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弓と剣  作者: 淳A
零れ話 I
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若の日  シナバガー(旧姓ベルビバッケン)の話

 十月十四日は「若の日」だ。

 六頭殺しの若が平民の女性と結婚した事に因んで始まった。 この日だけは身分違いでも愛を告白して良い事になっている。 誰が言い出した事か知らないが、ヴィジャヤン大隊長でない事だけは確かだ。

「若の日って何の日?」と御本人がお聞きになった事が「若便り」に載っていたから。

 それにしてもこの日を御存知ないとは。 街に一歩足を踏み入れればどの店も「若の日」に向けて一ヶ月前から宣伝文句をでかでかと掲げているのに。


「若の日 許されないと知りながら許されたい」

「若の日 お慕いする気持ちを、今遂に」

「若の日 信じられないけど信じたい。 奇跡は起こる、と」

「若の日 夢、叶う」

「若の日 運命、微笑む」

「若の日 身の程知らずと言わないで」


 ここまで見せつけられて、一体どうしてそんな質問が出てくるのか? 確かに一番派手に宣伝しているのは花屋と菓子屋で、ヴィジャヤン大隊長がお立ち寄りになりそうもない店ばかり。 だが店の前を通り過ぎるくらいはするだろう? それに告白は男から女へ、女から男への両方向ある。 だから男物の専門店でも特売とかの販促をしているし、ヴィジャヤン大隊長がよく行かれる事で有名な弓の店、ラマスガンでも「若の日 あの人を射止めちゃお」セールをやっているじゃないか。 それを見ているはずなのに何の日か分からないとは。 さすがに尋常ならざる御方だけある、と言うべきか。


 大体十月十四日と聞いて、自分が結婚した日だ、となぜ気付かない?

 ヴィジャヤン大隊長は入籍後、式を挙げたりはなさらなかった。 すると入籍した日が結婚記念日となる。 貴族なら結婚記念日には服や宝石等を妻に贈るものだ。

 まさか忘れた、とか言わないよな? 忘れたりしたら、どうして私達の始まりの日を覚えていて下さらないの、とリネ様に文句を言われたりするだろう? そのような文句をおっしゃる奥様ではなかろうと、ヴィジャヤン大隊長が愛妻家である事は広く知られている。 記念日の贈り物は愛する妻への当然の気遣いと思うのだが。


 まあ、幸せ一杯にしか見えない大隊長御夫妻の事なんてこの際どうでもいい。 とにかくヴィジャヤン大隊長が御存知ないという事は、花屋と菓子屋辺りが売り上げ倍増を狙って仕掛けた記念日なのだろう。 告白に行くのに手ぶらでは行けないからな。 そしてその狙いは見事大当たり、という訳だ。

 聞く所によると、この日には花と菓子が他の日に比べて五倍以上売れるらしい。 特に花屋の予約は必須。 知り合いが去年、当日の朝一番で買いに行ったが花だけでなく菓子もきれいさっぱり売り切れていて予約客の分しか置いてなかったと教えてくれた。

 それで私も花と菓子の予約はとりあえずしておいた。 気の利いた男なら相手の女性の喜びそうな物を贈るのだろうが、私の様な朴念仁が頭を絞ったって碌な事にはならない。 面白味はないが、定番の「愛花」のブーケと「ロマスコーロ」の箱詰めを注文した。


 用意した事はしたが、いくら世の中が若の日で浮かれているとは言え、私までそれに便乗して本当に告白してもいいのだろうか?

 何しろ私が密かにお慕い申し上げているのはシナバガー男爵令嬢ラフィア様だ。 勿論、誰に言われなくともあんな高嶺の花に恋するなど身の程知らずと分かっている。

 シナバガー男爵にはお嬢様しかいらっしゃらない。 だから長女のラフィア様が爵位を継がれる。 それだけでも男が群がる充分な理由となるのに、北の名花ともてはやされるあの美貌だ。 今年は去年以上の花と菓子がお手元に届けられる事だろう。


 言い訳がましいが、私はラフィア様の美貌や爵位に魅かれたのではない。 ラフィア様のお人柄を知るようになったのは「マグノリア剣道同好会」が切っ掛けだ。 今年で二十歳になるというのに何を思われたか、ラフィア様は結婚相手を探し歩くのではなく、同好会発起人となって剣の稽古を始められた。

 私は剣では多少知られた腕前だ。 私の父とシナバガー男爵は友人で、私自身もシナバガー男爵に御挨拶申し上げた事がある。 その御縁でシナバガー男爵からこの同好会の指導を頼まれたのだ。 近隣の貴族の未婚女性十人程、通って来るらしい。

