マネキン アミの話
あたいはパイの売り子してる。
そ、道端で売ってる朝ご飯とか、昼ご飯の買い食い用のパイ。 毎朝とうちゃんとかあちゃんが朝暗い内に早起きして作ってるの。 すごくおいしいんだよ。
貴族様だと日に三度、ご飯が食べられるって聞いたことがある。 でも平民でお三度がちゃんと食べられるなんて珍しいでしょ。 みんな朝は仕事に行く道すがら、ちょっとお腹の足しになるものを買って、立ち食いや歩きながら食べるじゃない。 お饅頭とかパンとか。 昼なら仕事先の近くにある屋台からサンドイッチを買うとかさ。
ここはボルダック侯爵様のお膝元だから、お邸やお邸近くで勤める人向けの食べ物を売る屋台がそっちこっちにある。 あたいもその一人って訳。
あたいが売ってるパイの中には野菜とか肉も入ってるからいいお昼にもなるし。 ただ屋台を用意するのはお金がかかるんで、パイ皿を置くお盆を折り畳み椅子の上にぽんと置いている。 ちょっと見映えは悪いけど、この商売初めてそろそろ十年。 ここらじゃ結構顔が知られているんだよ。
最初の頃は、あたいのねえちゃんが売ってた。 その頃はどこで売ったらいいか手探りで。 売れ残る事もあったから家族みんなで毎日パイばっかり食べてた。 美味しいから別にいいんだけどさ。
今では朝と昼で場所を変えた方が売れるって事も分かったし、御贔屓さんていうか、いつも買ってくれる人もいて、ちゃんと家族六人を食べさせるくらいの稼ぎになっている。 ねえちゃんは嫁に行ったから今じゃ五人家族だけど。
あたいが売り子になって、もう三年だからね。 ベテランよ。 お客さんの中には初めて買ってくれた人もいるけど、いつも同じ道で売っているから、なじみの人の方が多いって感じ。
その人の事は心の中でこっそり水鶏さん、て呼んでいた。 三十代の女の人で。 週に四日くらいパイを買ってくれるの。 他の日に野菜入りとか果物入りを買う事はあるけど、水曜日は必ず鶏肉入りのパイを買うんだよね。 買いに来る時間や水曜以外の日に買うパイに違いはあっても、水曜日の御注文が変わった事は三年間に一度もなかった。
その日、水鶏さんはいつものパイを買った後で、いつものように立ち食いした。 だけどパイを食べ終わった後も、あたいの事をじろじろ見ている。 仕事に行く様子がない。 変だなとは思ったけど、朝の分を売り切ったから昼の分を取りに行かなきゃ。 お盆や皿を片付けて家に帰ろうとしていたら水鶏さんがいきなりあたいに声をかけて来て。
「あなた、身長153センチで体重52キロでしょ」
な、何よ。 何が言いたい訳?
むっとしたけど、ほとんど毎日の様にパイを買ってくれる常連さんだからね。 怒らせたくないし。 それで正直に言った。
「計った事ないから分かんない」
「じゃ、これから一緒に来て頂戴」
「どこに?」
「まだ言ってなかったわね。 私の名前はナナ・ジョバーグ。 ボルダック侯爵家で働くお針子よ。 私と一緒にボルダック家に来て欲しいの」
「でもぉ、昼のパイ売りをしなくちゃいけないし」
あたいがそう言って渋ったら、ジョバーグさんは近くにいた流しの馬車の御者に声をかけた。
「ちょいと車屋さん。 この子の家までひとっ走りしてくれない? その後すぐ侯爵邸に向かうわ。 お代は五千ルーク。 侯爵邸で払うから」
「がってんだ!」
ご、五千? 車屋の目が輝いたのも無理ないよ。 馬車だったらここから侯爵邸まで三十分もかからないでしょ。 あたいの家と往復したって一時間もかからない。 なのに、五千て。 車屋さんが一日いくら稼ぐか知らないけど、丸一日走り続けたってそんなに稼げないんじゃないの?
それを聞いた御者のお兄さんは張り切ってあたいの店じまいをさっさか手伝い、家まですごい速さで到着した。 歩いたら四十分はかかる道だから、いつもよりずっと早く帰って来たあたいに、かあちゃんが台所から声をかけてきた。
「おや、おかえり、アミ。 早かったね。 もう売り切れちゃったのかい?」
あたいがただいまを言う前にジョバーグさんが答える。
「アミちゃんのおかあさんですか? 私はナナ・ジョバーグと申します。 ボルダック侯爵家に仕えるお針子です。 今すぐアミちゃんにお手伝いしてもらいたい事がありまして。 これからボルダック侯爵家へ来てもらいます。 お昼の仕事には戻れないと思いますが、ボルダック家から今日の分の給金が出されるでしょう。 どうか心配しないように」
ジョバーグさんがほんとに侯爵家で働いている人なのか、こっちには分からない。 それにジョバーグさんが突然思いついた事みたいだし。 誰か上の人から命令されたんじゃないんでしょ。 なら、ほんとにお給金を払ってもらえるの?
