隠れんぼ 若の父方祖父、サンの話
「あのね、あのね、僕ね、レカ兄上に助けてもらったのー」
孫のサダはまるで遊びから帰って来たかのように明るく、ただいま、と言って母のシノに抱きつき、隣にいた少年を誇らしげに紹介した。
かわいい孫とは言え、サダを賢い子だと思った事は一度もない。 だが馬鹿と決めつける程ではあるまいと楽観していた。 残念ながら年を重ねたくらいでこの子が賢くなる事はないだろう。 今回の誘拐事件ではつくづくそれを思い知らされた。
死ぬ程心配させられた怒りのあまりに言うのではない。 私達は帰って来たサダに前後の事情を聞いたのだ。 話が要領を得ないので何を言っているのかよく分からない所がかなりあったが、要約すれば、裏庭で遊んでいたら犬が現れ、ペットにしたくて追いかけた。 結局捕まえられず、疲れて歩けなくなった所に出会った知らないおじさんが、お家に連れて行ってやると言ったので馬に乗せてもらった。 でもいつまで経ってもお家に連れて行ってもらえなかった、となる。
ヴィジャヤン伯爵家本邸は城壁に囲まれている訳ではない。 サダには日頃より敷地の外に出ないよう、きつく注意してあった。 本館は四百二十年前に建てられ、それ以来、約五十年毎に建て増しされている。 更に奉公人用の住宅も別に三棟あり、領民からはヴィジャヤン城と呼ばれるほどの威容を誇るが、許可無く敷地に出入りする事は可能なのだ。
ただ警備の者が巡回しているし、用もないのに敷地に入り込む不埒者などいない。 見つかったら厳しく罰せられるのだから。 と言う事は、あれ程注意されていたにも拘らず、自分から敷地の外へ迷い出て行った末に誘拐されたのだろう。 子供の足なら二時間近く歩いたはず。 いくら犬に夢中になっていたとは言え、どうして疲れ果てる程歩く前に周囲の景色の変化に気が付かないのか。 しかも攫われてからどんどん邸から離れて行っているのに、次の日になるまでおかしいとも思わなかったようだ。
敷地外へ飛び出した事に関してはきちんと叱っておかねばならないが、これはそもそもサダを見ていた大人が一人もいなかったから起きた事件と言える。 そんな野放し状態であった事は父であるサキの責任だ。
状況を見誤る事の滅多にないサキらしくもない。 だがなぜかサダに関しては他の子と同じ扱いにしようとはしないのだ。 下手な教師などやりこめるほど利発なサガとサジには、乳母の他に護衛兼侍従及び教師が三人づつ付いていると言うのに。 未だに数さえ満足に数えられないサダに子守りさえ付いていないのは片手落ちではないのか?
優秀な長男と次男がいるのだから、サダが爵位を継ぐ可能性は全くない。 とは言え、サダとて正嫡子。 サキには他に庶子がいる訳でもない。 武人として家名を上げる事がなかったとしても伯爵の子弟と結婚したい下級貴族や富裕な平民はいくらでもいる。 なのにサダに教師を付けないだけでなく、構わないように、とわざわざ奉公人に申し伝えた。
私が孫の教育に関して口を出した事など一度もない。 けれどこれは貴族の子弟にあるまじき放任。 見かねてサキに理由を聞いた事がある。
「私に少々考える所がありまして。 目に余る事もあるとは存じますが、あの子の教育に関しては一切変更する気がない事を予め御承知おき下さい」
理由を明らかにしないだけでなく、何とも取りつく島のない返答であった。 私とサキの親子関係は良好とは言い難く、シノなら何かを知っているのではと思い、訊ねたが、彼女にも似た様な返事であったらしく、納得のいく説明はなかったと言う。 私の妻にも聞いたが同じだった。
賢いから放任でも大丈夫、という理由でない事は確かだ。 かと言って馬鹿だからどうでもいいと言うのでもない。 サダは特に愛嬌を振りまく子ではないが、不思議な温かみがあって人を和ませる。 家族全員から深く愛されているし、もちろんサキにもだ。
