変人
結婚後、サジ兄上は宮廷に御典医として出仕なさる。 それで仕事関係と言うか、結婚式ではいろんな方に紹介されたが、その一人にボルチョック先生がいた。 なんでも宮廷御典医の一番上の御方で、サジ兄上の上司になるんだって。 四十歳くらい?
俺は御典医の事なんて何も知らないけど、歴代の筆頭の中でもこの若さで就任された例はあまりないとサジ兄上がおっしゃっていた。
そう言われてみれば先代皇王陛下の傍に立っていた御典医らしき御方はあんまり年寄りで、何歳なのかよく分からない風貌をしていた。 百まではいってないとは思うけど。 七十から百歳の間? 医者と言うより患者にしか見えなくて。 あの人にこそ誰かお医者さんが付いていないとまずいんじゃないの、と思った。
でも今年の秋、先代皇王陛下は御外遊に旅立たれるんだとか。 その時おじいちゃん御典医も御一緒なさる。 後任としてボルチョック先生が選ばれた。 御典医の方に五十歳以下の方はほとんどいらっしゃらないと聞いたから、若いにも拘らず筆頭に選ばれるだけの理由があるのだろう。 大変優秀な御方である事は間違いない。
皇王城には皇王室付き御典医百名の他に、そこで働く官吏や女官のためのお医者さんが二百人くらいいるらしい。 中でも皇王陛下のお脈をみる方は皇国中の医師の頂点に立つ。 そこまで到達するには相当のお勉強をなさったはずだ。 俺とは頭の出来が違う事くらい言われんでも分かる。
だけど違うのは頭の中身だけじゃなかった。 お会いした時に型通りの礼を交わした所までは普通だったけど、その後でボルチョック先生はお脈拝見と言ったかと思うと、いきなり俺の手首を掴んだんだ。
いくらなんでも結婚式で、頼まれてもいないのに初対面の人の脈をみる???
突然の事であんまりびっくりしたものだからなんて言えばいいのか分からない。 まさか、これが上流階級の医者用挨拶、とか言わないよな? 俺は自分の家にいる医者にしか見てもらった事がないから、それ以外のお医者さんがどんな挨拶をするのか知らない。 考えてみれば自分の家の医者でも間に合わないだなんて相当弱っているか、死にそうになっているかだろう。 挨拶なんてしている余裕はないよな。 つまり脈をみるのが普通?
それにしてはボルチョック先生が俺の手首を掴んだ途端、辺りの貴族が一斉にしーんと静まり返った。 驚いているっぽい。 すごく。 やっぱりなんか変なんだろ? こんな変化球、突然投げられたって困るんですけど。
なにせ宮廷の儀礼に関して知らない事だらけの俺だ。 宮廷御典医に対する挨拶なんてましてや知らない。 こんな事があるかも、とは誰からも聞いてなかった。 何と返事をするべきなのか、どうしたら失礼にならないのか、全然分からないからそのまま先生が脈をみるのに任せた。
「大変結構なお脈でございます。 御健勝の程、皇王陛下もさぞかしお喜びでございましょう」
自分が健康な事くらい医者に言われなくてもとっくに知ってるし、なんて言ったりはしません。 余計な事を言ってサジ兄上を困らせたくない。 ありがとうございます、とだけ言っておいた。 ボルチョック先生の手にはじんわりとした温かみがあって気持ちよかったし。
ただこんな変わった人が上司じゃサジ兄上はさぞかし御苦労なさるだろう。 賢いサジ兄上なら難しい上司とでもうまくやれると思うけど。 苦労である事には変わりない、と心の中で密かに同情した。
残念ながらこの結婚式で会った変な人は上級貴族に限った事でもなければ、ボルチョック先生で終わりでもなかった。 もっともいきなり手首を掴んだからって変人と呼ぶのはあたらないのかもしれないが。 単に失礼な人?
だけど上級貴族の方はまぎれもなく変人だ。 それに加えて変わった外国人が結構いた。
ダンホフ公爵と俺の父上には、どういう関係で知り合ったのか知らないが、友人知人がいろんな国に沢山いる。
俺達兄弟も子供の頃そっちこっちに連れて行かれ、行く先々で外国の人に会った。 俺にはいないけど兄上達には文通している外国人のお友達もいたりする。
国が違うんだから言葉も習慣も違う。 それは当たり前で、そっちの国に行けば俺が変わった人で相手が普通になる。 とは知っていても、ここではすごく変わった人達だ、と言うしかない。
例えばブルセル国から来たフィシェルズさん。 ユレイアさんの母上の弟、つまり叔父さんに紹介された。
卵っぽい顔に蛙っぽい目鼻が付いている。 無理矢理かわいいと言ってもいいが、あんなに美しいユレイアさんとほんとに血の繋がりがあるんですか、と聞きたくなるような容貌の方だ。
いや、禿げているからとか、そう言う理由じゃなくて。 鬘を被っていたとしてもユレイアさんの母上とだって全然似てない。 そりゃ俺達兄弟だって全然似てないが、似てなさのレベルが違うって言うか。 人類なのは間違いないと思う。 出された料理を上品なマナーで美味しそうに食べていたし。
たぶん顔立ちより性格があまりに違うから余計似てないと感じるんじゃないかな。 ユレイアさんの母上は俺が初めて会った時のユレイアさんみたいで、何を考えているか顔を見ただけじゃ分からない。 お人形さんみたいな人だ。
でも皇国の上級貴族ならそれが普通だし、フィシェルズさんはブルセル国王のいとこだか、はとこだか。 皇国の爵位で言えば大公と紹介されたから上級貴族な訳だ。 でも初対面の時から満面の喜びを浮かべ、わくわくした様子で俺に話しかけてきた。
「ロクトーゴロシ、スゴイデス。 アイシテル。
ワタシノクニ、イイクニ。 アナタ、クル。 カンゲー」
これって言葉がなまっているとか言う以前の問題だろ?
