表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弓と剣  作者: 淳A
胎動
324/490

律儀  ニオの話

「うわー、きれい」

 北方伯様は、私が考案した髪飾りをお手に取られ、子供の様に感心して下さった。 お気に入って下さるかどうか不安だったけれど、この御様子ならお代は要りませんと申し上げれば受け取って下さるに違いない。


 私は兄と二人で「風詩かざうた」と言う髪飾りとアクセサリーの店を営んでいる。 既製品の櫛や首飾りも仕入れて置いてあるけど、一番の売れ筋は私が考案した髪飾りだ。 毎年春先から夏に掛けて新作を出しているので、それを楽しみにして下さる御贔屓のお客様がいるし、近頃はお土産として買って下さる観光客も増え、結構繁盛している。 とは言っても私の店に置いてある物は全てビーズか貝や木彫りが素材で高価な宝石は一個も使っていない。 お値段も千から二千ルークが売れ筋。 だから貴族の奥様やお嬢様が御来店になった事はない。

 なのに去年ふと思い立ち、リネ様にはこんな髪飾りがお似合いになるのでは、とビーズで作った髪飾りを考案した。 宝石は一つも使っていない。 でも北方伯家の象徴である六本の矢羽根に色とりどりの音符と剣が揺れ、音符一つに何十個もビーズを使ってある。

 私が今まで作ったどの髪飾りより沢山のビーズを使ったし、発注したら腕のいい工人でも一週間はかかると思う。 手間がかかっているだけに商品として売るとしたら安くは出来ない。 工人に払う手間賃だけで一万五千ルークを越えるんじゃないかな。 それだと私の店のお客様にはちょっと手が出せないお値段だ。 かと言って貴族の女性が髪に差すには素材が安過ぎる。 見るだけならともかく、買って下さる御方がいるとは思えない。


 どうしてこんなに手の込んだ髪飾りにしたのか自分でもよく分からなかった。 リネ様と言えば若い女性の憧れの的。 そろそろ四十に手が届く私も憧れてますだなんて気恥ずかしくて誰にも言えないけれど。 いつか町をお散歩なさるリネ様が御来店なさる事があるかも、と想像するだけで何だかわくわくしてしまう。 その時、こちらは如何でしょう、とお見せする一品が手元にあったら嬉しい。

 リネ様のような雲の上の、そのまた上の御方が安物のビーズを身に付けるはずがない事は分かっている。 そんないつかあるかないか分からない時のために、と迷わない訳じゃなかったけど、結局発注してしまった。

 出来上がりを見ると予想した以上の仕上がりで。 売ろうと思えば売れない事もないような気はしたけれど、取りあえず店先には出さずに仕舞っておいた。


 最初は作るだけで満足だったのに作ってみれば欲が出る。 せめて一度なりとリネ様にお見せする機会がないか、考えるようになった。 私の店は北方伯様のお宅からそんなに離れている訳じゃない。 それに平民の私にも北方伯家に伝手があると言えばある。 私は住み込みの護衛として有名なジム・バートネイアの元妻だから。

 結婚はわずか一年で終わったし、子供はいない。 別れて以来一度も会っていない上に離婚してから十六年も経っている。 伝手と言えるかどうか分からない位の繋がりだけど、ジムの両親の葬式は噂で聞いて知っていた。 でも行かなかったし、私の父母が亡くなった時もジムに連絡しなかった。 手紙のやり取りだって一度もしていない。 

 近所や仕事先でも私がずっと昔に離婚して以来、独身を通している事は知っている。 ただ元夫があのバートネイアだなんて私の兄以外誰も知らない。


 十年前、妻を病気で亡くした兄は子供二人を育てるために実家へ戻ってきた。 それ以来父の援助で開いた私の店を手伝ってくれている。 商売上手な兄のおかげで私はデザインに集中出来るし、お金に困った事はない。

 リネ様にお求め戴けたらもっと売れると思う。 でも、せっかくの伝手を使う気はないのか、と兄が私に聞いて来た事はない。 それは私をそっとして置いてあげようという兄なりの気遣いなのだろう。


