盲判 レサレートの話
「来年一杯で退官されるウェルター中隊長の後は俺が引き継ぐ事になった」
中隊長補佐室に呼び出され、何かと思えば。
トタロエナ族出身のソーベル補佐が中隊長? ソーベル中隊長補佐本人から聞いているのだから噂や嘘ではあり得ないが。 意外な知らせに内心驚いた。
ソーベル中隊長補佐は不確定な事を決まった事であるかのように話すような人ではないが、決まる前に揉めなかったのだろうか?
五年前、ソーベル小隊長が補佐に指名された時の騒動を思い出さずにはいられない。 イーガンという場所が特殊なだけに結局は通ったが。 これほどの変則人事、ウェルター中隊長のような重鎮の強力な後押しがなければ実現したとは思えない。 北軍は何でもありのようでいて人事に関しては非常に保守的な一面があるのだ。 特に直属上官であるフジョート大隊長は最後の最後まで難色を示したらしい。
ウェルター中隊長は大峡谷に関する豊富な知識を持ち、数々の功績がある。 公平な御方として部下に尊敬されているだけでなく、子爵家正嫡子でいらっしゃるから大隊長に昇進しようと思えば出来た。 だが大峡谷を愛し、イーガン駐屯地から転属したくないという理由で昇進を辞退したのだとか。
上の覚えも大変目出度い御方だし、瑞鳥飛来の特務を成功させた功もある。 大抵の御希望なら通せるような気もするが。 間もなく退官なさるし、後任の中隊長を指名するのは大隊長であって前任者ではない。
「ウェルター中隊長の御推薦があっただけで、よくあのフジョート大隊長が承認なさいましたね」
驚きが先に立ち、お祝いの言葉より先に何とも礼を失した事を言ってしまった。 だが私の言葉にむっとするでもなく、ソーベル中隊長補佐は更に驚くべき事実を告げる。
「イーガン駐屯地は第十二大隊管轄になった。 この昇進を承認なさったのはヴィジャヤン大隊長だ」
第十二大隊管轄だと? 予想もしていない知らせに思わず息を呑む。
ヴィジャヤン大隊長直属は今や針の穴より狭き門。 いつまで経っても開く事のないその門の前で待つ兵士がどれだけいる事だろう。 私も密かに不世出の英雄の部下になる事を夢見る一人だが、そんな夢物語、とうの昔に諦めている。 ヴィジャヤン大隊長の人気は依然として下降の兆しを見せない。 噂では、平民だけでなく貴族からも次々と寄せられる転属希望の全てを却下していらっしゃる。 ヴィジャヤン大隊長に子守唄を歌って聞かせたという実績があるタマラ中隊長補佐でさえ、転属を実現するのに大変な御苦労をなさったのだとか。 つまり単なる知り合い程度の縁故では役に立たないのだ。
因みに、この「子守唄を歌って聞かせた」は物の例えではない。 俺が音痴なのはタマラ中隊長補佐の子守唄のせい、とヴィジャヤン大隊長御自身がおっしゃった事が弓と剣の会会報に載っていた。 そう言う意味では「実績」と言っては語弊があるかもしれない。
それはともかく、ヴィジャヤン大隊長は昇進なさったが、部下の数は少しも増えなかった。 バートネイア小隊長とネシェイム小隊長が大隊長に望まれて転属した時、これはヴィジャヤン大隊長の御指名が増える前触れでは、と浮き足立った者がかなりいたが、結局この二人が選ばれただけで後は続かなかった。
最近アラウジョが転属となったが、彼は入隊前の四年間、毎日ヴィジャヤン大隊長の剣道の稽古相手を務めていたらしい。 だから彼が転属したと聞いても驚く者はいなかった。
北軍には新兵の為の兵舎が次々と建設中で、その幾つかは豪華な王侯貴族用だ。 ヴィジャヤン大隊長の部下になりたくてやってくる王族や上級貴族が自費で建てているという話だから、金に物を言わせれば部下になれない訳でもないのだろう。 だが一般の北軍兵士でそこまで出せる者はいない。
なのにソーベル中隊長補佐が直属部下? トタロエナ族出身のソーベル中隊長補佐がそんな金を持っているはずはない。 ウェルター中隊長という心強い推薦はあっただろうし、長年大峡谷で遭難した者を救出した実績もある。 加えて瑞鳥発見の旅に随行したのだ。 それらが昇進への足がかりになったのだとは思うが。 果たしてこれらは中隊長昇進を可能にする程のものだろうか?
