緊開 デュイデの話
「緊開っ、緊かーいっ!!」
西門物見櫓にいたバーステンが突然大声で叫んだ。 何が起こったかは分からない。 だがコバベッシイと私はすぐさま開閉操作棒に飛びつき、ご、ご、ご、と重たい音をさせて軋む障害壁を必死で動かし始めた。
障害壁を動かして門に自由に入れる様にする理由と時間は予め決められている。 その例外が「緊急開門」、略して「緊開」だ。
広大な第一駐屯地には東西南北に入り口があり、門自体は軍隊が行き来できる程広い。 だが普段は人や動物が簡単に通り抜けられないよう、障害壁がジグザグに置かれている。 この障害壁を動かすには操作棒を使う。 何しろ巨大な上に重い障害壁を一度に動かすのだ。 操作棒も二人がかりで押さないと動かない。
普段の通行は人用と馬用にそれぞれ通路があり、検閲所が設置されていて、そこを通過しなければ駐屯地内には入れないようになっている。 どちらにも検閲用のゲートがあるから走り抜ける事は出来ない。
因みに馬用通路と言っても馬車が通れる幅ではないので、馬車で乗り入れたい時はそれ用の通路がある正面(南側)に回ってもらう。
緊開は大隊長以上なら職務権限内で出せる命令だ。 しかし物見櫓にいる平の兵士がそんな重大指令を出す事はない。 但し、何か緊急事態が起こって上層部からの指示を待っていられないという場合に限り、物見櫓の兵士でもこの指令を出す事が許されている。
許されてはいるとは言っても開けた後で理由が不適切であったと判断された場合、指令を出した兵士は処罰される。 場合によっては降格処分や不名誉除隊だってあり得るのだから遊びや冗談で緊開しろと言う奴はいない。
私は入隊以来十二年経つが、この指令を聞いたのは今日が初めてだ。 私が門番になってたったの一年だから知らなかったんだろう、と思うかもしれないが、門番は二、三年で交代する。 その時必ず申し送りがあり、緊開のような事件があったら絶対知らされていたはずだ。
それに緊開があったら大隊長が命じた緊開であっても駐屯地内で噂になるだろう。 余程の事がなければそんな指令が出されるはずはないのだから。 過去十二年間、緊開が行われた事は一度もないと思って間違いない。
突然の緊開命令に面食らったが、一度緊開と言われたら理由を聞いている暇はない。 バーステンが、急げーっと声を限りに叫んでいる。 とにかく寸秒を争う事が起こったに違いないのだ。
ゆっくり時間をかけて開けるならそんなに力が要る訳でもないんだが、急いで開けるとなると全力を振り絞らないと。 踏ん張るコバベッシイの顔はもう真っ赤だ。 私もありったけの力を出して押した。
ぐぐうっ、ぐぐうっ、ぐぐうっ
文句を言うかの様な唸りを響かせながら障害壁が開いていく。 ようやく馬が通り過ぎれるぐらいの広さになったか、という所で目の端を黄色いぴらぴらの布が横切った。 何だと思う間もなく、その後をすごい勢いで馬が次々と駆け抜けて行く。
あれはバートネイア小隊長じゃないか?
なんと。 続いて走り抜けたのはヴィジャヤン大隊長の奥様だ。 それに奥様の侍女、サリ様の乳母、ネシェイム小隊長が続く。 皆様黄色のぴらぴらを追いかけている。
ひょっとして、犬?
その一団から少し遅れてヴィジャヤン大隊長の馬丁のアタマークさんが門に辿り着き、それと同時に私達に向かって叫んだ。
「緊急事態じゃ! マッギニス補佐はどこにいる? いないなら将軍か将軍補佐、誰でもいい! すぐに出動命令を出せる人に案内してくれ!」
「コバベッシイ、後を頼む!」
私はアタマークさんの馬の後ろに飛び乗り、二人で第一庁舎へと駆けつけた。
第一庁舎入り口にも門番がいて持ち物検査と身元確認をしている。 誰であろうと並んで検査終了を待つ事になっているが、今はそんな悠長な事を言っている場合じゃない。
到着と同時に私は「伝令!」と大声で叫んだ。 伝令だったら呼び止められないし、検査もされない。
但し、伝令でないのに伝令と叫んだ事が分かったら非常にまずい事になる。 嘘を言った理由が不適当と判断されたら懲戒処分は免れないだろう。 どんな事情があったのか、アタマークさんから何も聞いていない。 だが私は迷わなかった。
入り口を走り抜け、マッギニス補佐の執務室に行くと、幸い補佐は在室だった。 アタマークさんが飛び込んで何かを報告するや否や、マッギニス補佐が部屋から廊下に走り出て大声で怒鳴った。
「リッテル! いるか?」
廊下の端の部屋から飛び出したリッテル軍曹にマッギニス補佐が早口で命令した。
「二個小隊に大隊長御自宅へ緊急出動命令を伝えよ! 敵は二十数名!」
軍曹はさっと敬礼して走り去り、マッギニス補佐も別方向へと駆け出していった。
どうやらヴィジャヤン大隊長の御自宅を襲った者がいたようだ。 しかし門を駆け抜けて行った皆様のお姿を見る限り、誰もお怪我なさっている様子はなかったような。 少なくともしんがりのアタマークさんは無傷だ。 襲撃されたのだとしても皆様御無事で逃れたのだろう。 まずはサリ様にお怪我がなくてよかった、と安心しそうになって、あれっと思いついた。
サリ様がいたっけ? どこに? 奥様がおんぶしていらした? ようには見えなかったが。 他の誰かがおんぶしていたのか? でもエナさんとカナさんも身軽だったような。
まさか、サリ様が誘拐された!?
