挽回
先を越されたあああっ!!
愛してます、とリネに囁かれ、舞い上がるより土俵から蹴り落とされた様な気持ちがした。 俺以上に恥ずかしがり屋のリネが、あの決定的な一言をあっさり言っちゃうだなんて。 しかもそこで俺も、と囁き返すならまだしも、ぱっと口から出た言葉が、土俵。
ぐうう、む、無念じゃっ!
口のバカ。 変な時だけ素早く動くな!
元々夫として頼りがいがあるとは言えないのに、これだもんな。 リネは単なる驚きの叫びと受け取ったみたいだけど、格好悪いったらありゃしない。 今年の結婚記念日には、びしっと決まった愛の告白をするつもりでいたのにぃ。
挽回しなくちゃと焦った所で普段は家に帰って夕飯を食べて寝るだけの俺だ。 格好良い所を見せる場面なんてどこにもありゃしない。 こうなったら起死回生を目指す時にするという、何だっけ、ヤラセ? をするしかないのっ?
うーん、でもあれって中々細かい配慮が要るとか聞くしー。 賢い人がやってさえ、ばれる事もあるんだろ? 自慢じゃないが、賢いとは間違っても言えない俺だ。 無理して難しい事をやったって失敗するに決まっている。 隠し事が下手な事にかけては北軍一という、変な事に高い評価をもらっていたりするんだから。
たとえ最初は成功したように見えたって隠しおおせるとは到底思えない。 遅かれ早かれぼろが出る。 いつばれるか毎日びくびくしながら暮らす事になると予想できるだけに今一つ踏み切れない。
なにしろ俺って結構独り言を言うらしい。 自分じゃ気付いてないから止めようがないんだ。 土俵だって部屋に下がった後の話で、そこには俺とリネ以外誰もいなかった。 リネは信頼しているカナにさえ夫婦のあれこれを話したりしない。 なのに俺が散々独り言で愚痴っちゃうせいで家中の者が一言一句漏らさず、いつ何があったかを知っている。
ヤラセがだめなら他に何か名案はないかな。 どんな風に告白したら喜んでもらえるのかリネに聞くのが一番手っ取り早いし確実だとは思うけど、それじゃびっくりさせられないだろ。 家内に妻帯している人がいたらこんな時どうしたらいいか聞けるのに。
身近に師範、マッギニス補佐、どちらにも妻がいるが、あの二人にそんな事を聞く気にはなれない。 聞いたって無駄って言うか。 俺の聞いた事に答えてくれないだけじゃなく、そんな事を聞いたら無事では済まないような気がする。
他に妻帯者はいくらでもいるんだ。 その中の誰かに聞いた方がいいだろう。 とは思うが、じゃ誰がいい? よくよく考えてみると妻帯者は何人もいるけど奥さんは貴族出身で、リネのような立場の妻がいる人っていないんだよな。 そんな事をぐだぐだ考え、いつまでも決められないでいた。
そんなある日、裏庭で畑仕事しているリネとカナのおしゃべりが聞こえて来た。
「カナは船に乗った事ってある?」
「はい、何度かございます」
「私、船に乗った事って一度もなくて。 実は、その、乗るのがちょっと怖いんだよね。 大丈夫かしら?」
「船旅とは申しましても川ですし、天候が急に荒れない限り高波の心配はございません。 ダンホフ公爵所有の船でしたらかなりの大きさでございましょう。 揺れも少なく、快適な設えと存じます。
秋は天候も暑からず寒からず。 旅には最適の季節。 私も北から南への川下りは初めてですので、密かに楽しみにしております」
ふーむ。 船が怖い、か。 これって俺がいかに賢く頼りがいある夫かをリネに見せる絶好の機会なんじゃね?
聞いて驚くな。 俺は船に関しては本場仕込み、明日から船員になれるくらい詳しいのだっ!
なに? どうせ北では船に乗る機会なんてないから法螺を吹いているんだろ、て?
ちぇっ。 普通、そこまで言う?
まったく、近頃世間に吹く風ときたらびんびんに冷たいんだから。 マッギニス補佐の寒波並みだぜ。
こう見えても俺は船の操縦が出来るだけじゃない。 海戦の指揮を南軍将軍ハシェ・バーグルンド閣下直々に鍛えられたんだ。
バーグルンド将軍は北では南軍将軍として知られているだけだが、南に行けばギラムーマ(海王ギラムの愛し子)と呼ばれている。 ギラムーマを知らない船乗りはいない。 何度も荒れる海から奇跡的に生還した伝説の名船長として尊敬されていて、ギラムーマと一緒の船に乗った事があるというだけで、どの船からも乗船を大歓迎されるんだから。
思えば俺が小さい頃からバーグルンド将軍はちょろちょろ纏わりつく俺を邪険にもせず、南に遊びに行く度にいろんな船に乗せてあっちこっちに連れて行ってくれた。 当時バーグルンド将軍は既に大隊長だったから相当お忙しかったはずなのに。
そのありがたい指導があったおかげで俺は船員として一通りの仕事ができる。 もちろん船と一口に言ってもいろいろな大きさがあるし、北軍入隊以来一度も船に乗っていない。 毎日船に乗っている人には敵わないと思うけど、船旅なら俺がいかに物知りでテキパキ仕事をこなせる男か、リネに見せてやれる自信がある。
ほとんど毎年、夏になるとバーグルンド将軍のお宅にお邪魔していて、どこに行くにも付きまとっていたからか、俺は船員のおじちゃん達からギラムシオって呼ばれるようになった。 ギラムの孫とかいう意味らしい。 ギラムーマよりはランクが一つ落ちるんだろうけど、それだって充分尊敬されるんだぜ。 ギラムーマ様様って感じ。
俺の周りは俺に対して尊敬のその字もない部下ばっかりだ。 尊敬されない夫の姿しか見てないリネはきっとびっくりするだろう。
尊敬され、頼もしい所を見せる。 そして夜、月明りの船上で愛の告白、とか?
て、照れる、かも。
だけど波音に紛れてそっと囁くなら気合いでやれそうな気がする。 初めて会った時から、もごもごもご、て感じでさ。
それはいいが、出発は九月だ。 まだ一ヶ月以上ある。
ちょーーーっと待ち遠しいというか、間が空き過ぎというか。
あ。 リネに泳ぎを教えてあげる、てどう?
船に乗るなら泳ぎを知っておいた方が安全だし。 それに毎年夏になる度に何だかんだあって、今まで家族を水遊びに連れて行った事がない。 俺の家が建っている湖に砂浜はないが、ここら辺には砂浜付きの湖がいくらでもある。
「旦那様、こわいですう」
「俺が付いているから大丈夫だ。 任せろ」
ほら、力を抜いてと言いながら、さりげなーく抱きしめちゃったり?
ぐ、ぐふふっ。 さりげ、あったりして。
しがみつくリネをがっしりと抱きとめる俺の腕。
そこはかとなく伝わる俺の、らぶ。
ひゃらひゃら ひゃらーり ひゃらりんりん
ソーレッ、ぴっ、ぴっ、ぴっ!
……決まったな。
おしっ、これで告白の出遅れを一気に挽回だっ! ぐずぐずしていたら、あっと言う間に九月になる。 九月に入ったらいくら天気が良くても水が冷たくなって泳げない。 俺は側にいたトビに言った。
「今度の日曜に家族で泳ぎに行くぞ!」




