同名 あるサダの話
「うっそー」
その女はげらげら笑い始めた。 嘘じゃない、本名だ、と本気をありったけ込めて言ったのに、信じてくれたようには見えない。
「じゃ若様、まったねー」
ひとしきり笑い終わると、手をひらひらさせて歩き去る。 その後ろ姿を眺め、がっくりと肩を落とした。 腰のあたりがぐっと来るって言うか、私好みのいい女だったのに。
この女だけじゃない。 今年に入ってから、もう全戦全敗。 何人の女に声をかけても一緒に飲みに行こうと言う話にならない。 こんな有様じゃまた会おうと約束する所まで持って行けないし、夜のお楽しみなんて夢のまた夢だ。
言っておくが、私は女にもてる。 いや、もてていたんだ、今までは。 顔だってそこそこいけてるし、金だって女に奢るに不自由しないぐらい稼いでいる。 声をかけた女がうんと言わないなんて事は全然なかった。
不運の始まりは「六頭殺しの若」だ。 何も若様が悪人だと言うんじゃないが、あの名前がまずかった。
私の名前はサダ・ヴィジャヤン。 ヴィジャヤン姓は南じゃ珍しくない。 サダという名前だって普通だ。 しかしさすがにサダ・ヴィジャヤンとなると珍しい。 少なくとも私の知る限りサダ・ヴィジャヤンは私の他にいない。 親が若様の大ファンで姓がヴィジャヤンじゃないなら生まれた子の名前をサダにする人もいるだろうが。 親の姓がヴィジャヤンならおそらく畏れ多くてサダにはしないだろうし。 私の年じゃ親がファンという線も考えられない。
それでも昔からの知り合いはいい。 瑞兆騒ぎの後だって、いやー、目出度い奴だと知っちゃいたが、これ程とは思わなかったぜ、と笑って終わりだ。 私の親なんか、サダにしたのは大正解だったと喜んでいる。
まったく何が大正解だ。 人の苦労も知らないで。 もう一つの候補のエダにしておいてくれれば、こんな目にあわずに済んだものを。
新しい知り合いだと本名を名乗っているのに、みんな私が冗談か嘘を言ってると思う。 こんな名前を選んだ親を恨みたいが、恨むのはお門違いだろ。 私は若様より年上なんだから。 真似してると言うならあちらの方が私の名前を真似しているんだ。
何が苦労と言って、一番切実な問題は女を誘う時本気にしてもらえない、て事だ。 遊びの女ならどうでもいいが、いい感じの女に会ったとしても笑われて終わりなのが痛い。
「若様、今度会う時は弓を持って来るのを忘れちゃだめよー」
こうだものな。
なら偽名で付き合えばいいだろ、と言うのか? だけど後で実は、と本名を教えたら、名前みたいな基本の基本から嘘ついているなら他にも何か嘘ついているんじゃないか、と疑うのが人情だろ。 そもそも偽名を使っておいて、お前とは真面目な付き合いをしたい、なんて言う男を信じられるか?
更にまずいのが、私と仲の良い友人にリイ・タケオと言う名前の奴がいるんだ。
いや、ほんとにほんとなんだって! 私より一つ年下で正真正銘そいつの名前はリイ・タケオなんだ。 私の家から二つ通りを隔てた所にある床屋の息子だ。
ただ私と違ってリイの方は猛虎と同じ名前でも何の問題もなかった。 タケオなんてヴィジャヤンよりもっと普通にある姓だし、猛虎の顔は若様程知られていないのに、あら、有名な剣豪と同姓同名なんですね、と言われるぐらいで誰も驚きゃしない。 リイは中肉中背で仕事が床屋だからきれいな手をしている。 間違っても剣士なんかに見えないからだろう。 偽名を使っていると思われた事もないと言っていた。
若様人気に火がつく前はしょっちゅう二人で飲みに行ってはナンパしていた。 リイは何て言うか、女に警戒心を起こさせない雰囲気を持っている。 そして私は自分で言うのもなんだが、話がうまくて相手を飽きさせない。
良さ気な女の二人連れに出会ったらリイがまず切っ掛けを作り、私が褒め倒し、持ち上げて仲良くなる。 次の機会にお互い目当ての女とだけ会って一晩過ごす。 とまあ、そんな調子で全戦全勝、女に不自由するなんて事はまずなかった。
それが今では女のおの字もない。 しかも若様人気にはまだまだ終わりが見えない事を考えると中々きついものがある。
きついと言えば、最後にリイとふたりで出かけた夜。 あれもなかなかきつい経験だった。
相手は二人共、小股の切れ上がったいい女で、久しぶりの大当たり、と心中密かに喜んでいた。 名前はリイとサダ、と最初に教えていて、良い雰囲気に盛り上がり、じゃあ場所を変えて飲もうぜとなった。 そこで、あなた達の姓も聞かせてよ、と言われてさ。 仕方なく教えたら。
