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弓と剣  作者: 淳A
寵児
232/490

長い夜

 フレイシュハッカ離宮に到着すると、まず離宮の門でひと悶着あった。 問題はケルパだ。 サリを連れてきたから当然ケルパも付いて来た。 ケルパがあまりに俺達家族の日常に溶け込んでいるものだから、動物は事前に許可を取らなきゃいけないとは思わずに離宮に到着してしまったんだ。 そこで初めて離宮の敷地内に入る事が許可されている動物は馬に限られていると教えられた。

 敷地内に入ったら馬は厩舎に行く。 犬に限らず何であろうと招待客が連れて来た動物は離宮内に入れない決まりになっているんだって。


 皇王族も犬や猫、小鳥などを愛玩動物として飼う事があるとエナが言っていたから、たぶん大丈夫だろうと思ったんだが。 甘かった。

 門番の兵士も困っていた。 そもそも招待客で愛玩動物を連れて来た前例はないんだとか。 そこで初めて気付いた。 サリが皇太子妃殿下となったらこの離宮は自宅になるから犬を何匹連れ込もうと問題ないが、今日は単なる招待客だ。

 それに皇太子殿下主催舞踏会は皇王陛下主催ほど大規模じゃない。 招待客はほとんどが公侯爵とその身内ばかりで彼らは全員馬車で日帰りが出来る距離に別邸を持っている。 俺達の様に離宮に宿泊する人はいないし、ケルパのように片時も離れないという事情はないから、愛犬愛猫がいたって家に置いてくればいいだけの話だ。


 門番が困り切って上官を呼びに行き、程なくしてバーセミュレン東軍准将が駆けつけてくれた。 バーセミュレン准将はたかが犬の事で突然呼び出された事に不快な様子も見せず、モンドー将軍を始め、サリや俺にまで丁寧に御挨拶下さった。

 東軍准将の名前なら俺だって知っている。 遠目に拝見した事もあるけど、直接口をきいたのは今日が初めてだ。 モンドー将軍は御前会議に出席する関係で准将とはお知り合いだからケルパの事をお願いして下さった。

「バーセミュレン准将。 御足労かけて大変申し訳ない。 ここなる犬はサリ様の愛犬でケルパと申す。 犬と侮れぬ忠義者故、何とか御目溢し戴きたい」

 バーセミュレン准将は鷹揚に頷かれ、護衛の兵士に命じた。

「サリ様お付きという事で許可証を出しておくように」


 なんとか離宮内に入ることが許され、ほっとした。 許可が下りなかったらサリを離宮ではなく、この近くにある知り合いの屋敷に連れて行かなきゃいけない。

 今では知り合いの屋敷はいくらでもあるし、ダンホフ公爵別邸ならたぶん事前の連絡もなく百人が泊まったって平気なくらいでかいだろう。 とは言え、ダンホフ公爵がこの舞踏会に招待した客だって何人も宿泊しているはずだ。 いきなり百人の護衛を引き連れて泊まらせて下さいと言うのは、そこがどんなに広大な邸だったとしても無茶だし、失礼だろ。 サリは部屋に泊まらせてもらえるかもしれないが、護衛の剣士は廊下でごろ寝か庭で野宿となるに違いない。

 野宿に文句を言うような剣士はいないけど、野宿の準備なんて持って来ていないから快適という訳にいかないし、今晩雨が降りでもしたら目も当てられない事になる。 それにダンホフの名誉にかけて野宿の真似はさせられない、と大変な無理をさせる事になったと思う。 ダンホフ公爵に借りを作ったら後が恐い、て言うか。 まあ、相手が他の誰だったとしても怖いんだが。


 ともかく無事、離宮内に入る事が出来た。 師範はグゲン侯爵夫妻に会いに行き、将軍も別室へ案内されて行った。

 侍従に先導されて俺達の為に用意された部屋に行くと、部屋の前には女官らしき女性が数人立って待っている。 一見しただけですごい迫力があるおばさん達だ。 怖いかも。

 エナが教えてくれたんだが、乳母と女官は皇王族に仕える女性という意味では同じだが、皇王室における地位は全く違うんだって。

 例えば女官に定年はない。 未婚で女官になり、結婚によって退職する事はよくあるそうだが、結婚しても夫が出仕を許せば続けて勤める女官もいる。 既婚の女官は妊娠や病気によって退官するのでもない限り滅多に辞めない。 皇王族の誰かの御不興を買い、退官を余儀なくされるという事もないではないらしいが。

