六頭杯 モンドー北軍将軍とカルア将軍補佐の会話
「若はどうしている?」
側で黙々と仕事をこなす補佐のカルアに聞いた。
「いつもの通り。 弓の稽古に忙しいと聞いております」
実は今日だけでも同じ質問を何度か繰り返しているのだが、それを責めるでもなく、数を重ねたからと言って違う答えを返すでもない。 仕事をする手を止めず、ただ静かに答えるべき事だけを答える。 私の質問の真意を知っているからだろう。 なぜ何度も同じ事を聞くのか訊ねようとはしない。
カルア程私を知る者はおらず、私の考えている事など筒抜けと言ってもよい。
私が今何を考えているか。 どうしたら若を執務室に呼べるか、だ。
私は将軍。 用事があるなら誰であろうとさっさと呼び出せばいい。 しかし用事などない。 ただ若と世間話がしたいだけなのだ。 世間話を用事と呼ぶのは少々苦しい。
いや、話などしなくてもいい。 あのつぶらな瞳が私の前に座ってこちらを見上げていれば。 あれを見るだけで癒される。 つまらない仕事に対するやる気も湧くというもの。
けれどそんな理由で若を呼び出そうとしたらカルアに止められて終わりだ。 私とてカルアを知らない訳ではない。 一筋縄ではいかない男だから正面から扉を叩いても居留守を使われる。 かと言って裏口や窓を使えば怒らせ、手厳しいしっぺ返しがあるだろう。 梯子を使っての強行突破など論外。 だから下らない質問をしつこく繰り返し、根負けしてくれる事を待っていたのだが。
カルアお得意の先手必勝がぴしゃりと来た。
「だめです」
まさか私に逆らおうとはなさらないでしょうが、念のため、と言わんばかりの凄み付き。
「まだ何も言っておらんだろうが」
「何もおっしゃる必要はございません」
将軍である私の方が頭が上がらないという一面が、このような時に表れる。 いくらカルアが敬語を使った所で、これではどちらが上官か分かりはしない。
カルアは部下と言えば部下だが、有能で能力だけを比べるなら私より余程ある。 将軍職を拝領したとしても充分こなせたであろう。 しかし身分が子爵家庶子であるため昇進したとしても大隊長止まり。
賢い彼は早々に自分の昇進に見切りを付け、補佐として私の昇進に尽力した。 全てにおいて頼りになり、私が将軍になれたのもカルアのおかげなのだ。
オークを射殺した若者の出自をその日の内に探り出し、若が目を覚ましたと同時に入隊願書に署名させた手際を見ても分かるだろう。 一見地味な文官だが洞察力の鋭い戦略家で、即断即決の実行力を併せ持つ。 常に人の一歩先を読み、欲しい結果を最速で生み出す能力は他の追随を許さない。
言いたくはないが、幼馴染みでもあるだけに少なからぬ弱みを握られている。 こいつが一旦こうと決めたら、たとえ上官の私でも変更出来ない。 将軍ともあろう者が部下に弱気でどうすると思わない訳でもないが。
若を呼び出す事にしても先の先を読まれ、だめ出しを食らっている。 理由なき呼び出しは他の兵士から贔屓と受け取られる、と。 その指摘はもっともなだけにそう強くも押せない。
だがこのまま言われっぱなしではいくらなんでも情けない。 黙っているのも業腹で、口では勝てた試しがないのを承知で言い返そうとした。
「しかしだな」
「若は時の人。 彼の噂は最早北軍内のみに留まりません。 将軍から頻繁に呼び出されるという事が、他軍、宮廷、そして陛下にどう受け取られるか。 そこの所、今一度お考え下さい」
「そのような他人の思惑をぐだぐだ悩んでいる内に、肝心の若が他にかっ攫われたらどうする。 上級貴族の婿養子に迎えられでもしたら移籍も已む無し、となってしまう。
それでなくとも甲冑献呈のおかげで、サダには借りが出来たとどの将軍にも思わせた。 本人はそうは思わんだろうがな。 そちらこちらから見合い話が雨の如く降っているのだぞ。 自軍が出遅れている場合ではなかろう」
「おっしゃる事はごもっともながら、若は三男。 家のしがらみがある訳でもなく、ヴィジャヤン伯爵御夫妻は本人の気持ちに任せるという鷹揚な態度でいらっしゃる。 どこから話が降って来ようと本人の意に染まぬ結婚を強要するような御両親には見えませんでした。
本人次第という事でしたら攫われる攫われないという問題ではないかと存じます。 そもそも結婚する気はない、と本人からはっきり断られているではありませんか」
「う、うむ。 そうは言ってもな。 これぞという女性にまだ出会っていないから、そのような事を言っているかもしれんだろう? 見合いも数をこなせば、その気持ちを変える事にならんとも限らない」
「今更申し上げるまでもなく、将軍のお嬢様は全員御結婚なさり、近い御親戚にも未婚のお嬢様はいらっしゃらない。 すると将軍の御紹介で話がまとまったとしても単なる仲人。 そうそう若と会う機会が増える事にはならないと思われますが」
「しかしあれほど遊びに来いと言ったのに、来ないし」
「社交辞令だと思われたのでしょう」
「見合いなら飛びつくと思ったのだがなあ。 女がだめなら他に何かいい餌はないか?」
そこで初めて仕事をする手を止め、少し間を置いた後、カルアが答えた。
「弓の競技会を開催する、という案は如何でしょう?」
「何、弓の競技会?」
「剣を始めとして、馬術、徒競走、水泳、犬ぞり等々、軍内には各種の競技会がありますが、今まで弓はありませんでした。 ただ若が競技する方に出場しては優勝するに決まっております。 それですと参加者の熱意は期待出来ません。 観戦する方にしても結果が最初から分かっている試合に大した興味は持てないでしょう。
そうではなく、若には主席審査員として模範演技を披露してもらうのです。 例えば優勝杯の名前を六頭杯と名付けるとか。 競技会の名前も六頭殺しの若記念弓技大会とする。 それでしたら盛り上がるのではないでしょうか?」
「ほう」
「その会の詳細を詰めるには主催者である将軍と主席審査員の懇談会が度々必要になるかと思われます」
「それ、いいな」
「では、早速その方向で」
追記
六頭殺しの若記念弓技大会は翌年春、第一回が北軍第一駐屯地、参加者五十名で開催された。 第二回は全北軍、参加者五百名。 第三回からは皇国全軍、参加者二千五百名に膨れあがる。 その後、皇国以外の国からも参加を希望する国が現れ、年々参加国が増え、二十年後には参加国五十、競技者一万人、見学者十万人を越える一大国際イベントに成長。 現在では国内最大のアトラクションである。
トビノ・モンドー北軍将軍
後年「北軍将軍年代記」に在位時最大の功績として六頭殺しの若記念弓技大会(俗称、六頭杯)の開催が記載される。