奉公人にも人気があるようだが、主人に構うなと命令されている以上、逆らう真似は出来ない。 邪険にされはしないものの、サダはいつも一人で遊んでいた。 それで余計、誘拐に気付くのに時間がかかったのだ。
夕食の時サダが現れない、それだけで誰もが最悪を予想し、真っ青になった。 あのいつもお腹を空かせている子が夕食に現れないとは余程の事。
早速邸内を隈無く探し、敷地内も探した。 敷地内から迷い出たとしても邸は小高い丘の上にあるので、かなり遠くまで見渡せる。 子供の足で何時間歩こうと歩ける距離は知れている事を考慮するなら、最早誘拐されたとしか思えない。
ところがサキには少しも慌てた様子がなかった。 私兵を動員し、領内を探し始める事くらいはしたが、あたかもサダの行き先を知るかの如く、程なくして戻るだろうから心配するな、とシノに言っていた。 その言葉には単なる気休めを言っているとは思えない確信が感じられ、私始め家内の者は皆訝しく思ったのだが。 本当に間もなく見つかり、無事に戻って来た。
それはともかく。 問題はサダを助けたという、レカと名乗る少年だ。 赤みがかった白い肌をしているから明らかにクポトラデル人。
皇国の隣国であるフェラレーゼの更に東には、かつてヒリアンと呼ばれた国があった。 数百年もの間ノーイエン王朝が支配し、最盛期には皇国を脅かす程の軍事力を誇ったと聞く。 だが末期には数十年に渡る内乱と王位継承を巡る争いが続き、衰退著しく、国王は名ばかりのものになっていた。 九年前、遂に倒れ、代わりの王朝が立ち、国名をクポトラデルと改め、国の復興が進んでいる。
西南のヴィジャヤン領でクポトラデル人を見かけるのは珍しいが、一般人や貴族なら誰が亡命して来ようと私が気にする事はなかった。 けれどぼろを身に纏いながらも隠し難い顔立ちの美しさ。 瞳に宿る知性の輝き。 何より先の尖った耳を見れば、彼は疑いもなくノーイエン王朝ゆかりの者。
新王朝は僅かでもノーイエン王朝に血の繋がりのある者を皆殺しにしたと聞いている。 彼はおそらく最後の生き残り。 そんな事は私に指摘されるまでもなく、頻繁に外国に行っているサキなら容易に気が付いたはずだ。 にも拘らず、平気でサダにレカ兄上と呼ばせている。
ところで、私自身は外国の事情に詳しい訳ではない。 外国には片手で数える程しか行った事がなく、ヒリアンであった時だけでなく、クポトラデルとなってからも一度も行った事はない。 なのにノーイエン王朝に関して詳しいのは些か経緯がある。
ヒリアンで内乱が勃発したのは三十年以上前だが、その当時から隣国でもなければ姻戚関係があった訳でもない皇国上層部には内政干渉するほどの関心はなく、どちら側にも援助せずにいた。
およそ二十年ほど前、ノーイエン王朝先王の第二王子、パゼラ・ノーイエンと名乗る詐欺師が皇国に現れ、自分を援助してくれれば、王位を継承し次第、様々な便宜を図ろうと約束した。 皇国中の貴族がこの詐欺師を自宅で歓待したり、金銭を援助したりした。 実に王族らしい高貴な雰囲気を持った男で、私もまんまと引っかかった一人だ。
噂によると、ジョシ子爵だけはそいつが詐欺師である事を一目で見破った。 どうして分かったのか長年の疑問だったから、サキとシノの結婚式の際、思い切って本人に聞いてみたのだ。 ジョシ子爵は常に諧謔を以て答える皮肉屋として知られており、姻戚関係になっても鼻であしらわれる事を覚悟していたのだが、これに関しては勿体を付けるでもなく教えてくれた。
「耳さ」
「耳?」
