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弓と剣  作者: 淳A
寵児
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社交ダンス

 結婚式から帰って、ほっと一息つく間もなく、どーーっと疲れるものが俺を待っていた。 師範と、おそらく将軍も受け取ったはずだ。 見間違えようのない皇王室の紋章が鈍い光を放っている。 豪華な紙に、美しい書体。 書かれてあるその詳細はどうでもいい。 要するに、五月の下旬に開かれるセジャーナ皇太子殿下主催の宮廷舞踏会への招待状を貰ってしまったのだ。 普通なら大変な名誉で、招待状を戴いた事は喜ぶべき事なんだけど。 俺は大きく深くため息をついた。


 新年の御前試合なら爵位のある貴族とその家族は誰でも観戦出来るが、その翌日に開かれる皇王陛下主催の宮廷舞踏会に招待されるのは侯爵以上か、上級貴族から招待状を分けてもらった者に限られる。 この他に皇王族のどなたかが主催者となって宮廷舞踏会を開く事もあるらしいが、毎年恒例となっているのは新年と五月の二つだけ。 公侯爵は姻戚関係、派閥、恩を売るとか色々考えた末に、今回はこいつ、と招待状をあげる訳だ。

 中下級貴族はその招待状欲しさに上級貴族に擦り寄っていく。 特に息子や娘を少しでも上の位の貴族と結婚させたいと願う親にとっては、この日はとても重要な集団見合いの場でもある。 見初められるなんてこういう機会でもなければあり得ない。 そう言えば、俺の父上と母上も宮廷舞踏会が馴れ初めなんだとか。

 勿論出席したい理由はそれだけじゃない。 うまい儲け話、手紙の様な形に残したくない話、噂も手に入る。 名誉なだけでなく顔を出しておけば有形無形の様々な利益があるから皆招待されたがる訳。


 父上はサハラン近衛将軍と仲が良かったし、人脈も広いから伯爵だけどいつも招待されていた。 サガ兄上はヘルセス公爵令嬢と結婚してから義父の縁故で招待状を貰うようになった。 これからはサジ兄上も出席するだろう。 ダンホフ公爵の娘婿だし、御典医という職業柄、舞踏会のような場には全部ではなくても交代で出席しなければならないはずだから。

 でもとっくに結婚して、しかもこれ以上昇進したい訳でもない俺や師範にとって舞踏会は稽古の邪魔でしかない。 迷惑極まりないんだが、招待状を貰った以上、出ないという訳にはいかないのだ。


 貴族からの招待状なら嘘の言い訳で断っても角は立たない。 だけど皇王族からの招待となると、例えば親が死んだ、或いは死にそう等のきちんとした理由が要る。 仮病なんてとんでもない。 ばれた時に非常にまずい事になる。

 もし本当に病気なら名代を出席させなきゃいけない。 それだって誰を選ぶか、ちゃんと考えておかないと。 その時の名代が自分の跡を継ぐ、という暗黙のしきたりがあるんだって。 だから、この人ならこの日空いている、みたいな理由で名代を選ぶ訳にはいかない。

 名代は普通、継嗣が務めるが、俺の子供は赤ちゃんだから名代になれない。 すると誰を俺の名代にするか、ふかーく考えないと。 因みに年上を名代に指名する事も出来ない事になっている。 だから実父母、義父母、義兄や義姉に頼む事は出来ない。 要するに自分が出席した方がよっぽど面倒がないんだ。

 ただ出席したらしたで問題がある。 俺も師範も身体に不自由がある訳じゃないから舞踏会に顔だけ出して踊らないと言う訳にはいかない。 ひゃらひゃら踊ってもいいなら悩まないさ。 宮廷舞踏会で皆が踊るのは社交ダンスと呼ばれるもので、ステップに細かい決まりがある。 俺も師範もそんなものを習った事なんかない。


 どうして伯爵でしかない俺がこんな面倒くさくて欲しい訳でもない招待状を貰う羽目になったかと言うと、オスティガード殿下の婚約者の父だから。 上級貴族からのばらまき招待状ではないので辞退する事は出来ない。 俺はこれからもずっとこの舞踏会に必ず招待される身分になってしまったんだ。

 まあ、皇王族主催の宮廷舞踏会はそうそう何度もあるものではないらしいが。 例えば外国の大使が来てやる歓迎舞踏会。 それも場所は皇王城で開かれるので宮廷舞踏会と呼ばれる。 でも主催者は宰相なので断りたければ断ってもいいんだって。

 師範の場合、招待状はグゲン侯爵から贈られている。 だから断りたければ断ってもよい。 グゲン侯爵は余った招待状を他の人に回せば済む。 でも、是非出席してくれ、と義父に縋られたらしい。 婿を見せびらかしたいのだ、と正直に言われては、師範も嫌とは言えなかったようだ。

