打診
「祭祀庁内で中央祭祀長の交代劇がありました」
無事に言祝ぎの式が終わった後で、俺の誘拐未遂事件の一部始終を聞いたサジ兄上が皇都で起こった事を教えて下さった。 どうやらその交代は俺の誘拐未遂事件に関連しているらしい。
それから類推すると、スティバル祭祀長は北軍祭祀長だが、祭祀長の中で一番偉い御方という事になるのだとか。 それにしても中央祭祀長を交代させちゃうだなんて。 すごいよな。
それと、天人同士でも喧嘩するんだな、とか思っちゃった。 まあ、天人みたいな御方だけど、実は怒ったり悲しんだり、間違ったりもする人間なのかもしれない。
今更ながらスティバル祭祀長という重しの利く御方が北軍にいらっしゃる事に感謝した。 俺としては今でも師範がもう少しで殺されそうになった事を怒っている。 だけど元はと言えば皇王族の御希望を叶えようとしたための暴走で、悪事を働いた訳じゃない。 結局誘拐には成功しなかったんだし。 臣下を誘拐しようとしたくらいで祭祀長ともあろう御方が職から蹴り出される事になるとは思わなかった。
ただ祭祀長が変わる理由なんていつ誰が変わろうと下々の者に知らせるものじゃないだろ。 今回は偶々俺に関係していたから教えてもらえたのかな? もしかしたら俺の誘拐未遂事件の他にも何か理由があったのかも。 でもそっちは言いたくないから俺の誘拐事件を理由にしたとか?
俺には分からないが、雲の上でも色々あるんだろう。 取りあえず宮廷に仕える人達の目には、俺にちょっかいかけたら祭祀長だって無事じゃない、みたいな警告になったとサジ兄上が知らせてくれた。
「とは申しましても今後何かを仕掛けて来る者はいないと断言する事は出来ません。 これからも充分お身の回りに御注意下さいますように」
スティバル祭祀長が、些末事は時が押し流すとおっしゃった事を思い出した。 中央祭祀長が蹴り出されるなんて瑣末な訳がない。 あの一言を実現する為にどれほどの事をして下さったのか。 それを思うと頭が下がった。
それだけじゃない。 タッシオ神官から聞いたが、スティバル祭祀長は皇都からとんぼ返りと言ってもいい程すぐお戻りになった。 それはサリの言祝ぎの儀式に間に合うようにとお気遣い下さった為らしい。 有り難い事だけど、同時にとても恐縮した。 スティバル祭祀長は恩着せがましい事なんて一言もおっしゃらなかったが。
家に帰ってから父上母上の御様子や、サガ兄上、親戚の皆さんの近況やらをサジ兄上から伺った。 甥のサムの成長ぶりを聞いて、しゃべるようになったサリを自慢したくなった俺はサリを抱っこして言った。
「サジ兄上、サリも言葉を話すようになったんですよ。
ほら、サリ、ちちうえだよー」
サリは俺を見つめてきょとんとしている。 あなたは誰って感じ。 そして「ははー」と言ってリネを呼び、「まんま」と言って御飯をねだった。 がっくり。
因みに「まんま」はつぶした野菜や果物ならなんでも「まんま」だ。 今の所はっきり言葉と分かるのはその二つだけ。 次こそ「ちち」だ、と意気込んでいたのに。
そこでサリがケルパを指差して言う。
「けるー」
俺ってケルパの下なのっ?! ぐわんと師範の拳骨を食らったみたいな気がした。
サジ兄上が、サムも「ちちうえ」は「ははうえ」より半年遅れだったと言ってなぐさめてくれたけど。 そりゃ俺が帰ったらサリはもう寝ていた、という日だって珍しくない。 しょっちゅう側にいる人(犬)と御飯の方が俺より先になるのは仕方がないのかもしれないが。 つい恨みがましい目でケルパを見てしまった。
すると、気持ちの小さい男は嫌われるぜ、みたいな余裕でケルパがひーよひよひよと吠えた。
ちぇっ。 ちょっとむかつく。
でもここでケルパに八つ当たりしたらそれこそ器が小さいと言われちゃう。 それよりどうやって「ちち」を教えようかと考えていると、何気ない様子でサジ兄上がおっしゃる。
「サダ様。 先代皇王陛下が御外遊に旅立たれる際、リネ様にお見送りの歌を歌って戴けないかと皇太子殿下より打診されております」
皇太子殿下と聞いただけで体がびくんとなり、慌てて儀礼をするために立ち上がりかけたが、待て、これは打診なのだ、と気が付いて座り直した。
皇王族が出すもの全てが命令と決まっている訳ではないという事は、去年サガ兄上に教えて戴いている。 御内意なら公式発表はされていなくても命令で、既に決まっている事だから臣下には承る、そして従う事しか出来ない。 でも打診は命令ではないので儀礼をもって承る必要はないし、嫌なら嫌と言ってもいいんだとか。