男の俺に愛してるって。 誰だ、この人の言葉の先生。 こんな間違いを教えちゃだめじゃないか。
女性に対して言うのだって、こんな風に人前で言ったりとか憤死ものだ。 時と場所を考えろ、て教えてあげてよ。
ここだけの話だが、俺はふたりっきりでもリネに愛していると言ったことがない。 フィシェルズさんのようにしらっと言ってしまえば平気なのかもしれないが。 こんな大切な言葉をいいお天気ですね、みたいに言われて嬉しいか? どうせ言うなら真剣に言わなきゃ。 そうだろ?
だけど真剣に言おうとすればする程どうしても照れ臭くて。 面と向かって言えないでいるんだよな。 勿論いつかちゃんと言うつもりだ。 それに備えて密かに心の中で準備練習をしてもいる。
ぼーっとしていた時、ついぽろっとフロロバの前でそんな事を口走った事があって。 猛烈にからかわれる事を覚悟したら意外に深ーく真面目に同意された。
「やっぱりその一言、びしっと決めたいですよね。 今年の結婚記念日辺り、舞台としては最適なんじゃないですか?」
そんな助言まで貰っちゃってさ。 ちょっとプレッシャーかも。
それはさておいても初対面の俺に愛してるとか自国に招待とか、気軽に言うなんて普通じゃないよな? 御招待の方はその場で丁寧にお断りしておいたが。 ブルセル国がここからどれだけ離れているのか知らないけど最低片道一ヶ月はかかると思う。 任務で行けと命令された訳でもないのにそんな遠くへ行く休暇なんて取れない。
するとフィシェルズさんが何度も頷きながら言う。
「ロクトーゴロシ、イソガシイ、ワカル。 イキヌキ、イル。 ワタシノクニ、オタノシミ、イッパイ。 SM、スキデスカ?」
「えすえむ? それは何ですか?」
「ナワトムチ」
縄と鞭? 縄と無知? 縄と無恥?
あ、飴と鞭か。
「縄は間違い。 飴です」
せっかく言い間違いを直してあげたのに、フィシェルズさんたら俺の顔を不思議そうに見ている。
この人確か、ブルセル国の王族の血筋だよな? なんだかすごい長い名前の。 それなら何も自分で勉強して他国語をしゃべらなくとも最初から誰かに通訳させればいいのに。 分かりやすく言ってあげても通じない程度の語学力なんだからさ。
そりゃ飴と鞭は軍隊なら教官が新兵を鍛えるのに使う常套手段だ。 でも俺は部下が部下だから。 そんな事をしたら、どんなしっぺ返しがあるか知れたもんじゃない。
そんな北軍内部の事情を他国の人に話す訳にはいかないし、好きかと聞かれただけなんだから、好きじゃありませんと答えておいた。 フィシェルズさんはとても残念がった。 自分の国のえすえむは他よりすごいとか言い始める。 そんな訳あるか。 どこだって同じだろ。
俺の隣にはブルセル語が話せるトビがいる。 トビに説明してもらえば済む事だけど、相手はこちらの言葉をがんばって勉強してしゃべってくれているのに、通訳を通して返事させるのは何となく失礼と言うか。 あなたの皇国語は下手ですと言ってるみたいで悪いかもって思ったんだよな。
うーん、でもなんか会話が噛み合っていない。 やっぱりこういう事はきちんと説明しないとだめか。 諦めてトビに通訳するように言った。 そこで二人はべらべら流暢なブルセル語で話し始め、ようやく俺の言いたい事が伝わった様だ。 フィシェルズさんは未練がましく頷いたが、まだ招待する気でいるみたい。
「イツカ、キット、クル。 ロクトーゴロシ、ソンケーデス」
しつこいというか、諦めないというか。 それに俺が弓を射る所を見た訳でもないのに尊敬って。 一体どこを? と聞きたくなった。
ま、そんな事はどうでもいいけど。 どうせ俺が招待に応じる事はないんだ。 二度と会う事はない人の言った事なんて気にする必要はない。
こんな風に普通とは言い難い人達に囲まれ、雰囲気が固くなってもおかしくなかったが、サリが辺りを和ませる役を果たしてくれた。 是非出席して欲しいと言われたから連れてきたものの、式の間びーびー泣いたりしないか心配だったんだけどね。
式の直前にお乳をあげたらすやすや寝てくれ、式後に起きて親族がおしゃべりしている間、機嫌良く皆さんに愛嬌を振りまくという賢い所を見せてくれた。 すごいぞ、娘よ。
何しろ歯が生え始めたせいで時々理由もないのに泣く。 そうなったらあやすのに大変なんだ。 それでリネが色々な歯噛み用の玩具を買ってきた。 サリはその玩具を幸せそうにあぐあぐ噛んでいる。
どなたもこんな赤ちゃんにとても御丁寧な挨拶をしてくださった。 そこだけ見れば普通に高貴な方々にしか見えないんだけど。 この式で沢山の変人に会ったせいか、自分の部下が妙に普通っぽく見えてきた。
そこでふと、前に普通っぽい部下が欲しいと願った事を思い出した。 ひょっとして、これって俺の願いが叶えられたって事? えー、ちょっと。 それっていくら神様でもずるいんじゃないの?
どうせ願いを叶えてくれるなら、ずるしないでちゃんと叶えて下さい。 そんなどうしようもない事を思ったりした。