 そして女官の総元締である皇王妃陛下女官長には皇国宰相に優るとも劣らない影響力がある。 後宮内人事の決定権があるだけでなく、気に食わない閣僚級官吏の首を飛ばすくらい朝飯前なんだって。 上級貴族の従者あたりにびびっている俺が、皇王族に仕える女官を怖いと思っても無理はないんだ。 みんな従者どころではない権力の持ち主なんだから。


 先頭の女官が進み出て、それはそれは優雅なお辞儀をした。

「皇王陛下第一皇王子オスティガード殿下御婚約者、サリ・ヴィジャヤン北方伯爵令嬢におかれましては御機嫌よろしゅう。

 ヴィジャヤン北方伯爵、同令夫人共々、今宵フレイシュハッカ離宮にお迎え致しまして恐悦至極に存じます。 私はファレーハ皇太子妃殿下付き筆頭女官、ネイロミ・サルジオルキと申します。 以後、お見知りおきを。

 こちらのお部屋をサリ様の御為に調えました。 舞踏会開始まで少々お時間がございます。 旅装をお解きになられ、何卒ごゆっくりお寛ぎ下さいませ。 御要望等がございましたら、ここに控える女官達に何なりとお申し付け下さいますよう、お願い申し上げます」

 お気遣い、どうもありがとう、と答えて部屋に入ろうとしたら、そこにサルジオルキさんの待ったがかかった。 

「あいや、少々お待ち下さいませ。 そこなる犬には別室を用意してございます」

「あ、そうなんだ。 じゃ、みんなでそっちの部屋に行くから。 案内して下さい」

「いえ、そちらの部屋は犬専用。 家具や寝具はなく、サリ様にお使い戴けるような寝室ではございません。 こちらのお部屋は皇王族が御利用なさる為のもの。 犬をお連れになる事は御遠慮戴きたく」

「一晩だけだし、ベッドとかなくても大丈夫です。 枕と上掛けだけ貸してもらえれば。 だからケルパがいてもいい部屋へ案内して下さい」

 枕と上掛けを貸して、と言ったのが気に食わなかったのか? なんだかサルジオルキさんの顔がぴきーんとなった。 離宮の寝具は高級だから床にさっと引いたらまずいのかな? 冬じゃないし、ここは北よりずっと暖かい。 別に毛布一枚でもいいんだけどな。

 じゃ、毛布だけでいいです、と言おうとしたら、サルジオルキさんに遮られた。 

「そちらは犬専用である為、窓もなければ充分な広さも無く、オスティガード殿下御婚約者様をお迎えするには不適当かと存じます。 部屋には御愛犬の世話をする女官が控えております故、何卒御安心下さいませ」

「俺達は窓がなくても狭くても平気です。 サリ、様、はもうすぐおねむの時間だし」

 俺が言い終わると同時に、ごおーーっと言う吹雪のような轟音を聞いた気がした。 恐ろしいまでの冷気が、ぶわっと押し寄せる。 いきなり冬?

 ひーーっ。 た、たすけてーっ。 この人、ひょっとしたらマッギニス補佐の叔母さん?


 マッギニス補佐の血縁関係を聞いておかなかった事を密かに後悔した。 心の準備がない所に来た不意打ちに一瞬怯む。 だけど師範のここ一番の地を揺るがす殺気やマッギニス補佐が発する大寒波にだって予告なんかない。 何とかそこに踏みとどまり、耐える事が出来た。

 もしこんな冷気に生まれて初めてぶちあたっていたら、へへーっ、恐れ入りました、とその場ではいつくばったに違いない。 幸いと言うか不幸にしてと言うか、マッギニス補佐の大寒波、いや、事によったら中や小にだってこれ以上の威力がある。 その引き金となってしまった時には、そっちこっちからやんわりとだが苦情を言われた。 俺としては苦い思い出だ。 でもその経験が思いがけずこんな場面で役に立った。

 冷気が目に刺さり、堪え切れず涙目になったが、はいつくばろうと逆さになろうとケルパを離す事に頷く訳にはいかないんだ。 その一心で、ぐっと踏ん張って凌いだ。

 だってケルパを別の部屋に置いてけぼりにしようとしたら、きっとドアを蹴破ってサリの側に来る。 離宮のドアを蹴破るなんて真似をしたら、そんな犬は殺す様に、と命令されても仕方がない。


