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弓と剣  作者: 淳A
新興
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羨望

 今更師範を羨ましがったってしょうがない。 そうは思っても、羨ましいものは羨ましい。 祭祀長に毎週お茶にお呼ばれしている事にしたってそうだ。

 いや、俺も祭祀長にお茶に呼ばれたいと言っているんじゃない。 行きたいなら連れて行くぞ、と師範に言われた事だってあるけど、お断りした。 だって陛下の代理人に向かって間違った事を申し上げたらまずいだろ。 言葉に気を付けなきゃいけないと思ったら緊張してお茶を味わうどころじゃない。


 俺がすごいと思うのは、祭祀長のような神様も同じ御方に会いたいと望まれるって事だ。 祭祀長にお会いしたいと願う人なら列をなすほどいる。 でも祭祀長の方から望まれて定期的にお会いしている人なんて師範以外では一人もいない。

 面会を願えば叶えられる俺でさえ、実現するには半端ではない手続きを踏まなきゃならない。 マッギニス補佐が細かく説明してくれたが、細かい注意点がありすぎて覚えきれなかった。 流れを簡単にまとめれば、こうなる。 


 一、祭祀長の御都合をお伺いするため、まず神官に面会を申し込む。 そこで用件(祭祀長に面会したい理由)を書面にしたものを提出する。

 二、日を改めて神官と面会し、決定事項(面会日)を承る。

 三、面会日の前日、神殿に参拝し、禊をする。 翌日祭祀長との面会が終わるまで女人(妻を含む)と交わらない事。

 四、面会当日は正装(大隊長儀礼服着用)の事。 宮廷で陛下に御挨拶する儀礼に準ずる。


 一、二、四はまだ分かる。 でも三はなぜそうなっているんだか分からなかった。

「あのさ、妻とも交わっちゃいけない理由って何?」

「女人と交わるのは穢れとなると考えるからです。 禊とは穢れを祓うもの。 祓った後で穢れたら禊をし直す事になります」

 相変わらず当たり前な事を聞く奴だ、みたいな顔でマッギニス補佐がそう答えた。 だけど女人と交わるとなんで男の俺が汚れるのか、俺にはちっとも分からなかった。


 汚されたって、男と交わった女の人が言うんじゃなかったの? ほら、女の人にとって一番最初の時とかさ。

 ま、まさか男は口には出さないだけで、実はお互い様だった、とか? そう言えば、汚い手できれいな手をこすったらどっちも汚れるじゃないか。

 あっちゃー。 俺ってば、そんな基本的な事まで勘違いしていたんだ。 恥ずいっ!

 ずどーーんと落ち込み、心の中でもだもだしちゃった。 幸い誰にも知られずに済んだ事だから、どうでもいいんだけどさ。


 とにかく師範は毎週土曜日、祭祀長からお呼ばれしている。 入隊以来、師範に用事がない限り、欠かさずお伺いしているんだって。 師範に用事がない限り、なんて言い方をしたら、まるで師範の都合に祭祀長が合わせているみたいに聞こえるけど、実際そうなのだ。

 祭祀長が御旅行になる事は滅多にない。 それに比べ、師範は公務による不在だけでなく、例えば俺の祖母の弔問に一緒に行ったとか、叙爵式やサジ兄上の結婚式に親戚として出席したとかの私用で第一駐屯地にいない事が結構ある。 その時は祭祀長の方から御招待取り消しの御連絡を下さるらしい。 師範の都合に祭祀長が合わせるなんてあってはならない事だから、建前は必ず祭祀長の御都合により、となっているが。


 祭祀長からのお呼び出しに応える場合は手続きの一から三がない。 師範は祭祀長からのお許しがあったので、正装着用も堅苦しい儀礼もなしでいい。

 禊は本来なら神殿か神社でするものだが、前日風呂に入っていれば充分だと師範に言われた。 もてる師範の義弟であるおかげで、あれもこれもしないで済むのは有り難い。

 但し、今回は義弟や同僚としてではなく、師範の護衛として付いて行く。 義弟や同僚として付いて行くとなると、たとえ軍での階級は同じでも俺には爵位がある。 準大公扱いをしないとしても伯爵だから師範より上の立場となり、一緒に行ったら師範より先に御招待にお礼申し上げる必要が出て来るのだ。

