結婚式
サジ兄上が四月に御結婚なさると初めて聞いたのは、叙爵式の為に皇都のサガ兄上の邸にお邪魔した時だ。
お相手を聞いてびっくり! なんと、ダンホフ公爵令嬢ユレイアさん。
意外である以上に、大丈夫なのかなって心配になった。 何がって、はっきり言えないけどさ。 ユレイアさんに対してあんまりいい印象がなかったせいだと思う。
いや、すごい美人だって知ってるよ? しかも正嫡子の公爵令嬢。 普通だったら爵位を継ぐ訳でもない伯爵家の次男が結婚出来る相手じゃない。 これって誰もが羨ましがる大金星だ。
サガ兄上によると、サジ兄上とユレイアさんはこの見合いの時初めて会った。 するとサガ兄上みたいにお相手に惚れられて結婚する訳じゃない。 そもそもなぜ公爵家から見合いを申し込まれたの? 伯爵家が公爵家に申し込むなんて普通はしない。 と言うか、そんな事をしたら無礼者って怒鳴られておしまい、て感じ。 公爵令嬢に一目惚れしたとしても申し込むなんて出来ないはずなんだ。
父上は子供達が愛ある結婚をする事を望んでいらした。 瑞兆の血縁となった事で気が大きくなり、公爵令嬢でもうんと言ってもらえるだろうと思って申し込んだ、という事も考えられない。
だからどういう理由かは分からないが、サジ兄上はユレイアさんの父であるダンホフ公爵に気に入られたという事になる。
証人として召喚され、ダンホフ邸にお世話になった時、俺はユレイアさんとお会いした。 とは言っても親しくなった訳じゃない。 人柄をよく知っている訳でもないのに義姉となる人の事を悪く言ったら申し訳ないけど。 あの時のユレイアさんは師範の後ばっかり追いかけ、はっきり言って師範の迷惑になっていた。
そりゃ師範はもてて当然だ。 英雄だとか俺達四人の中で一番かっこいいとか、そんなしょぼい理由じゃない。 なんて言うか、あの黙って俺に付いて来いっていうオーラ? 男だって、はい、付いて行きますどこまでも、と言いたくなるんだ。 女性がくらっとなっても当たり前と言える。
ユレイアさんは別な人と結婚する事になったんだし、既に結婚した師範を追っかけたりはしないと思うけど。 既婚だからって師範の魅力が減った訳じゃない。 それどころか大隊長になって以来、懐の深さっていうか。 貫禄が付いて、以前と比べても魅力が倍増したと思う。
結婚式には師範夫妻も招待されていた。 でもヨネ義姉上は五月末か六月の始め辺りに出産する。 それで師範だけが俺達と一緒に行く事になった。
師範と再会したユレイアさんが、サジ兄上と比べて、やっぱり師範の方がすてき、となったりないかな。 あり得ない事じゃないだけに、一抹の不安を感じずにはいられなかった。
但し、ユレイアさんの場合最初に会った時だって師範を好きで追いかけているようには見えなかった。 どちらかと言うと、北の猛虎を追いかけるのは私の義務です、て感じ? もっとも単なる義務であそこまで一生懸命になれるものなのか疑問だけど。
ユレイアさんはすごくきれいな人だ。 きれい過ぎてお人形さんみたい。 顔を見ただけじゃ感情が読めない。 ヘルセスが北軍に来たばかりの頃の能面を思い出しちゃった。
貴族だったらみんな能面なんじゃないの、と思うかもしれないが、そんな事はない。 例えばヨネ義姉上の瞳は初対面の時からとても正直だった。 切なく師範を見つめ、ずきゅーんとハートを射止められました、と言っていた。
師範が、くそっ、俺のハートを射止めやがって、どう落とし前を付けてくれる、という視線をびしばし投げてたせいもあるだろうけどな。
ヨネ義姉上ったら、およしになってそんな目で見つめるのは。 私どうしたらいいの、ああもうだめ、みたいな視線を返しちゃってさ。
もー見ていられなかったぜ。 こっちが恥ずいっつーか。 さっさとまとまってくれよって言いたくなった。
そうは思っても恋の橋渡しなんてした事がない俺だ。 余計な事を言ったら纏まる話でもぶち壊したりして。 師範は平民だけど、相手は貴族だし。 師範だって当時既に大隊長、つまり準伯爵だ。 そこまで身分違いじゃないと思うけど、それでなくたって貴族の結婚には踏まねばならない手順とかいっぱいある。 どういう手順か俺は知らないけど、ある、て事は知っている。
我が家はそんな手順を無視して結婚した人ばかりだが、ま、伯爵家だし。 だけど侯爵家でそういう訳にはいかないだろ。 好きだからという理由で申し込んだって断られるのが落ちだ。
と言っても何もしなかったら結婚話なんてまとまらない。 せっかく滞在しているんだ。 その間に取りあえず両想いである事を確認して、仲人を誰に頼むかを話し合っておくくらいはするべきなんじゃないの?
