代理人 ビア・ソーベルの話
らあーっ、らあーって、腹にずーーんて来る音が大峡谷から湧き上がった。
それを聞いてすぐ、あ、ロックだ、て思った。 ロックの鳴き声なんて生まれてこのかた一度も聞いた事がねえのにさ。
ロックじゃねえかもしれねえが、とにかく何かが現れるには決まっている。 で、俺達家族は一緒にじっと空を見つめて待った。 何しろロックだったら見逃しちゃいられねえ。 長老のポサ爺だって自分の目で見た事はねえっていう伝説の鳥なんだから。
北軍で一人、ウェイザダでロックを見た事ある人がいるって叔父ちゃんが言っていた。 なら死に絶えたって訳でもねえんだろ。 けど俺が住んでいる所はイーガンに近い。 ウェイザダで飛ばれたって見えやしねえ。
その内、ばさーーっ、ばさーーっ、て羽音が聞こえて来た。
でけえ。 どうしていきなりこんなとこにまで飛んで来る気になったのか分かんねえが。 話に聞いたまんまの白黒の羽色に緑の頭だ。 間違いねえ。 ありゃあロックだ。 本物は話に聞くよりすげえ。
けど何だ? あのぶら下げてるの。
段々ロックが近くに来て、人だって見分けがついた。 こう見えても大概の事に驚いた事なんかねえんだけどよ、さすがに度肝を抜かれちまった。 母ちゃんと女房のテコなんか口をぱかっと開けて見ている。 後で姉貴のビノや他のトタロエナ族の連中にも聞いたが、ありゃあ魂消たなあって、みんな言っていた。 もしかしたらロックの餌?
そう思いついて、ぞっとしたね。 ロックに食われるだなんて勘弁してもらいてえぜ。 いくらあっと言う間に食い終わるったってよ。 他にいくらでもましな死に方があるだろ。
ただロックが俺達の頭の上を飛んだ時、餌がこっちに向かってひらひら手を振ったんだよな。 餌にしては、なんつーか、余裕?
すかさず娘のココが聞いてきた。
「とーちゃん、あれ、だれー?」
「ロックだ。 ばあちゃんに教えてもらったろ。 でかい鳥の話」
「ロックはしってるう。 じゃなくてー。 ぶら下がってたひとー」
「あー、あれな」
俺はなんて言おうか迷った。 分からねえと言ってもよかったが。 ひょっとしたら伝説のレナアティじゃねえかって思ったんだ。 レナアティを見た事ある奴なんて一人もいねえんだ。 あれがそうかもしれねえよな? 空を飛んでいるんだしよ。
けどよー、あれがか? もうちょっとこう、なんつーかさ。 有り難み、ての? 偉そうって言うか、それっぽいものがあってもいいんじゃね?
どこがまずいんだかはっきりとは言えねえけどよ。 俺より年下に見えるし。 レナアティにも若い頃ってのがあって当たり前だけどよ。
それにあの服はねえよなあ。 寝間着なんじゃね? 北軍の荷物担ぎだってもっとましなもん着てるだろ。 色黒だったし。 あれが日焼けのはずはねえ。 いや、まあ、色黒が悪いって言うんじゃねえけどさ。
俺があれこれ迷って何も言わねえでいると隣にいた母ちゃんがあっさり、ありゃレナアティだよ、レナアティがとうとう大峡谷に現れたんだよ、とココに言った。 ココはうわーっと叫んでピョンピョン飛び跳ね、童歌を歌い始めた。
れ、れ、レナアティ (我らが英雄)
れ、れ、レナアティ
そ、そ、ソフラニィ (空を飛ぶ)
そ、そ、ソフラニィ
す、す、スザナシィ (すごいぞ)
す、す、スザナシィ
母ちゃんとテコが笑って手拍子足拍子をつけながら一緒に踊り始めた。 去年生まれたロコがあぶあぶ笑っている。 テコの背中でゆさゆさ揺らされるのが嬉しいみてえだ。
自分だってレナアティかも、とちらっと思ったくせに、母ちゃんとテコがレナアティだ、レナアティだ、と言い出した途端、いい年した大人がそんなもん本気で信じるなよ、と言いたくなった。
レナアティなんて、そんなもん信じたからって何の御利益があるってんだ? いたとして、だからどうした? そいつが俺の夕飯運んで来てくれるのか?
