領民
領地には領主の館があるべきものです、とトビに言われた。 今住んでいる家は自領に建っている訳じゃないから別邸と呼ばれるんだって。
「へえ、そう」
「如何致しましょう?」
「え、何を?」
トビの左の眉がぴくっと動いた。
あ、まずい。 何をまずったのかすぐには分からなかったが、まずった事だけは分かった。 俺の答えや反応が正しくないとトビの左眉が動くのだ。
どうして左なのか? なんで右じゃないのか? 世の中は分からない事だらけだが、そんな事はこの際どうでもいい。 俺は急いでトビの言った事を反芻した。
領地には領主の館があるべき。 ー> 今住んでいる家は別邸。 ー> 如何致しましょう?
幸いどれも短かかったおかげで本邸をどうするかを聞かれているのだ、と遅ればせながら気が付き、焦って深く考えずに答えた。
「イーガン駐屯地に第一庁舎があるだろ。 それを本邸と呼べばいいじゃないか」
「それでよろしいのでしょうか?」
あそこは俺の領地で建物は今では北方伯家の物だ。 深くどころか全く何も考えずに言ったんだけど、我ながらいい案だと思った。 だって住む所はもうあるんだし。 このうえ別の館を建てたって余計な不動産税を取られるだけだ。
そりゃ普通の領地でしかも伯爵領なら立派な領主館がある。 俺が育った家だって領民からはヴィジャヤン城と呼ばれるくらいでかかった。 でもそれを建てる事が出来たのは税を払ってくれる領民がいたからだ。
領民だって大人しく税を払っているばかりじゃない。 実家に住んでいた頃、父上は領主として沢山のお仕事をなさっていた。 父上に面会しにいろんな町の町長やら村長やらが訪ねて来ていたし。 細かい事なら村長や町長が決裁して終わりなんだろうけど、一つの町で解決出来ない事や領地全体に関わる事もある。 そういう事を会議する時は本邸でやっていた。
俺は知らないけど、ヴィジャヤン伯爵領だけで施行されている法律だってあると思う。 北に住んで知ったが、ここには雪に関するいろんな決まり事があるのだ。 雪かきした雪を積み上げておく場所が必要だから家を建てる時には道から最低でも十メートル引っ込んだ所に建てる事、とかさ。
決まり事に従わせるにはそれだけの権威がなけりゃ誰だって知らんぷりする。 だから豪勢な城を建て、兵士に守らせる意味だってあるだろう。 だけど俺の場合、領民がいないも同然の領地だ。 豪華な館なんてあったって無駄だろ。
それに普通の伯爵家なら住み込みの奉公人の数も相当数いるし、泊まりに来るお客様だっている。 でも我が家の奉公人は御覧の通りだし、訪問客だって滅多にない。 俺の身分が高くなったから、俺から招待するのでもない限り勝手に向こうから訪問は出来ないんだって。 それに俺だって暇じゃないんだ。 今後も客はないと思っていい。
第一、家なんて大きければ住み心地がいいってもんでもないだろ。 俺が育った家は隠れんぼするには面白かったけど、住み心地がいいとはお世辞にも言えなかった。 広過ぎて。
父上と母上だって本邸には中央二階の奥に領主夫妻用の広くて美しい寝室があるにも拘らず、そこでお休みになった事はない。 いつも東の二階にある元々は客室だった見晴らしのいい部屋を夫婦の寝室になさっていた。
俺が今住んでいる家は伯爵邸と呼ぶには確かにしょぼい。 でも中々快適で気に入っている。 リネが選んだだけあって女性らしい細やかな気配りがそちこちにされていて便利なんだ。
例えば調理場がすごく広くて食卓が置けるようになっている。 ちゃんと別に食堂もあるんだけど、それを使うのはお客様が来た時だけだ。 いつもは調理場で窓から湖を眺めながらみんな一緒に食事している。 狭いながらも楽しい我が家って感じ。
「本邸なんて大層ものはいらないよ」
それでこの件は片がついたと思ったら、トビが渋い顔をして言う。
「しかしながら領主館が巨大なのは多数の奉公人が住む、領民を集めて会議をするという使用上の理由の他に、領民を畏れ平伏させるという意図もございます。
大峡谷は無人ではございません。 旦那様は領主となられたのですからトタロエナ族から税を徴収する権利がございます。 長年無法、無税で暮らしていた民を従わせるのです。 権威の象徴としてそれなりの館があった方がよいのではないでしょうか?」
そりゃ誰だって逆らったら痛い目にあう、と思えば従うだろう。 その威厳を示すために立派な館に住んで強そうな兵士に囲まれている必要があるって言うのは分かる。
「でもさ、ソーベル補佐がトタロエナ族は一カ所に定住しないし、金なんて持っていないって言ってたよ。 持っていない人からどうやって取るのさ?」
「トタロエナ族は大峡谷に住む猛獣の狩猟に長けていると聞いております。 それらの皮や牙を食料と物々交換しているのです。 物にもよりますが、上質なバゲリスタの皮は一枚二十万から三十万ルークで取引されているのだとか。 ですから納める物が金ではないだけで何も持っていない訳ではありません」
うーーん。 それを聞いて俺は迷った。 自分だって突然税金払わされる事になって文句を言ったばかりなのに、他人には払わせるの?