そう師範に言おうかと思ったんだけど、まずポクソン補佐に、どう思うか意見を聞いてみた。
「命知らずにも程がある。 生きて妻の顔を見たくはないんですか?」
「どうして言っちゃいけないの? 自分が憎からず思っている相手に惚れられてるって聞いたら、師範だって嬉しいでしょ?」
「骨なら拾ってあげます。 どうぞ御自由に」
そこまで言われたらさ、ちょっと押せないよな?
念の為、北に帰ってから他の人達にも聞いてみた。 そしたら誰もがポクソン補佐と同じ事を言うんだ。 後で師範がどれだけ照れ屋なのかを知って、ようやくみんなの言葉の意味が分かった。 やっぱり長年師範を見て来た人達は違う。 聞いてみるもんだぜ。
まあ、なんだかんだ文句を言いながらも結婚して幸せな師範はこの際どうでもいい。 俺が気になったのはユレイアさんは本当にサジ兄上を好きなのかな、という事だ。 何しろサジ兄上と師範じゃ白と黒、天と地ぐらいの違いがある。
サジ兄上が女性にもてないって訳じゃない。 それどころか、きっとすごくもてると思う。 実家にいた頃サジ兄上は本当に毎日沢山のお勉強を一生懸命なさってばかりいた。 女性と遊んだり、もてている現場を見た事もないのに、どうしてそんな事が分かるんだ、と言われるとは思うけど。
サジ兄上はさりげない気遣いの出来る人だ。 師範のような男臭い魅力はないが、人を安心させる雰囲気を持っている。 身内の身贔屓なんかじゃない。 医者になったのはもう天職だね。 誰だってサジ兄上の顔を見ただけで、あ、この人なら俺の病気を治してくれるに違いないと思うだろう。 病は気からっていうじゃないか。 それならサジ兄上の顔を見ただけで半分治ったも同然だ。
サジ兄上は俺に時々南の果物や傷薬やら湿布やら、いろんな物を送って下さった。 まめと言うか気が付くと言うか。 役立たずの弟にさえそうなんだ。 この気配りで女性に迫ったら落とせない女性はいないだろ。 サジ兄上が結婚すると聞いて密かに泣いた女性はかなりいたに違いない。
とは言え、爵位を継ぐ訳でもない次男だ。 もしサジ兄上が、この人が好きです、と言ったら仮に相手が平民だって父上、母上、兄上が反対したとは思わない。 それがなんで公爵令嬢?
