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弓と剣  作者: 淳A
寵児
216/490

布石  タケオ家執事、ボーザーの話

 その日、駐屯地よりお帰りになられた旦那様が珍しく私を書斎にお呼びになられた。

「ボーザー。 例えば、の話だが」

 そこで旦那様は暫しお考えに耽られた。 私にお訊ねになるのはお止めになったのだろうかと思う程の時を置いてから御質問になる。

「サリが誘拐されたとして。 犯人は皇王室の誰かである可能性が高い場合、お前はまず誰を疑う?」


 それはある意味大変危険な御質問だ。 将来の公爵家執事として長年訓練を受けた私に答えられない質問ではないとは言え、私の返答がしかるべき所に洩れれば命さえ危うい。 旦那様に命を含む全てを捧げている私にとっては迷う必要もない事だが。 私は静かに申し上げる。

「セジャーナ皇太子殿下でしょうか」

「何だと?」

「レイエース皇弟殿下とも考えられます。 夫々の殿下付きの者が殿下に知らせず、お気持ちを先読みして行った場合を含むなら、どちらかである可能性は非常に高いと申せます」


 旦那様は表情をお隠しになる事が随分お上手になられたが、瞳に驚愕を浮かべていらっしゃる。 感情を読み取られる事は地位が上がれば上がる程お気を付けて戴かねばならない。 差し出がましいが、この場で御注意申し上げる事にした。

「驚かれた理由をおっしゃりたくないのでしたらお隠しになられた方がよろしいかと」

 旦那様は瞳からさっと驚きを消し、更に御質問になる。

「セジャーナ皇太子殿下だとして、その根拠は?」

「瑞兆と認定されたサリ様に選ばれた御方が次の皇王陛下に即位なさるからでございます」

「だがサリはもう婚約している」

「ハレスタード皇王陛下即位と同時に庶子の殿下は全て臣下に下られましたが、第二正嫡子であらせられるセジャーナ殿下は皇太子殿下に、第三正嫡子であらせられるレイエース殿下は皇弟殿下となられ、現在も後宮にお住まいです。

 両殿下は陛下の第一皇王子、オスティガード殿下が成人なさり、皇太子殿下となられるまで皇王族の籍から離れる事はございません。 両殿下にはオスティガード殿下と同じ年頃で正嫡子である皇王子殿下がお二人づついらっしゃいます。 この四人は皇甥殿下。 先代陛下のお孫様ですので、即位なさったとしても不思議はないお血筋。 もしサリ様がいずれかの殿下をお気に召され、オスティガード殿下と御結婚なさるのはどうしても嫌とおっしゃれば、サリ様のお気持ちの方が優先される事でしょう」

「つまり誘拐は狂言かもしれないが、そのような事件があったと言うだけで北に住むのは危険となり、サリが後宮入りする。 そうなれば他の殿下にもサリの歓心を買う平等な機会が生まれる、という事か?」

「平等とは参りません。 オスティガード殿下はなんと申しましても陛下の第一子であらせられる。 しかも今の所陛下の正嫡子はオスティガード殿下お一人。 誰より次代の皇王陛下となる可能性が高いお立場です。 他の皆様にも御遠慮と申すものがございましょう。 下手に動いて万が一陛下の御勘気に触れましたら皇王族からの追放、死罪もあり得ます。

 とは申せ、水面下であれやこれやを試みるのは人の常。 そしてこれは待てば待つ程失われていく機会。 サリ様が御年五歳を数えられ、オスティガード殿下と毎年御面会なさるようになれば自然と親愛の情も生まれましょう。 又、もし皇王陛下に第二、第三の皇王子殿下がお生まれになれば、セジャーナ、レイエース両殿下は臣籍に下り、それと同時にお子様達も臣下となります。 そうなった後ではたとえ陛下の甥であろうとサリ様との御結婚はあり得ません」


 旦那様は窓の外を眺めながら静かにおっしゃる。

「殿下の命を受け、近衛軍か東軍が主体となってサリの誘拐を仕掛けているのだとしたら、北軍の全力をあげても防ぎきれるだろうか? もしや防ごうとする事自体、無駄な抵抗ではないのか?」

「無駄とは思いません。 こちらには陛下という大きな後ろ盾がございます。 サリ様が今すぐ後宮入りしてはオスティガード殿下に不利とお考えになればこそ、北で育てよとの勅令を下されたのでしょうし。

 と言う事は、仮に両殿下のどちらか、或いは両方が共謀なさったのだとしても表立って陛下の御意に反する命を下す事は許されません。 陛下に叛旗を翻すお覚悟があるのでもない限り、東軍を動員するような大規模な攻勢はなさらないと推察致します。

 さりながらこの件に関しましては容疑者筆頭ではなくとも他国が介入している可能性もない訳ではなく。 その場合規模が大きい攻撃になる事はございましょう」

「他国? どの国だ?」

「残念ながら今の段階でそれを特定するのは難しいと申せます。 今回の事件に関しては調査し、解決出来たとしても次があるはず。 又は次の次。 その度に明白な証拠を把握するには相当な調査機関がなくては叶いません。

