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弓と剣  作者: 淳A
胎動
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地元  ロイーガの話

「過ぎたもてなしは準大公閣下の御気持ちに添わぬものと心せよ」

 ウィルマー執事のお言葉に、私の主であるステヴァノ男爵は皇王族使者を迎える礼で答えた。

「畏まりました。 準大公御一家を当家にお迎えする事、喜びに堪えません。 この吉報を齎して下さった事に深く御礼を申し上げます。 お急ぎでございませんでしたら、お茶でも如何でございましょう」

「残念ながら先を急ぐ」

 ウィルマー執事はすぐにお帰りになり、私の無礼に対するお咎めは一言もおっしゃらなかった。 ウィルマー執事だけでなく、ダーネソン執事補佐も。 なぜだろう?


 確かに着任間もないダーネソン執事補佐のお顔は世間に知られていない。 私が知らなくても無理はないと言える。 又、準大公御自身、この近くの湖畔にお住まいだ。 わざわざ他人の湖に泳ぎにいらっしゃるはずがないと思ったのも無理からぬ、とお目溢し下さったのかもしれない。

 それにこう言ってはなんだが、ダーネソン執事補佐の見かけは余りに平凡だ。 せめてウィルマー執事ぐらいの押し出しがあればもっと丁寧な受け答えをしたのだが。 服に家紋が付いていた訳でもないし、供も一人しか連れていない。 とてもじゃないが皇王家へお輿入れなさる瑞兆にお仕えしている奉公人には見えなかった。 


 けれどそんな事はどれも言い訳になどならない。 仮に立派な言い訳があったとしてもきちんと名乗って下さった準大公家奉公人を偽物と決めつけ、あざ笑うなど、すみませんでしたで済ませられる失礼ではない。 準大公の御用事で現れた奉公人を粗略に扱うとは御本人様を粗略に扱ったも同然。 その場でお手打ちとなっても仕方がない非礼だ。

 なぜお咎めがなかったのか。 理由は分からないが、咎められなかったからと言って喜ぶ気には到底なれなかった。 貴族が自分の家に対する侮辱を簡単に許すとは考えられない。 準大公の気さくなお人柄は有名だが、ものには限度がある。 たとえ準大公がお許しになったとしても周りが黙っていないはず。 

 これが並の伯爵家なら、これからも砂浜をただで使いたい、或いは口ではああ言っても実は盛大にもてなせという意味では、と勘ぐる所だが。 相手は尊き瑞兆のお父上。 毎日無断で泳ぎにいらしたとしても男爵家に断りを入れる必要などない。 それに過ぎたもてなしは不要とはっきりおっしゃっている。 言外の意味を汲み取れという訳でもないだろう。


 けれど非礼に対する報復は爵位が上がれば上がる程厳しくなるもの。 下手に寛容なお裁きでは侮られる、と見せしめの為無礼者を家族連座で処刑する事だってある。 私の両親は死んでいるし、他に血縁の家族はいないが、それでもこれで終わりとは思えない。

 お帰りになるお二人の後ろ姿をお見送り申し上げながら、後で私の主に厳しい処罰が下されるのでは、という不安が湧き上がる。

 私が旦那様の愛人となって十年経つ。 愛人がした事は正妻がやった事より主の命令、或いは意向を受けてしたものと世間に受け取られがちだ。

 貴族の場合、御仲睦まじくとは言い難い夫婦の方が普通だし、旦那様と奥様もその例外ではない。 お子様はお一人いらっしゃるが、私が出仕する前から別居なさっており、お会いになるのは新年の陛下への御挨拶や領地で重要な儀式や断れない御招待があった時に限られている。

 それに比べて私は一日たりとも旦那様のお側を離れた事はない。 世間には護衛と言っているが、私は最初下男として雇われ、それから剣を習って護衛となった。 当時私は十五歳。 その年から剣を習い始める者なんていないし、旦那様のために一生懸命がんばったが、私の剣の腕前は今でも大した事はない。 そんな訳で私が男妾である事は知っている人は知っている。 どの程度世間の噂となっているかは知らないが、今更隠しようもない事だ。


 それでなくとも私は仲人としてかなり有名だ。 この二人はうまくいきそうだなと思って紹介すると、それが縁で結婚した友人知人が結構沢山いる。 仲人なんて祖父母になった隠居老人がやるものと思うかもしれないが、私に頼めば一発という妙な評判が広まって、知り合いの知り合いの知り合いがわざわざ訪ねて来る程。 準大公家とは距離で言えばお隣と言って良い程の御近所だし、辣腕として知られているウィルマー執事なら私の事も御存知ではないかと思う。

