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弓と剣  作者: 淳A
胎動
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観光  「飲み屋 異国」店主の話

 ケルパ神社の近くにある「飲み屋 異国」は、各国の諜報員が顔を出す溜まり場として知られている。 店主の私もクポトラデル国の諜報員だ。 世間に自分が諜報員だと広めている訳じゃないが、蛇の道は蛇。 どこの所属であろうと諜報員なら知っている。

 普通ならそんな事は秘密なんじゃないのかと思うかもしれないが、逆だ。 隠そうとしたって無駄だし、それに我が国の場合人手不足で情報は他人から買うしかないと言う事情がある。 だから私に買う気がある事はなるべく広く知られていた方が都合がいい。


 人手不足なのは何もクポトラデル国に限った事でもない。 北軍に潜入している上級貴族の諜報員ならそこそこいるが、一口に皇国と言っても広い。 大量の諜報員を外国に送り込める財力なんてどの国にもない。 それでも皇都に人を置いておかない事には話が始まらないし、国境にも何人かいないとまずい。 自国との関係が深い貴族の領地にも駐在員が必要だ。 となれば皇国の片田舎である北に諜報員を派遣する余裕なんかないのが実情で、勢い諜報員の仕事がする諜報収集活動とは自分が直接見聞した事より他人が見聞した話の収集になる。


 瑞兆騒ぎの後、各国が先を争って人員を北に派遣し始め、俺の店は諸外国からの諜報員で押すな押すなだが、私が派遣されたばかりの頃は外国人というだけで珍しかった。 北方伯が入隊した年に来た私は、おそらく外国から派遣された諜報員第一号だろう。

 大国でもなければ皇国に隣接している訳でもないクポトラデルが、なぜそんなに早い時期に諜報員を北へ派遣したかと言うと、妙な噂がクポトラデル王国内に流れたからだ。 皇国へ逃れたノーイエン王朝の生き残りがいるという。 しかもその生き残りは男で、ヴィジャヤン姓を名乗っていたらしい。


 事実無根の噂なんて数え切れない程ある。 仮にそれが事実だとしても前王朝が滅んで二十年経つ。 基盤を築いた現王朝を転覆するのは容易な事じゃない。

 にも拘らず即座に諜報員派遣が決まったのは、上層部がヴィジャヤン伯爵経営の「皇国の耳」をそれほど怖れていたからだ。 人によってはクポトラデル王国の諜報機関を上回ると囁く者さえいる。 そこにノーイエンの生き残りが入り込んだら将来の禍根となるのは間違いない。


 派遣自体はすぐに決まったが、どこに派遣するかに関してはすぐには決まらなかった。 元々皇国におけるクポトラデル王国の情報網は大したものじゃない。 ヴィジャヤン姓は珍しくないので名乗る男は少なからずいる。 その一人一人をノーイエン王朝の生き残りか否か調査していたら百年経っても結論なんか出ないだろう。 だが皇国の耳の本拠地であるヴィジャヤン伯爵家本邸に入り込む隙は全くない。 奉公人は募集していないし、出入りの商人でさえ長年伯爵家との取引がある所ばかり。 それに伯爵が常に不在では入り込めたとしても掴める情報に限りがある。


 潜入の難しさにかけては皇都のヴィジャヤン伯爵別邸も本邸並みだった。 当時ヴィジャヤン伯爵は二十四歳で爵位を継いだばかりだったが、あの隙のなさ。 当代は甘いと噂されていたが、それは脇が甘いという意味ではなく、父親がすご過ぎて父以上ではないという意味のようだった。

 当然と言えば当然かもしれない。 当代は18の時に宰相が指揮する情報部へ入り、爵位を継いだ後も勤務し続けている。 いずれ「皇国の耳」を継ぐから、それまで同業他社で学んでいるのだろう。 馬鹿ではやれない仕事をそつなくこなしながら、ヘルセス公爵令嬢を射止めるという離れ業で世間の耳目を集めた。 しかもそれは六頭殺しの兄として知られる前の話。 弟が英雄となってからは自薦他薦の奉公人希望者が押し寄せているはず。 そもそも紹介状のない外国人を雇うような迂闊な真似をする男には見えない。


