水着 リネの話
「やっぱり、これかな」
旦那様は御自分のタンスから明るい色合いの短パンを何枚か取り出し、私の腰にあててあれこれ迷われた末に、オレンジに赤の線が入った短パンを選んでそうおっしゃった。
なんでもサジお義兄様が南に住んでいらした時沢山贈って下さったんだとかで、旦那様は結構な数の短パンを持っていらっしゃる。 どれも私が見た事がないような鮮やかな色で、いろんな柄が付いている。 私にはおしゃれの事なんてさっぱり分からないけど、旦那様の浅黒い肌に映えてすごくかっこいい。 女の人に騒がれるのも無理はない、て感じ。 北でも短パンは売っているけど、ほとんど灰色や青とか緑の落ち着いた色で、柄なんて付いていない物ばかり。 辺りに沢山人がいたって旦那様が一番目立つと思う。
まあ、旦那様が目立つなんて今更だけど。 なにしろそこに座っているだけで絵になる御方なんだもの。 何を着ているかなんて関係ない。 おまけに見掛けだけじゃない。 魚みたいに泳ぎが上手でいらっしゃるんですって。 それはカナが教えてくれたの。 旦那様は泳ぎの本場である南でも負け知らずで。 弓の名手として知られるずっと前から伝説になるほどだったとか。 さすがは旦那様。 皇国の英雄になるだけの事はあるよね。
今日、いきなり家族で泳ぎに行くとおっしゃったのにはびっくりしたけど。 今まで一度も旦那様が泳いでいる所を見た事はないから楽しみ。 改めて惚れ直しちゃうかも。 えへっ。
それにしても、どうして御自分の短パンを私の腰にあてていらっしゃるのかしら?
どれにするとか。 なんで私に聞くの? 今までどの服を着るかを私に聞いてきた事なんて一度もないのに。
毎日軍服だから普段何を着るか聞かれた事がないのは当たり前だけど、休日だってトビが次の日着る服を用意している。 トビの用意した物に文句をおっしゃった事がないのはもちろん、どれにするかを迷った事もない。 要するに旦那様って、着る物は裸じゃなけりゃ何でもいい、て感じなんだよね。
まるで私がその短パンをはいて泳ぐみたい。 だけど女の人が泳いだりするはずないし。
……まさか、貴族の奥様だと泳ぐ、て事じゃないよね? そんなの聞いた事ない。 もっとも貴族になりたての私じゃ貴族の奥様が何をするものかなんてまだまだ知らない事ばかりだけど。
短パンをお決めになると旦那様は上のシャツを迷い始めた。
「短パンはオレンジにするとして、それなら上は黒のバリシャツで、どう?」
決まり過ぎかな。 それとも赤? 白もいけるかも、とぶつぶつおっしゃりながら旦那様は私にオレンジの短パンを持たせ、バリシャツをとっかえひっかえ私の胸にあてる。 結局、赤のシャツを選ばれた。
旦那様には黒とオレンジの組み合わせの方がお似合いのような気がしたけど。 どっちも素敵。
「とてもお似合いですよ」
「ぶっ。 何、その、とてもお似合いですって。 自分が着るのに」
「は? わ、私が着るんですか? あの、どっちを?」
「どっちって。 両方着なきゃまずいだろ」
「ええっ! どっちも?」
もう少しで、ひぇーーっと叫びそうになったけど、ぐっと堪えた。 私の声って大きいから本気で叫んだらみんなが驚いて駆けつけて来ちゃう。 叫んだ理由が短パンだなんて。 恥ずかしくて言えやしない。
「あ、あの、でも、どうして?」
「どうしてって、スカートはいて泳ぐ気?
それじゃ絡まって泳げないし、濡れたスカートを脱ぐのって大変だろ」
そんな。 そんなっ! 泳ぐの? 私が?
「私、泳げませんっ!」
ものすごく焦ったものだから、つい、声が大きくなっちゃった。 でも旦那様はにこにこ笑っておっしゃる。
「うん、知ってる。 だから練習しないと。 俺がちゃんと教えてあげるから大丈夫だよ」
なんで、なんで? いつの間に私が泳ぐ事になっちゃっているの?
「えーっと、その、なぜ泳ぐ練習をしないと、いけないんでしょうか?」
「船が怖いのはね、水が怖いからだよ。 そして水が怖いのは泳げないから。 泳げたら怖くなくなる」
それは、そうかもしれないけど。 泳ぐのが怖くても泳がなくちゃだめ?
