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弓と剣  作者: 淳A
零れ話 I
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再生  ダダン(新姓ツイノヴィ)の話

「マッギニスなら信頼出来ても、このケイフェンフェイムを信ずる事は出来なかったと言う訳か」

 苦々しげに漏らされるお言葉から深いお怒りが感じられる。 それも当然。 オキ・マッギニス補佐の言葉を信頼した私は安んじて全てをケイフェンフェイム大審院最高審問官に報告した。

 ケイフェンフェイム様は大審院最高審問官の肩書きがなくても誰もが怖れる厳格な御方。 普段感情らしきものを拝見した事はない。 これは私が最初にして最後に見るケイフェンフェイム様の感情の吐露となろう。 だが死を覚悟した私の心には恐怖は勿論、何の感慨も呼び起こさなかった。


 衛士隊長が脅迫に負けて証人を予定外の場所に連れて行ったなど、起こってはならぬ不祥事。 大審院に君臨する最高審問官にとって赤面ものの醜聞である事は承知している。 大審院では頼りにならない、と大審院を守るべき衛士の長が公言したも同然なのだから。

 私とて名誉ある大審院に勤めて二十年。 駆け出しの衛士ではない。 これが公になれば大審院の守りも見かけ倒しと嘲けられる。 又、部下の管理も出来ぬのか、と最高審問官の責任問題にさえ発展しかねないのだからケイフェンフェイム様のお怒りは無理からぬ事。

 しかし去年や一昨年、その職にお就きになったばかりの御方をどう信じろと? 今更言っても詮なき事ではあるが、脅されたのが自分の命だったなら脅迫に屈する事はなかった。 だが脅迫状にはサダ・ヴィジャヤンとリイ・タケオをゼラーガ侯爵邸裏門へ案内しなければ、私の一人娘、ミカが代わりに入る事になると書かれていた。


 娘の命を種に脅迫されたとケイフェンフェイム様に報告すれば、大審院の名誉にかけて守ってやろうとおっしゃって戴けたかもしれない。 言うは容易い。 その言葉を実行するための兵がどこにいる。

 大審院にもケイフェンフェイム侯爵家にも警備兵がいない訳ではないし、私が指揮する衛士をミカの警護に付けてもいいが、いつまでそれが続けられると言うのだ? 一ヶ月? 二ヶ月? もう大丈夫だろうと警備がなくなった三ヶ月目にミカが殺されたらどうしてくれる。 殺された後で謝られてもミカが生き返る訳でもない。

 そもそも私の自宅は常時八人の兵によって家の内外を警備されているのだ。 門もあるし、家には頑丈な鍵だって掛けてある。 それでも毎朝起きると誰も入れないはずの私の寝室の脇の小机の上に手紙が届くのだ。

 そこに書かれてある前日のミカと私の行動の詳細を読んだ時の戦慄は言い尽くせない。 まるで私やミカの側に一日中立って見ていたかの様に何一つ漏らさず、把握されている。


 私の妻は早くに亡くなり、再婚しなかったから男手一つでミカを育てた。 ようやく十六歳となり、嫁ぎ先を考えている所に届いた予想もしていない脅し。 私に抗う事は出来なかった。

 私はミゼロラ伯爵家の次男だが、実家はとうに代替わりしている。 兄には継嗣の他に息子が何人もいるから姪がどうなろうと深い関心事ではない。 第一、兵の質も私の部下よりましとは言えないのだ。

 亡妻はダダン子爵令嬢。 ダダン子爵家には娘しかいなかったから長女である私の妻が爵位を継ぐはずだった。 だが妻が亡くなったのはミカがまだ一歳になるかならぬかの時で爵位を継ぐ前。 子爵位は次女が継ぎ、彼女にも子供がいる。 いくらミカが血の繋がっている姪とはいっても自分の子供よりかわいい訳もない。 それにダダン子爵家の私兵の数など知れている。


 自分の部下と血縁以外で頼るとしたら上司の私兵しかいない。 ケイフェンフェイム侯爵家は司法の重鎮であり、最高審問官を何人も輩出した名家だ。 大中小の全審院を掌握しているから司法界になら多大な影響力がある。 訴訟している、或いはその内する可能性のある貴族なら恐れるだろう。

 しかしほとんどの揉め事を訴訟前に示談で話をつけるのが一般的な現状では、恐怖の度合いにも限りがある。 マッギニス家の様な皇国中に張り巡らされた諜報網、最新の武器と精鋭の兵士が持つ影響力はない。


 マッギニスなら、歯向かえば後で必ず復讐されるという恐怖が誰の中にもある。 そしてマッギニスが守ると言うならその言葉は信じてよい。 滅多に約束事はしないが、一旦口にした言葉を翻した事はない事を誇りとする家だ。 約束した相手が死のうと約束してから何十年経とうと、あの家が存続している限りマッギニスの約束は守られる。 ミカの命が続く限り守ってくれるだろう。


 脅された時ケイフェンフェイム最高審問官を頼る気になれなかった理由はもう一つある。 大審院は建前から言えば法に則って公正に裁く場所だが、現実には金を積めば正義が買える。 逆を言えば金が積めない奴に正義は望めない。