サリのおかげで伯父にも人気が出て、身分の低い人と結婚する訳にはいかなくなったとかの理由じゃないよな? 父上も今では準公爵だし、公爵に圧力をかけられたくらいで息子に政略結婚を強制するとは思えないんだが。
ところが蓋を開けてみれば俺の心配なんて杞憂もいいとこだった。 叙爵式でサジ兄上にエスコートされていたユレイアさんは証人喚問の時会った同じ人とは思えない、温かい微笑みを浮かべていた。
明らかにサジ兄上を常に目で追っている。 対するサジ兄上も、しゃれたウィンクで応えていらした。 その目で会話する様は結婚二十年の夫婦顔負け。 俺がリネに向かって目をぱちぱちさせたって、目にごみでも入ったんですか、と言われて終わりなのに。
さすがサジ兄上。 見合いで初めて会って、お付き合いしてから一ヶ月半しか経っていない。 そんな短い間で皇国の名花を夢中にさせるだなんて。 一体どんな手管を使ったんだろう? 本気のサジ兄上って怖いかも。
結婚式はサジ兄上が無爵である事を考えて極力派手にならぬよう、父上がダンホフ公爵にお願いしたと言っていた。 それでもダンホフ公爵自ら采配なさったという式は、これで派手じゃないのかよ、て言いたくなる程豪華だった。
式当日は爽やかな春の良いお天気に恵まれ、美しい花々で飾られた式場はお花畑のよう。 出された食事はとても美味しくて見た目も華やか。 食べるのがもったいない程見事に飾り付けられていた。 祝婚歌を捧げたリネの声も相変わらず素晴らしく、うっとり聞き惚れたが、上品な音色の楽団が奏でる音楽がリネの美声を更に盛り上げている。
余興の一つとして西から遥々ノナが来てくれ、「六頭殺しに捧げる歌」を歌ってくれた。 ノナも招待客から大喝采を浴びていた。 俺が知っているのはノナが子供の頃の透明な声だけど、今では伸びと深みが加わったテノールになっている。 いやー、天上の音楽もかくやという美声だ。 すごく感動しちゃった。
リネもさすが本家本元ですねえ、と感心していた。 この歌は流行したから他にもいっぱい歌う歌手がいるけど、世間ではノナが歌う六頭殺しが一番と言う評判なんだって。
ただノナの歌は西の俺の実家にまで泊まりに行かないと聞けない。 それで分かった。 西の実家の宿泊業が流行っているのはきっとノナの歌のおかげなんだ。
その他、結婚式の招待客もきらきらしい御方が目白押し。 皇王室から陛下の御名代としてカイザー公爵が御出席下さったのを始め、宰相閣下御名代(これはサガ兄上だが)、国外からの貴賓、公侯爵が御出席になっていた。 俺はサガ兄上の結婚式に出席しなかったが、これってそれに比べても優るとも劣らぬ規模なんじゃないの?
式が始まる前、俺はいろんな方に紹介された。 その中に先月爵位を継承なさったカイザー公爵がいた。 公爵はとても上機嫌で、夫人が七月に出産なさると教えて下さった。
どうでもいいけど、上機嫌な上級貴族ってどうしてこう不気味なんだろう? そこで以前、将軍が照れる師範を不気味だとおっしゃって大受けした事を思い出した。 ただ同じ不気味でも何となくこれは中身が違う様な気がする。 どこが違うんだろう、とかそんなおばかな事を考えていたらカイザー公爵がおっしゃった。
「生まれて来る子は、そなたの甥であるサム・ヴィジャヤン君の妻に、と考えておる。 そうなればカイザー家も晴れて六頭殺しの若の親戚という訳だ。 ふっふっふっ」
上級貴族がちょっと変わっているのは別にカイザー公爵に限った事じゃない。 だけどまだ生まれてもいない子供の結婚相手を決めるって。 せめて性別を確かめてからにしてよ。 サムの方はもう変えようがないんだからさ。
思わず、気合いで女の子になるとでも思っていらっしゃるんですか、と聞きそうになったが、俺も北軍でマッギニス補佐に無駄に鍛えられた訳じゃない。 言わんでも良い事は言わない。 これは基本だ。
今や俺にとっては条件反射と言ってもいい。 だって何か言おうとする度に唇が冷たくなる感じがするんだ。 辺りにマッギニス補佐はいないと分かっていても。 俺はただ「はい」と「いいえ」の中間みたいな音を出すに止めた。
女の子が生まれると決まった訳じゃないが、本当に女の子だったらどうしようと考えずにはいられなくて気が重くなった。 それでなくてもヘルセス、ダンホフ、グゲンに始まって、もう沢山ですと言いたくなるぐらい上級貴族と親戚になっているのに。 このうえもっと増えるだなんて。 正直勘弁して欲しい。
俺は密かにカイザー公爵の子が男の子であります様に、と祈った。 祈った所で俺の願いは叶えられない、みたいな嫌な予感はしたけどな。




