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弓と剣  作者: 淳A
寵児
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皇寵  若の叔父、オスタドカ東軍副将軍の話

「閣下のお言葉一つで準大公を東軍に勧誘するなど容易い事なのではございませんか?」

 セライカ公国金融事務次官のディルビガーが和やかに話しかけて来た。 式の前からまるで花嫁の祖父であるかのように、本日はお日柄も良く、とそちこちに愛想を振りまいていたから、この男を知らない者が見たら心からこの結婚を喜んでいるようにしか見えないだろう。 だが本心は分からない。 人が良さそうに見えるのは外面だけだ。


 ディルビガーと言えば皇国でさえ知らぬ者はいない。 金を掴ませればいつの間にかそれを二倍にも三倍にもする。 金融市場を動かす能力にかけてはダンホフ公爵と互角に渡り合える数少ない相場師とまで言われている男だ。

 金が天から降って来る訳でもあるまいし、地道なやり方をしていたらそんな風に増えるはずがない。 何をどうしたのか誰かに教える親切心があるはずもなく、全て秘密に包まれている。 いずれにしても裏で仕掛けの一つや二つ、やっていないはずはない。

 無視したいのは山々だが、セライカは友好国。 無礼な真似をしたら事を複雑にする。 かと言って迂闊な事は言えない。 単なる世間話であろうと相手がディルビガーでは細心の注意が必要だ。 金があるだけに無視し難い影響力が皇国にも及んでいる。 誰がこの男の傘下に入ったか、或いは金を借りて首が回らなくなっているか分からないのだから。 ダンホフ公爵がこれ程絞りに絞った招待客の中に入り込めた、という事実が物語っている。 ダンホフ公爵には彼を外せない理由があった。 返さねばならぬ借りがあった訳だ。 そしてこの招待によって借りが返せたのかどうかは分からない。


 それにしてもこのような目出度い席で臆面もなくサダの勧誘を話題にするとは。 この狸爺が、とは思ってもそれを口に出したりはしない。 こちらの警戒を知ってか知らずか、にこやかに話し続ける。

「何と言っても甥でいらっしゃる。 それ程強い繋がりを持つ将軍は他にはございませんでしょう」

 私は静かに返答した。

「適材適所と言うものがありますからな」

「ほう。 準大公にとって東軍が適所ではないとおっしゃる?」

「東にはオークがおりません」

 そこでディルビガーが一瞬きょとんとして、すぐに微笑む。

「ははは。 これは面白い事をおっしゃる。 確かに始まりは北であればこその功名でございました。 しかしながらその後の度重なる功名はオークとは何の関わりもございません。 瑞鳥と共に飛来した北方伯の名を知らぬ者は外国にさえいないと言うのに北に留め置くのは英雄の無駄遣いでは?」

 私に何を言わせたい。 聞くまでもないか。 サダの争奪戦を始めろ、とけしかけている訳だ。

「これ程の英雄、どの軍に在籍しようと士気を鼓舞するもの。 自軍の英雄でなければ英雄ではない、と言う愚か者など、皇国五軍兵士の中にはいないはずだが」

 そこまで言われて流石に気まずい思いをしたか。 いかにも正鵠を射たお言葉、と頷き返して引き下がった。

 この場では一応黙らせたものの、これで終わりではあるまい。 第一、ディルビガーのように考える者が少なからずいるのだ。


 サダの人気はうなぎ上り。 それはいい。

 サダの争奪合戦。 それはまずい。

 だが御典医筆頭のボルチョックがサダの脈をみた。 これでサダを自軍に呼ぼうとする勧誘活動が更に白熱化するだろう。


 御典医の中でも筆頭は皇王陛下と皇王妃陛下の御健康のみをお守りする。 たとえ他の皇王族が病に倒れようと脈をみる事などない。 唯一の例外が皇寵の儀だ。 陛下の寵があるという事を他の臣下に知らしめたい時、御典医筆頭が臣下の者の脈をみる。

 歴代の陛下の中には誰彼構わず皇寵を乱発された御方もいたらしい。 だが先代陛下より皇寵を戴いたのはサハラン前近衛将軍のみ。 そして今日、皇王陛下が初めて下されし皇寵をヴィジャヤン準大公が受け取った。


 宮廷で上級貴族を集めてやる皇寵の儀の重々しさはないが、ボルチョックが陛下の御意を受けて行った事は言うまでもない。 おそらく陛下はこの皇寵を対外的にも知らしめたいとお考え故、敢えてこの場を選ばれたのだ。 宮廷で行えば外国人は参列しないしきたり。 だがこの式場には各国の御歴々も参列している。 準大公を勧誘する為あれこれ仕掛けようとしている諸外国を牽制する効果が期待出来る。

 陛下はお若いだけに、これが最初で最後の皇寵となるかどうかは分からない。 けれど準大公に大変な力が与えられた事は確かだ。 もっとも準大公に皇寵の意味を理解している様子は見えないが。 