「み、南にも『弓と剣』がいたんだー」
「ひー、だ、だめー、死、死んじゃうー」
女とはあそこまで大口を開けて笑える生き物なのだと知った夜、じゃあなと別れたっきり、リイから一度も誘われていない。 顔を会わせれば、よう、と挨拶しておわりだ。
まあ、リイの気持ちは分かる。 持ちつ持たれつの間柄であればこそ、つるんでいる意味もあった。 いくら私の所為じゃないと言ったって、こうなってしまえばリイの女探しの邪魔。 お荷物以外の何ものでもない。
しょうがないから、それからは一人で飲みに行くようになった。 だけど女は一人で飲みに行ったりしないだろ。 こっちも二人連れじゃないと声を掛けたって一緒に飲もうぜ、というノリが生まれづらい。
リイの他にも友人がいない訳じゃないが、私の年だとそろそろ所帯を持ち始めるから簡単につかまらない奴が増えてきた。 独身でも今付き合っている奴がいるとか、いない奴なら女という女に笑って逃げられる私と飲みに行く気になれるはずがない。
私だっていつまでも遊んでいるつもりはなかった。 人には言わないが、女に会う度にこれは女房にしたい女かどうか、ちゃんと考えてもいたし。 でもどれも帯に短し襷に長しで。 本気になれず、選り好みしていたら若人気が始まってしまったんだ。 こうなると知っていたらとっくの昔に適当な所で手を打っていたのに。
若様を責めたって仕方ないと分かっちゃいるが、心の中で何度も毒づいてやった。 勿論、若様を愛する世間の皆様の前でそんな事を言ったりはしないが。
同姓同名の所為で女を掴まえる苦労はしている。 かと言って名前を変える訳にはいかない。 実は、仕事ではこの名前にとても助けられているんだ。
私は両替屋で働いている。 入金と金を引き出す時、伝票に担当者の名前を書き入れるようになっているだろ。 この目出度い名前のおかげで、お客さんが私を名指しして来る様になったんだ。 特に祝い事とか、験を担ぎたいお客さんから、よく心付けを貰うようになった。 それは実に有り難い。 夜遊びに金を使う事もなくなって金もそこそこ貯まった。
そうこうしている内に新年になり、職場の上司から見合いの話を持ち込まれた。 昔だったら見合いなんて誰から来た話だろうと断っていたが、二十五を過ぎ、いつまでふらふらしているつもりだ、と親から説教される年になっている。 長い女日照りは私に現実というものを教えてくれた。
それにこの若様人気が一年や二年で終わるはずはない。 私が生きてる間に終わるのだって無理だろう。 瑞兆なんて百年に一回あるかないかという代物だ。 私の孫の孫の時代になっても語り継がれるに違いない。 自分の女くらい自分で見つける、なんて気取っていたら、あっと言う間に爺になってしまう。
見合いは渡りに船。 この際相手の女に多少の難があったって構わないと思う程、焦った気持ちで飛びついた。 相手の女に大した期待はしていなかったんだが、嬉しい事にトヨはなかなかかわいい女で、話が弾んだ。
これを逃したら次があるかどうか分からない。 そんな危機感もあり、一生懸命トヨの心を掴もうと頑張った。 その努力が報われ、一年経たずに結婚する事になった。
結婚後、ふとした事からトヨと結婚したい男が他にもいた事を知った。 それでなぜ私と見合いしたのかを聞いてみると、切っ掛けはトヨの親父さんが縁起のいい名前を気に入って、家で話したからだった。 せっかくだから見合いしてみないか、と聞かれた時、話の種になるから会うだけ会ってみようかな、と思ったんだと。 それで親父さんが私の上司に話を持って行った、という訳だ。
人間何が幸いとなるか分からない。 するとやっぱりこの名前が私に幸運を運んできてくれた訳だ。 私は心の中でそっと以前若様に毒づいた事を謝っておいた。
ところで私の結婚式にリイを招待したが、同じ頃にあっちも嫁を貰ったため、何かと忙しいらしく、結局出席しなかった。 私も向こうの式には遠慮した。 だが時々会えば挨拶する。 リイも幸せそうだ。
あいつと飲みに行くのは女抜きでも楽しかったから全く御無沙汰になったのは寂しい気がする。 女目当てに出歩く必要はなくなったが、私にとってリイが一番気の合う友人である事には変わりがない。
その内いつか、南にいる「弓と剣」を笑って話せる日が来るかもしれない。 そうしたら二人でまた一緒に飲みに行こうと思っている。