だけど歌を歌え? リネは職業歌手じゃない。 皇王族から打診されたのはこれが初めてだが、その内容に驚いた。 人によってはむっとされても仕方のないお願いだろ。 相手が俺みたいな音痴だったら要するに恥をかかせたいんだなとしか受け取れない。
リネの美声は知られているから悪意の打診ではないとは思うけど。 普通、貴族の夫人に歌え、てお願いする? 珍しいんじゃない? 少なくとも俺は今までそんなお願いされた人がいると聞いた事は一度もない。
「あの、サジ兄上。 こんなお願いってよくある事なんですか?」
「いいえ。 実を申しますと、打診自体が滅多にない事です。 ましてや歌手でも愛人として後宮に上がった訳でもない貴族の夫人に歌を所望するなど、私も聞いた事はございません」
皇王族だから何を言っても、しても許されるというものじゃない。 臣下から怒られる訳ではなくとも、しきたりと言うものがある。 それから外れたりする事は陛下でさえお気軽になさったりはしない、とレイ義兄上から聞いていた。 まあ、だから今、打診されているんだろうが。
リネは洗濯する時とか、毎日のように歌を歌っている。 でも舞台で歌ったのは第一駐屯地に来た年にのど自慢大会で歌ったのが最初で最後だ。 大賞を受賞したんだから、きっと舞台度胸だってあるに違いない。 それでも俺が勝手に承諾していいのかな?
本人にやる気があったとしても、晴れがましい舞台で美声を披露してリネの人気がもっと上がったりするのは嫌かも。 俺は一応相手が誰だろうと嫌なら嫌と断れる立場になったと聞いてるが、皇王族や上級貴族となると俺とは迫力のレベルが違う。 そんな人達から望まれたら気迫負けしちゃったりして。 リネじゃなくて、俺が。 で、サリと一緒に妻も後宮に入るように、と言われたら?
リネに捨てないで、と泣いて縋る真似なんかしたくない。 こんな打診、さっさと断るに限る。 ただ何と言って断わろう? 嫌です、と言うだけじゃまずいよな。 それじゃ理由になっていないし。
皇王族を怒らせる事だけは避けたい。 無難な言い訳には何がある? トビに考えてもらった方がいいかも。 それともここでサジ兄上に聞いた方が早いかな?
どうしようと迷っていると、サジ兄上がおっしゃった。
「これは秘中の秘ですので御内聞に戴きたいのですが。 今回のお目見得が先代皇王陛下との今生のお別れとなるでしょう」
「え?」
「皇王陛下の御健康をお守りする筆頭御典医は陛下の大体の寿命を知っております。 それは陛下にだけお伝えするもの。 ですが先代皇王陛下はそれを当代陛下と皇太子殿下にお知らせになりました。 その際先代陛下が、旅立つ前に瑞兆に一目会いたいとの御希望をお伝えになったのだとか。
その御希望は以前よりございまして。 残念ながら敘爵式の際は先代陛下がお風邪をお召しになっており、サリ様にお立ち寄り戴くのは御遠慮なさったと聞き及んでおります。
譲位なさった後では臣下ではない北方伯を皇都に呼び寄せる事は出来ません。 当代陛下が代わりにお呼びする事は可能ですが、それでは仮に打診という体裁を調えた所で臣下としてお断りし難き事となりましょう。
新年皆様が皇都にいらした時でしたら、北へお帰りになる前に離宮への御招待が可能だったのですが。 先代陛下はこの秋旅立たれる事になりまして。 それは叶わぬ事となりました。 そこで皇太子殿下が、皇王族が御外遊に御出発の際、お見送りの歌を歌う決まりになっている。 その機会を利用しては如何、とおっしゃったのです」
それって生きている内に孫の顔が一目見たいおじい様って感じ? そんな風に言われたら行きたくないとは言いづらい。
とは言ってもなあ。 俺はつい、もうひとつある本音を零してしまった。
「それだと皇都に行く事になって、又サガ兄上のお宅にお邪魔する事になりますよね? いつでも来て良いと言われてはいますが。 年に何度もお邪魔するのは申し訳ないです」
サリは準皇王族となったから、お迎えするとなるとそこの客用寝室に寝て頂戴、と言う訳にはいかないのだ。 当主が出迎える事から始まって、それはもう、様々なお気遣いをさせてしまう事になる。
そうと知ってはいるが、皇都に俺の別邸はないし、他に宿泊する金もない。 と言う訳で、来年もちゃっかりサガ兄上のお宅にお邪魔する気でいる。 だけど大変なお手数をおかけする事が分かっているだけに、この秋も泊まるのは心苦しい。