 皇寵を戴いたというのに、ありがとうございます、と一言礼を言っただけで終わりにしている。 ここは皇恩への感謝と共に、早速陛下へ御礼の拝謁を願い出るべきなのだ。

 それでなくともサダには陛下に拝謁せねばならない理由がある。 サリ様の誘拐未遂事件はどう考えても後宮にお住まいになっているどなたかの差し金。 皇寵がなければ後宮の調査など無理だが、あれば自分自身はもとより、自分に仕えている者を捜査に差し向ける事が許される。


 但し、サハラン前近衛将軍のように皇寵を戴いていながら全く使わなかった人もいる。 けれどそのような人は珍しい。 やりたい放題とまでは言わないが、やろうと思えば何でも出来る権利なのだ。 乱用は控えても少しは使おうと思うのが人情。

 それにサハラン将軍の場合、使う必要がほとんどなかったと言える。 何しろ彼にはしょっちゅう陛下からのお呼び出しがあった。 お呼び出しの場合、事前の審査はない。

 皇寵を戴いた者にとって一番大きな恩恵は現在の爵位に関係なく、いつでも事前の審査なしで拝謁を願い出る事が出来るという事なのだ。 並の伯爵だったら拝謁を願い出る事さえ許されない。 公侯爵でさえ拝謁には煩瑣な手続きを踏まねばならないのだから。


 ただ未来の準大公となると皇寵によって受ける同等の恩恵を既に持っている。 だから準大公に関して言えば新しい恩恵を戴いたという訳ではない。 とは言え、準大公位はサリ様に万が一の事があれば失われるもの。 御成婚の後で男子が生まれない場合もあり得る。 外面はともかく、腹の中では準大公の地位を砂上の楼閣と見る者がいるだろう。

 だが皇寵ならば陛下が御在位の間、戴いた者が生きている限り続く。 一度下された皇寵が取り上げられた例はない。

 又、陛下へのお手紙は侍従長がまず開封し、中身を読む。 侍従長が陛下のお目に触れるに相応しくないと判断すれば、それが陛下のお手元に届けられる事はない。 けれど皇王族、皇国宰相、将軍、大公、そして皇寵を戴いた者からの手紙にはこの検閲がなく、どのような内容であろうと届けられる。

 いつでも好きな時に陛下への拝謁が叶い、手紙が出せるとは、いつでも好きなものをお強請りする事が許されるという意味でもある。 それは金や物に限らない。 陛下のお言葉一つで決定出来るもの、或いは覆せるものは多い。


「旦那様、御覧になりまして?」

 さり気なく近寄ってきた妻のシマがそっと私に囁いた。 それに微かに頷き返す。

「サキ義兄様はサダ様にきちんと御説明下さるのかしら?」

 シマの瞳に微かな懸念が浮かんでいる。 そう心配するのも無理はない。

 私が言うのもなんだが、サキは大分変わっている。 息子が大功に次ぐ大功を上げたというのに舞い上がるどころか嬉しそうでさえなかった。

 他の伯爵家でこのような慶事があれば本人は不在であろうと連日連夜、昇進祝いの舞踏会や祝賀会が開かれたであろう。 招待客から貰える御祝儀も少ない金額ではないのだから。


 サキの父が健在であったら少なくとも一つか二つは開かれていたのでは、と思う。 サキは顔は父親似だが性格が全く似ていない。 面白い事に血は繋がっていないが、私の義父、先代ジョシ子爵に似ている。 特に変人という所が。

 先代ジョシ子爵が始めた仕事を継承し、共に仕事をした事から来る影響なのかもしれない。 貴族なら親戚であろうと腹の内を簡単に見せたりはしないのだが、ジョシ子爵家の身内の集まりは他の貴族と異なり、いつも忌憚のない会話が交わされる。 飾りのない本音で語り合う義父の人柄は義父の死後も受け継がれているのだ。


 サキと私では互いの性格に似た所はないが、義兄弟としてそれなりに良い関係を築いていると思っている。 妻同士の仲が良いから離れた所に住んでいても家族の行き来があるし、宮廷や皇都でも会えば互いの家族のあれこれを話す仲だ。 

 前にサキと会った時の会話から類推すれば、謙遜とかではなく、本当に準大公の偉業をまぐれだと思っている。 或いは単なる運。 だから褒めるとか自慢する事がない。


 しかし準大公に関してだけは、誰にも話していない裏があるような気がしている。 なぜならサキは昔から準大公だけ他の子供達と全く違う教育方針で育てた。 準大公を愛していない訳ではないのに、まるであの子が出世する事を恐れているかのよう。

 このような金には換え難い大きな恩恵を受けてさえ、その意味を準大公に伝える気があるのかどうか、はっきりとは分からない。 サキは陛下だけでなく、侍従長のカイザーとも懇意だ。 今日の皇寵に関し、御内意の形でサキに伝達されていたのではないのか? 知っていたなら、なぜ準大公に知らせない?