「も、毛布さえあれば他には何もいらないです! お願いですからケルパと離さないで下さい!」

 必死にそう言ったら、ようやく何があってもケルパと別室になる気はない事が分かってもらえたようで。 サルジオルキさんは渋々ながらサリの為に用意された部屋にケルパが入ってもいい事にしてくれた。 ほっとして入室しようとしたら今度はエナが引き止められた。

「乳母の部屋は別に用意してございます。 御案内いたしましょう」

「え? でも俺達が舞踏会に行っている間、エナが側に付いていないと」

「サリ様をお世話申し上げる女官は五人ほど控えてございます。 足りないとおっしゃるならば十人にいたしますので御安心下さいませ」

「エナが側に付いているから、その人達はいいです」

「いえ、この者達が付いておりますので乳母は不用でございます」

「サリの側に居てもいいのはエナだけです!」


 針の様なサルジオルキさんの視線が、びしばし俺の肌に突き刺さる。 単なる比喩なんかじゃない。 気のせいかもしれないけど、本当に肌に痛みを感じた。 でも痛かろうとつらかろうと今日初めて会った人にサリを任せて舞踏会に行く気にはなれない。 ケルパが女官の人達を気に入るかどうかも分からないのに。 もしケルパが吠えたら、犬がだめって言ってるからあなたはサリの側に来ちゃだめ、て言うの? そんなのすごくまずいだろ。

 せめて伯父上(ジョシ子爵)がここにいたなら女官の人柄を判断してもらえたんだが。 俺じゃ初対面の人を信用していいかどうかなんて分からない。 まさか、あなたを信用出来ませんだなんて、そんな失礼な事を面と向かって言えないし。

 エナによると、舞踏会は大体夜八時から招待客が入場し始め、八時半に主催者である皇太子殿下が御臨席になる。 招待客が御挨拶申し上げ、九時辺りに舞踏曲が始まって、翌朝三時ぐらいにお開きとなる流れなんだって。 つまりぱっと行ってさっと帰ってくる、という訳にはいかない。 俺の場合身分が高くなったから途中で帰ろうと思えば帰れない事もないらしいが。 本当は皇太子殿下御夫妻が御退席なさるまで帰らないのが礼儀なんだそうだ。

 悪気があってごねている訳じゃないんです、という事をどう説明すれば分かってもらえるのか。 俺のおばかな頭じゃ適当な言い訳が見つからない。 目がうるうるしてきちゃった。 どうしよう、どうしよう。


「それほどまでにおっしゃいますなら乳母と女官がサリ様のお側にいるという事では如何?」

「エナだけにしてもらえないならリネもサリ様のお側を離れません。 部屋で俺の帰りを待っています」

「舞踏会には御出席なさらないとおっしゃる?」

「俺は皇太子殿下への御挨拶が終わり次第戻り、リネと交代します」

 サルジオルキさんの仏頂面を見る限り納得してくれたかどうかは怪しいが、ともかく譲ってくれて。 俺達が舞踏会から帰るまでエナだけがサリの側にいてもいい事になった。

 離宮が二重、三重に警護されている事は知っている。 ケルパさえいれば大丈夫だとは思うけど、念のため百剣の中でも身分や権威に対して強い抵抗力のあるミサンラン顧問とポクソン補佐にドアの前に立ってもらい、俺達が戻るまで誰であろうと絶対部屋に入れないようお願いした。 相手の身分が高くて追い返せない時には舞踏会の会場まで連絡を寄越し、俺の許可を取る様に。

 バートネイア小隊長とネシェイム小隊長には部屋の窓の外に立ってもらった。 これはケルパが何と言うか、この二人に何かあったら次に襲われるのはサリ、て事を知っているみたいだから。 それに二人はケルパが吠えただけで警戒警報だとすぐに分かる。

 ただケルパは犬なだけに相手の身分とか全然斟酌しない。 忍び寄って来た人が高貴な人だったら下手をするとサリを守った事を褒められるどころか、相手に怪我をさせた事を責められてケルパを殺すようにと言われないとも限らない。 それを防ぐ為にはどうしても人間の警備が必要なんだ。


 あれこれ手配したり怖い女官の人とやりとりしたせいで、俺は踊り始める前からぐったり疲れきっていた。 ダンスが好きな訳でもないのに、このうえ踊らなきゃいけないの? うんざり。

 だけどいくら早く帰りたくてもまだ宵の口。 長い夜は始まったばかり。 どうか顔に嫌気が出ていませんように、と祈りながら舞踏会へと向かった。


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