 ヴィジャヤン伯に何かあれば爵位を継ぐのは次男だから彼も自分の家のあれこれを承知しているはずだが、南に行ったのだとか。 それも所詮は噂。 どこに住んでいるのか何をしているのか誰も知らない。 それでは居場所を突き止めるだけで時間がかかる。 前王朝の生き残りという、ただの噂で終わるかもしれない事を調査するのに何人もの諜報員を送り込む事は出来ない。 唯一居所が明らかなのが北軍に入隊した三男。 という訳で、私はただ一人、北へと派遣された。


 無事に到着したのはいいが、外国人では北軍に入隊出来ない。 それで付近の下級貴族の家に住み込みとなる道をまず探した。 職がない訳ではなかったが、下働きの仕事しか見つからなかった。 それでは外出したい時に外出する訳にはいかないし、時間が大幅に拘束される。 他にこれと言う適当な職が見つからなかったので結局私は自分で店を開く事にした。

 四年前ケルパ神社の近くは墓場かと言いたくなるくらい寂れていて、家も今では考えられないくらい安かった。 店で儲けるのが目的じゃないから人通りのなさは気にならない。 予算には限りがある。 安ければ何だってよかった。 そこで売りに出ていた小さな二階建てを買い、下を一杯飲み屋に改装し、上で寝起きが出来るようにしたのだ。


 北方伯夫人が安産祈願に参拝に来たおかげで、その立地は予想外の大当たりとなった。 それ以来、ケルパ神社への参拝客がどっと増えただけじゃない。 北方伯が頻繁に参拝するようになり、更に檀家となった。 それが知られ、参拝客目当ての土産物屋、飲食店、宿屋、車屋が次々出店し始めた。

 そして瑞兆景気。 今やこの辺りは第一駐屯地繁華街も顔負けの賑やかさだ。 もっとも向こうは夜、こっちは昼が商売の店が多いから客層は違う。

 最近ではケルパ神社の僧侶が北方伯をお祓いし、それに大変な御利益があったんだとか。 もし私が今この店を売ったら買い値の三倍を吹っ掛けたとしても買い手が見つかるだろう。 故国に呼び戻されたら、この店を売って儲けを懐にするつもりだ。 この忙しさでは当分呼び戻される事はないとは思うが。


 店は毎日満員御礼。 飛び交う噂の量も半端じゃない。 座って情報が手に入るんだから嬉しいと言えば嬉しい。 楽と言えない事もないが、酔客が話していた噂をそのまま報告する訳にはいかない。 必ず裏を取る必要があるが、次から次へと事件が起こるので調査が追いつかないんだ。 たまらず故国に増員を要請した。 

 瑞鳥飛来のおかげでその要請はすんなり通り、すぐに二人派遣され、去年は更に五人増員された。 今年は更に十人増員の予定だが、それでもてんてこ舞い。 ノーイエン王朝の生き残りの件は未だに調査が終わっていない。


 人手不足を言い訳にしたくはないが、北方伯家内部の調査には時間がかかる。 北方伯本人は噂で聞く通り実に隙だらけだが、周りを固める人員が一癖も二癖もある者ばかり。

 同じ事が北方伯の別邸にも言える。 湖畔の家なら正面はともかく両脇と裏庭は隙だらけのはずだが、周辺一帯に鉄壁の警備体制が敷かれているのだ。 加えて諜報員業界の十大不思議の一つに数えられている防御壁。 まるでそこから生えたかのように、ある日突然別邸敷地の両脇に壁が立っていた。 その仕事をしたはずの工人がどこにもいない。 建築資材でさえいつどこから何が届けられたのか分からないという徹底ぶり。

 噂によると、北方伯の補佐をしているマッギニスが設計し、実家の総力を投入して建てたらしい。 それなら水も漏らさぬ仕上がりであるのは驚くべき事でもないが、壁一つでも全貌を掴むのに手間取っている。


 北軍内部の事情だって必死に探ってはいるが、どれも又聞きの又聞きなだけに、どこまで本当か。 弓と剣が神域内で襲撃されたという噂は事実のようだが、詳細を掴むのは容易な事じゃない。 一体誰の仕業なのか、下手人は掴まったとしても黒幕は誰なのか。 やれ皇王族の誰それだ、大隊長のあいつだこいつだの噂ならいくらでもあるが、どれも確認されていない。

 次の副将軍に関しても、弓だ、いや、剣だ、と巷間では喧しい。 それをどこまで本気にしていいものやら。 滅多矢鱈な事を報告書に書いたら私の調査能力が疑われてしまう。

 特に難しいのが、北方伯という御方をどう読むか、だ。 六頭殺しの若と呼ばれていた頃、私は北方伯を天真爛漫、裏表のない御方として報告していた。 又、そうとしか思えない事をしょっちゅうやるのだ。