別に飯じゃなくたっていい。 命の瀬戸際の時に助けてくれるっていうならありがてえ。 そんならいくらでも拝んでやるさ。
信心深い母ちゃんは何かいい事があるとすぐ、レナアティのおかげだって言って拝む。 そのうえ毎朝起きたらまずレナアティに御挨拶なんだぜ。 御苦労様なこって。 父ちゃんがバゲリスタに襲われた時助けてくれなかった奴のどこがそんなに有り難てえんだ? まったく母ちゃんの気がしれねえぜ。
ま、いくら腹の中では呆れていたって面と向かってそんな事を言ったりしねえけどよ。 それでなくてもこの罰当たりって散々小言言われてんだから。 やれ一緒にレナアティを拝めの、いい運をもらったお礼を言えのって、うるせえのなんの。
そりゃあ確かに父ちゃんが死んでも売られなかった俺は運が良かっただろうさ。 親父が死んだら母親が生き残っていたって子供を育てるのは無理だから売られて終わりだ。
けどよ、俺が売られなかったのはレナアティのおかげじゃねえだろ。 父ちゃんが死んじゃった後、俺達に毎月欠かさず食べ物を運んで来てくれた叔父ちゃんのおかげじゃねえか。 俺達の為に指一本動かしちゃいねえ奴を拝んでどうする。 それより叔父ちゃんを拝めってんだ。
叔父ちゃんは今だってかっこいい。 若い頃はさぞかしよりどりみどりだったと思うんだ。 なのにずっと独り身。 それって俺達がいたせいだろ。
自分でも女房をもらって子供が出来て。 初めて叔父ちゃんが俺達を食わせる為にどれだけの事をしてくれたかが身に沁みた。 俺だったら姉貴の亭主が死んだって甥や姪に食わせる為に自分の結婚を諦めるなんてしねえ。
それに叔父ちゃんは一人じゃ家族四人を食わせられねえって言って北軍に入隊した。 あんな所じゃ碌な目にあったはずはねえ。 夏になると兵士って奴らに会うんだけどよ。 どいつもこいつも俺達の事、人だと思っていやがらねえ。 嫌味な奴らばっかりなんだぜ。 隊商の奴らだって俺達の事こき使うろくでなし揃いだ。 どっちもどっちだが、俺に言わせりゃ大峡谷の事なんか何にも知らねえで来る兵士より知っててやって来る商人の方がましさ。
兵士になると冬だって働かされるって聞いた。 相当きつかっただろ。 けど叔父ちゃんが俺達に恨み言や愚痴を言った事なんて一回もねえ。 今じゃすごく出世して、手下だっていっぱいいるんだぜ。 出世を抜きにしたって俺は叔父ちゃんの事、すげえと思っている。 レナアティなんかの助けが一つもなくたって大峡谷から離れて自分で自分の道を切り拓いたんだから。
俺は子供の頃、レナアティを拝め、拝まねえで母ちゃんと喧嘩した事があった。 叔父ちゃんならきっとレナアティみたいな奴の事、信じちゃいないだろ。 そう思って聞いたら叔父ちゃんはこう言った。
「自分が会えなかったからって、いないと言う証拠にはならないさ」
それってまるでレナアティはいるって信じているみたいだろ? 大峡谷しか知らねえ母ちゃんが信じるっていうのは分かるけど、叔父ちゃんみたいな世間を広く見てきた人がレナアティを信じているってのは意外だった。 まあ、要するに母ちゃんの言う事には逆らうな、て言いたかっただけかもしれねえが。
とにかく、そう言われたって俺の気持ちが変わったって訳じゃねえ。 叔父ちゃんは叔父ちゃん、俺は俺だろ。
とは言っても空を飛ばれちゃあなー。 みんながレナアティだ、レナアティが現れたって喜んでいる所に、バカ言ってんじゃねえなんて、いくら俺でも言えねえし。
けどいくらすげえ物を見たって、終わっちまえば後はいつも通りの毎日さ。 そう思っていたら、話はこれで終わりじゃなかったんだ。
ロックが空を飛んで一か月ぐらいしてから叔父ちゃんが来た。 ただ今回はいつも来る西からじゃなくて東から来たんだ。 これでもかって言う程汚れた格好をしていたから、一体どうしたんだって聞いたら、なんとロックを捕まえにウェイザダまで行ってたんだと。 目の前をロックが飛んだって言うんだぜ。
で、あの空を飛んでいた人の名前が、サダ・ヴィジャヤンだって教えてくれた。 何でも北軍で一番有名な人なんだって。
サダなんて、ずいぶん変てこな名前だ。 捨てるつもりで親があんまり深く考えなかったのかな?
