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弓と剣  作者: 淳A
領主
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混血  ダーネソンの話

 独身の父が、なぜ外国の赤ん坊である私を引き取って育てる気になったのか、理由を聞いた事はなかった。

 父に兄弟はいない。 父の両親はどちらも父が北軍に入隊する前に死んだと聞いている。 一度も結婚した事のない父には私の他に子供がいないだけでなく、親戚の子供の世話だってした事はなかったはず。

 それにダーネソン家はただの平民に過ぎない。 父の代で途絶えたとしても心配しなくてはならないような財産も事情もなかった。 そもそも自国に捨て子がいくらでもいるのに、わざわざ他国から赤ん坊を連れて来るなんて。 それだけでも手間じゃないか。

 ましてや男手ひとつで赤ん坊を育てるには苦労だけでなく金がかかる。 老後のための保険として子供を育てるのならせめて学校に入るくらいの年か、少なくとも自分で自分の事が出来る年になった子供を養子にするはずだ。


 散々面倒をかけられたのに、私が子供の頃は勿論、大きくなって北軍に入隊した後でも父が恩着せがましいことを言った事は一度もなかった。 実子の面倒を見るのだってぐだぐだ文句を言う父親は少なくないのに。 覚えている限り父が誰かに子育ての愚痴を零した事はない。

 一つ一つは大した事でもないんだが、色々積み重なれば変だなとは思っていた。 でも私は父に何も聞かなかった。 父が私に嘘をついた事はない。 余計な事を聞いて初めて父の口から嘘が零れる事を恐れる気持ちがあった。 もしかしたら聞かなきゃよかったと後悔する事を聞く羽目になるかも、と。


 第一、自分の出生の事情なんてどうでもいい。 生みの親なんかに興味はなかった。 会う気もない生みの親の事を聞いてどうすると思っていたし。 それより養子にした理由が何であろうと赤ん坊の頃からずっと私を育ててくれた事に感謝していた。

 父と私は全然似ていないから血が繋がっていない事は通りすがりの知らない人が見たってすぐに分かる。 だけど親戚や親しい友人がいなかったからか、父に不躾な質問をする人はいなかった。 父が進んで誰かに説明した事もない。 私にした所で長年一緒に暮らしてはいたものの、父と必要な事以外の会話をした事はなかった。


 物心付いてからは手のかからない子供であろうと努力した。 それに多くを語らない父の言いつけを守るのは難しい事じゃない。 やれと言われた事をやり、やるなと言われた事はやらないだけ。 私は丈夫なたちで滅多に病気もしなかったし。 五つを過ぎた辺りには自分で自分の事がやれるようになっていた。

 小学校に行くようになり、学校でいじめられたりしてないか、と父に心配された事がある。 子供の世界ではとかく外見が他と違うというだけでいじめられるものだから。 でもそんな事なんて本当に何もなかった。

 私は小柄だったが並外れた運動神経を持っていた。 子供の世界では賢いか賢くないかより速く走れるとか木登りが上手いと仲間に尊敬される。 読み書き計算は人並みでも校内一の韋駄天として有名な私をばかにしたりいじめたりする奴はいなかった。

 それに私は人の嘘が見抜ける。 それも他の子から尊敬される理由になっていた。 子供の頃は嘘なんて誰にだって見抜けると思っていたが、どうやらそれが出来るのは私だけのようで。


 小学校を卒業してから金物屋に奉公し、そこで自分の能力が意外に役に立つ事を知った。 嘘と本音が見分けられる私は、中々卒のない仕事をする、と店の主人や上司に気に入られた。

 同時に自分の能力が辺りに知られない様、注意深くなった。 こんな能力があると知られたら嘘をつかない人にだって身構えられる。 自慢して言いふらす真似は元々しなかったが、子供の頃だって私の言う事が当たり過ぎて気味が悪いと思う奴がいたから意識して隠すようにしていた。

 嘘が分かるおかげで騙されないのはいい。 ではどうしてそれが嘘だと分かったか、説明するのが難しい時もある。 そんな時は騙された振りをした。 騙されたくはないが、本人以外知っているはずのない事なら騙されてやった。 でないと後々困る事になる。

