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弓と剣  作者: 淳A
寵児
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離宮

 いーやーだー、行きたくない、と思わず叫びたくなった。

 セジャーナ皇太子殿下主催の舞踏会が行われるのはフレイシュハッカ離宮なんだって。 それを聞いて目の前が真っ暗になったような気がした。

 思い出すのもおぞましい。 危うく殺されそうになった、あの経験。 当時皇太子殿下だった皇王陛下の身代わり任務で行かされた離宮だ。 


 場所が近場なのはいい。 叙爵されたため、それでなくともそっちこっちに呼び出されて行ったり来たりする機会が増えた。 その他にも大峡谷で水場建設が始まったら時々行って進捗具合を見なくちゃいけない。 自分の領地の事なんだから。

 そのうえ任務であっちこっちに出張して、移動だけで一日が終わる事だってある。 近場でなきゃもうどこへも行けないぐらい予定はキツキツ。 だけどいくら近かろうと、あそこは出来ればもう二度と行きたくない場所だ。


 そりゃ離宮そのものに罪はない。 滞在した一週間、とても優遇されて快適だった。 寝心地の良いおふとんと美味しい御飯でさ。 途中で襲撃されるという事件さえなかったら何度でも行きたくなるような美しい宮殿なんだ。

 離宮の中で襲われた訳でもないんだし、離宮の外で襲われたからって行きたくないと騒ぐほどの事でも、と思うかもしれない。 残念な事に滞在中も碌な思い出がなかった。 と言うのも最初の夜こそ泣き疲れて眠って朝まで目が覚めなかったが、次の日から俺は毎晩悪夢にうなされるようになったんだ。


 夢の中で俺は必死に数を叫ぼうとしている。 でもどの数を叫んだらいいのか分からなくて。 とにかく何でもいいから叫ぼうとするんだけど、なぜか数字が一つも思い出せない。 うんうん魘されている所をトビに揺り起こされた。 それが毎晩。 あれを今思い出すだけで、どっと疲れる。

 せっかく美味しい御飯を出してもらったのに全然食欲がわかなくてあんまり食べられなかったし。 御飯を残しちゃいけませんと躾られて育ったから、よっぽどの事がない限り食べ残した事なんてないんだけど。

 出された食事の量だって、いつもなら朝御飯とお昼の間にぺろっと食べちゃうくらいの量でさ。 間食なんてしてないからお腹が空いてるはずなのに、どうしても食べ切れない。 泣く泣く量を三分の一に減らして下さい、と料理番の人にお願いした。


 三十二人の凄腕の傭兵に襲われて助かったんだ。 誰に言われなくとも幸運だったと思っている。 そう頭では理解しているんだけど、あれがいい思い出だなんて間違っても言いたくない。

 第一駐屯地に帰った後もしばらく同じ悪夢にうなされた。 あの夢を見ると、もう、朝からどよーんとした気分で。 ほーんと、参った。

 その内見なくなったけど、忘れたからじゃない。 帰ってから間もなくしてマッギニス補佐が俺の部下となり、更に性質が悪いと言うか、怖い夢を見る様になった所為で数の悪夢を見なくなったんだ。 

 新しい夢も以前の悪夢とどこか似ていた。 俺は必死に何かを言おうとしている。 なのに唇がびしっと凍って何も言えない。 ただ唇が凍るのは後で実際に起こったから、単なる悪夢とは言えないのかもしれないが。 予知夢?


 ここだけの話だが、実はこの他にも俺は結構予知夢っぽい夢を見たりする。 予知夢が見れるだなんてすごい、と思うかもしれない。 便利だな、とか。 準備が出来るじゃん、とか。 残念ながら俺の夢ってどれも予め知っていたって何の役にも立たないものばかりだ。

 危険の予知が出来るならありがたい。 俺だってそれなら自分の夢見能力をすごいと思っただろう。 入隊直前にオークにぶち当たった時だってあの馬車に乗る前に、止めといた方がいいぜ、とか嫌な予感でもあれば、あんな目にあわずに済んだ。

 いや、自分の危機でなくたっていい。 他の誰かが危ない目にあおうとしている所を止められるなら、ちゃんと教えてあげる。 誰かの役に立っているというだけで嬉しいし、無駄じゃない。


 だけど俺の夢って、例えば大峡谷に旅した時見た、帰った途端ひどい臭いの所為でリネに口で息をされたとか、そんな夢ばっかりなんだ。 そんなの予め知っていたってどうしようもない。 風呂に入れる状態じゃないんだから。 そもそも夏に一ヶ月風呂に入らなかったらどうなるかなんて夢を見るまでもなく分かるだろ。

 唇が凍る夢だって何を言ったせいで凍ったのか、そこは夢に出て来ない。 だからそれを言わないという事が出来ないんだ。 もう凍っている所を見せられたって、それが何、て感じ。


 まあ、それでも唇が凍る夢は数の悪夢を打ち消してくれただけましと言える。 それに傭兵に襲われたのは嫌な体験だが、それによって皇王族である事がどれほど大変なのか身を以て知る事が出来た。 ある意味、貴重な体験だった。

 だって皇王族になったら暗殺の危険なんて日常茶飯事なんだよな? 美しい宮殿でふかふかのお布団に寝ても悪夢を見て、毎日美味しい物が出されても食欲がわかなくて食べられないだなんて。 皇王族に生まれなくてよかった、とつくづく思ったね。 それに親としてサリの将来の苦労を少しは垣間見る事になった。 そう考えるならそんなに悪い事じゃないが。 あの離宮に行きたくない事に変わりはない。