だけどあたいらみたいな平民にとって、侯爵様の所で働いてる人から言われたってだけで、それはもうお願いって言うより天からのお告げもおんなじだもん。 逆らうなんて出来ない。 結局ただ働きになったとしても。
かあちゃんは、へへーって感じで恐れ入ってた。 とうちゃんは買い出しに行ったみたいでいなかったけど、いたとしてもたぶん同じでしょ。
で、そのままあたいは侯爵様のお邸に連れて行かれた。 でかいお屋敷だから外からならあたいだって見た事あるけど、中に入ったのは生まれて初めて。 すごーくきれいなお庭とお屋敷でね。 ふえーっと言いたくなった。 いくら学がないあたいだってほんとに言ったりはしないけどさ。
門を入ると中には建物が幾つかあって、その内の一つに連れて行かれて体の寸法を計られた。
もー、ちょー恥ずかしー、て感じ。 そりゃ周りは女の人ばかりだったけど、みんなきれいで上品な服着てる。 あたいの服は食べ物を売ってるんだから一応ちゃんと洗ってあるけど、どこから見たってみすぼらしい。 それを脱がされたら下に着てるやつなんてもっとぼろいし。
とにかくようやく終わってくれて、やれやれ、これで帰してもらえると思ったら、そこに筆頭お針子のマシバナン様という方がいらした。 その方が説明してくれた所によると、あたいの寸法は六頭殺しの若様の奥様と、とても近いんだって。
「叙爵式が一月十四日にあり、それに間に合う様に儀礼服を縫わなければなりません。 伯爵夫人の儀礼服なら普通は一年がかりで仕上げるもの。 けれどこの御用命の連絡を戴いたのは十月半ば。 全てに押せ押せである事は言うまでもありません。
お針子を北に送っている時間はありませんし、お忙しい北方伯夫人をこちらにお呼びする訳にはまいりませんから。 そもそも貴族の服を作る時は御本人様が仮縫いに立たれるのではなく、同じ体型、寸法のマネキンがおり、その者を使って縫製を進めていくものなのです。
それで御連絡戴いた北方伯夫人の御身長、お胸周り、お腰回り、お肩幅の数字を持つ者を探していたのですが、中々見つからず、苦労していました。
小柄で、お子様を御出産なさったばかりなので豊満なお胸。 その二つの条件を満たす女性ならおりますが、北方伯夫人は大変鍛えられた御方でいらっしゃいます。 全部の寸法が同じ女性を見つけるのは無理としても、せめて身長、体重、お胸周り、お腰回りだけでも同じ女性を探していたのです。 肩の筋肉は詰め物を少々乗せる事によって肩幅のサイズを同じに出来ますから」
詳しい事は分かんないけど、仮縫いに週一回通って来るだけで、なんと一日五千ルークのお手当がもらえるんだって! もうあたい、飛びあがっちゃった。 こんな美味しい話、いつまでも続かないとは思うけど。
帰ってあたいからこの話を聞いたとうちゃん、かあちゃんもすんごく喜んでくれた。 はっきり言って、どうせただ働き、て思ってたんだよね。 そうだとしても相手は領主様だもん。 こっちは文句なんか言える立場じゃないし。
だけど月に五回顔を出すだけで二万五千ルークもお給金が貰えるだなんて。 それって毎日パイを売ってようやく儲かるお金だ。 しかも仮縫いの日以外は今まで通りパイの売り子をしてもいいんだって。
儀礼服が仕上がった時、このお仕事もとうとう終わりかあ、と思うとほんとに残念だった。 そしたら次は春に出席しなくちゃいけない結婚式があるとかで。 その服を作るから今まで通り週一で来てくれって言われた。 それを作っている内に、じゃ次はこれ、その次はこれ、て感じで。 もうどんどん予定が入ってる。 で、今でも専属で続けさせてもらっている訳。
うん、儲かってるよ。 傍目で見る程、簡単な仕事じゃないけどね。 だって北方伯夫人が太ったり痩せたりする度に、あたいもそれに合わせなくちゃいけないんだから。 太るのは簡単だけど、痩せるのは必死にがんばらないと。 すぐに痩せるって訳にいかないし。 痩せすぎてもまずいし。
それと北方伯夫人って、あたいの体型に似てるとは言っても肩と腕の筋肉が特に発達しているんだよね。 肩幅があたいよりずっとあるから、それに合わせるために何だか知らないけど肩にべたっと貼り付けられて、それで一日立ちんぼだもん。 終わる頃にはいつもくったくた。 パイを売るよりずっとしんどいのは確か。
とうちゃんが一体いつ嫁に行く気だって心配してるけど、そんなのどうでもいいじゃない。 亭主がいなくたって、ちゃんとおまんまが食べれる仕事があるんだからさ。 ぜーったい辞めないもん。