 ジムとの思い出は辛い事ばかりでもないのだけれど。 特に新婚の一年は毎日夢のように幸せだった。 ところがある日突然、怒り狂ったジムが帰ってきて、私の浮気を罵り始めた。 浮気なんかしていない、とどんなに泣き叫んでも信じてもらえず、家から追い出された。 着の身着のまま。 お金も持たせてもらえなかったから仕方なく夜通し歩いて実家へ戻り、それから熱を出して何日も寝込んだ。


 誰がそんな嘘をついたのか私は今でも知らない。 だけど何日も泣きあかした後、空っぽになった私の心に生まれたのは嘘をついた人への恨みより、それを信じたジムへの怒りだった。 騙す方が悪いのであって、騙されたジムも被害者だと思えないのかい、と母さんに言われた。

 それはそうかもしれない。 その日までジムがどんなに私を大切にしてくれていたか、忘れた訳でもなかった。 それでも私を罵るジムへの恐怖と、どんどん膨れ上がっていくジムへの怒りは消せなくて。


 私にとってジムは生涯ただ一人の愛する人。 ジムだってそれをちゃんと分かってくれていると思っていた。 独身の時だってジム以外の男と遊び歩いた事なんてない。 結婚した後もジムを喜ばそうと毎日一生懸命尽くした。 この世の誰よりあの人がそれを知っていたんじゃなかったの?

 その私が浮気って。 どこの誰の言葉を信じたんだか知らないけれど、そんなはずはない、私に限って、とどうして思わないの?

 もしジムが浮気してると私に言って来る人がいたら、嘘つき、ジムはそんな事なんてしない、とその人に怒鳴ってやるのに。


 どうやらしばらくしてジムにも私の浮気が嘘だったと分かったみたい。 それから何度も私の実家に謝りに来たけど、私は頑なに会おうとしなかった。

 ジムはとても優しい夫で、その日まで夫婦喧嘩さえ一度もした事がなかったから、これ一回きりの約束で許してあげた方がいいのかな、と迷わなかった訳じゃない。 だけどいつかまた自分のせいじゃない事が原因で蹴り出されたら? その疑いは別居して一年が過ぎた後でも消えなかった。


 結局私はジムに一度も会う事なく、離婚したいと伝えた。 離婚届を持って行った父に、ジムはしつこく食い下がったらしい。 私が許してくれるまで何年でも待つ、て。 離婚だけは勘弁してくれ、と。

 私も若かった。 待つと言うなら待たせておけばいいのに。 別の人を見つけるつもりはないし、子供を持つ気もないんだから、決着を付ける必要なんてどこにもなかった。

 だけど別居なんて。 何か中途半端で悪縁が切れていないみたい。 いつまでも悲しみと胸の痛みがずるずる続くような気がして嫌だった。

 離婚したって胸の痛みが消える日は何年も来なかったから、早まったかな、と後で思ったけど、全ては今更。 いい年をして親にずっと心配をかけた事は情けなかった。 父とジムはとても仲が良くて実子同然だったから夫婦のごたごたの橋渡しをさせたのは本当に申し訳なかったけど。 父は寝たきりになってもジムに会いたいとは言わず、亡くなった。 


 今だから思う。 あの嘘がなくても私達は他の何かが原因で別れていただろうな、て。 ジムって一本気で、良く言えば人の心の裏を読んだりしない、悪く言えば騙され易い人だったから。

 私は若い頃美人と騒がれていて、結婚した時ジムはみんなに羨ましがられていた。 それを素直に喜び、お祝いの言葉の裏に潜む嫉妬に気が付かない、そんな単純な人だった。

 もっとも呑気なのは私も同じなのかも。 そんなジムの性格を知っていたのに、あばたもえくぼ。 その竹で割ったような性格が好きとか、自分がしっかりしていれば大丈夫、なんて思っていたんだから。