 ラフィア様と直接お話した事はなかったが、四、五年前にお目にかかった事ならあった。 当時から大変美しくていらしたが、一目惚れした訳ではない。 すごい美人だな、と思っただけだ。 第一、稽古では面を被る。 顔なんて美しかろうが醜かろうが気にならない。


 私が所属する第二駐屯地からシナバガー邸まで馬で三十分だ。 いい気分転換になるだろう。 そんな気軽な気持ちで、週二回男爵邸に通う事をお約束した。 これを知った剣道仲間や同じ部隊の隊員からは散々羨ましがられたが、向こうは平民に過ぎない私を結婚相手として考えているはずはない。

 どうしていきなり剣道とは思ったが。 おそらく彼女にとっては目先の変わった遊びなのだろう。 美人だからと言って剣の上達が早くなる訳でもない。 正直な所、誰が教えようと上達なんかするものか、と期待は全くしていなかった。


 剣の指導を始めて彼女が努力の人であると知り、意外に思った。 勿論剣は当然下手だが、下手なりに一生懸命稽古なさる。 自分を磨くための手間暇を惜しまず、少し上達したくらいでそれに甘んじる事がない。

 美貌と爵位というりっぱな武器があるのだ。 生涯遊んで暮らせる身分は保証されている。 数えきれぬほどいる求婚者の中から誰を夫に選ぼうと美しい妻には甘かろう。 なのにまるで将来剣で身を立てる事を目標にしているかのように真剣だ。

 なぜ筋肉痛で腕が上がらなくなり、柔らかな手に包帯を巻く程がんばるのか? 不思議に思って剣の稽古を始めた理由をお伺いした事があった。


「美しさの追求ですわ。 皇都ではヴィジャヤン大隊長夫人の人気がうなぎ上り。 その美声と女剣士としての腕前を知らぬ者はございませんのよ。 女性といえども美人と呼ばれるには強さと逞しさが求められるようになったのです。 リネ様が発端の流行に地元である北に住む私が出遅れる訳には参りません」

「ラフィア様は大変美しくていらっしゃる。 その上更に美しくなる努力など、する必要がございますか?」

「ベルビバッケン様は第二駐屯地の若手剣士では一、二を争う腕前なのだとか。 大変お強くていらっしゃる。 そのうえ更に毎日お稽古をなさるのはなぜなのでしょう?」


 一本取られたとは思ったが、その時恋に落ちた訳じゃない。 美しさの追求だなんて。 随分変わった人だ、と思っただけだ。

 では、いつ恋になったのか? 分からない。 ある日ふと気が付いた時には、この美しくひたむきな人を忘れる事など出来なくなっていた。


 出来ればこの気持ちを伝えたいが、こちらは平民。 私の父は先代ベルビバッケン男爵の次男だから、父なら貴族だし、伯父であるベルビバッケン男爵を始めとして貴族の親戚は結構いる。 とは言え、私自身が平民である事に変わりはない。

 金なんて自分の給金を貯めたものしかないし、顔なんて睨んだ訳でもないのに子供に泣かれた事もある。 間違っても女受けするものではない事ぐらい自覚しているし、女性と付き合った事もないから何をどうすればラフィア様に喜んで貰えるのか見当もつかない。


 告白したって相手には嫌と言う権利がある。 当たって砕けろ、で告白する道もあるにはあるが。 身分違いの上に顔や家柄が良い訳でも財産がある訳でもない私だ。 うんと言って貰える可能性があるとは考えづらい。 断られておしまいに決まっている。 すると断られた後でも平気な顔をしてお会い出来るか、という問題がある。

 顔が強面だし、試合ではいつも大胆に攻め込んでいく事で知られる私だ。 信じては貰えないだろうが、恋愛に関しては全くの初心者。 振られても平気な顔をして見せる芸当が出来るとは思えない。


 ならば告げずに諦めるのか? だが僅かでも希望がない訳でもないのが気にかかる。 ラフィア様は剣の稽古は熱心になさるが、数多いる求婚者の誰ともお付き合いされていない。 本命と噂される者は勿論、浮ついた噂の一つさえないのだ。

 私を喜ばせるために一生懸命稽古をしていらっしゃるのでない事は知っているが、「若の日」にかこつけて気持ちを告げるぐらい、笑って許してもらえるのでは? 告げて振られたら諦めもつく。


