従者 トビの話
トーマ大隊長に知らせるには一体誰を叩き起こせばいい?
六頭殺しの若が無実の罪で投獄されたとは、将軍でさえ真夜中に起こされたとしても文句を言うとは思えない一大事だ。 けれど私では将軍はおろか、大隊長や中隊長にさえ辿り着く事は出来ない。 従者だから。
従者が入隊するのは兵士が入隊するのとは違う。 給金も軍から払われているのではない。 主が払っているのだ。 従者が従うのは主の命令だけ。 極端な話、主の上官の命令であろうと従う義務はない。 主である兵士が自分の上官に逆らえと命ずるはずはないから軍にもその存在が認められているが、入隊した兵士の私物という扱いで、軍に所属している訳ではないのだ。
兵士として入隊すれば昇進も所属も全て軍が判断する。 一旦辞令が下れば行きたくないとは言えないが、従者なら主である兵士から離される事はない。
その代わり私と私の主との間に何か問題が起こったとしても軍が関与する事はない。 主の上官への陳情も許されていないし、そんな事をした所で何もしてもらえないだけでなく、そもそも聞いてさえもらえないだろう。
だから牢に入れられたのは北軍兵士でも、従者に過ぎない私がどこの兵舎に走った所で上級将校に取り次いでもらえる可能性は非常に薄い。 若の従者として多少顔が売れるようになったが、今夜の門番全員に顔を知られているかどうかは分からない。 それに中隊長以上は駐屯地内の専用官舎の他に駐屯地外に御自宅を持っていらっしゃるのが普通だ。 トーマ大隊長が今晩官舎でお休みかどうかなど、一兵卒の従者が門番に聞いた所で教えてくれる訳がない。
たとえ御自宅が駐屯地のすぐ側であったとしても、そちらまでお邪魔している時間はないと見てよい。 駐屯地は塀で囲まれており、検問は夜十時には閉まる。 それ以降外へ出たいなら通行許可証を見せねばならない。 それは従者には発行されないのだ。 仮に通してもらえたとしても私はトーマ大隊長の御自宅がどこにあるのかを知らない。
若の上官であるソノマ小隊長の上官、オンスラッド中隊長が官舎にいらっしゃるなら誰が夜番かにもよるが、取り次いで貰えるだろう。 ただ時間が時間なだけに朝まで待てと言われる可能性がある。 そしてもし今晩は駐屯地外の御自宅に滞在だとすると住所を知らない私にはどうしようもない。
緊急事態だ。 直属上官でなくとも中隊長以上のどなたかにトーマ大隊長への連絡をお願いするという手も考えられるが、中隊長は各官舎に一人しかいない。 そのうえ官舎は駐屯地内に点在している。
最初の中隊長にすんなり会ってもらえればいいが、散々粘った後でやっぱりだめ、或いはそもそもいらっしゃらない。 そして次、その次でもだめ、と官舎から官舎へと駆け回った挙げ句、肝心のトーマ大隊長に連絡がつかなかったら取り返しのつかない事になる。
もう真夜中をとっくに過ぎている。 オンスラッド中隊長に無事会える保証はないし、他の中隊長に縋った所で自分の部下でもない若のために動いてくれるかどうか。
朝が明けるまでいくらも時間がない。 私に警告してくれた軍警は明らかに若がひどい目にあわされる事を心配していた。 ここはどんなに遠回りのように見えても確実を狙うしかない。
私は若と同じ兵舎にお住まいのソノマ小隊長を起こす事にした。
「ソノマ小隊長! 御就寝の所、大変申し訳ございません! 罰なら後でいくらでも受けますので起きて下さい! 若の一大事です!!」
「んあ?」
「若が殺人容疑で軍牢に拘留されました!」
「なんだと!?」
「誰を殺した嫌疑なのか教えては貰えませんでした。 でも明日、朝一でギャッツ中隊長が査問すると聞いております」
「げっ!」
ソノマ小隊長はあわてて軍服を身に着けるとドーラン小隊長がいらっしゃる兵舎へと走った。 その頃には夜中の二時を過ぎていたが、ソノマ小隊長の顔はよく知られているだけに門番は何も言わず、通してくれた。
「起きてくれ、ドーラン! 若の命の瀬戸際だ!!」
「な、なんだ? どうした?」
「若が軍牢にしょっぴかれた。 朝イチで、ギャッツだ!」
「ま、まずい。 それは、まずいっ!! 分かった。 これからすぐトーマ大隊長の所へ行く。 何が何でも朝の査問に間に合わせる!」
「頼む。 俺は取りあえず、朝、時間稼ぎをしているから」
「いや、お前ではギャッツを止められん。 今晩オンスラッド中隊長は御自宅のはずだ。 そっちに誰かを走らせろ。 この緊急通行券を使え。 あともう一人、出来れば二人、中隊長が要る。 何とかトーマ大隊長が来るまで次々邪魔が入るようにしておくんだ」
「分かった」
ドーラン小隊長はすぐに厩へと駆けていった。 ソノマ小隊長はその後、モイ軍曹とフィッチ小隊長を起こしに行って下さった。 そして事情を説明し、モイ軍曹がオンスラッド中隊長の元に、フィッチ小隊長がスレッテン中隊長へ、この知らせを届けに走って下さる事になった。
眠れぬ夜が明けようとしている。 朝の査問が始まる時間だ。 トーマ大隊長は間に合って下さるか?
ソノマ小隊長の部屋に集まったナタンゾン、スパルヴィエリ、オスタータグ小隊長の面々が声を潜めて話している。
「ギャッツの奴、若の腕に傷をつけたりしないだろうな」
「な、なにを言う。 いくらあいつだって、そこまで命知らずでもないだろう?」
「しかし、しこたまぶちのめすぐらいはやるんじゃないのか? 腕は避けるとしても。 歯で弓を射る訳じゃない、とか言ってさ」
「やるだろうな。 ドーランが間に合ってくれればいいが」
「なんてったってトーマ大隊長の義兄だし」
「まあ、あいつ以外、夜中に大隊長を叩き起こしに行ける奴はいないよな」
「ここで若の名前を使う訳にはいかんし」
「若本人なら将軍を叩き起こしたって文句は言われないだろうに。 くそっ」
「取りあえず若がしょっ引かれた噂を広めよう。 階級は平でも騒いでくれる奴の数が多ければ多いほど軍警への圧になる」
ぼうっとした頭で小隊長達が小声でしゃべるのを聞いていた。 若のために私が出来る事は他に何がある? 若の代わりに軍牢に入る事が許されるならいくらでも代わりを務めるのに。 従者では代わりになれない。 今はただ従者でもやれる事をするだけだ。 食事の差し入れが許されるかどうか分からないが準備だけはしておかねば。 一晩中走り回ってへとへとだが、どうせ眠れはしない。
こうして私の長い一日が始まった。