 いくら私は叔父だと言っても立派な親がそこにいるのに、ここで私がしゃしゃり出て説明するのはおかしな話だ。 シマは準大公と子供の頃からしょっちゅう会っているので、人柄もよく知っているが、私は直接話した事はほとんどない。 今回の式で初めてまともに話した様なもの。


 今となって見れば準大公がオークを殺した時に勧誘しなかったのは後悔してもしきれない。 一旦入隊した兵士の取り合いなど恥ずかしくてやれたものではないのだが、今やり始めるのよりは余程ましだ。

 オーク殺しで終わるかと思えば、それを上回る大功を次々と上げ、あの年で既に大隊長。 東軍では、とっくに準大公を招聘すべきという話が持ち上がっていた。 更に瑞鳥と飛来して叙爵され、本日皇寵が下された。


 名目上、東軍将軍は皇太子殿下だが、実際の将軍職は副将軍が務める。 それで東軍だけ、他の軍にはない准将という位がある。 これが他の軍での副将軍にあたる。 今の内に準大公を東軍に移籍させ、何年か東軍の水に慣れてもらい、いずれ准将に、しかるべき後に私の跡を継がせてはどうか、という訳だ。

 しようと思えば出来ない事ではない。 ディルビガーが指摘するまでもなく、私とは叔父甥の関係。 今日からは皇寵もある。 本人の気持ち次第で陛下からの御許可は簡単に下りるだろう。 目出度い大昇進なだけに北軍も強くは引き止められまい。


 セジャーナ皇太子殿下より勧誘せよとの御言葉を戴いている訳ではないが、それは皇王陛下に対する御遠慮があるからだろう。 準大公を東軍に勧誘するなど、サリ様と御自分の御子様との間を取り持つような真似は余りにあからさま、という事情がある為だ。 準大公が東軍へ来れば、当然家族であるサリ様も御一緒のはずだから。

 このような事を実現するには二年や三年はすぐに経つ。 今から根回しを、皇太子殿下の侍従達が考えたとしても不思議はない。 しかし六頭殺しの名を上げた時から各軍は準大公を勧誘したがっていた。 既に北軍入隊が決まっていたにも拘らず、サハラン将軍は未練たらたら。 西軍のラガクイスト将軍も従兄弟の子という繋がりを頼ってくれなかった事をとても残念がっていた。 南軍のバーグルンド将軍は、その昔、準大公を養子にしたいとサキに申し込んだ事もあるのだとか。


 どこも我慢している。 なのに私が親戚関係を振りかざして強く押しては準大公をだけでなく、間に立つ妻を困らせる。 それだけではない。 他の将軍との兼ね合いもある。 全員オークの甲冑を貰っているのだ。 ここで本人の気持ちに反する真似は出来ない。 それで無言でいたのだが。 出来れば東で面倒を見てあげたかった。 その気持ちは今でも消えずにある。 


 皮肉な事に準大公が東軍、いや、北以外のどこの軍に入隊したとしても、これ程急速な昇進は可能ではなかった。 例えば東だったら感状を頂戴した後、私の甥である事を理由に昇進を辞退したに違いない。 度重なる異例の昇進は何の縁故もない北だからこそ実現したのだ。

 次々と聞こえて来る準大公の勇名に、やはり東に引き抜いておくべきかと思わないでもなかったが。 おそらく同じ事を他の将軍も考えただろう。 それは皇国将軍に限らない。 公爵軍のめぼしい所なら、どこであろうと弓と剣の勧誘を考えなかったはずはないのだから。

 特にヘルセスとダンホフ公爵軍はどちらにも姻戚関係がある。 陛下が入隊を阻止する事はなかったのではないか。 とは言っても肝心の本人にその気があるかどうかはまた別の話。


 準大公は何と言うか。 気性の真っ直ぐな飾り気のない自然児という印象だ。 貴族の子弟にしては実に珍しいと言える。 上の二人はどちらも貴族らしく育てられた。 なぜ準大公だけこうなのか?

 何と言っても忘れ難いのはあの瞳だ。 失いたくない宝玉と人に思わせ、思わず手元に置きたくなる輝きを持ち、他に何も余禄がなくてさえ準大公を勧誘したくなる。

 そのうえ弓の名手。 皇寵。 瑞兆の娘。 女剣士で歌姫の妻。 猛虎は義兄。 あれもこれも付いてくるのだから、どこかに移すとなったらその争奪戦は皇王陛下が仲裁せねば解決出来ないものとなるだろう。

 最終的な場所がどこに決まろうとも、仮に北にそのままでとなってさえ、かなりのしこりを皇国全軍に残した事が予想される。 そしてその内紛の隙を狙いたい者が当然いる訳だ。 ディルビガーのように。


 漁夫の利を狙う者が次々と私にすり寄って来るのは、そういう理由だ。 一番関係の深い私がまず言い出さなければ、他の将軍が争奪戦を始める事は出来ないのだから。 そう考えると私としても無思慮な真似はやりたくてもやれない。

 考えてみれば準大公が望むなら将軍への昇進さえ難しい事ではない。 なのにサキは皇寵の意味を教えていないのだ。 それは準大公の瞳が望まぬ昇進で曇る事のない様に、と願う故ではないのか?

 それは取りも直さず、サキも皇寵を利用しない、という事になる訳だが。 巨大な宝の山を目の前にして手を出さない?

 貴族であれば考えられない決断だ。 私に同じ事が出来ただろうか?


 あの父にしてあの子あり、という事なのかもしれない。


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