 でもそれをするには俺も招待されていなければならない。 つまり一から四の手続きを踏む事になる。


 その点、護衛だったらお言葉を掛けられた時、返事をすればいいだけだ。 俺から御挨拶申し上げる機会はない。 神域には武器の持ち込みが禁止されているので、弓矢を持たない俺じゃ誰の護衛にならないが、いつも師範に付いて行ってる護衛剣士だって剣なしだ。 護衛というより、用事が出来た時に使い走りや伝令がいないと不便だから、て感じ。 それなら俺でも充分間に合う。

 ただ心配性のマッギニス補佐に、お二人だけではあまりに心許ないと言われ、ベルビバッケンに日傘を持たせ、従者として連れて行く事になった。 ベルビバッケンは先月百剣入りしたばかりのほやほやだが、数少ない師範の折り紙付きの若手剣士だ。


 こうして俺たちは三人で神域にお邪魔する事になった。 神域は高さ二メートルくらいの常緑樹で隙間無く囲まれていて、それが塀の役割をしている。 広い敷地の中央にある神殿は立派だが、その後ろに点在する神官のお住まいの方は慎ましい。

 祭祀長のお住まいは最奥にあり、広い庭が付いているが豪華と言う訳ではない。 各神官のお住まいもそれぞれ常緑樹の塀で複雑に区切られているから、ちょっとした迷路だ。

 神域の南側に門があり、そこには常に最低でも十人の警備兵が詰めている。 剣も弓矢も警備兵詰所に置いて行く決まりで、馬での乗り入れは許されていない。 そこからは徒歩となる。


 門の所で祭祀長のお住まいまで先導して下さる神官を待っていると、ワスムンド神官が来て下さった。 俺が護衛と聞いても驚いた表情を見せなかったが、ベルビバッケンに不審の目を向けた。

「この者は?」

「日傘持ちです」

 ベルビバッケンの手には日傘が握られている。

「従者は祭祀長のお住まいの中へ入る事は許されません。 お住まいの門の外で待つように」

「承知致しました」


 そう言われる事は予想していた。 お茶に招待されている本人の師範でさえ、お住まいの中に入った事は一度もないそうだ。 祭祀長のお住まいの庭は広く、そこに茶室があり、冬ならそこで、夏なら庭を眺めるためのパティオという石を敷いてある所にテーブルと椅子を置き、お茶を御馳走になっているんだって。 たぶんお住まいに上がるには更に色々な制約があるのだろう。


 お住まいの門をくぐり、玄関に入るのではなく、家の周りをぐるっと回って裏庭にお邪魔した。 お天気がよいからか、パティオにはもうお茶の用意がしてあった。

 美しい花の咲き乱れる庭に俺達を待たせる事なく祭祀長がお見えになる。 師範が御招待にお礼を申し上げると祭祀長からお言葉があった。

「タケオ大隊長、今日はまた、一際華やぎのある護衛を連れているね」

「実は彼の者、悩みがございまして。 祭祀長の御叡智をお借り出来ないかと思い、連れて参りました」

「ほう、悩みとは?」

 そこで祭祀長が俺の方に目を向けて下さったので、俺が直接申し上げた。

「ケルパ神社にお祓いを頼んだ事を神官の方に叱られました。 どうしたらよろしいでしょうか?」

 少しの間をあけて祭祀長が静かにおっしゃる。

「些末事は時が押し流すもの。 深く悩まぬように」


 師範が、有り難きお言葉と申し上げ、俺に目で同じ事を言えと言ってきたので俺も繰り返した。 本当は祭祀長のお言葉がどういう意味なのかよく分からなかったから、聞き返したかったんだけど。

 たぶん、ほっとけばいいっておっしゃっているんだと思う。 でもまさかここで、ほんとに何もしないでいいんですか、なんて聞き返せないし。


 俺の問題はそれで解決したらしく、祭祀長と師範は一緒に水菓子をつまみながら世間話を始めた。 祭祀長がお訊ねになる。

「娘御の様子は如何?」

「おかげさまで息災です。 ただあの家を揺るがす泣き声にはつくづく参りました。 あのすさまじさは叔母譲りではないかと思われます」

「それはそれは。 皇国の美声が受け継がれたとは。 先が楽しみな事」

 祭祀長は柔らかく微笑みながらおっしゃった。 俺は思わず、何が叔母譲りだ、父親譲りの間違いだろ、と突っ込みたかったが我慢した。 そんな他愛もない話をして小半時を過ごした後、祭祀長は御退席なさり、俺達は辞去した。

 それにしても、さすがは師範。 神々しさの頂点に立つ祭祀長と並んで、全く引けを取らない。 後五年経とうと十年経とうと、俺にはとても、とまた自分と引き比べそうになって止めた。

 俺は俺だ。 ないもの強請りをしたってしょうがない。


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