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弓と剣  作者: 淳A
胎動
321/490

海姫

 激かわっ!!

 ぐるぐるに巻いたケープの下から薄紫の地にピンクの花柄の水着が現れた。

 リネが恐る恐る水に浸かる。 ちゃぷんと音がして、透き通るような白い肌に花が散った。

 俺はバカみたいに口を開け、湖に漂う鮮やかなお花畑を眺める。

 俺が選んだバリシャツに短パンはどうしたの?

 そう聞こうとして、はっと気が付いた。 そんな呑気な事を言ってる場合じゃない! 辺りをきょろきょろ見回した。

 ぬううっ。 遅かった!


 俺以外の我が家の面々はどうやらこの水着の事を知っていたようで全然慌てていない。 師範とヨネ義姉上は少し目を見張ってリネを見つめているが、問題はそれ以外の警備の兵士だ。 みんなそっちこっちあらぬ方向を見ている。 という事は、しーーっかりリネの水着姿を見て、ぎょっとしたからさっと目を逸らしたんだ。

 これほどかわいいリネをこんなに沢山の男に見せる事になるとは。 抜かったぜ。 遅まきながら腕の中にリネをぎゅっと抱きしめ、ぎりぎり歯ぎしりしそうになった。 すごーーーく損した気分。


「旦那様?」

 旦那様じゃないっ、どういうつもり、とリネをなじりそうになったが、そこで今朝、カナがにこにこしながら言った言葉を思い出した。

「旦那様、今日は海姫オリオネールにお会いになられますよ。 お覚悟なさいませ」


 海姫伝説なら南に遊びに行く度にいろんな人が教えてくれたから知っている。 海の王様ギラムには何人もの美しい海姫がいて、中でも一番美しい姫はオリオネールという。 これと見定めた男に歌を歌い、海に引き寄せるんだって。 見初められた男は否と言えず、二度と陸に戻る事はないんだとか。

 実は、俺はかなり大きくなるまで、この話を人攫いの海姫バージョンだと勘違いしていた。 それはまあ、この際どうでもいい。 でも俺は子供の頃、誘拐された事があって。 そのせいか、誘拐と誘惑の違いが分かった後でも海姫に対してあんまり良いイメージを持っていなかった。

 そもそも海姫だろうと絶世の美女だろうと俺がリネ以外の女に誘惑されるとは思えない。 今まで来た奉公志願の女性達だって美人ばっかりだったし。 カナがくすっと笑ったのがちょっと気になったけど、砂浜で美人に会ったってそれがどうした、と意味を深く考えなかったんだ。


 カナが言ってたのはこの事? 海姫のように美しいリネに会う、て言いたかった訳?

 リネが美しい事くらい、こんな派手な水着を着なくたって分かってるっての。 まったくうー。 夫以外の男を誘惑する必要がある訳でもあるまいし。 男心を直撃するこの水着はやりすぎだろ。

 ただ砂浜がこんなに男だらけとは俺だって今日ここに来るまで知らなかった。 だからリネが知っていたはずはない。 だけど今日はこれを水着として着ます、とここに来る前に見せておいてくれれば、ケープを外さないままで泳ぎを教えてあげたのに。


 俺をびっくりさせたかったのかな? 確かに心臓がどきんとなった。 でもリネを見慣れている俺でさえどきんとしたって事は、リネに憧れる男達が見たら、どきゅーーーんだろ。 そう考えただけでむかむかしちゃう。

 もうちょっとでリネに八つ当たりしそうになったが、踏みとどまった。 きっとリネは男物の短パンなんてはきたくなかったんだろう。 それはリネが悪い訳でもない。 俺だって女物のパンツをはけと言われたら嫌だ。

 それにここで下手に叱って泣かれでもしたら泳ぎを教える所じゃなくなる。 せっかく楽しみにしていた一日が台無しになるだけじゃない。 家に帰った後で、みんなから「厳」を食らう事になるのは確実だ。


 一家の主なら目下を叱る事はあっても叱られる事はないだろと思っている人がいるかもしれないから説明させてもらうが、俺の場合部下が上官みたいなだけじゃなく、奉公人も目上って感じ。 俺が注意される(叱られる)側なんだ。

 注意と一口に言っても並注意、要注意、再注意、厳重注意と段階がある。 家内では、並、要、再、厳と短縮形で使われていて、やらかした間違いの性質が悪ければ悪いほど、注意の回数と罰則の厳しさが上がっていく。


 例えば、俺はつい最近まで山を敬称と思い込んでいた。 ふと疑問に思い、海や川にはどうして「さん」を付けないの、とダーネソンに聞いちゃって。 余計な事は聞くもんじゃないとつくづく思わされたが、幸いそれは並(口頭注意のみ)で済んだ。

