族の家に嫁に行って泳ぎを覚えている暇なんかあるもんか」

「でも村にいた時は剣を握った事なんてなかったのに今じゃすごい腕前なんでしょ? なら泳ぎだって覚えたんじゃないの? 泳げなくたって水着になって水に浸かっただけでもすごいじゃない」

 義母さんはちょっと嫌そうな顔をした。 

「はあ。 貴族の奥様ともなると泳ぎまで覚えなきゃいけないのかねえ。 溺れたらどうすんのさ」

 義父さんがため息をついた。

「ま、英雄の嫁になっちまったんだしな。 泳ぎがどうした、てぐらいじゃねえと他の女に目移りされるんだろ」

 それにリノが頷いて言う。

「なんてったって六頭殺しの嫁だ。 いざって時に泳げるくらいじゃなきゃ話にならんさ」

「ええ? 何よ、それ。 そりゃ若様に憧れている女を差し置いて奥さんになったんだから普通じゃまずいってのは分かるけど。 リネさんだってのど自慢大会で大賞を取ったのよ。 あんなに歌がうまい女がそこら中にいる訳でもあるまいし。 そのうえ剣だって強いんだもん。 どうして泳げなきゃ話にならないのよ」

 泳げて当然みたいにリノが言うもんだから、あたしがむっとして食って掛かると、まあまあって感じで義母さんが間に入った。

「なんせこっちは平民だからねえ。 伯爵様に嫁に行った、てだけで背伸びはしなきゃ」

 それに義父さんが頷く。

「ま、リネならなんとかするさ。 なにしろ諦めねえ。 あの根性だけは俺の娘ながら見上げたもんだって思うぜ。 それがあるから男だって音を上げる酒樽を積み上げられるようになったじゃねえか」

 そう言われても義母さんはあんまり嬉しそうには見えない。

「腕力や根性があったってさ、そんなもんが貴族の奥様の役に立つもんかねえ?」

「それさえありゃどこに行って何やったって、なんとかなるもんだって」

 リノの言葉に義母さんは半信半疑な顔で頷いていた。


 もっともいくら根性があったって、まさかこんなに長続きするとはリノだって思っていなかったんだけど。 貴族なら別居するのも珍しくないって聞くし。 あたし達はみんな、せいぜい一年か二年もすれば実家に帰って来る、て思ってた。 子供が出来たら実家でお産して、そのまま帰らなくて済むかも、とか。

 リネさんが幸せそうだから義父さんも義母さんも愚痴ったりはしていない。 だけど本音はこんなに長続きしてがっかりしてる。 その気持ちも分かるんだよね。 あたしもリネさんがいなくなって寂しい、て思っているから。


 新婚の頃のリノときたらすごくぶっきらぼうで。 あたしが一生懸命話しかけているのに、うんでもすんでもない。 義父さん、義母さんはいい人で助かったけど、亭主に構われないのはつらくて、隠れて泣いたりしていた。 その時リネさんが慰めてくれたり、間に入ってリノに意見してくれたんだよね。

 あたしより三つ年上のリネさんは、妹っていうより頼りになる姉さんって感じ。 ほんとの事を言えば、せめて一年に一回でもリネさんだけでいいから会いたい。 リネさんだって偶には息抜きしたいんじゃないかって思うし。 だって貴族のお家で暮らすって毎日すごく気を遣うでしょ。 そりゃ奥様になったんだから辺りの人が何でもやってくれるのかもしれないけど。

 御飯だって、やれ、これから食べろ、食べるなから始まって、旦那様や旦那様の御両親や御親戚に気に入られるようがんばらなきゃ、とか。 あたしみたいな世間知らずだったら今頃何言われていたか分かりゃしない。 叱られたって、きっと何を叱られたのか分かんなかったと思う。 


 ただリネさんが実家に愚痴を零して寄越した事はないんだけどね。 今年のトマトの出来がどうだとか、サリ様の元気な様子とかを手紙で教えてくれるくらいで。 でもそれって、きっとあたし達に心配かけたくないからでしょ。

 まあ、北方伯様だけじゃなく、リネさんもすごく忙しそう。 御領地はすごい辺鄙な所らしいし。 すごい辺鄙な所だって御領地に行かないって訳にはいかないよね。 そのうえ新年は皇都に行くんだもの。 そっちこっちに子連れで飛び回るだなんて大変そう。 里帰りが無理でも仕方ないんだけど。

 

「そう言えば、リネさん、秋には南に歌を歌いに行くんだって? やっぱりリネさんみたいに歌がうまい奥様なんてどこを探したっていないからでしょ。 すごいよね」

 すると義母さんが言う。

「歌うのはいいとしてもさ、剣を振り回すのは止めた方がいいんじゃないのかねえ。 あの子の肩ときたら、一体なんなんだい。 あれじゃ嫁に行く前より鍛えられているじゃないか。 いくらりっぱな着物を着ていたって他の奥様に比べて見劣りしちまうよ」

 義父さんがちょっと肩を竦めた。

「ま、北方伯様も変わってるっていやあ、変わってる御方だしな。 リイの結婚式の時、リネのどこがいいんだか聞いたら、逞しい所が好きなんです、だぜ。 あれにゃあ魂消た。 旦那がそれでいいって言うなら蓼食う虫だろ」

「そりゃそうかもしれないけどさ」

「リネさん、すごくきれいになって。 元気そうだったもんね」


 あの時は式もすごかったけど、北方伯様がリネさんにべったり。 熱々って感じ。 あれじゃ実家に帰って来れないのも分かる。

 周りの皆さんも貴族ばっかりなのに平民のあたし達にとっても丁寧だった。 あれってリネさんが北方伯様にどんなに大事にされているかを見たからなんじゃないの?