「するとイーガン駐屯地の兵は全員ヴィジャヤン大隊長の部下となったのでしょうか?」
私を含めて? とは言葉にしなかったが。 それにソーベル中隊長補佐が頷いた。
おそらくフジョート大隊長がソーベル中隊長補佐を昇進させる事に反対なさったため、ヴィジャヤン大隊長がそれなら自分の隊へ、とおっしゃったのだろう。 けれど第十二大隊への転属は願って叶えられるような容易いものではない。
大峡谷での旅の間に何か余程の事が起こった? それはあり得る。 ただ旅から帰ってもソーベル中隊長補佐とヴィジャヤン大隊長が特別親しくなられた様子はどこにもなかった。 それにヴィジャヤン大隊長なら今まで何度もそちこちに御旅行されている。 旅のお供をした事がある者なら少なくとも二百人以上はいるはずだ。 なぜ縁故がある訳でもないソーベル中隊長補佐が直属に選ばれたのか?
様々思い巡らしていると、ソーベル中隊長補佐から更に驚くべき言葉が齎された。
「と言う訳で、お前に俺の補佐をしてもらいたい」
突拍子もない打診で、何と返答すればよいのか一瞬言葉を失った。
そこでヴィジャヤン大隊長の下に中隊長はいないが、タマラ中隊長補佐が既にいらっしゃる事に気が付いた。
「ヴィジャヤン大隊長の下にはタマラ中隊長補佐がいらっしゃいますが?」
「タマラ中隊長補佐はマッギニス大隊長補佐を助けていらっしゃる。 その関係で第一駐屯地から動けない。 俺の補佐はイーガン駐屯地に駐在してもらわないと困る」
「なぜ私を?」
「俺にはウェルター中隊長がなさっていた対外交渉、契約の締結、報告書の作成はやれない。 ウェルター中隊長は退官後、北方伯家家令として奉公なさる事に決まった。 イーガン駐屯地に引き続きお住まいになるから相談役として助けて戴く事は出来るが、軍の実務からは一切手を引かれる。
知っての通り、俺は書類なんか読むだけで精一杯。 俺には交渉と書類関係を任せられる補佐が要る。 自分が中隊長として力不足である事くらい、誰に言われんでも分かっているんだ。 ヴィジャヤン大隊長にも御迷惑をおかけする事になりますから辞退させて下さいと何度も申し上げたんだが。 他にトタロエナ族の将校なんていないし、とおっしゃられてな。 断りきれなかった」
それはまた。 確かに大峡谷に住むのはトタロエナ族だけ。 つまりヴィジャヤン大隊長の領民は全員トタロエナ族という事になる。 そう言う意味ではイーガン駐屯地の指揮をするのはトタロエナ族であるソーベル中隊長補佐が適任と言えない事もない。
だがイーガンの中隊長は夏になると千の兵を指揮する。 又、その時期には外国の隊商も訪れ、彼らとの交渉及び契約書の調印は全てイーガンの中隊長がしている。 対外交渉は大隊長以上の権限だからイーガンの中隊長だけは大隊長に準ずる権限を持っているのだ。
今の所トタロエナ族出身の将校どころか兵士だってソーベル中隊長補佐以外一人もいないから、トタロエナ族出身の上官でなければ部下が従わないという事情はない。 それにトタロエナ族に対する偏見は兵士の中に根強くある。 トタロエナ族の命令なんか聞いていられるか、と部下が従わない事だって考えられるのだからフジョート大隊長がソーベル中隊長補佐の昇進に反対したのも無理からぬ事。
ヴィジャヤン大隊長の思い切った御決断に驚かざるを得ないが、それ以上にソーベル中隊長補佐が私を補佐に選んだ事が信じられなかった。 イーガンの奇跡を知る者達の間では私達を犬猿の仲と思っている者も少なからずいる事だろう。 私とて彼から嫌われていると思っていた。
「あんな事があったのに?」
「あんな事があったからこそ、さ。 俺が間違っている時に止められる奴はお前しかいない。 あの時は悪かった。 ヴィジャヤン大隊長から補佐は俺が好きな奴を指名してよいとの御許可を戴いてある。 いい返事が欲しい。 考えてくれないか」