これからは毎年皇都に行かなきゃならないんだ。 北方伯家の別邸を建てなきゃとは思っているが、今はそんな物を建てている余裕なんてない。 それに皇都に行ったらいろんな所に挨拶しないと失礼になるだろう。 どこにも寄らずに帰るなんて事をしたら、後でいろんな所から文句が来るような気がする。
それより何より痛いのが旅費だ。 陛下ならともかく、先代陛下のお見送りとなると公務じゃない。 つまり旅費は自腹。
サリを連れて行くとなると最低でも護衛二十人と家族に侍女と従者を付けなくちゃいけない。 総勢三十名の大所帯で行き帰り三週間の旅となると、皇都での滞在費がただだとしても相当な金がかかる。 それはトビに聞くまでもなく分かる事だ。
だからって旅費を出してくれたら行きます、なんて先代皇王陛下に向かって言えないだろ。 第一そんな理由で断ったら、それなら俺が出す、と誰かが言い出しそうな気がする。 それも困るのだ。 トビから貴族の間の貸し借りには呉々も注意が必要です、と事ある毎に言われている。 もらいっぱなしという訳にはいかないから。
例えば俺が誰かから借金したとする。 金を返せば終わりなんじゃない。 場合によっては代替わりしてさえ、あなたの父上が困っていた時、いくらいくらの金を貸してあげました、と子孫の代になっても同じくらいの恩恵を返すまで言われるんだって。 貴族の付き合いではどんなに昔の話だろうと帳消しには金輪際ならないのだ。
金に限らず、頼まれた事をしてあげたとか、失敗を誤魔化してあげたみたいな事もその貸し借りの勘定の中に含まれる。 そしていつまでたってもお返しをしないと、貴族の風上にも置けない奴と世間に言いふらされる。
それがどうしたと言い切れるなら苦労はしない。 息子や娘の結婚、就職、大きな事業を始める時とか、とにかくいろんな場面でそれを持ち出される事になるらしい。
俺にとっては身近な親戚だって、その内子供や孫の代になる。 気軽にそっちこっちに迷惑をかけっぱなしでいたら、俺が死んだ後で、じいちゃんのせいでそっちこっちに借りだらけ、と孫に文句を言われる事になるだろう。
ここはやっぱり断るしかない。 だけど金欠だからという理由が使えないとすると、他に何がいい? あれこれ考えているとサジ兄上がおっしゃった。
「それでしたら皇都でお見送りするのではなく、南で、というのは如何ですか?」
「南?」
「そうです。 先代皇王陛下は南の港、マーシュから御出発なさいます。 皇都でお見送りなさるのでしたら全て陸路の旅となりますが、北から船で川下りし、途中どこにも泊まらず直接マーシュに向かうなら片道五日程度。 川上りする方はおそらく倍近くの時間がかかると思いますが、合計二週間程度の旅となります。
九月なら南の海は水遊びに最適。 サリ様はまだお小さくていらっしゃいますが、リネ様も海を見た事がないのだとか。 良い気晴らしになるのではございませんか?」
海かあ。 随分長い事見ていない。
俺は海が好きだ。 北には向こう岸の見えないでかい湖がいくつもあるから海みたいと言えなくもないが、潮の香り、打ち寄せる波で遊ぶ喜びには比べようもない。
こう見えても俺は結構泳げるんだぜ。 子供の頃、バーグルンド将軍に教えてもらったんだ。 そう言えば、いつか南へ遊びに行くってバーグルンド将軍と約束していたっけ。
皇都に行かないで済む、そして船なら途中の宿の心配をしないでもいい。 何より海が見れると聞いて気持ちが大きく動いた。
リネが男に惚れられるのは心配だけど、それは今更って言うか。 お見送りの歌を歌わなくたって惚れる男はいくらでもいるだろう。 ならそんな事を心配したってしょうがない。
「それでは船旅だと費用はいくらくらいになるか、トビに調べるよう言っておきます」
「その船ですが、義父から自家用船をいつでも御利用下さいとの申し出がございまして。 船員と護衛付きです。 マーシュまでなら燃料補給のために途中停泊する必要がない大きさなのだとか。
尚、これはダンホフ公爵家からの正式な招待であり、北方伯家の借りにはなりません。 もしサリ様が御利用下さるのでしたらダンホフ公爵家の名誉となるもの。 欣快にたえない、との伝言を預かってまいりました。 よろしければ是非タケオ大隊長にもお声をお掛け下さい」
おおっ。 自家用船! しかも船員と護衛付き。 さすがはダンホフ。 お金持ちは言う事が違う。 あまりに手回しがいいような気がしないでもなかったが。 現金な俺は、そういう事でしたらお見送りに行きます、と返事をした。