俺は北軍から優遇されていて、税金を払うのは仕方がないっていう事情がある。 それでさえ渋々感は拭えない。
今まで税と無縁で暮らしていたトタロエナ族の前に、突然俺が領主ですって現れて、金払えってか。 この場合は物だけどさ。 一昨日来い、とか言われそう。 そこまで言わなくても、あんた誰って思うんじゃない?
あ、水と交換してくれって言えば怒られないかも。 それなら元々何かと交換していたんだろうし。
それで俺はソーベル補佐を呼び、トタロエナ族が水や食料と交換する時は何をどれぐらい払うのか聞いてみた。
「年を取った夫婦なら獲物の皮や爪、薬の材料となる物などで払うでしょう。 若い夫婦なら赤ん坊で払う事もあります」
「え? 赤ん坊って。 人間の?」
さすがにぎょっとして聞き返した。
「食料の碌にない場所です。 トタロエナ族は一夫婦につき子供は二人しか育てません。 それ以上生まれた場合は子供のない夫婦にあげるか食料と交換します」
子供を売るのは貧乏なら大峡谷でなくともある話だ。 貧乏でなくたって貴族も家の都合で子供をやりとりするし、その時は金を包む。 売っているのと同じだろって言えない事もない。
だけど三人目からは子供を売るのが普通だなんて。 そこまで貧しいのは北の貧農だって少ないだろう。 それって、もし俺がトタロエナ族に生まれていたら売られていた、て事じゃないか。
「えっとさ。 もし水をただにしたら、その習慣、変わると思う?」
「変わるかもしれませんが。 変わらないのではないかと思います」
「どうして」
「冬の雪や氷を貯蔵し、夏の間の飲み水にするのはトタロエナ族の生活の知恵の一つで、今でも飲み水なら間に合うくらいあるのです。 作物にあげられる程ではありませんが。 水をただでもらっても塩に覆われている土では何も育ちませんし。 宝の持ち腐れにしかならないでしょう」
俺はため息をついた。 トタロエナ族は皇国が建国される前から大峡谷に住んでいると聞いたけど、これって住めば都って言うレベルの話じゃないような。
「あのさ、トタロエナ族はどうして他のもっと住みよい所に移らないんだと思う?」
「厳しい土地柄ではありますが、住もうと思えば住めない事もないですし。 トタロエナ族と一口に言ってもどの家族も独立独歩でして。 村がある訳ではありません。 他の家族が何を考えているか、正直な所、私にも分かっているとは言えません。 ただ他の土地に住むにはどこであれ金が要ります。 それを持っていないのが理由の一つではあるでしょう」
「売れば金になる物を持っているんだろ?」
「家が買える程ではありません。 トタロエナ族は大峡谷でなら越冬する知恵を持っていますが、それは他の土地には通用しません。 けれど冬が厳しいのはどこも同じです。 家もなく越冬するのは、それこそ命がけと言えます」
「男だったら北軍に兵士として入隊すれば住む所にも食べる所にも困らないよね? ウェルター中隊長から聞いたんだけど、トタロエナ族が入隊するのは珍しいんだって? なぜだか分かる?」
「兵士として入隊すれば上官の命令に従わねばなりません。 自分のやりたいようにやるのがトタロエナ族の男です。 命令したのが上官だろうと誰だろうと、やりたくなければ無視します。 命令に従う気がない者は兵士として使い物になりません。
又、彼らは基本的に大峡谷から離れる事を嫌います。 しかし一旦兵士になってしまえば配属先の希望が通るとは限りません。 給金をもらい、その金で食料を買って家族に送ろうとしても配属先が遠ければ送料は払えないほど高額になります。 自分で持って帰ろうにも休みは取れない、旅費は送料よりもっと高く付く、となれば入隊する意味はありません。
それに貴重な働き手である息子がいなくなったら残された家族は大峡谷から離れるしかない。 つまり最初から家族全員で大峡谷から移住する覚悟がなければ入隊出来ないのです」
「ソーベル補佐はどうして入隊したの?」
「兄がバゲリスタに殺され、残された兄の妻と子供二人を私が養う事になりまして。 私の両親は既に死んでいたので私一人では甥と姪に食べさせてあげられる程獲物を捕まえられません。 それで大峡谷で生きるのを諦め、入隊したのです。 当初は家族も一緒に移住する予定でした。 幸い配属先がイーガンで。 定期的に食べ物を運んであげられる距離だったから義姉と子供達は大峡谷に住んでおりますが」
ソーベル補佐はそんな風にあっさりとすさまじい生活の一部を語ってくれた。 衝撃を受けたが、じゃあ何をどうすればトタロエナ族の生活が楽になると言うんだろ。 名ばかりの領主だけど、俺に何か出来る事があるんだろうか?
だっていくら昔からそんな風に生きてきたと言っても今では俺の領民だ。