「ノーイエン王朝直系男子の耳は先っぽが少しだけ尖っているんだ。 王女には出ないが、王子なら必ず現れる特徴でな。 まあ、ノーイエンの王族と会った奴じゃなきゃ気付けないよな。 うまい盲点を突いたもんだぜ」
ではジョシ子爵はどうしてノーイエンの王族と会ったのか? その質問には「一日一問」とはぐらかされて答えてもらえなかったが。
シノと結婚して以来、ジョシ子爵の仕事を何かと手伝っている様子が窺えるサキの事。 おそらくレカの出自に気付いている。 なのに長期滞在を許し、あまつさえ家族も同様の扱いにしているのが解せない。
新王朝と皇国に姻戚関係はまだないが、将来そうならぬものでもないし、そうならずともノーイエンの生き残りがいると知れば新王朝は必ずや刺客を差し向けるはず。 その時伯爵家の誰かが巻き込まれて殺されたらどうする。 旧王朝ゆかりの者を自宅で養うなど百害あって一利なし。 ヴィジャヤン伯爵家に災いを齎す種でしかない。
サダは遊び相手が出来たのが殊の外嬉しかったようで、やれ青だ、次は緑だとレカに新しい服を次々作って大はしゃぎだ。 滞在が長引けば長引くほど情が湧いて余計離れ難くなる。 なのに一ヶ月経っても二ヶ月が過ぎても、サキはレカを滞在させたまま。 森に帰そうとしない。 サダを助けてもらった礼は金で払えば済む事ではないか。
本人だって帰る気でいる。 ところがその度にサダが巧妙な方法で引き止めているのだ。 感情の動きを隠すのが上手なレカだが、美味しい物には弱いようで。 好物を食べる時、あの尖った耳がぷるっと震える。 目敏いサダがそれを見逃すはずはない。 レカが帰ろうとすると、さっと好物を差し出す。 そしてあれをまだ食べてないよ、これもまだだし、と言っては出発を一日延ばしにさせている。
一番困るのが、レカ兄上が森に帰るなら僕も一緒に付いて行く、とサダが言っている事だ。 サダは後先を考えないし、妙に有言実行の子なので、レカがいなくなったらまず間違いなく後を追う。 誘拐事件があったというのにサキは今までと変わらずサダに専属の護衛を付けていない。 だからサダが家出を実行するのは容易い。 しかしレカが住んでいる森の所在を知らないのだから途中で迷子になるのは目に見えている。 何度もサダを助けてくれる人が都合よく現れてくれるはずもない。 レカもそれを予想するだけに帰れないでいるようだ。
それなら近くの村に家を用意し、そこで暮らすように、とレカに言えば良い。 サダには三ヶ月に一度訪問する事を許すとか。 いくらでもやりようはある。
遂にしびれを切らし、サキを問い詰めた。 するとレカの後見人になり、戸籍を作ってヴィジャヤン姓を名乗らせるつもりだと言う。
「なんだと!正気の沙汰ではない! ノーイエン王朝の末裔である身体的特徴を持っているのだぞ。
百歩譲って戸籍を作ってあげるとしても、ヴィジャヤン姓である必要がどこにある。 いくらでも他に姓があるではないか」
「サダが連れて来たのです。 レカは必ずや我が家に幸運を齎す者となりましょう」
「何の根拠があってそのような突拍子もない事を言うのか?」
それに対してサキは答えなかった。 答えたとしても私が納得したとは到底思えないが。
とにかく私は大反対した。 爵位こそサキに譲ったが、伯爵として長年領地を支配していたから文官に指示を出し、レカの戸籍を破棄させるくらい難しい事ではない。 頑として反対し続ける私に正攻法では攻略出来ないと観念したサキは汚い搦め手を使った。
「おじい様、どうしてレカ兄上が僕の兄上になっちゃだめなの?」
説明してもサダに理解出来るはずはない。 だめなものはだめだと言おうとしてサダが涙目になっているのに気が付いた。
まずい。 この子の涙目には、何と言ったらいいのか。 誰も抗えぬのだ。 私を含めて。