 例えば奥様が第一駐屯地に間もなく到着される日、食堂前の廊下で踊りだしたとか。 大隊長になってからだって人目もはばからずに立ちションなさったり、似た様な逸話なら毎日枚挙に遑がない。 

 私の後から来た七人は嫌と言う程そんな話を耳にした所為か、北方伯を単に思慮に欠けた人と見ている。 ただの馬鹿と言い切る者さえいるが、本当にそれだけの御方なのか? それならなぜこれ程までに人気があるんだ?


 北方伯が流行の発端となる事はよくある。 秋祭りで始めたという奇怪な手拍子足拍子だってそうだ。 あっと言う間に大流行し、真似して踊る人がそこら中にいる。 私の店の常連で、ちびちび一杯飲むしか金のなかった男もそんなひとりだった。 

「この所、バーズレックさんを見かけませんね」

「ああ、あいつ、ヒャラ踊りの先生になったんだ。 忙しくて酒を飲んでいる暇なんかないさ」

 ヒャラ踊りの先生?

 ヒャラ踊りが北方伯の踊りを指しているのはすぐ分かったが、私はそんな職業がある事さえ知らなかった。 聞く所によると習いたい者が鈴なりで、バーズレックの奪い合いが始まり、稽古を付けてもらいたい者同士の喧嘩騒ぎさえ起こったのだと言う。 それで夜も稽古に出掛けるようになり、私の店から足が遠のいたのだ。

 踊るならいくらでも他に踊りがあるのに、皆ヒャラ踊りを踊りたがる。 誰かからやれと言われたって流行になったりしない。 老若男女、平民から上流階級に至る誰もが一生懸命習っているのは、そのまま北方伯人気の表れと見ていい。


 本人が意図してやっている事ではないかもしれない。 だからこそ、余計底が知れないのだ。 北方伯を単なる馬鹿と侮っていたら思わぬ見落としをする事になる。

 今日、店では北方伯夫人が薄紫にピンクの花柄水着で泳いだ事が大変な話題となっていた。 女性が泳いだというだけでも驚くべき事だが、それだけじゃない。 店の馴染み客であるサフィニナさんが爆弾を投下した。

「ステヴァノ男爵の男妾に北方伯が一目惚れしたんだってよ」

 北方伯が男に走った!?

 うーむ。 ありそうで、なさそうな。 いや、なさそうで、ありそう、なのか?

 店内の客という客が、一斉に聞き耳を立てた。

 ウィルマー執事がマッギニス補佐の恋人というのも充分信じられない話で、事実は小説より奇なりの見本のようなものと言えるが。 北方伯となるとそれより度肝を抜かれる話だ。 至急事実関係を調査の上、報告せねばならない。

 調査員の仕事配分を調整するのにどうしたらいいか忙しく頭の中で考えていると、すかさずもう一人の常連であるベビラクアさんが言い返した。 

「なーにが一目惚れだ。 お前、ロイーガさんを知らねえな? あの人はな、縁結びの神様って呼ばれている有名人なんだぜ。 あの若さでもう何組まとめたと思う? 百組は下らねえ。 俺はあの仲人の腕に目を付けられたんだと思うね」

「でも会ったその日に家に連れ帰ったんだろ? なんで仲人をすぐに連れ帰らなきゃなんねえのさ」

「連れて帰らなきゃ北方伯様に雇われたって事がぱっと知れ渡って、どっと人が押し寄せるからだろ。 ステヴァノ男爵じゃ子爵や伯爵からロイーガさんに会わせてくれと頼み込まれたら断り切れねえ」

「なるほどねえ。 縁結びの神様か。 そう言えば北方伯様のとこの住み込みっていったら独身ばっかだもんな。 さすがは六頭殺しだ。 目の付け所が違うぜ」


 こんな有様で次々調査に追いまくられているからいつまで経っても前王朝の生き残りに関して手が付けられない。 そちらが目的で派遣されたんだ。 このままでは私が故国に帰る日は永遠に来ないだろう。 当初は二年、長くても三年の予定で、異国に骨を埋める覚悟で来た訳じゃないんだが。 


 まあ、北方伯を見ていたら飽きないし、異国で観光していると思えばいいか。 


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