 ただ私は一応教える立場だ。 断る事が相手にとって重荷になっては申し訳ない。 悩んだ末に、軍対抗戦出場者として選ばれたら告白してもいいのではないか、と思いついた。

 予備選とも言える第二駐屯地内の順位決定戦、三十歳以下の部では既に勝ち残っている。 次は第一駐屯地で行われる軍対抗戦出場者選抜戦だ。

 そこで勝てば出場者か補欠に選ばれ、同時に第一駐屯地への転属となる。 転属すれば二度とラフィア様と顔を合わせる事はない。


 勝てるかどうかは五分五分。 第一駐屯地に所属している剣士は他の駐屯地とはレベルが違う。 それに百剣に入っていなくとも見込みがあると思われた若手剣士は北の猛虎から直々に稽古を付けてもらえるのだとか。 なんとも羨ましい話だ。

 それがどうした。 人を羨んだ所で勝てる訳でもない。 稽古に励むのみ、とひたすら勝つ事だけを考えた。 もっとも頑張る大元の理由が、あの美しい人の側に立つに相応しい男と言われるため、では勝つ事だけを考えていたとは言えないが。


 危ない場面はいくつかあった。 だが何とか選抜戦で勝ち残り、軍対抗戦出場者補欠として選ばれた。

 第一駐屯地への転属が決まり、遂に迎えた十月十四日。 花と菓子を手にしてさえ、私はまだ迷っていた。 けれど何も言わずにこのままもう二度と会えなくなってもいいのか、と言えばよくない。


 どんな試合でもこれ程緊張した事はないと言う程がちがちに緊張し、やっぱり止めようかと弱気になる自分を叱咤しながらラフィア様に思いを告げた。

「そのお言葉、お待ちしておりましたわ」

 その返事の意味を理解するのにしばらくかかった。 呆然としたと言ってもいい。 まさかうんと言って貰えるとは思っていなかっただけに、次にどうすればいいかなんて考えていなかった。

 ようやく口を閉じてから、次にシナバガー男爵に結婚のお許しを戴かねばならない事に気が付いた。 だが今日持って来たのはラフィア様への贈り物だけ。

「そ、それでは、あの、シナバガー男爵への御挨拶は、又日を改めて参ります」

「まあ、何をおっしゃいますの。 私もそろそろ結婚を急がねばならない年になっている事は御存知でしょう? 善は急げと申しますわ」


 ラフィア様はそうおっしゃって、その日の内にお父上に御報告なさった。 しかも信じられない事に、君ならば間違いはない、という温かいお許しのお言葉を男爵から戴く事が出来たのだ。


 こうして私はラフィア様と結婚し、シナバガーの姓を名乗る事になった。 翌年挙げた結婚式では、大変有り難い事にタケオ師範御夫妻に御媒酌人となって戴く事ができた。 それだけではない。 その年に偶々私の剣がお役に立った事があり、それが機縁で北方伯となられたヴィジャヤン大隊長御夫妻を主賓としてお迎えするという栄誉を頂戴したのだ。 これは義父母を大層喜ばせた。


 妻が後でこっそり教えてくれたのだが、式以来、私の身分が低い事に文句を零していたシナバガー家の親戚一同の風向きがころっと変わったそうだ。 猛虎と六頭殺しの両巨頭が出席したのだから無理もないが、決め手はヴィジャヤン大隊長のお言葉だ。

「シナバガーにはほんとに助けられました。 こんなに頼りになる男っていないです。 やっぱり夫はいざって言う時に頼りになる男じゃないとね。 ラフィアさんは男を見る目があるなあ」


 余談になるが、師範が媒酌人御挨拶をなさった際に冗談をおっしゃった。

「新郎のせいで百剣全員が面食いと思われたら実に心外」

「えー? 師範がそんな事言ったって説得力ないし」

 すかさず入れたヴィジャヤン大隊長の茶々がバカ受けするという一幕があった。

「百剣は面食い」という噂はここから始まったらしい。 妻が顔だけの女性でない事を知る私にとっては不本意だったが、彼女の美しさがどこにあるかは私だけが知っていれば良い事だ。 気にしない事にした。


 後年、私は軍対抗戦で大将となり、勝ちを北軍に齎す事が出来た。 だが我が人生最大の勝利はその数年前に手中にしていたと言える。

 ある意味ではこの日を盛り上げた花屋や菓子屋のおかげと言えるのかもしれない。 しかしどんなに店が頑張ろうと、ヴィジャヤン大隊長が平民の奥様と御結婚なさらなければ「若の日」は始まりようがなかった。 身分違いでもいいじゃないか、という世間の風潮も。

 豪快な剣で心臓に毛が生えていると言われる私だが、この日なしに告白する勇気が生まれたかどうか疑わしい。 だからそもそもの始まりとなって下さったヴィジャヤン大隊長には感謝してもしきれない。

 毎年この日を夫婦二人で祝う時、自らの幸せをしみじみと噛み締めながらそう思うのだ。


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