デザート 「トアローラ料理店」店主の話
皇都には外国人街と言うか、ある国から来た人が固まって住んでいる一角が幾つかある。 ランヨン街もその一つだ。 正式名称は別にあるが、ランヨン国から来た人達が大勢その辺りに住んでいるのでそう呼ばれている。 正式に店として登録してるものだけでも大小千を越えるだろう。 娼館、賭場、飲み屋、食堂、劇場、衣料品店、装飾品店。 怪しげな玩具から媚薬まで何でも揃っている。
看板もランヨン語と皇国語の両方で書かれていて、異国情緒を楽しめるだけでなく、他の街には見られない活気がある。 それに惹かれ、お忍びで遊びに来るやんごとなき御身分の方もいらっしゃる。
私はそのランヨン街でトアローラ料理店を営んでいる。 トアローラはランヨン語で「甘くとろける」と言う意味だ。 その名からも分かるように、デザートには力を入れている。 メインの料理よりも。
皇国の料理店なら夕食にデザートを出す所はあまりない。 この国では甘い物はお茶の時間に食べるから。 夕食の締めに甘い物を食べるのはランヨン国特有の習慣だ。
本音を言えばデザート専門店を出したかったのだが、皇国ではお菓子とは子供の食べる物で「デザート」という概念自体に馴染みがない。 いくら大人が楽しむ為のお菓子と銘打った所で高額だと売れないのだ。
私の作るデザートは手間がかかっているし、材料費も安くはないから普通のお菓子の値段で売ったら商売にならない。 茶館は沢山あるが、そこでの主役はお茶で、お菓子は添え物だ。 高級なお茶はそれだけで非常に高額だし、客はお菓子を目当てに来店する訳ではない。 お菓子まで高額となると庶民には手の出ないものになる。 つまり貴族が気軽に立ち寄れるような場所に店を出したのでもない限り客は来ない。
しかし貴族向けとなると、立地、建物、店内の雰囲気もそれなりでないと。 平民用の茶館にわざわざ立ち寄る貴族なんていないだろう。 相当な借金を覚悟しなければ店が出せない事になる。
それで小さな料理店でデザートを出す事にした。 料理なら少々値が張っても金を出す人がいる。 名前が知られる様になれば少々遠くても客は来る事を期待して。
店を出して十年。 お口の肥えた御客様が常連となって下さったおかげでトアローラ料理店は皇都で名前が知られる様になった。
お客様の中にはランヨン王宮調理室で修業した私を大層気に入って下さり、専属の料理人にならないか、とお誘い戴いた事もある。 しかしお邸専属となってしまうと自分の好きな料理ばかりを出す訳にはいかない。 それでいずれも丁寧にお断り申し上げた。
自分の店を出していると苦労はあるが、好き勝手をやれる。 様々な食材を試し、思いがけぬ御客様にお会いする幸運がある。 そう思うようになったのは、ある御家族に出会ったからだ。
そのお客様は常連と言える程何度も御来店下さった訳ではない。 数年前に初めて店にいらっしゃった時、奥様が私のデザートを大層気に入って下さって。 それ以来、時偶御来店下さる。
旦那様が、妻の御機嫌を取るにはこの店に来るのが一番だ、と笑っておっしゃった。 そのように何気なく料理人の心をくすぐるお言葉を下さるお客様なのだ。 私の心の中では上客の中の上客になっていた。
物腰の優雅さ、着ている物の仕立ての良さを見れば貴族だろう。 それは店内には入ってこないが、店外にさりげなく控える護衛の剣士がいる事を見ても分かる。 けれど貴族にありがちな尊大な態度をお見せになった事は一度もない。 いつも御家族で和やかに料理を楽しまれ、心付けをはずんでお帰りになる。
御子息が三人いらっしゃり、最初の頃は御家族五人で御来店下さったが、その内上のお二人はお仕事の関係で独立なさったとかで、お連れになるのは御三男お一人となった。
上の御子息はどちらも物静かで礼儀正しく、腹八分で食事を終えられるが、御三男は元気一杯。 いつも美味しそうにもりもり沢山召し上がって下さる。 料理人にとっては見ているだけで嬉しくなるお客様だ。