私はその場からさっと走って逃げた。 先代ヴィジャヤン伯爵として少々威厳に欠けるやり方だが、理屈では勝てない。 いや、何であろうとあの涙目に勝てない以上、逃げるしかないのだ。
子供の事だ。 二、三日隠れて会わなければその内忘れるか諦めるだろうと思っていたが、それは甘かった。 しつこく私の後を追いかけて来る。 我ながらいい年をして何をやっているとは思うが、こうしてサダと私の隠れんぼごっこが始まった。
因みに、ヴィジャヤン伯爵本邸は本館と両翼の館を合わせただけで部屋数は七十を越える。 その他に敷地内に奉公人用の住宅三棟があるから、人海戦術を使うのでもない限り大人であろうと簡単に隠れている者を見つけるのは無理な広さだ。 子供のサダに隠れている私を見つけられるはずはない。 ないはずなのだが。
様々な場所を試したし、大人が助けている様子はない。 なのになぜか見つかってしまう。 無能にしか見えないサダに、このような卓越した能力があったとは。 私は密かに舌を巻いた。
切羽詰まった末に、私は代々の伯爵しか知らない隠し部屋に逃げ込んだ。 サキはその時不在だったし、家にいたとしても一子相伝の秘密なのだから爵位を継がないサダに教えるはずはない。
信じられない事に、それでもサダは私を見つけたのだ。 私のすぐ後を追っていたから部屋の所在だけはかろうじて廊下の端から垣間見る事も出来たであろう。 だが扉を開けるには、壁の飾りにしか見えないパネルを順序を間違えずに動かさねばならない。 なぜ分かったのかとサダに聞いたら、私の手の動きを真似たと言う。
廊下の端から部屋まで三十メートルある。 サキでさえ一度では覚えられなかった手順だ。 私の時も父に何度かゆっくり繰り返してもらって、ようやく習得した複雑な手順なのに。 遠くからたった一度見ただけで繰り返した、だと?
念の為、サダに目の前でもう一度やらせて見たら、きちんと間違えずに開けた。 がっくり肩を落とした所に、おじい様、いいでしょ、いいでしょ、とあの涙目で縋られ、ついに頷いてしまった。
帰宅してそれを知ったサキは呆れた顔を隠せない。
「サダに爵位を継がせるおつもりですか?」
約四百年前、沢山いる子供の誰に爵位を継がせるかを迷ったヴィジャヤン伯爵は、この部屋の扉を開けた者に爵位を継がせた、と言い伝えられている。 以来、「この扉を開けし者、爵位を継ぐ者なり」がしきたりとして受け継がれる事になった。
但し、サキのように一人息子でなくとも誰に継がせるかを迷う事などそうあるものではない。 選択する為という当初の目的で使われた事はほとんどなく、代々のヴィジャヤン伯爵は爵位継承式の際に父から扉の開け方を教えてもらっている。 だが子供が何人いようと開け方をただ一人にしか教えないしきたりは忠実に守られているのだ。 しきたりに従わねば呪いや祟りがあるという訳ではなくても。
扉を開けし者なのだ。 サダは爵位を継ぐ者となった訳だが。 どう見てもサダが伯爵の務めを果たすのは無理。 するとサガかサジが爵位を継承した時、この扉の開け方を教えず、次の代の爵位継承式で、サキかサダが教えるしかない。
このような前代未聞の事態を引き起こしたのは私の責任だ。 第一、サダにうんと言ってしまった手前もある。 渋々ながら私は反対を諦め、レカを公式行事に出席させない、他の貴族に紹介しない、長髪で常に耳を隠す事を条件に、レカ・ヴィジャヤンの戸籍を作る事に同意した。
それにしてもサダの鋭い観察眼には参った。 子供だから侮ったのではない。 サダだから、と侮った。 それが敗因だ。
又、いくら意表を突かれたとは言え、冷徹不動で知られる私を動かしたあの粘り強さと強烈な涙目。 もしかしたらサダは将来自力で爵位を掴む程の人物になるのではないか?
ふっ。 爺ばかも大概にせねばな。