 仕方がないからこれは任務なんだと思う事にした。 断れない以上俺にとっては任務も同然だし、任務なら好きとか嫌いとか関係ない。 ただやりとげる。 それしかない。


 余談だが、リネと一緒に寝るようになってから悪夢は勿論、夢らしい夢は一度も見ていない。 ぐっすり眠って、ぱっと目が覚める毎日だ。 誰にも言ってないが、俺的にはこれだけでもリネと結婚した甲斐があったと思っている。

 勿論嬉しいのはそれだけじゃない。 リネったら背中を掻くのがうまいんだよな。 あの思いやりの籠った強過ぎず弱からず、すーっと背中の中心を掻いていく手。 しーみじみと、ああ結婚してよかった、と思う瞬間だ。 リネに捨てられないようこれからもがんばるぞ、と密かに決意を新たにしたりする。

 あ、これってのろけだった? てへっ。


 それはまあ、どうでもいい。 とにかく短い旅だけど、サリを自宅に置いて行くか、それとも一緒に離宮に連れて行くかを決めなきゃいけない。 どちらに決めても準備しなきゃいけない事が沢山ある。 連れて行くならそれを皇太子殿下に予め御連絡申し上げないと。

 今回は将軍と大隊長二人が行くので護衛剣士が合計百人付いて行く。 将軍の護衛には百剣が付く事になっているからサリも一緒に連れて行けばこれ程安全な事はない。

 離宮にも皇太子殿下をお守りする東軍の剣士がかなりの数、配置されているし、父上や兄上も招待されているだろう。 なんだかんだ言って俺には上級貴族の姻戚関係も増えたから、そちら関係の護衛剣士もいる。

 もしサリを自宅に置いていくとしたら百剣は残していく、と将軍がおっしゃるかもしれない。 だけどそれじゃあまりに将軍に対して申し訳ない。

 それにこの舞踏会は公式行事で毎年恒例だから知らない人はいない。 誰が出席するかも決まっている。 サリを自宅に置いて出掛けたら、留守を狙う絶好の機会となるだろう。 留守の護衛兵士の数を増やそうと思えばいくらでも増やせるが、数が増えれば増える程盲点も増える。 その不安がどうしても拭えない。 その点、一緒に連れて行けば常に俺と師範が居るので安心だ。


 但し、その場合、別な意味でまずい事がある。 なぜなら離宮には間違いなく皇太子殿下の御家族全員がいらっしゃる。 偶然であろうとサリが皇太子殿下のお子様に会ったりしたら皇王陛下かオスティガード皇王子殿下のお付きの者達、或いはその両方の御機嫌を損ねるかもしれないとトビに忠告された。

 赤ちゃんであるサリに会ったからって何が起こる訳でもない。 皇王子殿下だって三つや四つじゃ会ったって覚えていないだろ。 婚約者のオスティガード皇王子殿下だってよちよち歩きだ。 俺より先に俺の婚約者に会いやがって、と文句を言うはずはない。

 とは言え、サリを親元で育ててもよいとお許しが戴けたのは後宮で育てると他の皇王子殿下にも会ってしまうから、という理由だったらしい。 そう言われると迷っちゃう。


 結局、俺はサリを一緒に連れて行く方を選んだ。 宮廷や皇王族の思惑は心配し始めたらきりがない。 それより今この時、俺が信じる一番安全な道をサリのために選んであげたい。 それでも守れなかったら諦めもつく。 でも思惑とか遠慮とかの理由で二番目に安全な道を選び、もし何かが起こったら、それは取り返しのつかない後悔となると思ったんだ。

 ただ今回は連れて行けるが、これから似たような事が何度もあるはずで。 その時にも連れて行けるのか、という疑問はあるんだけどさ。

 舞踏会はともかく、任務でどこかに行く度にサリを一緒に連れて行く事は出来ない。 新年の御挨拶は元々家族で上京するものだからいいが、俺の領地である大峡谷なんて子供が住める場所じゃないし。


 そこでふと、小さい時から父上母上が俺達を色んな所に一緒に連れて行ってくれた事を思い出した。 今考えてみれば貴族に限らず、誰だって子連れの旅はあまりやらない。 危険だし面倒くさいし。 

 それに様々な貴族のお宅にお邪魔して分かったんだが、夫と妻は別行動する方が普通なんだ。 普段は別々の家に住んでいて、顔を会わせるのは何か行事とか理由があった時だけ。 俺の家ではいつもみんな一緒に暮らしていたし、サジ兄上が皇都に旅立たれるまでずっとそうだったが、そっちの方が変わっていたのだ。


 父上はどんなお考えで、いつも家族全員で旅をなさったのだろう? そんな質問をした事がないから分からないけど。 俺にとって親兄弟と一緒の旅はとても楽しかった。 そりゃ便利な所ばかりじゃない。 それどころか不便な所の方が多かったが、家では絶対見る事の出来ないものが家族で一緒に見れた。 その思い出は何にも代えがたい。

 今回だって妻と娘を連れての旅。 そう考えたら楽しいはずなんだよな。

 サリが瑞兆でさえなければなあ。 人気者の娘を持つと本人も苦労するだろうけど、親も苦労するぜ。

 それでも一緒に乗り切るしかない。 俺はサリの父親なんだから。


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