査定 税率査定官、ヒューシャンの話
出勤したら「北方伯領 大峡谷領地税査定表」と書かれた書類が私の机の上に置かれていた。
なぜ私?
聞くまでもないか。 北方伯の領地が大峡谷の向こうと聞いた途端、税率査定官全員がちらっと私の方に視線を投げ、さっと目を逸らした事を思い出した。 そっとため息を零しながら私の仕事となった査定表を手に取る。
どこだろうと何であろうと、税を払ってもらいたいなら査定せねばならない。 だから税率査定は必須だが、普通の家屋や賃貸用不動産を査定するなら難しい事は特にない。 築何年、広さ、立地場所によって査定額が決まっており、それに則った査定額を算出するだけでいい。
だが工場、牧場、農場など、他と比較するのが難しい物件もある。 それに対する税を査定するのは簡単ではない。 所有者の影響力と金次第でいくらでも変えられるから。 要するに査定官のさじ加減次第。
そう言うと誰でも袖の下を連想するだろうが、査定額が上の意向に添わないものであった場合、その査定を行った査定官をクビにして終わりにするのはままある話。 しかし強力な後ろ盾のある査定官だと簡単にクビには出来なくて面倒な事になったりする。
大峡谷の査定なんて高くても低くても、それこそ公平な額であったとしても十中八九、誰かの意向に添わない査定になるだろう。 だから私の所に回って来たのだ。 私にはどの査定官にもいるはずの後ろ盾がない。 そもそも私がこの部署に雇われた理由からして後ろ盾がないからなのだ。
額が決まっている爵位税とは違い、領地税と不動産税はどのように査定されるかによって税額が大きく異なる。 そのため査定官に賄賂を贈り、低い査定額にしてもらう事が普通に行われている。 つまりここは俗に言う「旨味のある職場」だ。 当然空きが出たからと言って誰彼構わず雇われる訳ではない。 誰が査定官であるかは高額納税者である貴族にとって死活問題。 その職を巡って熾烈な争いが起こる。
八年前に査定官の空きが一つ出た時、カムメーナ子爵とゲイガル子爵のどちらが獲得するかで大変な紛争が起こった。 それは当時の査定部の係長、課長は勿論、部長と宰相庁の上層部を巻き込む大騒動に発展し、収拾がつかなくなったため、どんなに系譜を遡ってもこの二家のどちらにも何の繋がりもない平民の私が雇われた。
私のような縁故なしの採用は多くはないが、似たような理由で時々雇われる。 査定困難と最初から分かっている仕事は頻繁ではないにしても必ずあるのだ。 そこで後腐れなくクビが切れる査定官の出番となる。 今年も一人雇われる予定だが、それまでは残念ながら私しかいない。
はっきり言って次々そんな仕事ばかりやらされていた私が、今日までクビにならなかっただけでも既に奇跡と言える。 遂に年貢の納め時か? 査定表の表紙に書かれた「税率査定官 マサ・ヒューシャン」をしばし見つめ、この仕事に着手する前に退職願を提出するべきか迷った。
しかしここを辞めたら仮にすぐ次の職が見つかったとしても大きな収入減となる事は間違いない。 妻子を養っている責任もある。 クビになった訳でもないのに辞めるのか?
とは言うものの、この査定はやり方がまずければ破産する恐れがある。 領土税の査定をするにはまず広さが考慮される。 大峡谷の向こうが広い事は誰でも知っているが、どれだけ広いのか測量された事はない。 正確な数字なんて誰も知らないのだ。
誰が測量する? 査定官の私が行って測量するしかないだろう? その数字を知りたいのは私だけなのだから。
あそこまで行くには準備と時間、何より金がかかる。 隊商を組むとしたら百万や二百万では収まるまい。 それを誰が出す?