 縁を結んであげた事で私に感謝している人は結構いる。 謝って済む事なら一緒に謝ってあげると言ってくれる人もいるだろう。 大事に至る前にお許しのお言葉を賜りたいが。 謝罪を要求されている訳でもないのにどう謝ればよいのか。

 私が持っている物で何か御所望でもあれば、何であろうと差し上げるが。 なけなしの全財産を差し出した所で準大公家にとっては昼飯代にもなるまい。 それより事を公にして主の責任問題とした方が手に入るものが大きい。 例えば、お詫びにこの砂浜を献上せよ、とか。

 まさか男妾の不始末を理由にステヴァノ男爵家をお取潰しなさるおつもりではないだろうな? そこまでは、と思いたいが、皇寵を戴いている準大公閣下ならやろうと思えば簡単に出来る事だ。


 私がしでかした事を知ったら、旦那様はどうなさるだろう?

 まず、この事について言うか言うまいかで迷った。 旦那様が私の首を差し出すとお決めになったとしても、それは当主として当然の決断で恨むつもりはない。 けれどお優しい旦那様の事。 代々受け継がれた男爵家の貴重な不動産を手放しても私を救おうとなさるのでは?

 長年慈しんで戴いた御恩には深く感謝している。 その恩を仇で返す事になるかもしれないと思っただけで居ても立ってもいられない。 かと言って何をどうすれば旦那様のお為になるのか。 執事補佐に許しを乞えば、或いは?


 それにしてもあの見るからに貧相な男が、飛ぶ鳥を落とす勢いの準大公家執事補佐とは。 この目で見たのに、まだ信じられない。 準大公が突然何人もの奉公人を雇われた時には大変な噂になったから、ロル・ダーネソンのお名前なら知らない者はいないが。 滅多に外出なさらないのだ。

 お顔が知られていないだけでなく、出自も謎に包まれている。 足が速い事では知られていたが、誰に聞いても準大公家に奉公する前は北軍兵士だったとしか知らない。 雇われた理由に関しては更に謎だ。


 ただ準大公家は元々他の貴族とは全く違う。 奥様も平民出身だし、考えてみればウィルマー執事の出自も謎で、どこかの貴族と繋がりがあるとは聞いた事がない。 陛下から派遣された乳母以外、住み込みは全員平民だとしたら、執事補佐が平民だって不思議じゃないが。 本邸では最近貴族の家令補佐をお雇いになったのだとか。 雇うなら平民とお決めになっているという訳でもなさそうだ。

 それでも普通の伯爵家なら執事や家令だけでなく、侍従や侍女、下働きでさえ貴族かその親戚を雇う。 ましてやお嬢様は準皇王族。 準大公家に仕えたい貴族なら掃いて捨てるほどいるだろうに。


 ダーネソン執事補佐と同時に雇われた貴族は大峡谷にある本邸勤務だ。 なのに平民のダーネソン殿の方が執事補佐として主が住む別邸の住み込みとなったとは。 格付けで言えば本邸勤務の奉公人の方が上だが、それは主が本邸に一番長く居るものだからだ。 どこに住んでいようと執事が奉公人の元締めである事に変わりはないが、それ以外では主と共に暮らしている奉公人の方が格上となる。

 準大公は叙爵された時従者を執事へと昇格させて世間をあっと言わせたが、ダーネソン殿が執事補佐になったと聞いた時、私はそれより驚いた。


 ウィルマー執事の場合、従者として仕えていたとは言え、従者になる前はヴィジャヤン伯爵家執事見習いで、将来執事となる事が確実視されていたと聞いている。 準大公が北軍に入隊したばかりの頃お顔が知られてなくて、ウィルマー執事の方を主と誤解した者が少なくなかったという逸話がある程、御立派な風采だ。 また軍では大隊長である主より怖れられているのだとか。 そもそも有能で素性が確かでなければ伯爵家に雇われたりしない。

 他の奉公人も平民とは言いながら、奥様付き侍女のジンガシュレ様は準大公が生まれた時からお仕えしているし、最近大隊長側付きとなったアラウジョ殿も長年剣の稽古を共になさった幼なじみらしい。 それ以外では厩番のアタマークが馬の世界ではかなり知られた調教師である事を先頭に、百剣、医者、薬師、料理番に配管工。 だから全員技能で選ばれた事が窺える。