お小さい頃から大人顔負けの量を召し上がっていらしたが、不思議な事に少しも太っている様には見えない。 そしてデザートを召し上がる時、まず、じーっと見つめる。 その後で、はあーっとため息をつきながらお聞き下さるのだ。
「こんなにきれいなお菓子、ほんとに食べちゃっていいの?」
今度はどんな飾り付けで驚かしてやろう、と料理人の悪戯心が刺激され、それが私の密かな喜びとなっている。 お客様に差を付けるつもりはないが、次のお越しが待ち遠しいと思う御方はそれ程いるものではない。
そんなある日、店に四人の男が来て昼酒をあおり始めた。 ちっ、と心の中で舌打ちする。 ここは普段、昼は茶菓子のみで酒を出さない。 だが、せがまれて嫌と言えなかった。
私のような噂に耳を傾けたりしない者でも知っているくらい、この四人の飲んだくれはこの界隈では金にあかせた遊びと派手な喧嘩で有名だ。 貴族だか豪商だか官僚だかの次男、三男らしい。
本当のところは誰も知らないが、若くて金があり、腕も立つのだとか。 三拍子も四拍子も揃っているのだ。 昼酒ぐらいで目くじら立てる奴はいないし、女にももてると聞いた。
私に言わせれば、こんな奴らは貴族だろうと何だろうと近寄るのも忌まわしい碌でなしだ。 自分が稼いだ金じゃないから無駄使いしても屁でもないんだろう。 とは言え、苦々しさを正直に顔に出す程私も馬鹿じゃない。 店の中で暴れられたり、街の警備の者を呼んだ所為で報復されたら被害は今日の売り上げだけでは済まない。
どうか早く帰ってくれと天に祈ったが、悲しい事に私の祈りは届かず、四人は次々と酒を注文し騒ぎ始めた。 他の御客様は早々にお帰りになられ、或いは入店しても酒飲みがいると気付けば皆そのまま回れ右しておしまいになる。 もう今日の売り上げは諦めるしかない。
なんとも間の悪い事に、そこに例の御家族が御来店になった。 明らかに出来上がっている酒飲みがいるのを見ても、お帰りになられるどころかお席につこうとなさる。 このような上客に失礼があってはとんでもない事。 私は慌てて、がらがらの店内を前に苦しい言い訳をし始めた。
「誠に申し訳もございません。 本日は、その、お席の都合がつきませんで。 又の御来店をお待ち申し上げております。 その際に今日の埋め合わせをさせて戴けないでしょうか?」
すると御三男が酒を飲む男達に目を留め、店中に聞こえる声でおっしゃった。
「あ、あの人、ギャダムネイ子爵の次男だ。 その隣はエムバット男爵の三男だよね? なんだ、マシケウィッツ伯爵の四男とメンズバーン準子爵の息子もいる。
父上。 名前をお呼びする時は位の高い順にするものだってエムンドセア先生がおっしゃったんですけど、あの人達の中では誰が一番上なんですか?」
私の背中に、どっと冷や汗が流れる。 けれどそれを聞いた旦那様は御子息の御質問に焦るでもなく、静かにお答えになった。
「爵位のある者、或いは継嗣なら呼ぶ順序を気にせねばならない。 だがあそこにいるのは爵位を継承する見込みのない者達ばかりだ。 順序は気にせずとも良い」
酒飲み達の笑い声が止み、しーんとなった店内に呑気な御子息の声が響き渡る。
「じゃあ挨拶しに行かなくてもいいんですか?」
「うむ。 そう言えば、彼らの父に連絡せねばならない事があった。 丁度良い。 ついでに伝言を頼むとしよう」
そこで旦那様は私に紙とペンを御所望になった。 それをお渡しすると、さらさらと何かを書き込まれ、その四人の席に行き、折り畳んだ紙を夫々に手渡された。
「ヴィジャヤン伯爵からの伝言である。 そなたらの父にしかと伝えるがよい」
四人は酔いがすっかり醒めた様子でお手紙を受け取り、そそくさと店を出て行こうとした。 すると伯爵様がお呼び止めになり、私に向かってお訊ねになった。
「主、勘定はどうなっている?」
