表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弓と剣  作者: 淳A
新興
PR
310/490

寄贈  キャレリナ少僧の話

「少僧、このような良いお天気の日にそんな顔をしたらお日様が怖がって顔を隠してしまうよ」

 床下に隠した背嚢を取り出した現場を捕まえられ、ランティーニ大僧は人の良さそうな笑いで誤魔化そうとした。

「それは御免下さい。 天気の良し悪しですげ替えられない生まれつきの悪人顔でして。 それより今日はシナバガー男爵がお見えになるって昨日何度も言ったでしょ。 大工仕事は大工がやるもの。 大僧の仕事は大僧がやるものです。 大僧礼服は南殿に用意してありますから。 さ、着替えて、着替えて」

 そこで年貢の納め時、と観念するような人じゃない。

「そんなに急がんでも。 時間はまだあるじゃないか。 ちょっとばかり学校の進み具合を見に行くだけなんだし」

 いつもなら大僧の駄々の一つや二つ、こねられたって聞き流す余裕もある。 だが今日は時間が迫っていて少々焦っていた。

「御託は後にして。 ほらっ、そんな背嚢、そこに置いときゃいいから」


 敬語も何もあったものじゃない。 だが大局を見誤った事のない大僧なだけに、私の言葉遣いを正すより別の視点から攻めて来た。

「そんな堅い事を言うものじゃないよ。 私もそろそろ退官する年だし、な? 男爵には少僧が会えば良いではないか」

 何がそろそろ退官する年、だ。 確かに他の神社なら退官するのは六十歳かもしれないが、ケルパ神社では退官年齢なんてあってなきが如し。 退官したい、と何度も愚痴ったエイスフェン大僧に、まだ早いでしょ、と言って引き止めたその口で何を言う。 結局、エイスフェン大僧が退官なさったのは七十二歳。 お亡くなりになる前の年だ。

 それに大僧はまだ五十五歳。 六十で退官するにしたって後五年もある。 そのうえ私が会えば良いなどと。 面倒な事は全て人に押し付けて逃げようとする身勝手な言葉にかっとなり、思わずきつい口調になった。

「僧を退官するお年なら屋根上で飛び跳ねるお年じゃないでしょ!」

「そ、それは、ええっと」

「お出迎えするのは私でもいいですが、お話の席には大僧がいて下さらないと。 少僧の私だけじゃ軽んじられたとシナバガー男爵につむじを曲げられないとも限らないですし」

 だが最後に余計な一言を付け加えたせいで、せっかく怯んだ大僧が元気を盛り返してしまった。

「なんだと? 僧の位に文句を言うなど碌な者じゃない。 そんな罰当たりの御機嫌をなぜ取る必要がある。 位が気に食わないなら喜捨などいらん、とっとと帰れ、と一喝しろ」

 思わずため息をつきそうになった。 大僧の大喝は昔から有名だ。 ケルパ神社に人気が出て、お布施や喜捨が増えたから始まった事じゃない。

 ただ年を取って大僧も丸くなったらしく、ここに来て十年しか経たない私が大僧の大喝を見た事はない。 又、喜捨を下さる方々に大僧が失礼な事を言っている訳でもないが、それは大僧の人となりが近隣で知られ、伝説の僧として怖れられているからだろう。 最近ではかなり遠くからも参拝に来る。 今日会う予定のシナバガー男爵だって大僧のお人柄を御存知とは思えない。


 何と言っても大僧に対して唯一重しのきくリステレイフ中僧が出払っているのが痛い。 檀家のマヨさんが昨日亡くなられたのだ。 他の檀家なら私が代わりに行ってもよかったが。

 二十年前に中僧がケルパ神社に来たばかりの頃、温厚な今の中僧からは想像も出来ない程荒れた若者で、目も当てられない有様だったらしい。 得度する前は貴族だった中僧は召使いに全てをしてもらっており、自分の身の回りの事をするのに慣れていなかった。 今でもそのぎこちなさが窺えるが、これでも随分ましになったのだとか。 見かねたマヨさんが、実の母でもこうはいくまい、と言う程の世話をしたと聞いている。