ソーベル中隊長補佐が謝罪なさった事にも正直な所、驚いた。 ソーベル中隊長補佐は謝らなければならないような事を最初からするな、と言う人だ。 間違ったら謝るより先にその誤りを正す事に奔走し、正された後はその事に関してどうのこうのと言い訳した事はない。
この謝罪はソーベル中隊長補佐の人生初めての謝罪かもしれない。 それに感ずるものがなかった訳ではないが。 何しろ突然の事で、考える時間が欲しい。 明日返答申し上げる事を約束し、退室した。
私はソーベル中隊長補佐と同期だが、親しかった訳ではない。 最近では同期と一口に言っても結構年がばらばらだが、以前は新兵と言えばほとんど十八に決まっていた。 私達の共通点と言えば同い年、それくらいだろう。 私達ほど何から何までかけ離れているのは珍しい。 ただ私達の場合、他のどの兵士と比べても大きくかけ離れていている。
まず体格からして全然違う。 トタロエナ族出身のソーベル中隊長補佐は厳しい環境で生まれ育ったせいか非常に小柄で痩せている。 任務なら何人と一緒に行動する事になっても文句を言ったりしないし、きちんと遂行するが、基本的に集団で行動する事を嫌い、任務完了と同時に一人でどこかに消える。 誰かと共に食事をしたり買い物に出掛けたりした事など私が知る限り一度もない。
誰とも交わらないという点は私も同じだが、その理由は私の体格を見ればわかる。 大柄な兵士が多い北軍だが、中でも私は一際目立つ。 いくら体格が良くても理不尽な乱暴をした事などないのだが、私を見ただけで大概の者が恐れをなす。
それ程体格がよいのは私の父がアイデリエデン人だからだ。 皇国で生まれ育った私に訛りはないが、明らかに外国人に見える外見のせいで私に気軽に近づこうとする者はいない。
又、父がアイデリエデンの王子である事も一因だろう。 若い頃皇国に大使として着任した父は私の母であるレサレート子爵令嬢を見初め、妾妃として召し出した。
私が二歳の時、父は帰国し、その時母と私を連れて帰ったのだが、アイデリエデン語を話せない母にとって外国の後宮暮らしは耐え難いものだった。 毎日泣いて母国に帰りたいと願う母に根負けした父は嫌々ながら帰国を許したと聞いている。
私が五歳の時、母と共に皇国に帰った。 その後も父からの手紙や贈り物の類があり、子供の頃は二、三年に一度はアイデリエデンを訪問していた。 だが私が北軍に入隊してからは五年に一度になり、十年前に父が亡くなった後では一度も訪問していない。 アイデリエデン語の教育も受けたが熱心に学んだ訳ではなく、流暢と言うには程遠いし、親しい友人や親戚がいる訳でもなかったから。
後宮には数えきれない程の王子達がおり、子供心にも父がその他大勢に過ぎない事を知っていた。 父が国王になっていれば私にも継承権が生じるし、アイデリエデンへの関心も生まれたのかもしれない。 けれど父は大臣を務めただけ。 それでなくても父の正妃、妾妃の生んだ子がいくらでもいる。 王子の子である事は嘘ではないが、大した意味はない。
もっともアイデリエデンの王制は能力次第。 第一正嫡王子であろうと能力が認められなければ国王にはなれない。 国王にならない限り正嫡子であっても庶子の私と大して違わない扱いらしい。 だからもし私がアイデリエデンで育ち、秀でた能力を持っていたら国王になっていた可能性はある。 とは言え、そう簡単に国王になれるのなら誰も苦労はしない。
自分では出自を鼻にかけた事はないつもりだ。 ただ皇国内にはアイデリエデンからの移民が結構いて、皇国では無爵の平民に過ぎない私でも彼らからは敬われていると思う。 アイデリエデンに行けば私は一応侯爵なのだ。
但し、この爵位は王子の子に贈られる儀礼上の爵位で領地がある訳ではない。 父から貰った財産があるからたとえ兵士としての給金がなくとも生活には困らなかっただろうが、皇国の準爵位に付いているような生涯年金がある訳でもなく、贅沢をすればすぐに使い果たされる程度の資産だ。