もう二度と店に来ないと約束してくれるなら全部ただにしても良かったのだが、そんな事を口にする訳にもいかない。 私が半額にした酒代を言うと四人共しぶしぶ払ってくれた。 その時初めて財布の中にいくらあるかを知ったようだから最初から踏み倒す気でいた事が分かる。
四人が言われた額だけ置いたのを御覧になった伯爵様がおっしゃった。
「店に迷惑をかけた時は心付けを加えるのが礼儀である。 手元にないなら屋敷へ使いを走らせ、金を都合するように」
おかげで逃げられた御客様の分も払ってもらえた。 あちらの財布はすっからかんになったようだが。 どうかこれで他の店にも迷惑をかけず家に帰ってくれ、と祈らずにはいられない。
報復されるんじゃないか、少し心配したが、伯爵様がわざわざお名前を名乗って下さった。 この店が御贔屓だという事は酒を飲んでいても分かっただろう。 その庇護こそ金に換え難い恩寵だ。 ならず者や貴族を怒らせたら怖いのは被害がその日だけでは済まないと言う事だが、おそらく報復はあるまい。 この店に手を出そうにも自分達の身元が知られている。 伯爵様のお怒りが親に伝わって勘当される事を恐れるに違いない。
私は伯爵様に何度もお礼を申し上げ、お代は結構ですからこれからいつでもお食事にいらして下さい、と申し上げた。 すると、そんな事を言われては申し訳なくて次から来れなくなってしまうと伯爵様がおっしゃる。 それで今でもお代を戴いているが。
これが御縁で四年後に伯爵様の御長男が御結婚なさった時、更にその四年後、御次男が御結婚なさった時にも私がデザートを担当した。 どちらも式後、大変な評判となり、いつしか私は皇国でも指折りのデザート職人として知られるようになった。 今では皇国の料理店でも普通にデザートが出るが、それらの店で働くかなりの職人が私の店で修業した私の弟子だ。 有名になったおかげで本店も繁盛している。
御三男が六頭殺しとして勇名を馳せた時、我が事のように嬉しかったが、北に住む御三男が皇都の店に再び御来店下さる事は難しかろう。 それがとても残念でならなかった。 それで皇都の店は弟子に任せ、北にトアローラを出店する事にしたのだ。
開店したのは瑞鳥が飛んだ年で、私がトアローラの開店をお知らせしたら、有難い事にヴィジャヤン大隊長は奥様と御一緒に御来店下さった。 これ程御出世なさったというのに相変わらず気さくな御方でいらっしゃる。 話のついでに北にはアイスクリームというものがある事を教えて下さった。 それは牛乳がある北でしか作る事が出来ない特別なお菓子だ。 無限の可能性を秘めたこの素材に出会い、やはり北に出店したのは正解だったと改めて感じた。
アイスクリームに私なりの工夫を加え、店のスペシャルにした。 次に北方伯御夫妻が御来店なさった時、細やかながら私からの叙爵のお祝いとして「ファエビエーン」と名付けたデザートを召し上がって戴いたのだが、とても喜んで戴けて。 厚かましいとは思ったが、その時色紙をお強請りしたら気軽に書いて戴けた。
「食べちゃうのがもったいないよね
サダ・ヴィジャヤン」
私の勲章とも言うべきその色紙は店の金庫に入れてあり、お得意様とか特別な御方が御来店になって是非にと所望された時にだけお見せしている。 例えばランヨン国第三王子様に御来店戴いた時とか。
くくく。 色紙を見た、あいつの顔ったらない。
いや、王子様の事を言っているのではない。 私を王宮調理室から蹴り出した男の事だ。 王子様付き料理番として皇国にやって来たのだろう。
「さすがは北方伯御贔屓の店じゃ。 これほど美しく、とろけるデザートをかつて食べた事はない。 まさしくファエビエーン。 この珠玉の一品を持ち帰れぬとは残念でならぬ。 是非とも王宮調理室へ戻ってきてほしい」
王子様の賞賛のお言葉を聞く、あいつの顔! あれを額に入れて飾っておけないのが残念でならぬ、だ。 あっはっはっ。
因みにファエビエーンはランヨン語で「北の幸せ」という意味だ。