 大審院が収賄の輩の寄せ集まりと言う気はないし、ケイフェンフェイム最高審問官が賄賂を受け取っている現場を見た訳でもないが。 そんな事が実際あったとしても私が驚く事はない。

 私にした所で袖の下くらい過去にいくらでも貰った。 要するに目立たぬ程度にやれば良いのだ。 上司にばれそうな程のお願いをされたなら、上司の分も用意しろと言えばよいだけの話。 事前に根回ししておけば問題になる事などない。 最高審問官でさえ買収されているかもしれないのでは、正義を望んだ所で無駄と言うもの。


 貧乏人同士の訴訟ならどちらにも収賄する金がないから公正な裁きとなるかもしれないが、金がないのでは訴訟を起こせない。 小審院での訴訟でさえ書類を調えるだけで相当な金がかかる。 そのうえ勝つか負けるか金次第では、訴えたくても金が続かないのが平民の実情なのだ。

 そしてそれは私の実情でもある。 脅迫の子細とゼラーガ邸裏門前での出来事はケイフェンフェイム最高審問官に全て話した。 だからと言って強力な後ろ盾がいる訳でもない私の罪が軽減されるはずはない。

 大審院としては私を脅したのが誰か、知りたい事は知りたいだろうが、それは事件を公にしてまで知りたい事ではない。 そんな事が出来るのはどうせ上級貴族。 訴えた所で有罪判決を勝ち取れるかどうか分からないし、勝ち取れたとしてもそれは何十年も先の話となろう。 いずれにしてもこの査問が終わり次第、職務背信罪で処刑される私にとって何の関りもない話だ。


 死を覚悟していたが、私は牢獄へ連行されただけで処刑されなかった。 知っている事は全て話したし、私がこのうえ役に立つ事など何もない。 不思議に思ったが、二ヶ月程牢獄で過ごした後、ようやく私は連れ出された。

 処刑されると思っていたが、風呂に入れられ、上等な服を着せられた。 最後の情けにしては処刑する囚人に着せるような服ではない。 そして馬車に乗せられ、どこかに連れて行かれた。 私に付き添う男は明らかに獄吏ではない。 だが行き先は聞いても教えてくれなかった。 馬車の窓は閉じられ、相当な距離を走った。


 到着した所で下りると、そこはヘルセス別邸で、通された一室にはヘルセス公爵家継嗣レイ・ヘルセスがいた。

「ダダン。 私はケイフェンフェイム最高審問官よりそなたの命を貰い受けた。 ヘルセス家への忠誠を誓うなら、今日この場でデイ・ダダンは死に、代わりにヤン・ツイノヴィが生まれる」


 ケイフェンフェイム最高審問官が処刑を選ばなかった事には驚かない。 出来れば隠しておきたい性質の不祥事だ。 当事者は事故死か病死が望ましい。 けれど私を処刑した後で書面上は事故死と記録する事も出来る。 なのにヘルセス公爵家に下げ渡した?

 牢獄から無罪放免で出されたとしても、私が事件の子細を誰かに話す事はない。 そうは言っても万が一の事を思えば私をこのまま生かしておくのは良策ではないはず。 再び脅迫され、最も望ましくない形で公表される事にならないものでもないのだし。

 私の運命はケイフェンフェイム最高審問官お一人の裁量で決定可能な事。 とは言え、あの御方にうんと言わせるのは容易い事ではないと思うのだが。

 ヘルセス公爵家がケイフェンフェイム様の弱みを握っていた? それともケイフェンフェイム様が望むだけの金を積んだか。 隙のないケイフェンフェイム様に弱みらしい弱みがある様には見えない。 すると、金。 少ない金ではなかっただろう。


「私の命にどんな価値があるとおっしゃるのでしょう?」

「そなたが思う以上の価値がある。 少なくとも私にとっては」

「マッギニスに娘の命を救って戴いた恩義がある以上、私はマッギニスに仇為す真似は出来ません。 お手元にあるのは誓石なのでしょう? ならば私の誓いは受け入れられないはずです」

「ヘルセスとマッギニスは盟友の約を交わした。 それが破られる事は私が生きている限りない。 私が明日死んだとしても両家が存続する限り変更はないと思って良い」


 これにはさすがに驚いた。 私が知る限り、未だかつてマッギニスがどこかと盟友の約を交わした事はない。 しかしこの状況でヘルセス公爵家継嗣が私相手に嘘をつく理由もないだろう。

 第一、生きる気があるのなら私に他の選択肢はない。 死ぬ覚悟はしていたが、死にたい訳ではないのだ。

 脳裏にあの運命の夜、ヴィジャヤン大隊長が夜空に向かって一直線に放った矢がふと思い浮かぶ。 私を月へと運ぶかの様な。 あの日、既にデイ・ダダンはこの世から消え去っていた、と思えば今ここで何を迷う事がある。

 ツイノヴィ、か。 面白い名前だ。 古の言葉で再生を意味する。 何が理由でヘルセス公爵家に拾われる事になったのか分からないが、この姓を選んで下さったそのお気持ちに賭けるしかあるまい。


 気持ちを落ち着け、静かに誓いの言葉を述べ、ヤン・ツイノヴィがこの世に生まれて来る瞬間を見つめた。


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