 マヨさんには身寄りがない。 それで息子も同然であった中僧が葬式、埋葬はもちろんの事、後片付けの果てまで采配する事になった。 明日一度お戻り下さると言っていたが、今週一杯はお忙しいだろう。

 大僧だってそれを知っているから逃げ切れると思ったに違いないのだ。 今大僧を捕まえる事が出来たのだって中僧が前々から警告しておいてくれたおかげだ。 便所に行く振りして中座した時とか、熱心に神事をお務めなさっているように見えたら要注意、と。


 初めてお会いしてから十年。 毎日寝食を共にしてはいても、いまだに大僧は私の手に負えない。 もっともケルパ神社の名物怪僧として名を馳せている大僧はその名に相応しい武勇伝が数えきれない程あり、私に限らず誰の手にも負えない御方なのだが。

 例えば、平民を斬り殺そうとしている貴族の前に立ちはだかり、私を殺してからにしろと言って追い払ったとか。 僧を殺すなんて確かに外聞は悪いが、強力な後ろ盾のない神社の僧なんて平民と大して変わりはない。 貴族の刃に歯向かうだなんて死ぬ覚悟がなければ出来ない事だ。

 オークを素手であしらった、という逸話さえある。 実を言うと、私も初めてそれを聞いた時は信じられなかった。 だが大僧のおかげで命を救われました、と帰依した信者がいるのだ。

 生き残りの一人、オグンゼさんから聞いた所によると、その時大僧は着ていた衣をさっと脱ぎ捨て、体の横で旗めかせた。 すると先頭のオークが大僧ではなくその衣に向かって突進し、突き抜けて行く度に衣をさっと翻し、向きを変えて戻って来たオークにひらひら揺らしを繰り返し、他の者が逃げる時間を稼いだらしい。


 噂の全てが事実とは言わないまでも相当数が実話と思われる。 ちょっと見た所では御近所にいそうな好々爺。 僧と言うより大工と言った方が似合う感じで、そんな突拍子もない事をするような人には見えないが。

 因みに大僧が自慢話の類をした事はない。 昔は無茶もした、と笑っておっしゃるだけだ。 信者の話がほんとなら、無茶の一言で片付けられる様なものではないのに。

 嘘もはったりも無いお言葉のおかげで自分の人生が救われました、と言う信者は数知れない。 かく言う私も大僧に出会って救われた一人だ。


 僧になる前の生業は漁師だった。 但し、北の湖ではなく、南の海で漁をしていた。 漁は短い時で一週間、長い時には一ヶ月近く家を留守にする。 ある日漁から戻ってみると、妻は男と駆け落ちし、家はもぬけの殻。 北へ逃げたという噂を聞き、怒りに駆られてここまで追いかけて来た。

 そんな私をどうして僧として迎えて下さったのか分からない。 ここに来てから読み書きを習い覚えたが、以前は文盲だったし。 いくら平民出身の僧がほとんどのケルパ神社でも文盲だったのは私だけだ。


 貴族出身の中僧はもちろんの事、大工として長年修業された大僧は貴族のような教養はなくても数字に強く、綿密だ。 読み書きにも不自由していない。 去年から今年にかけて子供達に勉強を教えるため七人の律師達を迎えたが、全員私より学がある。 なのになぜかこの春、私が少僧に任命された。

 平民の為の神社とは言え、神殿が建てられてから数えただけでも五百年は経っている。 北では指折りの古さを誇る由緒ある神社だ。 昔からの信者に富める者はいないが、数は相当数いるし、人気が出てからはケルパ神社に仕えたい僧が毎日のように訪れる。 なのに大僧がそのほとんどをお断りしているのだ。


 どういう基準で僧を選んでいるのか分からないが、この神社には元々僧だった者は一人もいない。 みんな大僧か中僧が得度する事を勧め、僧になった者ばかりだ。 僧となった経緯は様々だが、それでも妻を殺してやりたくて後を追いかけ、その挙げ句に僧となった私は異色と言えるだろう。

