髪飾り リネの話
「愛されてますね、奥様」
もー、やだーっ! フロロバさんったら!
恥ずかしくてたまらなくなっちゃって、フロロバさんの背中をばしんと思いっきり叩いちゃった。 すると、おっと、とフロロバさんがよろめいた。 さっと立ち直ったんだけど、目敏いバートネイアさんが見逃すはずはない。
「ちっ、フロロバ。 何だそれは。 情けないにも程がある。 鍛えてやるから、ちょっとこっちに来い」
「え? ゆ、夕飯の支度、が、あーっ」
嫌がるフロロバさんをバートネイアさんがずるずる引きずっていった。 悪い事しちゃったかも。 夕飯に差し支えるから、あんまり厳しくしないであげてと言っておいた方がいいのかな?
ま、もうちょっとしてからね。 だって、フロロバさんたら、すごい意地悪なんだもの。 思いっ切りにやにやしちゃって。 何もカナやエナがいる前で私をからかわなくたっていいでしょ。
何でも旦那様が今日、弓のお稽古の休憩時間に散々零したんですって。 世の中にはセクシーな男が一杯いるから私が他の男に奪われやしないか心配だとか、美人な妻を持つと苦労するぜ、とか。
似た様な事を私も旦那様から直接言われているし、嘘だとは思わない。 でもまさか部下の人にまでそんな恥ずかしい事を言っていらしただなんて。 旦那様にはほんと、のけぞっちゃう。 セクシーな男はともかく、本気で私の事を美人と思っているって所が。
居ても立ってもいられなくて、畑に水をやらなくちゃ、ともごもごカナに言って外に飛び出した。 今年は結構雨が降ったから水をやる必要なんて全然ないんだけどね。 どの野菜もみんな青々と元気に育っている。
ただサリの世話と洗濯や掃除の他に、踊りや儀礼を忘れないよう週二回稽古しているし、剣の稽古もあるからこれでも結構毎日忙しい。 そんな私にとって野良仕事は唯一の息抜きだ。
有り難い事にエナもカナも私が一人で野良仕事する時、放っておいてくれる。 みんなに沢山助けてもらっているんだから、ちょっと忙しいくらいで文句を言っちゃ申し訳ないんだけど。 偶に何も考えずに手を動かしていると、ほっとしちゃうんだよね。
でも今日は雑草を抜いたり、きゅうりに支え棒を挿したりしながら皇太子殿下の舞踏会の事を思い出していた。
叙爵式の時は場所こそすごかったけど、出席していた人達は正式礼装で家紋が違うだけの同じ服だし、御挨拶を間違えないようにって、そればかり心配してたから、他の女性に引け目を感じている暇はなかった。 でも宮廷舞踏会ともなると、さすがっていうか、これぞっていうか。 気合いが入りまくりって言うか。 ちょー豪華なドレスと目も眩むような宝石でおしゃれした女性がずらっと並んでいて圧倒されちゃった。
身に付けてるものだけじゃない。 中身だってすごかった。 みーんなすらっとした女らしい肩になよやかな指、きゅっと締まった腰回りなんだもん。 美人って、ああいう人達の事を言うんでしょ。
まあ、私だって馬子にも衣装って言うか、ボルダック侯爵夫人から送ってもらったきれいなドレスを着ていたけど。 ごつごつした指に盛り上がった肩の筋肉、出産して逞しさを増した腰じゃあね。 どんなに頑張ったって土台が違う、て事が一目で分かっちゃう。
前の晩は旦那様に恥をかかせるような何かをやらかしちゃうんじゃないかって心配で、よく眠れなかった。 当日なんて気後れどころじゃない。 怖くて出来れば会場から走って逃げ出したかった。 周りを親戚の皆様にがっちり囲まれていたから無理だったけど。
私達が会場に入ると、先頭を切ってプラドナ公爵令嬢が旦那様に踊りを申し込んできた。 ぱちぱちのお目目で、キュートって感じの美人。 玩具屋さんで売ってる人形よりかわいい。 ピンクのドレスがふわふわ揺れて、とても良く似合っていた。 なのに旦那様ったらその人になんて言ったと思う?
「いやー、私に出来る踊りと言ったらこれくらいで」
そしてひゃらひゃらぴって、秋祭りの手拍子足拍子をそこで実演したんだよ。
信じられる? 皇太子殿下の舞踏会でよ?