 特に貴族の謀に関わったりすると、とんでもない目にあう。 平民だって狐と狸の化かし合いをしないとは言わないが、貴族との商売は絡む金の桁が違う。 人を騙す手口も中々手が込んでいて事と次第によっては口封じをしてでも、となりかねない。


 残念ながらどんな商売であろうと大なり小なり貴族が絡む。 自分は危うい所を逃れてもその代わりに同僚がひどい目にあったりすると、私のせいじゃなくても黙っていた事を済まないと思う気持ちはなくならない。

 何回かそんな事があり、商売人として生きる事につくづく嫌気がさしたから北軍に入隊した。 兵士は薄給だし、きつい。 だが考えている事が簡単な奴らに囲まれている方が二枚舌の人の顔色を窺って暮らすより楽だと思ったのだ。


 新兵の訓練期間が終了し、私はイーガン駐屯地配属となった。 そこで初めて自分の顔がトタロエナ族の特徴を持っている事に気付いた。 トタロエナ族の成年男子に比べたら私は随分体格がいいが、それは子供の頃充分な食べ物をもらえたおかげだろう。 トタロエナ族の子供が売りに出される事はよくある。 但し、買うのは隊商の連中で、北軍兵士が買ったなんて聞いた事がない。 どうして父は私を買ったのか?


 真実を知ったのは三年前だ。 今際の際に、父は私がトタロエナ族の母との間に生まれた子だと教えてくれた。 私が父に似ていないのは単に母親似だったからで。 トタロエナ族にしては体格が良いのは、食べ物のおかげもあるのだろうが、父譲りだった。

 母は私を生んだ後、いくらもしないで死んだと言う。 私のせいだ、と父は泣きながら言った。 トタロエナ族の女性は小柄だから混血の子を出産するのは負担だったのかもしれない。 だけど元々出産で死ぬ女性なんていくらでもいる。 そんなに自分を責めなくったって良いのに。

 母がいなくとも父は精一杯の事をしてくれた。 父が病気を患っている事さえ気付かずにいた親不孝な息子に謝る事なんて何もない。 なのに父は、私から母を奪ってすまない、充分な事をしてやれずにすまないと、何度も謝りながら死んだ。 慰める言葉も見つからず父を死なせた事は私の心に消えない鈍い痛みを残した。


 三年後、北方伯家に奉公して欲しいとウィルマー執事から打診された時、私は最初断った。 ヴィジャヤン大隊長に命を救われた事には感謝している。 イーガンの奇跡の時私は選抜隊だったが、極寒の大峡谷を二ヶ月も行軍していたら絶対死人が出たはずで、自分が生きて駐屯地に戻れたかどうかなんて分からない。 それに私だって以前から六頭殺しに憧れていた。 でも北方伯家なんて大層な所に奉公したら絶対毎日嘘まみれとなるはず。 神経が休まらないだろう。


 断る理由を聞かれ、私は自分がトタロエナ族との混血である事をウィルマー執事に打ち明けた。 ところがウィルマー執事はそれでも構わない、とおっしゃる。

 構わない? 貴族なのに? 混血の奉公人なんて平民の家だって嫌がる。 お嬢様が皇王族にお嫁に行かれるなら上級貴族も同然で、そんな高貴な所なら下男としてさえ雇わないだろう。 なのにウィルマー執事は私を執事補佐として雇いたいとおっしゃった。

「まず私のしている業務全般を補佐してもらい、適性を見て、専任を決める事にする」


 ウィルマー執事の言葉に嘘はない。 内心呆れはしたが、それなら一度奉公するだけしてみようか、という気になった。 何と言っても憧れの英雄の側に暮らせる一生に一度の機会だ。 後で英雄の現実を知ってがっかりするとは思うが、この機会を掴まなかった事を死ぬまで後悔するよりはましだろう。

 とは言え、まさか私の能力が奉公した初日にばれるとは思わなかった。 それ以上に喜ばれたと言う事が信じられなかった。 もっと驚いたのが、旦那様に嘘を見逃してくれと頼まれた事だ。 みんなの前で。 そういう事は普通、誰にも分からないように陰でこっそりと頼むものじゃないのか?