そもそも女性が泳ぐって、ありなの? 平民だったら海女とか、仕事の関係で女性でも泳げる人はいると思うけど。 普通の農家だったら男の人だって泳げる人なんてそんなにいない。 リイ兄さんだって村で暮らしている時は泳げなかった。 兵士になると泳げなきゃだめって聞いた事あるから今なら泳げるんだろうけど。
貴族の奥様なら泳ぐものなの? 旦那様に聞こうか迷ったけど、聞かなかった。 答えて下さったとしてもその答えを信用してもいいのか、ちょっと不安というか。 旦那様に女の人の事や世間の常識を質問したって無駄っていうか。 それでカナに聞いてみた。
「あのう、貴族の女性なら泳げるものなのかな?」
「泳げるとは申せません。 少なくとも私が聞いた事はございませんので、普通にある事ではないでしょう。 とは申しましても御嬢様が止ん事無き瑞兆であらせられるのは皇国広しといえども北方伯家のみ。 旦那様が勿体なくも皇寵を戴いている事でもあり、奥様が普通の伯爵夫人でなくとも何ら不思議ではございません」
「やっぱり、普通じゃなかったんだ。 それはそうだよね。 それなら旦那様に泳ぎたくないんですって言ってもいいと思う?」
「今回の水泳ぎに関しましては何分突然の事で奥様も少々面食らっていらっしゃると存じますが。 一度お試しになってみては如何でしょうか? その後で、もう行きたくはないとおっしゃるのでしたら、それを旦那様に正直に申し上げれば、次を無理強いなさる御方ではございません」
そりゃ一度も泳いだ事がないんだから、やってみなきゃ分かんない。 案外好きになるのかもしれないけど。 私としては一生泳がないでも全然構わないんだけどな。 でも旦那様になんて言ったら泳がないで済むの?
私がぐだぐだ迷っている事を察したのか、カナが静かに微笑みながら言う。
「以前は剣を手にされた事もなかった奥様が目覚ましい上達を遂げられ、今ではお見事な剣捌き。 奥様に触発された女性剣士を見かける事も最早珍しい事ではないのだとか。 奥様が泳ぎを習われる事で、これからは女性も泳ぐ時代になるのかもしれませんね」
別に女性が泳ぐ時代にならなくたって誰も困らないと思うんだけどな。 泳ぎが苦手な人もいるだろうし。 私みたいに。
ただ、わくわくしているっぽい旦那様に、湖へ行きたくないなんて言ったらがっかりさせちゃう。 そう思うとちょっと言いづらい。 それに行くのはいいの。 ぼーっと湖を眺めるだけなら。 だけど旦那様ならきっと、大丈夫、大丈夫、とおっしゃって私を引っ張り込んじゃうよね? 結局泳ぐしかないのかなあ。
うーん、それにしたって、あれはないよね。
「あの、でも。 バリシャツに短パンで水に浸かったら、その、丸見えっていうか」
夏の礼服を着るために頑張って節食したおかげで少しは減ったけど、まだ出産前の体重に戻っていないんだよね。 いくら旦那様には恥ずかしい所まで全部見られていると言ったって、盛り上がった肩や生足を世間の皆さんにまで見られるのは勘弁してもらいたいんですが。 元がどっしりむっちりなんだもの。 戻った所で人目に晒せる体じゃないでしょ。
そしたらカナがちょっと考えて、私の衣装部屋から雨の外出の時羽織るケープを取り出して来た。
「それでしたら、このケープをお使いになっては如何でしょうか? 水に入ってしまえば奥様のお側にいるのは旦那様だけと存じます。 水際で外し、飛び込んでしまえば大丈夫でしょう。 水から上がられる際には私がタオルとこのケープを持って待機しております」
「そう? そうしてくれる?」
カナに立ちんぼさせちゃうのは申し訳ないけど、そうしてもらえれば、なんとかなるかな。 辺りに何人いるのか知らないけど自分の土地じゃないんだもの。 私達家族だけのはずはないよね。 バリシャツと短パンの姿を知らない人にまで見られるだなんて。 想像しただけで実家へ逃げ帰りたくなっちゃう。
ぜーーったい、無理っ!!
はあーっ。 心の中でぶんぶん拳を振り回したものだから疲れちゃった。
泳ぎがお好きなら旦那様一人で泳いで下さって構わないのに。 私は遠くから見ているだけで嬉しいんだから。 そもそも泳げない私と一緒に泳いだって、どこがそんなに楽しいの? ちっとも分かんない。 でも旦那様がすごく楽しみにしていらっしゃる事は間違いないし。
それにしても、問題はあの短パンよ。 短パン! しかも男物!!
いくら腰紐付きで、ずり落ちないとは言っても、前が、ほら、取り出せる様になっているんだよ。 これって色がどうの、て問題じゃないよね?
だけど女物の短パンなんて、どこを探したって売ってる訳がない。 旦那様が選んで下さったバリシャツと短パンを手にして思わずため息をついちゃった。
せっかく選んで下さったのに申し訳ないけど、これってどんな罰ゲーム、て感じ。 どうしよう?
いっその事、ぱぱぱっ、と自分で縫っちゃう?
そう言えば、ユレイアお義姉様が我が家に訪ねて来て下さった時、お土産に素敵な花柄の布を下さった。 水はけが良くて濡らしてもしわにならないんだって。
勿体なくて仕舞っておいたんだけど、あれなら短パンと袖無しシャツを作るくらいある。 布がすばらしいから凝った仕立てにしなくてもきっと素敵。
えーと、頭が出るようにして、両脇に三カ所づつ飾り紐を付けて蝶結びすれば簡単だよね。 短パンは緩めに作って腰紐で締めるようにしておけば大丈夫だし。 この様子じゃ、きっと来年も泳がされる。 それなら一つ作っておいても無駄にはならない。
私の水着姿を見て旦那様がくらっ、となったりして。 うふっ。
私ったら、ばかみたい。 中身に変わりがないのに、そんな事ある訳ないでしょ。




