書簡 カイザー侍従長の話
「皇国皇王陛下 御親展」と書かれた書簡がヴィジャヤン準大公より届けられた。
準大公は未だ正式な爵位ではないが、皇寵を戴いたのだ。 陛下に御親展書簡を出す権利があるし、それは必ず陛下のお手元に届けられる。
とは言え、皇寵を戴いたお礼を申し上げに登城した訳でもないのに早速お強請りとは。 些か無礼が過ぎよう。 ただ父である準公爵より準大公は儀礼のぎの字も知らぬ御方と聞いていたから、お礼抜きのお強請りを受け取ってもそれ程驚きはしなかった。
これが皇寵を戴いたお礼の書簡でない事は確かだ。 そもそも陛下へのお礼を書簡で申し上げるのは不敬にあたる。 何らかの事情があって本人の登城が無理なら代理人を送り、口上を述べさせるべきもの。
叙爵式の時、ぎくしゃくと操り人形のような準大公の動きを思い出す。 長兄であるヴィジャヤン伯爵は隙のない儀礼を身に付けているし、次兄で御典医のヴィジャヤン殿も中々優美な身のこなしであった。 三男ではあっても大きく年が離れている訳でもない。 何故彼だけああなのか?
まあ、普通でないからこそ偉業を成し遂げたのかもしれないが。 それに大恩あるヴィジャヤン準公爵の子息だ。 皇寵がなかったとしても多少の事に目を瞑るにやぶさかではない。 しかしそのような温情を見せねばならない事を残念に思った。 そのような温情、そもそも必要とせぬよう周囲が準大公を補佐すべきであろう。
準大公執事は若いにも拘らず大変なやり手で、宮廷儀礼や皇王室のしきたりにも公爵家執事並に詳しいと聞いていたのだが。 やはり平民で年があれ程若くては細かい所にまで気配りが行き届かないか。
未来の国母の実父なのだ。 間違いだらけの準大公であっても粗略に扱う者などいないが。 細かい間違いを見過ごしては将来の禍根とならぬものでもない。 この不手際は次に準公爵とお会いする時、一言御注意申し上げておかねば。
臣下からの書簡はまず私が目を通しているが、皇寵を頂戴した者からの書簡なら開封せずに差し上げてもよい。 準大公が初めてお出しになった御進展書簡なだけに読むべきかどうか迷ったが、結局読まずに他の書類や書簡を乗せた盆とは別にして陛下に差し上げた。
「ヴィジャヤン準大公閣下よりの書簡がございます」
そう申し上げると陛下はまずそれからお読みになられた。 読み終えられてしばらく無言でいらしたが、おもむろに傍らの蝋燭を指差される。 はっと気が付き、私はまずお側に侍る書記を下がらせた。 書記が退室したのを見届けてから灰皿と蝋燭を陛下のお手元に置き、火を点す。 陛下はそこに書簡をかざされ、揺らめく炎を御覧になりながら御下問なさった。
「乳母の任期を無期限にするにはどうすればよい?」
思いがけないお言葉に、乳母の任期を無期限になさりたいのでございますか? と危うく聞き返しそうになった。 勿論そのような儀礼上の間違いを犯したりはしないが。
すると書簡はマレーカの娘をずっと手元に置きたいとのお強請りだった訳だ。 もしや妊娠の報告がされていた?
いや、そんなはずはなかろう。 乳母本人から皇王室へ毎月定期報告が提出されている。 先週受け取った報告にそれらしい事を予想させる記述は一つもなかった。 それに今では諜報部員が多数配置されており、本人だけではなくそちらからも妊娠どころか乳母にお手が付いた様子はないとの報告を受けている。 状況が変化したならすぐに何らかの報告があったはず。
乳母の任期を無期限にすれば娘を乳母に差し出したマレーカは喜ぶだろう。 だがそれ以外に誰か喜ぶ者がいただろうか?