 次々驚く事ばかりで、どれに一番驚いたのかさえ決められない。 何しろそれからは毎日が驚きの連続だ。 北方伯家での優先順位を高い順に並べるとしたらサリ様が一番。 次が奥様。 その次がウィルマー執事。 その後に部下や奉公人がどんぐりの背比べで続き、最後に旦那様、となるのではないだろうか。

 但し、変な事を言い出すのは旦那様と決まっている。 そしてなぜか変であればある程、誰も反対しない。 反対どころか、言葉は悪いが、その尻馬に乗ってもっと変にしようと努力している様にさえ見受けられる。


 例えば私がトタロエナ族との混血で、そのため足が速いと知った旦那様がおっしゃった。

「おっ、それはすごい! な、な、それならトビとどっちが早いか、一キロ徒競走してみて。 もしトビより遅かったら、次は俺とな」


 徒競走? 執事補佐として雇われたのに? そもそもなぜ執事と執事補佐が徒競走する必要が? どちらが速かろうと仕事に何の関係もないだろう? 貴族の家で執事や執事補佐が走らなければならない場面がそんなにあるとは思えない。

 一見常識の塊にしか見えないウィルマー執事が何故お止めしないのか? それって、準備体操、ですよね?


 旦那様を煽る真似など間違ってもなさるようには見えない奥様が、にこやかにおっしゃる。

「ダーネソン、速そうですよねえ。 でもトビも中々だし。

 あ、そう言えば旦那様。 最近体がなまって、とかおっしゃいませんでしたっけ?

 まあ、何も徒競走で勝たなくてもいいですよね。 うふっ」

 うふって。 わくわくしている御様子さえ窺えるのは私の気のせいか?


 旦那様が弓のお稽古の合間に的場で「足慣らし」を始めた、とリスメイヤーが教えてくれた。 徒競走は明後日だ。 仮に私が負けて旦那様と徒競走する事になったとしても、今から練習したって間に合わないだろう?

 だが旦那様は、見るからにむきになっていらっしゃる。 まさか面と向かって、無駄ですからお止め下さい、とはいくら丁寧な言葉遣いであっても申し上げられる事ではない。


「お弁当は唐揚げの他に何が良いですか?」

 フロロバが、そう皆に聞いて回っていた。 たかが一キロ走るのに、なぜお弁当が要る? 二、三分で走り終わる距離じゃないか。


「ネシェイム、警備の配置変えを第一駐屯地へ伝えておけ。 公正を期して見晴らしのいい所で競走しないと後々八百長を疑う奴が出て来るからな」

 バートネイア小隊長が、そう命令していた。 公正を期すって。 たかが徒競走に大げさな。 第一、八百長する程大層なものでもあるまいに。 出発から到着地点まで一望出来ない場所はまずいって、それはどうして?


 メイレは怪我人が出た場合の応急処置の準備をしていた。

「走ったくらいで怪我なんかしないだろう?」

「何をおっしゃるんだか。 大隊長みたいな呑気じゃ当家の執事補佐は務まりませんよ。 筋肉痛、骨折、頭痛、めまい、しびれ。 起こりうる可能性はいくらでもあります。 短距離と舐めてかかってはいけません」

「別に舐めてはいないが」

 つまり大隊長が怪我をするかもしれないからその準備なのか、と聞こうとした時。

「あら、こうしてはいられないわ。 カステラと饅頭の予約をしに行かなければ」

 カナが、ぱっと家を飛び出して行く。 そんなに急がねばならない理由を聞いている暇はなかった。


 アタマークが賭金を集め始めた。 配当について熱心に質問している所を見ると、エナはかなりの額を賭ける気でいるようだ。 私に向かって申し訳なさそうに言う。

「当事者は賭けられないんですのよ。 残念ですわね」

 元々私に賭をする気なんかない。 それより気になったのは。

「アタマーク。 賭博は、その、良くない、と言うか。 やってはいけない事なのでは?」

「ふぉっふぉっふぉっ。 まだまだ若いのう」

 それはどういう意味だ? その手に握っているのは私より若い連中から集めた賭け金だろう?