 もっとも私が得度を勧められたのは単に大僧が魚好きだったからだと思う。 初めて会った日、馬を追いかけて滝の様な汗を流していた私に大僧は美味しい水を振る舞ってくれた。 その時、話のついでに私が漁師であった事を知った大僧(当時中僧)が、ケルパ神社の裏にある湖から魚を獲るにはどうしたらいいかを聞いてきた。 そこから、ただで泊まらせてくれるなら代わりに魚を獲ってあげる話になった。

 湖で魚を獲るのは海での漁と違うと言えば違うが、魚は魚と言えない事もない。 妻はこの町にはいないようだ、と次の町に旅立とうとする度に引き止められ、結局ここで冬を越した。 長い冬の間座って春を待つのも芸がない。 それで湖の氷を穿ち、魚を獲る方法を考え出したり。

 そうこうして一年過ぎたある日、私はどうしても逃げた妻が忘れられず、やっぱり探しに行く、と大僧に話した。 するとその日に限って珍しくお止めにならず、こうおっしゃった。

「見つけたら許しておあげ。 留守を守って夫の帰りを何日も待つのは待つ身とすれば辛いものだ」


 辛い? 妻の気持ちなんて一度も考えてみた事がなかった私は、その一言に意表を突かれた。

 じゃあ妻のために一生懸命稼いでいた私は辛くないとでも言うのか? ちゃんと夫を待っている漁師の妻だって他にいくらでもいるじゃないか、と言い返したくもあった。 何より許すつもりなど少しもなかったから、許しておあげと言う大僧の言葉に戸惑った。

 一応出発したのだが、いくらも歩かない内に、許してやるためにわざわざ旅に出るなんてばかばかしいと考え、ケルパ神社に戻った。 当時ケルパ神社にはエイスフェン大僧、ランティーニ中僧、リステレイフ少僧の三人しかいなかったから、私がいなくなったら神社で育てている孤児達の世話をする人がいなくなる事も気になった。 ランティーニ中僧はお年で寝たり起きたりのエイスフェン大僧のお世話で忙しく、リステレイフ少僧は御自分の世話をするので精一杯。 だからずっと私が子供達の御飯の世話をしていたのだ。

 毎日子供を追い回し、追い回されている内に妻への怒りが風化していたのかもしれない。 ふと気が付いてみると、妻に似た女とすれ違っても胸に痛みを感じる事はなくなり、町を歩いていても妻を目で捜したりしなくなっていた。

 それでも全く同じ言葉を大僧以外の人から言われたら、逃げた妻を許す気にはなれなかったと思う。 大僧の言葉には、そうだよな、その方がいいよな、と納得させられてしまう何かがあったのだ。

 私は大僧のお若い頃を知らない。 でもあの説得力が、今は亡きエイスフェン大僧のお目に止まったのではないかと思っている。


 来たばかりの頃、私は大僧に、なぜ僧になったのか聞いた事があった。

「深い考えがあっての事ではないさ。 僧になる前、私は大工でね。 仕事を急ぐあまり、弟子に無理をさせて工事現場で死なせた事があったのだよ。 別の命を救ったからと言ってその弟子が戻って来る訳じゃないが。 大工のままじゃ、せいぜいで弟子を殺さない親方になる事が出来るだけだろう? 人助けをする機会なんてそうそうない。 とまあ、そんな所か」

「人助けをしたいだなんて。 さすが大僧になるくらいの御方は気持ちの持ち様からして違います。 自分の妻さえ殺そうと思った私にはとても真似出来ません」

「それはどう言う意味だい? お前が獲って来た魚で孤児を養っているじゃないか。 それが人助けでなくて何なのだね?」


 お前はとっくに僧だよ、とおっしゃる大僧の言葉に背中を押され、ケルパ神社に辿り着いて三年目の春、私は得度した。

 僧となっても去年の暮れまで漁を続けていた。 神社に人気が出てからは子供の数がどんどん増え、目が回るような忙しさになり、今では魚は買っているが、身に付いた漁師としての荒っぽさは簡単に抜けるものじゃない。 言葉遣いだって少僧となったのに「あっし」はまずいだろうと思って、「私」と言うようになったが上品とはほど遠い。 大工あがりの大僧も私と五十歩百歩だから気楽は気楽だが。