いずれにしても今陛下が御下問になったのは無期限に出来るかどうかではない。 無期限にする手段だ。 つまり無期限にする事に関しては既にお決めになっていらっしゃる。
大金が絡むお強請りでない事は安堵したが。 乳母の任期に関するしきたりは古いだけに陛下の御意があろうと闇雲に勅命を出しては内政問題になり得る。 何しろ後宮に娘を乳母として送り、任期が終わって国外追放となった貴族が相当数いる。 一番困るのは彼らから不公平だと抗議される事だ。 実際不公平なのだから。 縁故関係の多い彼らの抗議を穏便に収めなければ、後宮だけでなく宮廷を巻き込む大騒動となる可能性もない訳ではない。 どう進めたら問題が出ないか、急いで考えを巡らし、申し上げた。
「まず祭祀庁から瑞兆の乳母の任期に関する特例を上梓して戴く。 それを儀礼庁に記録させましょう。
しかるべき後に宰相庁内で諮問会を作成するよう要請し、そこで承認勧告を貴族院に提出致します。
次に貴族院で審議、議決させ、その結果を後宮女官長に申し送り、皇王妃陛下の御承認を頂戴した後、大審院に貴族院議決書を送り、特例を法として記録させるという手順を踏めば実現するかと存じます」
「ではそのように」
「御意」
そこで書記を呼び戻そうとすると陛下がおっしゃった。
「準大公には忠義に厚い執事が仕えているようだね」
まさか、今日の書簡は準大公御本人が書いたのではなく、ウィルマー執事が書いたのか? だがそんな事は許されていない。 陛下に書簡を差し上げる事が許されているのは皇寵を戴いた本人だけだ。 本人の腕が使えない等、身体的理由がある場合に限り代筆が許されているが、準大公が怪我をしたとは聞いていない。 しかしそれなら何故陛下が証拠となるであろう書簡を燃やされたか説明が付く。
それにしてもウィルマー執事の大胆な行動には驚きを禁じ得ない。 今回は陛下の御厚情があったが、もし陛下がこの「代筆」を御不快に思われたか、或いは陛下がお読みになった後で書簡が燃やされず、私以外の誰かの目に触れていたら書いた者は不敬罪で極刑となっている。 ウィルマー執事がそれを知らなかったとは思えない。
するとこのお強請りにはウィルマー執事が命をかけるに足る何かがあったのだ。 けれど私がいくら調べてもこれと納得出来る理由が推測出来なかった。 それで後日ヴィジャヤン準公爵とお会いした際に御意見を伺った。
「ウィルマーがそんな事をしでかしましたか。
これは少々灸を据えねば。 間もなく私は北を訪問する予定でおります。 二度とそのような事をせぬよう、きつく言って聞かせましょう」
「陛下が御不快に思われなかったのですから何卒穏便に。 ところで、準公爵はこの代筆の理由に思い当たる節はございますか?」
「準大公には皇寵を使う気がある、と世間に知らしめる事が目的かと推察致します」
使う気があると知らしめる? 何とも不思議な事をおっしゃる。 思わず聞き返した。
「準大公が皇寵を使うのは当然では?」
「準大公は皇寵の意味を御存知ない」
準公爵の真意を計りかね、思わずじっとお顔を見つめてしまった。 御存知ないなら教えればよいだけの事。 何故教えない?
私の無言の問いに答えるかのように準公爵がおっしゃる。
「私がその意味を教える事はありません。 このような事件を経験する事によって、準大公も徐々にその意味を知る事になるとは思いますが。 準大公が自ら誰かに問う事はまずないでしょう。 又、意味を知った所で皇寵を使おうとはなさらないと思います。 いつまで経っても一度も使わなければ、準大公に皇寵を使う気がない事が世間に知れ渡る。 ウィルマーはそれによって主が軽んじられる事を恐れたのではないでしょうか」
準公爵を見送った後で、この件についてしばし思いを巡らした。 ウィルマー執事の書簡は、瑞鳥と共に飛来した準大公を見た以上の強い印象を私に残したと言える。 忠義に厚い奉公人はいくらでもいる。 とは言え、ものには限度がある。 自らの命をかけても主の安寧を守ろうとする奉公人がこの世に何人いるだろう?
そして皇寵の意味を教えぬ父。 いや、父だけではない。 準大公の補佐はマッギニス家の次男だし、兄弟や親戚、身近に意味を知っている貴族ならいくらでもいるのだ。 その中に皇寵の恩恵に与ろうと目論む者が一人もいないと言うのか?
何より御本人に皇国皇王陛下となったも同然の権力を使う気がないとは。 そんなお伽噺のような事があり得るのだろうか?
私はその日初めて準大公が見かけでは計れぬ御方である事を知った。