「アタマークさん! あの、サリ様は? 御無事でいらっしゃいますか?」
「うむ、ケルパが付いておるからのう。 大丈夫じゃて」
呑気そうないつもの調子でアタマークさんが答えてくれた。 それを聞いてほっとした。 ケルパが付いている。 て事は、あの一団と一緒に走っていたのだろう。 私が気付かなかっただけで。
マッギニス補佐へ報告を終えたアタマークさんは他の皆様が戻られるのをここで待つと言う。 役目を果たした私はアタマークさんを残し、自分の持ち場へと戻った。
戻ったらコバベッシイに聞かれた。
「おい、デュイデ。 障害壁、閉じた方がいいと思うか?」
「いや、間もなく二個小隊が通過するはずだ。 全開にしておいた方がいい」
コバベッシイと一緒に障害壁を全開にした途端、ドドーン、ドドーンと太鼓の音がした。 緊急出動の合図だ。 間を置かずに第六十三と第七十二小隊がものすごい速さで駆け抜けて行く。
コバベッシイが小隊の後ろ姿を見ながら心配そうな顔で聞いた。
「この後、門はどうしたらいいと思う? 小隊が戻るまで開けたままにしておくのか? それともすぐに閉めた方がいいのかな?」
開ける事は勿論だが、閉める方も本来なら指令なくやってはいけない事だ。 開ける方はもうやってしまったのだから仕方がないが、閉める方は指令を伺っている時間がある。 自分達で判断していい事じゃない。 私は上官のスカイリーブ小隊長の元へ報告に走り、指示を仰いだ。 丁度、小隊長の方にも上からの伝達があったようで、閉めてよいと言われた。
その日の夕方、カルア将軍補佐が西門にいらした。
「今日の日誌を書く当番は誰か?」
私だったから、進み出て敬礼し、答える。
「自分であります!」
「本日の日誌の通常項目欄には緊急出動訓練のため二個小隊が出動した事のみを記載するように。 緊開はその訓練のために行われた」
「了解!」
「サリ様の御訪問があった事は特記欄記載項目となる。 当然、御母上、乳母、侍女、護衛を含むお付きの名前も記録される。 以上だ」
「カルア将軍補佐。 それではアタマークさんの名前も記載するという事で、よろしいですか」
「彼の名は外しておくように。 だが御一行が愛犬をお連れになっていた事を書くのは忘れるな。 お散歩を兼ねて、と付け加えておけ。 知っていると思うが、あの犬の名はケルパだ」
それからカルア将軍補佐はバーステンを呼び、私が伝令と名乗った件とあわせ、咄嗟の的確な判断をお褒め下さった。
「本日の行動は軍の報賞事項として正式に記録される事はない。 だが、これは上からの気持ちだ」
そうおっしゃってバーステンと私にそれぞれ報奨金を下さった。 後で封筒の中身を見たら、なんと五万ルークも入っていた。
その日の日誌は命令に従って書いたので大事件と思える様な記録はない。 それでもこの日は私の兵役中、最も忘れられない一日となった。
実は、私にとって一番強烈な印象となって目に焼き付いているのはケルパの黄色いケープで。 日誌に書く時、余程それも一言記載しておこうかと思ったのだが結局止めておいた。 そして止めておいて本当によかった、と後で思う事になった。
二ヶ月後、私は昇進し、配属替えになった。 門番としてサリ様の御訪問を再び経験する事はなかったが、御成婚によって北を離れられるまでサリ様は何度も御父上を訪ねて駐屯地にいらした。
何しろ準皇王族だ。 これ程高貴な方の御訪問など前例がない。 当番になった奴はどんな風に記録すればいいのか分からないものだから、誰もが私の書いたやつを丸写ししたのだ。
この年からサリ様だけでなく、以前には考えられなかった高貴な方々が北軍を頻繁に訪問なさるようになった。 気恥ずかしいが、私は門番の間で皇王室関係を記録する専門家として知られるようになり、その時必ず日誌当番から校正を頼まれる。
私の記載が格式張っていたのは、皇国史を読んだ時に使われていた文体をそのまま真似たからに過ぎない。 それは単に私の趣味が読書で、特に歴史物が好きだったからだが、これが上の目に留まり、私の昇進に繋がった。
長い人生、何が役に立つか分からないもの、とつくづく思わされた。
追記
「本日天候快晴。
皇国皇王陛下第一皇王子オスティガード殿下御婚約者サリ・ヴィジャヤン北方伯令嬢、御母上ヴィジャヤン北方伯令夫人御同道ニテ、御散歩ヲ兼ネ、第一駐屯地迄来駕セラル。 御機嫌麗シク、常ノ如キ。
御付
乳母 エナ・マレーカ公爵令嬢
御母上付侍女 カナ・ジンガシュレ
護衛
第八十八小隊隊長 ジム・バートネイア
第八十九小隊隊長 タイ・ネシェイム
他
愛犬 ケルパ
第百七十三小隊上級兵 ハン・デュイデ記」
「北軍第一駐屯地西門検閲部業務日誌」特記欄より抜粋。