 ところがダーネソン執事補佐の場合、技能があるのだとしても誰も知らない。 貴族でもなければ縁故があるとも聞かないし、俊足らしいが、どんなに速かろうとそれが理由で準大公家の執事補佐に選ばれるはずはない。 第一、ウィルマー執事を負かしたという徒競走は雇われた後で行われている。


 掴み所がない御方なだけに、何をどれほど差し上げれば喜んで受け取って戴けるのか見当がつかない。 謝罪の手紙に少ない金品を添えたせいで、こんな物で済まそうというのか、とお怒りを買ってしまっては取り返しがつかないし。 多過ぎても受け取ってもらえなかったり、贈り物が不適当である事が問題になって、かえって旦那様の御迷惑とならないものでもない。 そうなったら更に後悔する事になる。 

 どうしたらいいのか何も思いつかず、もう死んでお詫びするしかないのでは、とぼんやり考えた。 遺書ならきっと受け取って下さるだろう。 最早それしか道はない、と覚悟を決めた。 

 ただ無闇な死に方を選んで旦那様の恥となってはならない。 方法はどれにすべきか、時はいつがいいか、身の回りの品を処分するには、とあれこれ思い煩い、眠れぬ夜を過ごした。


 翌日、泳ぎにいらっしゃった準大公に御挨拶なさる旦那様の後ろに控えていると、サリ様のお傍にいたケルパ神社の狛犬そっくりの犬が私に近寄ってきて、ひよひよと吠えた。 よろしくな、とでも言うかのように。 怖い顔をしているくせに案外人懐っこい犬だ。 噂では大変な猛犬と聞いていたが。

 するとそれを御覧になった準大公が明らかにお喜びになり、私の名前をお訊ねになっておっしゃった。

「ね、北方伯家に奉公に来てくれない?」


 脱力、ここに極まれり。 側にいらした旦那様も大変驚いて、いや、呆れていらっしゃったと言うのが近い。 私は旦那様にこそ気に入って戴けたものの、特別顔が良い訳でもなければ剣が強い訳でも卓越した能力がある訳でもない。

 言うまでもない事だが、準大公が私を御覧になる目に性的なものは感じられないし、御一家の奉公人のどなたかが男好き、と言うのでもなさそうだ。 一体どういうおつもりで他家の男妾を御指名なさるのか?

 ウィルマー執事とマッギニス補佐が恋人同士という噂なら私も聞いた事があるが、六頭杯でお二人が立ち話をしてた所を見る限り、恋愛関係はないと感じた。 どちらかと言えば同僚?


 ともかく私が準皇王族宅住み込みとなったらダーネソン執事補佐どころではない前代未聞の大騒ぎとなるだろう。 皇王陛下からのお咎めさえない事とは言い切れないのではないか?

 一度は死を覚悟した命と思えば自分がどうなろうと諦めもつくが、準大公家にまで御迷惑をかける事になったりしては申し訳ない。 ところが準大公は、旦那様が御家の障りとなると申し上げているのに、心配しなくても大丈夫、と胸を張ってお答えになった。


 僭越の誹りは免れないが、余りに不可解で理由をお伺いしたら、そのお返事というのが。 

「さあ?」

 さあって。 御自分で言い出した事ではないか。

「あ、ひょっとして。 ロイーガって、この近所の出身?」

「然様でございます」

「それじゃない?」

 それって、どれだ、と思わず聞き返しそうになった。

「俺の家に地元出身っていないからさ。 御近所の事でよくわからない事もあるし」

 地元出身で準大公家に奉公したい者なら万を下らない程いるだろう?

 内心そう思ったものの、その言葉は言わずに飲み込んだ。 星の数程奉公したい者がいようと、私に何の関係がある。 準大公直々の御指名なのだ。 否やを申し上げられるはずもない。


 こうして、さっぱり訳が分からないながら私は準大公家執事補佐見習としてお仕え申し上げる事となった。 それ以来、何故私が雇われたのかと何度も聞かれている。 私だって知りたい。 だが雇いたいとおっしゃった旦那様が御存知ないのでは、この世の誰にも返事のしようがない事。 仕方がないから旦那様のお言葉をそのまま繰り返している。

「私が地元出身であった故、と伺っております」


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