そのような事情を誰彼構わず話す気にはなれない。 又、私は元々人付き合いには長けておらず、友達が欲しいとも思わなかった。 入隊後も親しくなった者はいない。 昇進はしたが、上官、同僚、部下の誰とも個人的な付き合いをした事はない。 祖父母が亡くなり一昨年母が亡くなって以来、親戚とも疎遠だ。
北軍に入隊したのは単に無為な毎日を過ごすのが苦痛だったからで、愛国心に燃えての事ではない。 生まれ育った母の国ではあるが、私を外国人扱いする皇国に愛着があったとは言い難い。
孤独な人生ではあっても特に不満はなく、人生を変えたいと思った事もなかった。 それが一変したのはイーガンの奇跡のおかげと言える。
「弓と剣の会」は会報欲しさに会費を納めているだけだが、「虹橋会」の会合には事情が許す限り毎回出席しており、会合以外でも他の会員と交流している。
私は第一駐屯地へ出発する方に選ばれた。 「あんな事」とは、私がソーベル中隊長補佐の頼み事を断った事を指す。 出発の準備が終わった時の事だ。
「レサレート小隊長、頼む。 一生に一度の頼みだ。 ウェルター中隊長の命を救いたい。 協力してくれ」
「それは出来ません」
「なぜだ? お前だって中隊長を尊敬しているだろう? 俺が指揮するのが気に食わないと言うならお前に指揮権を渡す」
「中隊長を尊敬すればこそ、中隊長の命令に逆らう事など出来ません」
「中隊長のお命がかかっているんだぞ! 命令だの何だの言ってる場合か?」
怒り狂ったソーベル中隊長補佐が私に罵詈雑言を浴びせてきた。 王子様だか何だか知らんが自分の事を偉いと思ってやがるだの、私一人で三人前の飯を食っているだの。 だが私は譲らなかった。
「何と言われようと中隊長の命令に背く気はありません。 中隊長の代わりに残れと言われれば喜んで残ります。 しかし中隊長のお体を無理矢理出発させた所で、中隊長が途中一口でもお食事なさるような御方だと思いますか? そんな事は私より中隊長補佐の方こそよく御存知ではありませんか」
兵士の中に私を力で負かせる者はいない。 数が集まれば別だが、先を読むのに長けているウェルター中隊長は選抜隊の全員に、ソーベル中隊長補佐が何と言って私を連れて行こうとしても従うな、と申し渡してあった。
どうしても実行すると言うなら中隊長に報告しますと私に脅され、その場は引いて下さったが。 ソーベル中隊長補佐は諦めた様な顔はしていなかった。 幸い翌日ヴィジャヤン大隊長が来て下さったから余計な事は何もせずに済んだが。
ソーベル中隊長補佐は知らないが、ソーベル中隊長補佐がウェルター中隊長の飲み物に仕込むつもりでいた眠り薬は、ソーベル中隊長補佐のおかゆに混ぜ、彼が眠っている間に出発する手はずが整っていた。 ウェルター中隊長が、出発前に悪あがきをされては面倒、眠らせておけ、とおっしゃったのだ。
思えば不思議な縁ではある。 ウェルター中隊長が私を選抜隊隊長補佐に任命した時おっしゃった言葉を思い出した。
「ソーベル隊長の補佐をよろしく頼むぞ。 お前以外にあいつの暴走を止められる奴はいない」
やりがいのある任務だとは思う。 だがいくらヴィジャヤン大隊長がソーベル中隊長に一任なさった人事であってもアイデリエデン王子を父に持つ私を中隊長補佐にするなど、各方面から反対されて実現しないだろう。 そうは思ったが、謹んでお受けします、とソーベル中隊長補佐に申し上げた。 上がどう決定するかは私が悩むべき事ではない。
ソーベル中隊長補佐は私を同道してヴィジャヤン大隊長に報告した。 するとヴィジャヤン大隊長は私達を一目御覧になった途端。
「あ、でこぼこコンビ。 ソーベル中隊長を補ってあまりある、なんちゃってな」
そして中隊長補佐昇進許可書に盲判を押され、私の中隊長補佐昇進はその場で決まった。
いや、嬉しい事は嬉しい。 何故か前途多難という言葉が思い浮かび、素直に喜ぶ気にはなれなかったが。