妻の私が言うのもなんだけど、旦那様だって大隊長儀礼服で、びしっと決まっていた。 瑞鳥ロックの見事な刺繍をした帯がぴかぴか光って、とーってもかっこいい。
ポスターよりずっとずっと素敵! いやーん、もう最高って感じで惚れ直したくらいなのに。
旦那様ったら、リイ兄さんの方ばっかりじろじろ見て。 ため息をつきながら、男はああじゃなくちゃなー、とか呟いていらした。
リイ兄さんみたいに辺りにびびられる人のどこが羨ましいの? そりゃリイ兄さんに踊りを申し込んでいる女性もいたけど、自分で申し込んできた人なんて一人もいなかったんだよ。 みんな父親が是非娘と踊って下さいって頼みに来ていたんだから。 それって娘の希望って言うより強い剣士とお近づきになりたい父親の希望でしょ。
その点、旦那様の前にずらっと列を作って並んでいたのは女性ばっかり。 親も兄弟も構うもんか、て感じの勢いだった。 その居並ぶ美人の前で、ひゃらひゃらぴって。 思わず私の口がぱかっと開いちゃった。 カナにスカートの脇をそっと引っ張られ、はっと気が付いて急いで閉じたけど。
妻の私でさえ度肝を抜かれたって言うのに、プラドナ公爵令嬢はそれを見ても慌てた様子なんかこれっぽっちもなくて。 にっこり、おっとり、おっしゃった。
「これはまた、心が浮き立つ様な踊りでございますね。 次にお目もじする際には是非御一緒出来るよう稽古しておきますわ」
こ、心が浮き立つ? 私なんて心がずどーんと落ち込んだような気がしたのに。
そんな言い回し、私の頭じゃ考えつかない。 貴族って何があっても動じない訓練を子供の頃からしているって聞いてはいたけど。 さすがだよね。 自分にはとても登りきれない山を麓から眺めたみたい。 それを聞いただけで、もう、どーっと疲れちゃった。
ひょっとしたら、旦那様は私が馬鹿な事をしても笑われないように、進んで笑い者になって下さったのかしら? その割にはお義父様お義母様始め、皆様平気なお顔で。 笑っている人なんて一人もいないかったし。 そこでお義母様が、そっとカナに囁いたのが聞こえた。
「一層磨きがかかった様ね」
「まだまだ。 こんなものではございません」
一体何に磨きがかかって、まだまだなの? 何となく怖くて舞踏会から帰った後でもカナに聞けないでいる。
そう言えば、舞踏会に行く前にカナが、旦那様がいらっしゃいます、御心配なさる事など何もございません、と言ってくれた。 だけどそれってまさか、旦那様がひゃらひゃら踊り出すから大丈夫、て意味じゃないよね?
ただあのひゃらひゃらを見たら不思議なくらい緊張がなくなったて言うか、気が楽になった感じ。 あの前までは緊張のあまりがちがちだったのに。 皇太子殿下に呼ばれても躓かずに済んだし、あんまり怖がらずに踊れた。
こんな私でもいいって言って下さる旦那様がいるんだもの。 それ以外、何も考えないようにしたのがよかったのかも。 とにかく初めての舞踏会が無事に終わってくれて、ほっとした。
それにしても、これが上流社会ってものなのかな? いきなり伯爵夫人になった私には初めてだらけで何が何だかさっぱり分からない。 なのにこれで終わりなんかじゃない。 この次だって、次の次だってある。
いくら旦那様でもまさか新年の陛下主催の舞踏会でひゃらひゃら踊ったりはしないと思うけど。 何だか不安で、もしそんな事があったら私はどうすればいいのか、カナに聞いてみた。
「その場合、御親族、または近くにいらっしゃる御方、どなたとでも構いません。 髪飾りについての会話を始めるのがよろしゅうございます」
こんな髪飾り好きとか、相手に何色がお好きですかと聞いたり、髪飾りならどんな話題でもいいんだって。 どうして髪飾りなんだろ?
「男性にとってはお天気の事、女性にとっては髪飾りについて話すのが一番無難なのです。 舞踏会のドレスや宝石には趣味、格式、誰が作った、いくらした、と様々な思惑や背景が絡むもの。 褒めたは良いが、その後どんな話に発展するか予想するのが大変難しいと申せます。 また奥様はお褒めになったおつもりでも、お相手がそう受け取って下さるとは限りません」
そうなんだー。 皇太子殿下が無口なおかげで何も言わずに済んで、ほんとに助かった。 すぐに帰ったから他の人とおしゃべりする機会もなかったし。 だけど陛下主催の新年の舞踏会では陛下が御退席なさるまで帰ったり出来ないんだって。
それなら一時間や二時間じゃ済まないよね。 間が持たなかったらどうしよう?
「私もお天気の事を話しちゃだめ?」
「相手が男性ならだめではございませんが。 女性ですと今日のお天気の話は、それが髪、肌、服に影響してどうしたこうしたへと流れがち。 人によっては素敵な御髪ですねという褒め言葉でさえ嫌味と受け取る御方もいらっしゃいますので」
はあー。 伯爵夫人らしくおしゃべりするなんて私にはとても無理。
それでも旦那様から美人って言って貰えるのはやっぱり嬉しい。 だってあんなに沢山の美人という美人をいくらでも見ていらっしゃる御方なんだもの。
こんなに幸せなのに弱音を吐いたら罰が当たるもん。 私もまだまだだけど、がんばらなきゃ。 まずは髪飾りについて勉強しようかな。