案の定、三男なんだってさ。 やっぱりな。
三男でも四男でもいいが、肝心なのは一体あの人は本物のレナアティなのかって事だ。 それで叔父ちゃんに聞いた。 するとすごく嬉しそうに頷きながら叔父ちゃんが言ったんだ。
「俺にとってはな」
叔父ちゃんは叔父ちゃん、俺は俺だけどよ。 あの嬉しそうな顔を見ていると、何となく俺も嬉しい、て思った。 俺にとっては叔父ちゃんがレナアティだ。 そう言う意味で、叔父ちゃんは俺にとっては、て言ったんだろ。
そんならレナアティはレナアティでも大峡谷を豊かにしてくれるって訳じゃねえよな? 人には出来る事と出来ねえ事ってもんがあるし。 だから俺はお伽噺のような奇跡がほんとに起こるだなんて思っちゃいなかった。
次の年、叔父ちゃんが来て、レナアティが大峡谷に水場を作るって教えてくれた。 そしてそこらに転がっている塩を拾って来るだけで食べ物と交換してもらえるようになるんだって。
ほんとかよ? 水場も塩の話も、そんなうまい話があるのかって半信半疑だった。 叔父ちゃんが嘘つくはずはねえけどさ。
その年、北軍がトタロエナ族を雇うって叔父ちゃんから聞いた。 最初はそれがどうした、そんな所にいくもんかって思った。 けどよ、仕事は大峡谷でやる荷物運びで、それなら今までだってやっていた。
それに隊商はけちな奴らが多い。 荷物運びしている間は食いもんくれるけど、仕事が終わったらそれっきり。 ところが兵士になったら家族四人がたらふく食えるぐらい、冬の間も食い物くれるって言うんだぜ。 なら志願しなきゃバカだろ。
野営地に行ってみると、こんなにいたんだ、とびっくりするぐらいトタロエナ族の奴らがいた。 みんな食べ物に釣られたんだろと思っていたが、聞いてみるとレナアティに会いたいから来た、て奴がかなりいた。
叔父ちゃんからレナアティはすごく偉い人なんだって聞いていたから、こんなとこまで来る訳ねえ、て思っていた。 ところがいくらもしねえ内にレナアティが現れた。
間違いねえ。 あの時空から俺に手を振っていた人だ。
レナアティ、レナアティってみんなが一斉にトタロエナ族の最高の礼をした。 俺もした。
最初はじょーかんって人が、だいたいちょうか、りょーしゅさまって呼べって言ったけど、そんなのどっちも語呂が悪いだろ。 レナアティはどっちでもいいらしくて、レナアティって呼んでも、ちゃんと、なんだって答えてくれる。
トタロエナ族は頑固だから、じょーかんが何と言ったってレナアティって呼んでいた。 そしたらその内じょーかんもレナアティって呼ぶようになった。
めーれーとか言われたって聞く気はねえ。 でもレナアティがこうしろって言うなら聞かなきゃまずいよな。
今考えてみりゃ、俺達みてえに文盲で人の話を聞かない奴らっていうのはさぞかし使いづらかったろう。 けどよ、外地から来た奴らなんて俺達よりもっとひでえんだ。 まったく呑気で見てられねえぜ。
どいつもこいつも一日や二日、水を飲まねえぐらいでへばる。 そのうえ寒さにも暑さにも弱っちい。 そこまでは大目に見てやったっていいけどよ、大峡谷に住むのに岩登りが出来ねえって。