 師範には申し訳ないが、一緒にいてくれると心強い。 俺の家族も親戚もいっぱいいる。 一人ぽつんと壁の花って事はないし、それどころか大勢の人にわいわい囲まれると思うけど。 みんな舞踏会なんてそれが何、こんなの日常茶飯事、と場慣れした人達ばかりだ。 場違いな所に居るせいで感じる、お尻のあたりがむずむずする感覚が分かってくれる人って、たぶん師範しか居ないと思うんだよな。


 ともかくそういう訳で俺達は急いで社交ダンスを習う羽目になった。 と言うのも同格か格下の人から誘われたのなら断れるが、格上の人からのダンスのお誘いは名誉な事で、断ったら失礼になるのだ。

 そもそも俺の場合、叙爵式を終えた段階でダンスは練習しておかなきゃならなかったんだよな。 でもさ、叙爵式でこけて叙爵取り消しとか、ありえない事じゃないだろ。 だからまず式を無事終える事だけを考え、他は何もしなかった。 終わった後は、まあ、来年まで時間もある事だし、と気楽に構えていたら。 この招待状の舞踏会が行われるのは来月。 

 んもー、一寸延ばしにしていた事に限って、こうだもんな。 


 ところで練習しなければならないのは俺と師範だけじゃない。 リネもだ。 ヨネ義姉上は幼い頃から練習しているので踊れるが、臨月だから欠席する。 夫婦のどちらか一方だけが出席しても問題はない。 舞踏会では元々配偶者以外と踊るものだから。

 それでリネにはエナが、俺と師範にはフロロバが教師として付く事になった。

 あのぽっちゃりのフロロバがダンスの教師? と意外に思うかもしれないが、太っている人は踊れないと思うのは単なる偏見だ。 俺も三年前の秋祭りの時まで知らなかったけど。


 祭りの時、踊り出した俺の後にさっと続いてくれたのは部下の中でも一番鍛えていない体型のフロロバだった。 最初は乗りのいい奴としか思わなかったが、一緒に踊っている内に彼の動きの鋭さに気が付いた。


 ひゃらひゃら、ぴっ。

 ひゃらひゃら、ぴっ。


 ひゃらひゃらは誰にでも出来るが、ぴっと止める角度を決めるのは簡単そうに見えて誰にでも出来る事じゃない。 大抵は角度が甘いか偶にしか決められない。 御近所の皆さんも次々と踊り出したが、手足を美しく狙った角度で止める事が出来ているのはフロロバだけだった。

 体型的に見たら引き締まった体をしている他の隊員の方がよっぽどうまく踊れそうなんだけど。 社交ダンスに限らず、踊る事が出来るのは俺の部下ではフロロバとマッギニス補佐だけだ。 マッギニス補佐は滅茶苦茶忙しいからダンスの教師なんてしている暇はない。 それでフロロバが教える事になった。


 踊るには気持ちというか気構えというか。 踊っちゃうもんね、という「その気」が必要なのだと思う。 踊る気のない人には踊れない。 その逆もまたしかり。 体型がどうであろうと踊る気のある人には踊れるのだ、という事をフロロバが教えてくれた。 それにフロロバはとても体が柔らかい。 そんな所もダンスに向いていたんだろう。


「それにしても、フロロバ。 社交ダンスなんて一体どうして習う事になったの?」

「入隊する前、貴族の家に半年くらい下男として奉公していた事があるんです。 そこではしょっちゅう舞踏会が開かれていまして。 普通ならお客様にお飲物や軽食を出すのは侍従や侍女の役目なんですが、そういう時には人手が足りないから私も給仕に駆り出されたんです。 その時踊っているお客様のステップを見て覚えました」


 器用な奴とは知っていたが、ここまで器用とは。 確かに男の舞踏服は女性の服とは違い、足がちゃんと見える。 でも見ただけで覚えるのは簡単じゃない。 社交ダンスのステップには三種類ある。 動きが遅いやつと中間の早さのやつは見れば覚えられない事もないかもしれないが、早いやつはぱっと見て真似が出来るような生易しいものじゃないんだ。

 俺にとっては遅いやつだって簡単じゃない。 おまけに女性を回転させたり反り返らせたりするので体がかなり接近する。 密着しているとまでは言わないが、俺にしてみればこれって踊る踊らない以前の問題だ。 ちょー恥ずい。 絶対無理。

 もしこの遅いダンスに誘われたら他のやつで勘弁して、とお願いするつもりでいる。 言うまでもなく、リネが踊るのも厳禁。


 有り難い事に俺とリネは未来の準大公となった。 相手が貴族なら爵位を気にせず断っても大丈夫、とトビに教えられた。 そしてこの舞踏会に両陛下は御臨席なさらない。 どうしても嫌なら主催者であるファレーハ皇太子妃殿下のお誘いでさえ断って断れない事もない身分になっているんだって。 俺っていつの間にそんなに偉くなっちゃったの?