 似た者同士、お互い様、と思えるようになるまで随分時間はかかった。 時間は人から怒り続ける気力を奪ってゆくものなのかもしれない。 風の便りでジムが昇進した、百剣入りした、と切れ切れの噂を耳にする度に、密かに喜んでいる自分に気付いた。 少なくとも私達の離婚は悪い事じゃなかった。 それが嬉しかったのかも。

 ジムだって頑固によりを戻そうとしない私を恨んだ時もあったと思う。 でもよほどの稽古をしなけりゃ百剣入りなんて無理でしょ。 もし私と結婚していたら優しいあの人が家庭を顧みずに稽古に励むなんて出来たとは思えない。 百剣でなかったら北方伯家勤務になれなかったんじゃないの? だからって元妻に感謝する気にはなれないと思うけど。


 さすがにこれだけ時間が経てば私なんてとっくに忘れられてる。 そう思う一方で、何年経ってもジムが再婚したとは聞かない。 北方伯家住み込みとなる前だって、あそこまで昇進したら嫁のなり手なんていくらでもいるはずなのに。 ひょっとしたら今でも私の事を待っている?

 そう思わないでもなかったけど、下手に声を掛けて面倒な事になったら、と思うと勇気が出ない。 何しろあちらはずっと偉くなっている。 それに私の方から声を掛けない限り、ジムが声を掛けて寄越すはずはない。 元々ジムは私が日中何をしているか全く無関心で、私が作っている髪飾りを子供の駄賃で買えると思っていた。 私が髪飾りの店を開いた事だって知らないだろうし。


 ところが爽やかな夏のある日、北方伯家よりお使いの方が私の店にいらした。 そして髪飾りを持って来るように、とおっしゃる。 びっくりしたけど、是非あの髪飾りをお目にかけたくて私は早速北方伯家に品物をお届けした。

 届けたらすぐに帰らされると思っていたのに、なんと北方伯様御自身が現れて。 私の髪飾りをお手に取られ、ためすがめつ御覧になり、感心して下さった。

「ね、これいくら?」

「つたない品ですが、奥様の御髪にお使い戴けるなら、これに優る喜びはございません。 お代は結構です」

「ただはだめ」

「え?」

「ただより怖い物はないって知らない?」


 ただより怖い物はない? それを言うなら、ただより高い物はない、では?

 いや、まあ、それはどっちでもいいんだけど。 つまり後で私から何かいちゃもん付けると思っていらっしゃる? そんなばかな。 北方伯様なら誰からただで物を受け取ったって後の事を心配する必要なんてないでしょうに。 でもまさかここでそんな事を口にする訳にもいかないし。

 何と申し上げてよいものやら分からず無言でいたら、北方伯様はお隣にいた執事様にお訊ねになった。

「トビ、いくらがいいと思う?」

「二万がよろしいでしょう」

 すると北方伯様はその場で御自分のお財布を取り出され、お支払い下さった。

「はあーーっ、ようやく決まった。 後でバートネイア小隊長に、いい店を紹介してくれてありがとうと言っておかないとな」

 髪飾りをじっと見つめ、北方伯様はそれはそれは深い安堵のため息を漏らされた。

 それ程奥様への贈り物をお気にかけていらしたのだ。 リネ様を深く愛していらっしゃると噂で聞いてはいたけど、これは噂以上。 私まで幸せのお零れを頂戴したような気分になった。

 それもこれもジムが口添えしてくれたおかげと思うと何も言わずに帰る事は出来ず、帰り際、私を見送って下さった執事補佐様にお願い申し上げた。

「お手数をかけて大変申し訳ないのですが。 バートネイア小隊長に私からのお礼を伝えて下さいませんでしょうか?」

「バートネイア小隊長は今家に居る。 あなたから直接伝えては如何?」

 つきん、と胸に甘酸っぱい痛みが走る。 ジムが生前の父にした約束。 あの人は覚えているかしら?

「ニオの方から私に会いたいと言うまで、いつまでも待つつもりです」

 覚えているかも、ね。 律儀な人だから。


 私は深く執事補佐様に頭を下げて申し上げた。

「それではお言葉に甘えまして。 ニオが会いたいと言っていたとお伝え下さいますか?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