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弓と剣  作者: 淳A
領主
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駄洒落

「トタロエナ族の前で、大隊長の岩登りを御披露して戴けないでしょうか?」

 ソーベル中隊長補佐が募集のツボを心得ていたおかげで、あっと言う間にトタロエナ族志願兵が五百人近く集まった。 ソーベル中隊長補佐がその報告をしに第一駐屯地まで来た時、俺にちょっと変わった提案をした。


 他の人がやったらこんなにすぐこれだけの数が集められたはずはない。 集まっただけでも喜ぶべきだが、本当に大変なのはこれからだ。 何しろ、命令なにそれ、食べられるのって感じ。 食べ物で釣られて入隊したはいいが、兵士を見た事はあっても単なる荷物運び人ではないと分かっている人なんて一人もいない。

 それに集団で行動する事のない民族だから一緒に任務を遂行していようと他の人を助けるなんて言われない限り気が付かない。 それって気配りが下手な俺に似合いの部下と言えないこともないが。

 少なくとも命令はちゃんと聞いてくれないと困る。 だけど命令自体を理解していないという事があり得るのだ。 しかも本人に悪気はない。 すると理解したかどうか、上官が常に確認しなくちゃいけない。

 今回は聞いてくれたとしても次回も聞いてくれるのか、と上官が一々びくびくしながら命令しなくちゃいけないのでは兵士として使えない。 上官に信頼されるのが部下の役目だと説教した所で、「上官って何?」 とまあ、そこから説明しなくちゃならない有様。


 ソーベル中隊長補佐によるとトタロエナ族には長老と呼ばれる人がいる。 だから偉い人と言うか、尊敬される人が居ない訳ではない。 でも「昇進」という言葉はないんだって。 昇進するには上官の推薦が必要なんだと教えたところで、それがどうした、と言われるのが関の山。 昇進を目指してがんばれと言ったって無駄なんだ。 まあ、俺だって昇進の意味こそ知っていても昇進を目指してはいなかったが。

 ともかく教官となる上官はケルパのおかげで迷わずに選べたが、彼らがトタロエナ族の兵士を訓練するのに相当な苦労をするであろう事は今から簡単に予想できる。


 上官と言えば、どうしてあの二十人が教官としてケルパに選ばれたのか、身上書を見ただけではさっぱり分からなかった。 輸送部隊の教官をしていた人が何人かいたし、常駐兵は全員夏場の臨時兵のお世話係をやった経験がある。 それって教官だろと言えない事もない。 とは言っても臨時兵は痩せても枯れても北軍兵士。 命令の意味が分からないなんて奴は一人もいない。

 誰もやった事がない事をするんだ。 誰にやらせても同じ、とは言えるのかもしれないが、ケルパにはケルパなりの理由があってあの二十人を選んだ様な気がするんだよな。


 ともかく命令のめの字も分からないとは言え、トタロエナ族に取り柄がない訳じゃない。 驚くべき素早さと耐久力を持つソーベル中隊長補佐を見るまでもなく、信頼出来る兵士となってくれさえしたら大峡谷でこれ程頼りになる兵士はいないのだ。

 そこでソーベル中隊長補佐は教官達にトタロエナ族へ命令する時のコツを伝授した。 命令と言うのではなく、俺がこうしろ、ああしろと言った、と言えばいいらしい。


「ヴィジャヤン大隊長はトタロエナ族にとってレナアティと呼ばれる伝説の英雄です」

「レナアティ?」

「トタロエナ語で『我らが英雄』という意味です。 トタロエナ族は子供の頃からレナアティの冒険談を祖父や祖母から聞かされて育ちます。 レナアティがいつか大峡谷に舞い降りる。 そして大峡谷が水の流れる豊かな土地になる。 奇跡が起こるのだ、と。

 私達は神や天に祈る事はしませんが、レナアティに幸運を授けてくれるように祈ります。 ですからトタロエナ族にとってレナアティは神、または神に近いものと言えます」

「舞い降りるって。 まさかそれって俺がロックと飛んだから?」

「そうです。 あの時空を飛んでいるヴィジャヤン大隊長をトタロエナ族全員が見たと思って間違いありません」


 トタロエナ族は耳と目がいい。 またそうでなくては大峡谷では生きていけない。 毎日が襲いかかって来る猛獣や毒虫との戦いなんだ。 ぼやっと踏み出した一歩が死に繋がるかもしれない。 それで常に近くと遠くを同時に警戒している。 それにあの時は大峡谷の真上を飛んだからロックの鳴き声はすごく響いた。 きっと遙か遠くからでも聞こえただろう。


「ほとんどの者はヴィジャヤン大隊長の事をレナアティだと信じていると思いますが、何分一度上空をさっと通り過ぎただけなので。 あれから一度もお目にかからないとなると、本物のレナアティならどうして大峡谷にいないんだ、思う者も出て来るでしょう。

 しかし大隊長が再び大峡谷にいらっしゃり、あの驚異的な岩登りを披露して下さったら、どれほど疑り深い者でもヴィジャヤン大隊長がレナアティである事に疑いを持つ事はなくなるはずです」


 ソーベル中隊長補佐によると、岩登りがどれだけ速いかはトタロエナ族の男としての甲斐性の証明なんだって。 それは狩りが上手である事を意味し、食べ物を沢山捕まえて来れる事に繋がるから。