 現金なもので、こういう時には御利益のある娘でよかったと思う。 だからと言って皇太子妃殿下からのお誘いを本当に断ったりしたら後が怖い。 昨日や今日爵位を貰ったくせに、娘が皇王室に嫁に行くと決まった途端ふんぞり返っている、と最低でも陰口が叩かれる事を覚悟しなくちゃいけない。 俺が陰口を言われるだけならいいが、そんな非礼をやらかすのは俺の周りの補佐がなってないからだとか、もっとちゃんとした奴を執事として雇えとかの話になる。 だから皇太子妃殿下からのお誘いは断れない。


 それでなくともトビだけじゃ人手不足だろうと、自薦他薦の執事や従者候補がわんさか来ているんだ。 俺付きの従者はいらないが、奉公人が欲しかったら勝手にいくらでも雇っていい、とトビに言っている。 ただケルパが気に入る人って中々いなくてさ。

 人手不足なのは事実なだけに、それにつけ込まれる様な真似はしたくない。 舞踏会で誰にも申し込まれなかったら喜びたいくらいなんだが。 それは期待するだけ無駄。 サリやロックのおかげで俺までもてもて。 リネと師範だってかなりの申し込みを受けるだろう。 リネと師範ならサリという理由がなくても申し込まれた様な気がする。


 練習を始めた初日に、フロロバの素晴らしいリードに、リネがほうっと感心のため息を漏らしているのに気付いた。 うっとり、というか。

 なんだか嫌な予感がした。 貴族の中にはダンスが上手で名前が知られている人がいるらしい。 舞踏会では誰もがその人と踊りたくて申し込みが殺到するんだとか。 きっとこの舞踏会にもフロロバ以上に上手な踊り手がいっぱい来るに違いない。

 リネがダンスの上手な殿方に、ぽーっと熱を上げたりしないだろうな。 自分が下手なだけに不安になった。

 そう言えば、上流階級の男は平民の女性にとって憧れの的なんだとか聞いた事がある。 何て言うんだっけ? 女を引き寄せる男の事。 以前、食堂のおばちゃん達が噂していたのを耳にしたんだよな。 ほら、えーっと。 せ、せくしー?

 まさかとは思うが、せくしーな男に言い寄られ、リネがくらっとなったりして。


「いいか、エナ。 一番重要なポイントは失礼にならないお断りだ。 それをきちんとリネに教えるように。 他はどうでもいい」

「承知致しております。 毎日何度も念を押されておりますので」

「あ。 そ、そうだっけ?」

「はい。 踊る度に念を押して戴く必要はございません」

 エナは今まで文句らしい文句なんて一度も言った事がないのに。 そこには、さすが公爵令嬢と言いたくなる明らかな威厳があり、あ、ごめんね、と思わず謝りたくなった。 だけど譲れない線は事前にはっきりさせておかないと。

「特に、ダンスがうまい人。 女の人に人気がある人。 愛人がいる人。 浮気した事がある人。 リネに憧れている人達のお誘いには、絶対うんと言っちゃだめ」

「それでは誰とも踊れません」

「それでいいんだ。 出来る事ならリネの側にぴたっと張り付いて、寄って来る虫、いや、男を全部追い払いたいくらいなんだから」

 せくしーな人厳禁も言っておきたかったが、エナにそれはどう言う意味ですか、と聞かれたら困るから言わなかった。 公爵令嬢であるエナにそんな下品な俗語を教える訳にいかないし。 他家のお嬢様をお預かりしているのに当主がそんな言葉を教えていたら無責任だろ。 


 ともかくリネの場合皇太子殿下からのお誘いだけは断れない。 付け焼き刃でも何でもステップだけはものにしておかないと。

 それで師範が北軍楽隊所属のターコッタという兵士に伴奏を頼んでくれた。 彼はパリメーという弦楽器が上手に弾けるので知られている。 楽隊全員を練習に付き合わせたっていいんだぞ、と将軍におっしゃって戴けたが、いくらなんでもそれは大袈裟なので遠慮した。 沢山の人に見られて練習したら余計緊張するし。

 幸い真ん中の早さのダンスは割と簡単で、覚えるのに大した時間はかからなかった。 それで一番早いやつと遅いやつに誘われたら断る事にした。

 しかしエナによると、舞踏会で人気のあるのは早いやつか遅いやつ。 真ん中のやつは退屈でお年寄り向きだから滅多に演奏されないんだって。 遅いやつが嫌なら早いやつを覚えなきゃいけない。 それで必死に練習したんだけど、ステップが難しくて、どうしても途中で踏み間違える。

 何しろ弓の稽古でくたくたになった後で踊る練習だ。 師範の場合も同じで疲れているから、うんざりした顔を隠せない。 剣の試合をする方がまだましだ、と珍しく愚痴を零していた。 それでもリネと師範は音感が良いからだろう。 曲とステップがちゃんと合っていて、相手の足を踏みつけたりしていない。 さすがと言える。


 ダンスに派手な振りや変化を付けてパートナーを楽しませる人もいるらしいが、俺達はどうでもいい事は全て省き、足運びをきちんと覚えるという基本に徹した。 フロロバの指導は端的で、分かり易い。 おかげで出発前には一曲や二曲なら何とか誤魔化せるレベルに到達した。 と、思う。


 ……たぶんね。


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