 どの国も皇国を怒らせたくはない。 その一方で他の国が皇国を怒らせる分には構わない。 それが自国の利益となると考える国もあるでしょう。 それでなくとも隣国と仲の悪い国などいくらでもあります。 隣国への宣戦布告を高みの見物。 或いは漁父の利を狙う国、と疑い始めたらきりがございません。

 特にフェラレーゼの王女様が皇王妃陛下となられた今、それ以外の国は戦々恐々。 フェラレーゼが瑞兆の誘拐を企てたという確かな証拠が見つかれば、皇王妃陛下の母国であっても開戦となる事が予想されます。 少なくとも両国の関係が悪化するのは必至。 それを喜ぶ国は一つとは限りません。

 又、皇国上級貴族の中にはこの誘拐未遂を言い訳にしてどこかの国を侵略し、皇国の領土を増やそうと考えている者の一人や二人、おりましょう」

「内憂外患か」

 旦那様はそう呟かれた後で、下がれ、とお手を振った。


 窓から外を無言で眺める旦那様の背中を拝見し、退室する私の胸には様々な思いが交錯する。 サリ様がお生まれにならなければ、どのような目覚ましい貢献をなさろうと平民である旦那様が大隊長に昇進したはずはない。 しかし未来の皇王妃陛下と血の繋がった伯父上となられた事で全てが変わった。

 皇王族の血縁。 それは爵位よりも強力な出自。

 ジンヤ副将軍が退官なさったら北軍副将軍位を拝命するのはヴィジャヤン大隊長と考えてまず間違いはない。 そしてモンドー北軍将軍が退官なされば将軍位を拝命する事になる。 その時ヴィジャヤン将軍は旦那様を副将軍に、と陛下へ進言なさるだろう。 それを阻止しようとする者はいないはず。

 但し、この筋書きを喜ぶ人ばかりではない。 弓と剣が将軍、副将軍となる事を恐れる国は相当数あると思われる。


 皇国五軍の長である将軍は全員「開戦権」を持っている。 皇国五軍を一斉に機動する事は皇王陛下にしか許されていないが、将軍は自軍だけで勝てると思うのなら戦を始める事が出来るのだ。 もちろん負ければ責任を取らされるが、勝てば戦利品のほとんどを自分の懐に納める事が出来るという旨味がある。

 皇国が最後に対外戦争をしてから何年も経つ。 けれど戦争が二度と起こらない保証はどこにもない。 特に「戦好き」が将軍になれば。

 ヴィジャヤン大隊長が戦好きと言う訳ではない。 それどころか戦嫌いと言ってもよいだろう。 旦那様にしても剣豪ではいらっしゃるが、無用な喧嘩を売るような御方ではない。 だが巷間でお二方は「弓と剣」と呼ばれている。 その名が諸外国に伝わり、戦好きという印象を与えているのだ。

 外国にはヴィジャヤン大隊長御本人をその目で見た者が数多いる訳でもないのだから無理もない。 けれど御前試合で北の猛虎の勇姿を見た者はかなりいる。 あの咆哮が引き起こした震撼は忘れ難い。 そこに伝説の弓の名手が加わった。

 勇名と、そこから引き出される戦士としての虚像。 それらが先走っているとは言え、恐怖や懸念は感じる側にとって現実のもの。 虚像が独り歩きしていると思われる事実はそちらこちらから聞こえてくる。 叩かれる前に叩く、と戦争準備を密かに始めた所さえあると聞く。 軍備は金がかかるが、負けて領土を失うくらいなら、と言う訳だ。

 それらの国の軍師が考えるのは瑞兆であるサリ様の誘拐だろう。 どんな手段を使った結果であろうと瑞兆が自軍にいるだけで兵の士気が違う。 戦は戦わずして勝ったも同然。 その辺りを旦那様はお考えになっていらっしゃるだろうか?


 いずれにしても情報収集に関しては今から始めねば手遅れになる。 遠からず、これに関して旦那様へ進言せねばならない。 独自の諜報網でなければ信頼出来ない事は多い。

 北軍の諜報部を牛耳るのは現在ジンヤ副将軍だ。 ジンヤ副将軍が旦那様の事をどう思っていらっしゃるか分からない。 旦那様の昇進を後押しなさるか妨害なさるか。 中立はあり得ないのだ。 いずれであるかお立場が明確にされるまでは北軍が掴んだ情報だからと安心する訳にはいかない。

 同じ事が皇国全軍、公爵軍や国外にも言える。 それら全てに子飼いを派遣する必要がある。 そのような組織を一から立ち上げるには時間がかかるから、それまでは既存の情報網を使うしかない。 どこが一番信頼出来るか。 それをどのように使うか。

 頭の中で戦略が組み立てられて行く。 これは私が最も得意とする分野でもある。 自分の能力が生かされる事に密かな喜びを感じずにはいられない。


 同時に思う。 私を「将来の為の欠かせぬ布石」と呼ばれたレイ・ヘルセス様は、これを予測なさっていらしたという事なのか?


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― 新着の感想 ―
[一言] 本来起きる筈の歴史では将軍になったタケオが開戦し勝利、その後皇国を滅ぼし覇王になるはずだったのか。
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