 そこでリノが笑いながら言った。

「結婚式って言えば。 おまえ、あの時はまじでリイ兄さんにびびってたな。 ピピピ」

 きゃー、恥ずかしっ。

「いやん、リノったら。 忘れてよー」

「忘れられるかよ」

 リノがげらげら笑い出したせいで義父さん義母さんも釣られて一緒に笑い出した。


 んもー、嫌になっちゃう。 だってあたしはあの時初めてリイ義兄さんに会ったんだよ。 そりゃすごい人だって事は聞いてたけど、まさかあれ程すごいだなんて。 普通、思わないもん。

 刃物が服を着て歩いているみたい、とか思っちゃった。 あの迫力にびびらない方が不思議よ。

 あたしだけじゃない。 あそこにいっぱいいた兵隊さんだって、みんなリイ義兄さんが通り過ぎるだけで緊張してた。 ならあたしみたいなとろいのがびびったって当たり前でしょ。

 それで、ついどもっちゃって。 ピピピでございます、なんて言っちゃったんだよね。

 自分の名前を間違えるって。 もう、涙が出そうだった。 あたしも結婚してから心臓に毛が生えたっていうか、簡単な事で泣いたりしなくなったけど。 リノと結婚する前に会ってなくてよかった、てつくづく思っちゃった。


 考えてみればリイ義兄さんは軍人なんだもの。 人に怖がられるくらいでなきゃ、あっと言う間に出世する訳ないよね。 まあ、あたしは別に毎日会う訳じゃないし。

 その点、あのリイ義兄さんと結婚する気になっただなんて、ヨネ様の胆の据わり具合って普通じゃないよ。 見た目はほわんとした感じのかわいい方だけど、さすがは侯爵令嬢、て感心しちゃった。 そりゃ我が家のみんなも平気な顔してリイ義兄さんと話してたけど、それは親兄弟だからでしょ。

 あたしが、ヨネ様ってすごいなあ、あんなに尖った人と結婚しちゃうだなんて、と呟いたのが聞こえたみたいで、北方伯様が教えて下さった。 なんとリイ義兄さんて入隊以来性格が丸くなった事で有名なんだって。 あれで?

 内心のけぞっちゃった。 道理でみんな平気な顔してたはずよ。 かわいい嫁さんもらって照れてやがって、とか言って笑っているんだもの。 刃物が照れるなんてありえる? あたしには想像出来ない。


 リイ義兄さんと会う機会はもうないだろうし、それはどうでもいいんだけど、結婚式以来リネさんに会えないのはとっても残念。 本当に元気にしているのかな。 でもいくら心配だって招待されてもいないのにこっちから会いに行くって訳にもいかないし。

 だからタジばあさんにいろいろ教えてもらえてすごく助かってる。 全部を鵜呑みにしている訳じゃないけど、タジばあさんが嘘ついた事ってないんだよ。 それにリネさんがあたし達に黙っていた事だって知っていたんだから。

 例えばリネさんがお嫁に行ったばかりの時、一年近く北方伯様がお留守だった事は、リネさんから聞いてなかった。 北方伯様が大峡谷に冒険に行った時も、旦那様が出張に行きました、で終わりだったし。 女難の相を祓ってもらった時だって、手紙にはお祓いしてもらって晴れ晴れとした気分です、としか書いてなくて。 それが女難の相だった、て事はタジばあさんから聞いたんだよね。


 世間の人はいろんな事言う。 やれ誰それ侯爵令嬢が押し掛けたとか、北方伯様が何たら伯爵令嬢に靡いたとか、愛人が出来ただの、妾をもらったの。 だけどタジばあさんが一言、そんな話聞いてないねえ、と言えば、それってただの噂に決まっていた。 公爵令嬢が住み込みの愛人になった、て噂が流れてきた時だって、その人はサリ様の乳母なんだって教えてもらったから余計なやきもきしないで済んだし。

 北方伯様が男に走った、ていう噂を聞いた時にはさすがにびっくりしたけど。 突拍子もないから、かえってひょっとしたらひょっとするのかも、て思わないでもなかったんだよね。 そしたらその人は執事補佐見習なんだって。 あそこも人手不足だからねえ、てタジばあさんが言ってた。 タジばあさんがそう言うなら、そうなんでしょ。


 それにしてもタジばあさん、この村から一歩も出た事がないのに一体どこからこんな噂を仕入れてくるのかしら?


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[気になる点] タジ婆さん、本当に何者なんですかっ!?(汗)
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