ちょっと奥地に行けばバゲリスタやジャオウエに襲われるなんてざらだ。 そんときゃ大峡谷の岩壁に下りるしか逃げ道はねえ。 下りたって戻れねえんじゃ、それっきりこの世とおさらばだ。 生きてる俺達の方が死んでる外地の奴らよりよっぽどましだろ。
ま、同じ外地育ちでもレナアティはびしっとしたもんだがな。 叔父ちゃんからレナアティの岩登りはすげえって話は聞いていたんだけどさ。 叔父ちゃんも大峡谷から離れて大分経つし。 叔父ちゃんより速くたってトタロエナ族の中で一番の俺よりは遅いだろ、て思っていたんだ。
何しろレナアティは外地育ちの体格だから俺より頭ふたつぐらいでかい。 それだけ体がでかけりゃ岩登りも遅くなるのが当たり前だ。
それが速ええの何の。 俺が魂消るぐれえはええ。
いやー、びっくりした。 空を飛んでるのを見たって、叔父ちゃんが信じていたって、ほんとにレナアティなのかなって思う気持ちがどっかにあったんだけどさ。 あの岩登りを見りゃ間違いねえ。
次の年、叔父ちゃんが言った通り、ほんとに水場ができた。 最初の水場ってのはちょろちょろで、今の水場に比べりゃしょぼいもんだったが、それでも俺達は水道ってのを見た事ねえ。 水が止まらねえで流れて来るなんて。 それって奇跡だろ。 さすがはレナアティ、やる事が違うってみんな感心した。
それから毎年水場が増えていってさ。 それにつれて大峡谷に来る隊商の数も増えていった。 いくらもしない内に、れーるってのがしかれて。 塩を持って行っただけで食べ物と交換してもらえるようになった。
今だって大峡谷は見渡す限り砂と塩。 景色が変わった訳じゃねえが、豊かになった。 三人の子持ちなんて、もう珍しくもねえんだもんな。
ところで俺も北軍に入隊して初めてわかったんだけどよ。 叔父ちゃんって、びっくりするぐらいえらい人になっていたんだぜ。 イーガンじゃ一番上なんだと。
じょーかんだって威張り腐った隊商の奴らだって、みーんな叔父ちゃんにはぺこぺこしていた。
なんてったってすげえのが、手下に巨人がいるって事だ。 あれにゃあびびったね。 それってまるでおとぎ話に出て来るセシュラ(代理人)みたいじゃねえか。
セシュラはレナアティを助けて大活躍するんだ。 まんまだろ。
それで叔父ちゃんはトタロエナ族の連中からセシュラって呼ばれている。 ちゅーたいちょうとか言う変な呼び名より、そっちの方がぴりっとくるよな。
そうこうしている内に俺達夫婦にも三人目が生まれた。 ちゃんと食わせられるから売る気はねえ。 叔父ちゃんに今度は男の子だって知らせたら喜んで貰えた。
俺の息子も叔父ちゃんみたいなえらい人になってもらいてえ。 それで名前をビンにしようとしたんだけど、叔父ちゃんはそれよりサダにしたいんだと。 まあ、叔父ちゃんがそう言うなら、て事でサダにした。
ちょっと語呂が悪いんじゃね、とは思ったけどな。
「領主」の章、終わります。