 ともかく旦那様と徒競走させられたら勝っても負けてもその一回では終わらないような、敗者復活戦を永遠にやらされるような悪い予感がした。 それだけは何としてでも避けたい。 もしかしたらウィルマー執事がやる気満々なのは、その役目を私に押し付けたいからじゃないだろうな?

 まさかとは思うが、私は最初から旦那様の徒競走相手として雇われた? しかしフロロバが、今までこんな徒競走をやった事なんて一度もないと言っていたし。


 爽やかな夏のある日、ウィルマー執事と私の徒競走が行われた。 なぜか将軍、副将軍及び大隊長数人と共にかなりの兵士が観戦している。

 ちらっと隣のウィルマー執事を窺った。 半袖シャツと短パンから覗く絞り切った体。 それは彼が侮り難い走者である事を物語っている。 徒競走でかつて負けた事などない私だが、思わず武者震いした。


 結果は僅かの差だったが、私が勝った。 スタートでの遅れを取り戻せるだけの距離があったのが勝因だ。 ウィルマー執事のあの瞬発力。 距離が半キロ以下だったら負けていただろう。

 それにしても日常座って仕事をしている人の走りとは思えない切れ。 大量の事務処理をこなしながら一体いつこれ程鍛えていたのか。 ウィルマー執事の奥の深さを今更ながら思い知らされたような気がした。


 観戦していたソーベル中隊長補佐から、バゲリスタから逃げているみたいな気迫の走りだったぜ、と言われた。 バゲリスタに追われた事などないから自分では分からない。 私はただ旦那様との徒競走をしなくても済んだ事にほっとしていた。

 旦那様はとても悔しそうだ。 軍服の下は徒競走用の半袖シャツに短パン。 走る気満々でいらしたのを知っていたから、ちょっと申し訳ない気持ちがないでもなかったが。 まあ、賭金をすったせいもあるだろうし。 旦那様はとても分かりやすい御方で、気にすべき事と気にしないでもよい事の区別は簡単につく、とウィルマー執事がおっしゃっていたが、そのお言葉の通りだった。


 勝負がついた後、そのまま御家族の皆様とピクニックとなり、お弁当を食べた。 唐揚げと豚の生姜焼きにはうならされたが、私が一番驚いたのは塩の利いた卵焼きだ。 一口食べただけで父の卵焼きを思い出した。

 父は料理上手ではなかったが、私の好物の卵焼きをよく作ってくれた。 父の死後、自分で作ってみても同じ味にならない。 いろいろな場所から塩を買って試してみたが、どれも違う。


「フロロバ、この塩、どこで買ったんだ?」

「大峡谷から持って来た岩塩だよ。 結構いけてるでしょ?」

 いずれこの塩がどこでも買えるようになると言う。 その事業の一端を手伝うのだ。

 執事補佐などやった事のない私は沢山の事を学ばねばならない。 毎日目まぐるしいが、やりがいのある仕事だから充実している。


 飛ぶように時が過ぎてゆく。

 それでも時偶、なぜケルパは私に挨拶したのだろうと思い巡らす事がある。 間違っているかもしれないが。 トムフォーデとガイゼンバンの妻がどちらもトタロエナ族である事を考えると、私がトタロエナ族との混血だからではないのか?



 父さん、見てる? 私はこんなに幸せだよ。 だからもう謝らないで。

 母さんに会えたんだろ? なら伝えてくれよ。 生んでくれて、ありがとうって。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 周回中です 北方伯家の洗礼を受けたダーネソンwww 「領主」の章は全体的に面白いですね! 若の大隊配属に熱狂するイーガン駐屯地の人々や、期待に一喜一憂する人々の姿がいいですね。新顔三人と…
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