 それでも今までは中僧が全て貴族のお相手をしてくれていたから何も問題はなかった。 頼みの中僧がいないのは不安だが、今日の所は仕方がない。 嫌がる大僧を引きずるようにしてなんとか面談に間に合わせた。

 シナバガー男爵の御用件はケルパ神社で御令嬢の結婚式をあげさせてもらえないかとのお願いだった。 何でも男爵家の領地で十月に挙式予定だったが、北方伯御夫妻が主賓、タケオ大隊長が御媒酌人となって下さる事になった。 それはなんとも喜ばしいが、式を前倒しするように言われたとかで。

 前倒し自体は出来ない事でもないが、領地の神社で挙式するとなると大隊長御夫妻、お付きの侍女、警備の方々、総勢数十名になると思われる御一行をお泊めせねばならない。 そこで適当な宿泊先がない事が問題となった。 それなら親戚一同が第一駐屯地周辺の宿屋に泊まり、こちらで挙式した方が早いとなったらしい。

 すかさず大僧が、全く問題ありません、と簡単に請け負ってしまわれた。 今までケルパ神社で貴族の結婚式をした事なんて一度もないのに。 そんなのいきなり無理でしょ、と止める間もない。 こんな事になるなら私だけでお会いすればよかった、と密かに悔やんだ。

 北方伯家、タケオ家、マッギニス家が檀家になったから、いずれはケルパ神社で貴族の挙式をする事もあるとは思っていたが。 そうは言っても檀家のお子様達は生まれたばかり。 それはまだずっと先の話。 その時が来れば私ではない他の誰かがやってくれるだろう、と安心していた。 


 なにしろお布施は集まっているものの、大僧は全て貧民の子供達の給食と小学校を建てるのに使っている。 いくら子供と言ったって百をとっくに越えている数だ。 それに毎食となると飯の量だって半端じゃない。 だから本殿も僧服もみすぼらしいまま。 こんな場所と格好で貴族の結婚式だなんて。 終わった後でしっかり文句を言われるだろうに。

 こういった見かけの事を大僧に話したって、それがどうした、で終わりだ。 私は翌日、お帰りになった中僧に相談した。

「それでしたらホシニブル劇場の支配人さんに一日だけ僧服を貸してもらえないか、聞いてみましょう」

「劇場に僧服? そんな物があるんですか?」

「先々月の出し物、『怪僧譚』は中々の入りだったそうですよ。 見た人が派手な僧服を使っていたと言っていました」


 幸い貸して戴けると言う事で、私が借りに行ったら、そこで逃げた妻のミオに会った。 私だと気付いた途端、ミオは逃げ出そうとしたが、なんとか宥め、今までの話を聞いた。

 ミオは男と逃げたのではなく、女優になりたかったのだそうだ。 最初は皇都に行ったが、結局女優としては売れず。 食うに困って劇場の衣装係をするようになった。 二年前、北で旗上げすると言うフェデーナさんに付いて第一駐屯地まで来たのだと言う。

「あんたの事はここに来た年に知っていたんだけど。 今更謝ったって許しちゃくれないだろうと思って。 何にも言わずに飛び出して、ごめんね」

「過ぎた事さ。 お前と結婚したのは子供が欲しかったからだ。 親が死んで、何となく寂しくなってね。 子供がちょろちょろ駆け回る家に帰りたかったんだよ。 私達に子供は授からなかったが、ケルパ神社に着いてから沢山の子供達の世話をする事になった。 自分の子供じゃなくても懐かれればかわいい。 今ではこれでよかったと思っている。 

 僧服を貸してくれたフェデーナさんに、お礼をよろしく伝えておいてくれないか。 これからは私に気兼ねせず、気が向いた時に参拝においで」


 シナバガー男爵家の結婚式が無事に終わり、僧服を返しに行こうとしたら、フェデーナさんから全て寄贈しますと言う伝言が届いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