 残念ながら「ナウい」は要(後で抜き打ち検査というか、時々試験される)だった。 バートネイア小隊長にどん引きされたが、他に聞いていた人はいなかったんだし、もう誰にも使われていない言い回しだという事を知らなかっただけなのに。

 辛い評定に内心不満たらたらだったが、二度と人前で言わないように、という警告の意味合いが込められていたようだ。 その少し前に不良っぽい奴らを見て「ツッパリ」と呼んだ事が尾を引いていたのかもしれない。


 俺がとろいのは今更だが、それが原因で叱られる事もある。 この秋の先代皇王陛下お見送りには礼装を着るから服は決まっているが、その時付けるリネの髪飾りは俺が選んであげたかった。 自分でそう約束しておきながら、いつまでたっても買わないものだから、カナから再(間違いを正すまで何度も注意される)を食らった。

 そりゃ俺だって、いい加減なんとかしなきゃとは思っていたさ。 だけど弓の専門店くらいしか行った事がない俺だ。 髪飾りなんてどこに行けば売っているのかさえ見当がつかなくて。 リネの贔屓の店でもあればそこに行ったけど、リネにとって第一駐屯地は都会らしい。 知らない店に入るのは気後れするみたいで滅多に買い物に出掛けたりしないんだ。


 カナにとっては北なんてド田舎だけど、リネの傍から片時も離れないから北の店には詳しくない。 公爵令嬢のエナに至っては、生まれてこの方一度も自分で買い物に行った事がなかったんだと。 実家で暮らしていた時は公爵夫人の意向を受けた侍女が身の回りの品々を全て揃えていたから。 その他に希望があれば侍女に伝えればいいんだって。 さすがは公爵家。 至れり尽くせりだよな。

 しかしそれなら侯爵令嬢であるヨネ義姉上も似た様なものだろう。 マッギニス補佐の奥さんは第一駐屯地付近出身という訳じゃないが、北の出身だし子爵令嬢だ。 聞こうかなと思ったが、マッギニス補佐を自宅に呼ぶのだって気合いがいるのに、リネが呼ぶならともかく、俺がマッギニス補佐の妻を呼び出すのはかなり気が引ける。 大した相談でもないのにマッギニス補佐の自宅へ押し掛ける訳にもいかないし。 第一、俺はマッギニス補佐の自宅に招待された事がないからまだ一度も行った事がないんだ。

 かと言って身内以外の女性にこそこそ髪飾りの事を聞いたりしたら余計面倒な事になる。 なぜその女性に聞く事にしたのか、そっちこっちから理由を聞かれるだろう。 その理由が納得出来るものでないと俺はともかく相手に迷惑をかける事にもなりかねない。

 で、誰に聞いたらいいかな、とかぐだぐだ考えている内に時間が経っちゃって。 意外な事にバートネイア小隊長がいい店を知っていて、そこの店主が中々可愛い髪飾りを家に持って来てくれた。 早速小遣いをはたいて買ったから、それは何とかなったが。


 厳(夕飯は肉抜きなどの罰を伴う)になるのは珍しいけど、油断していると思わぬ事で食らう羽目になる。 ハンカチの時にはびびったね。

 ハンカチはいつもトビがきちんとポケットに入れておいてくれるから持ってはいるんだが、一々取り出すのが面倒くさくてさ。 使わない事があるんだ。 簡単に言えば、服(ズボンの脇)で拭っちゃう訳。

 俺は普段着でも仕立てのしっかりした服を着ている。 軍服ほど洗濯に手間はかからないが、物が良いだけにそんな事をしたらすぐに分かるんだよな。 ちょっとしわになるくらい俺は別に気にしない。 でもトビによると、俺が汚れた服やだらしない格好で出歩いていたら奉公人の質が疑われるんだって。

 はい、それはもう、がーーっつり怒られました。 納税締め切り日前夜かと思う様な迫力でな。 普段温厚なトビしか見ていない人には信じてもらえないかもしれないけど。


 ともかくこんな風に俺のポカに対して容赦ない奉公人に囲まれている。 主と言ったって迂闊な真似は出来ない。 この場合、どうすれば正解だ? そこで新婚当時、妻を褒めろ、褒める所がなくても、と言われた事を思い出した。 叱るのがだめなら褒めればいいんじゃない?


「あのね、あのね、リネ。 とーってもきれいだよ」

 俺の言葉に、リネがぽっと頬を染める。 うん、この調子だ。

「けどさ、こんなにきれいなリネを他の誰にも見せたくない。 頼むから、この水着を着るのはふたりっきりの時だけにして。 ね?」

 俺がそう強請るように言うと、リネは恥ずかしそうに、でも明らかに嬉し気に頷いてくれた。 どうやら海姫の御機嫌だけはそこねずに済んだようだ。

 ほっ。


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