普通なら税率査定官がまず自費で行き、帰ってから清算して請求すれば払い戻してもらえる。 だが私にそんな巨額の貯金はないから行くとすれば借金するしかない。 出張旅費がないのは自己都合だから、出張旅費の実費は払い戻してもらえたとしても借金の利息までは払ってもらえないだろう。 旅費の実費だって額が額なだけに全額払い戻してもらえるかどうか分からない。 ポーロッキがなぜ八頭も必要なのだとか、一々文句を言われ、払ってもらえない事だって考えられる。
仮に測量出来たとして、それにどんな査定を下す? いくら水がなくて住めないと言っても土地の価値はゼロではない。 大峡谷の向こうでしか獲れない鉱物や動物もある。 それは全部北方伯家の物となった。 北方伯の許可を得ずに持って帰ったら泥棒だ。
それに大峡谷の向こう側にも少ないながら住んでいる人がいると聞いた事がある。 今まで彼らが税を払ったという記録はないが。
領主がいないならそれが問題になる事はなかった。 けれどいるなら領主には領民の人頭税を皇王室に納める義務がある。 領民から税を絞り取れないのは領主の問題であって皇王室にとって知った事ではないのだ。
但し、その領主が六頭殺しの若となると話は別だろう。 伯爵という爵位は中級でも、皇王室にお輿入れが決まっているお嬢様がいらっしゃる。 そのうえ姻戚関係は上級貴族の揃い踏み。 となると他の伯爵と同列に扱う訳にはいかないのは自明の理。
私の上司(係長)と、その上司(課長)及びその上司(部長)までなら北に住んでいる。 全員六頭殺しの若ファンだから、北方伯家に都合の良い査定を出したとしても文句なんて言わないと思う。
問題は部長の上司、そしてその上司の上司の、と繋がる雲の上の皆様が全員六頭殺しのファンであるかどうか、だ。 皇都にお住まいの方々の心情なんて私に分かる訳がない。 いや、部長であろうと分かるまい。 かと言って貴方は北方伯家を贔屓していますか、なんて聞けるはずもない事だ。
どんな金額にしても気に入らない査定となり、そのせいでクビになった、というだけならまだいい。 殺されたらどうする?
あり得ないと言うのか? 査定官の中にはもっと下らない理由で殺された者がいくらでもいる。 だから誰もこの仕事に手を付けたがらないのだ。
私だって出来ればやりたくない。 私は勤続八年だから職務中に死んだとしても妻子に年金は出ないし。 命あっての物種と思えば年金を惜しんでいる場合ではないのだが。
退職出来るものなら退職した。 だが辞めるには正当な理由が要る。 それがないと退職届を提出した所で受理してもらえないのだ。 受理されなかったのに欠勤したら無断欠勤となり、職務放棄で牢屋入りとなる事もある。
両親は死んでいるから病気の親を看護する、は使えない。 病気退職しようにも仮病を見破られたら終わりだ。 こんな時には自分も妻子も元気なのが恨めしい。
頼りになる親戚がいる訳でもなく、情けないが夜逃げするしか道はないように思える。 着の身着のままで。 家にある家具やらを売り始めたら絶対理由を聞かれるだろうし、それに夜逃げするなら引っ越し先が分かってはまずい。 貯金くらいはなんとか持って行けると思うが。
そんな浮浪者のような有様では次の仕事を見つけるのだって苦労するし、金は早晩底をつく。 そうなったら食うや食わず。 それが嫌なら測量に行くしかない。
しかしどんなに軽い装備にしようと数百万の出費になる。 そんな貯金はないんだから借りるしかない。 誰から?
考えれば考える程どちらにしてもお先真っ暗で途方に暮れた。 こんな事、上司は勿論、同僚にも妻にも相談出来ない。 どうしようもなくなって、査定に関しては門外漢だが、世知に長けてる私の大家にだめもとで相談してみた。
「全く、お前も馬鹿正直に。 何を悩んでんだ。 簡単じゃねえか。
一ヶ月ぐらい温泉にでも浸かってきな。 で、帰ったら広さには『概算』の一言を付けて適当な数字を提出するのさ。 概算なんだ。 後で数字が違ってたって責められやしねえ。 その数字が大幅に違うって事を証明するには、お前以外の誰かが行って測量しなけりゃならねえんだから。 誰も行きゃあしねえよ。 たとえ行く金があろうとな。
査定額は取りあえず千ルークとでも書いておけ。 それなら高いって文句言う奴なんかいねえさ。 そして数字の前をがばっと開けておくんだ。 低いって文句を言われたら、言われた数字を後から書き加えりゃいい」
まさに天啓! その手があったか。
ただ千ルークはいくら荒れ野に対する課税としてもあまりに少額。 絶対上げろと言われるだろう。 だが上司に言われて上げるのは私のせいではない。 それに下げろと言われたら私の査定に問題があったと言う事になり、始末書を書かされるが、上げる時は始末書を書かされる事はない。
「概算」で誤魔化されてくれるかどうかは大博打だが、私も生きるか死ぬかの瀬戸際。 迷わずその助言に従った。
一ヶ月後「測量」から戻り、私は査定を提出した。 更に一ヶ月後、私の提出した査定がそのまま通った事を係長から知らされた。 どうやら私は今回の査定も無事に切り抜けたようだ。
「測量費用」を清算し、受け取った払い戻し金で私は大家のリッテルさんに上等な酒を贈った。