 夏の間に冬が越せるだけの食べ物を狩れるか。 それには家族の生死がかかっている。 それで女性が夫を選ぶ時、必ず岩登りの速さを試す。 自分より岩登りが遅い男と結婚する事はないらしい。

 トタロエナ族は外見に男女差があまりないが、体力もそうで、男顔負けの速さで岩登りが出来る女性が結構いるんだとか。 と言う事は、女性に負けない速さで登るのは簡単な事じゃない。 それを聞いて、どこの世界でも男は妻を得るために苦労するように出来ているんだな、と妙に感心してしまった。

 あ、でもトムフォーデとガイゼンバンの奥さんはトタロエナ族なんだよな。 じゃ、あの二人は岩登りが上手なのか? あんまりそんな風には見えなかったけど。

 うーん。 トタロエナ族でも惚れてしまえば岩登りなんてどうでもいいのかな? まあ、あの二人の場合北軍兵士としての給金がある。 それで妻を食べさせられるから岩登りなんてする必要はない訳だが。


「ところでさ、どうして岩登りが速いと狩りが上手、て事になるの?」

「狩りが上手と言うより、生き延びるのが上手と言ったらよいかもしれません。 バゲリスタなどの猛獣を狩りに行った時、逆に襲われるのはよくある事ですが、大峡谷の岩壁に逃げれば諦めて、それ以上追いかけて来ないので。 しかし岩登りと言うか、正確に言えば岩下りですが、これが遅いと食われておしまいか、無事下りられたとしても戻れなければ大峡谷へ真っ逆さまです。

 狩りをしているのでなければ猛獣の姿が遠くから見えるので逃げるにも余裕がありますが、狩りとなるとバゲリスタの近くまで行くしかありません。 罠に引っ掛かってくれればいいですが、かからなかったバゲリスタに追われたら、逃げ切るには寸秒を争います」

 そう言われて思い出したが、俺達がロックを探しに大峡谷を旅した時、バゲリスタに襲われた事があった。 師範が簡単に片付けてくれたから逃げる必要がなかったけど。 だから狩りに行かなくても猛獣に襲われる事が結構ある事は知っている。


「刀で迎え討つ、なんて事はしないんだ?」

「トタロエナ族は刀や弓を持っておりません。 持っていたとしてもタケオ大隊長のようにあの猛獣を一刀の下に切り捨てる事は出来ないでしょう。 ですが、凄腕の剣士がバゲリスタを仕留めて見せてもトタロエナ族なら道具のおかげと考えます。 大隊長は弓の名人でいらっしゃいますが、弓の腕前がどれ程優れているかを見せた所で弓のおかげと考えるので、さすがはレナアティと感心させる事は出来ません」

「ふーん。 俺の岩登りってトタロエナ族にも感心してもらえるくらい速いの?」

「英雄と呼ばれるに相応しい速さでいらっしゃいます」

「へー。 俺って意外な特技があったんだな。 岩登りかあ。

 いーわ、登ります! なんちゃって」


 一瞬ソーベル中隊長補佐が固まり、そしてぶるっと震えた。 あれ、夏なのに寒いの?

 大隊長執務室にはタマラ中隊長補佐とアラウジョがいて、ははは、とぬるい笑いを返してくれた。 そしてタマラ中隊長補佐がソーベル中隊長補佐に申し訳なさそうな顔で言う。

「駄洒落だ。 分かってやれ」

 言われて仕方なくと言わんばかり。 ソーベル中隊長補佐がぐっぐっぐっと笑う。 地の底から絞り出したみたい。 不気味かも。

 だけど一ヶ月大峡谷を一緒に旅行した時ソーベル中隊長補佐が笑ったのを聞いた事は一度もなかった。 きつい旅の最中に笑わないのは当然としても、第一駐屯地で訓練していた時だって全然笑わなかった人なんだ。 そのソーベル中隊長補佐から笑いが取れただなんて。 俺の駄洒落って結構いけてるんじゃない?

 もっともあれを笑いと呼べるか、ちょっと微妙かな。 まあ、笑いにも色々あるし、とか考えているとソーベル中隊長補佐が言った。

「それでは早い時期でのイーガン駐屯地へのお越しをお待ちしております」

「分かった」

 まだ日にちをいつと決めてないのにソーベル中隊長補佐はそそくさと帰っていった。 急ぎの用事でもあったのかな?


 後でアラウジョが俺の駄洒落をリッテル軍曹に教えていた。

「寒さに強いトタロエナ族を夏に震えさせるだなんて。 さすがは大隊長ですよね。 昔よりはるかに破壊度が増しています。 でもソーベル中隊長補佐ったら、あの程度の駄洒落で震えちゃって。 これから大丈夫なんでしょうか?」

「まあ、慣れってのは恐ろしいもんだ。 第一、ソーベル中隊長補佐だって弓と剣のお二人と一ヶ月以上大峡谷を旅して生きて帰って来たんだぜ。 普通の神経のはずはねえ」

「そう言われてみれば。 大隊長が師範にどんな駄洒落を言ったのか、想像するだけで寒さイボが出そうですよね」

「人の心配するよりお前は大丈夫なのか? 昔より破壊度が増しているんだろ?」

「こう見えても入隊前の四年間、鍛えられているんですよ。 あれくらいで怯むものではありません」

「なんだ、ちゃんと軍服の下に長袖シャツ着ているんじゃねえか」

「備えあれば憂いなし、です」


 俺って駄洒落も言わない方がいいみたいだな。


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