北の猛虎
新年に行われる御前試合は個人で戦う新人戦と、近衛東西南北軍で勝ちを争う軍対抗戦に分かれて行われる。
ヴィジャヤン伯爵家では十三歳になると御前試合に連れて行ってもらえるんだ。 大人への第一歩というか、社交界への顔出しという感じ。 わくわく、どきどき、何年も前から俺はその日を楽しみに待っていた。
五年前、俺が初めて連れて行ってもらった年の新人戦で、圧倒的な強さを見せて優勝したのがリイ・タケオ。 後に北の猛虎というふたつ名で呼ばれるようになった稀代の剣士だ。 豪快な剣捌きと鮮やかな剣技は他を寄せ付けない。 どの勝負も一瞬で片がついた。
次の年、彼はなんと北軍大将として参戦し、自軍に優勝をもたらした。 軍対抗戦は各軍五名の剣士、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将で一チームとなる。 先鋒が負ければ次鋒が当たり、それでも負ければ中堅が出るから、近衛のような強い所は大将が戦う前に勝負が付く事もある。
毎年、優勝は近衛と北軍のいずれかで争われていた。 でも結局は近衛が勝つというパターンで、もう何年も近衛以外の軍が優勝した事はなかったらしい。
ところがその年、リイ・タケオ率いる北軍は意外な粘りを見せた。 優勝決定戦において副将同士が引き分け。 ここまでもつれ込むのも珍しいんだとか。 そして続く大将戦。 激戦の末、タケオが勝った。
「すごい! すごい! すごい!」
「サダ、少し落ち着きなさい。 辺りの皆様に御迷惑だ」
父上に叱られてしゅんとなったが、父上も俺じゃなくタケオをじっと見つめている。 辺りの皆さんも俺の事なんか見てなかった。 ちゃんと謝っておいたけど。 試合が終わってからもそちこちから聞こえて来るのはこの剣士の噂だ。
「御前試合で近衛軍以外が優勝したのは五十二年ぶりか」
「うむ。 史上初ではないにしても非常に珍しい」
「加えて十九歳で大将とは。 史上最年少、で間違いないな?」
「しかも平民」
そう聞いて俺はますます感心したが、サガ兄上は落ち着いた声でおっしゃった。
「近衛は穏やかではいられないでしょうね」
その言葉に父上が軽く頷かれる。
次の年、タケオはもっと強くなっていて二年連続の勝利を北軍にもたらした。 北軍副将は近衛の中堅に負けたが、タケオが中堅、副将、大将を次々破る快進撃。 前年の勝利が決してまぐれではない事を証明した。
更に目を見張ったのが一昨年の大将戦。 タケオは近衛大将を剣で宙に飛ばすという荒技をやってのけた。 俺も自分の目で見たのでなければ信じられなかったと思う。 大将になった剣士はどう見ても百キロを越えているし、防具だって付けている。
勝ったタケオのあげた大会場を揺るがす大咆哮。 それが北の猛虎の二つ名を定着させた。
だけど去年と今年は近衛が勝った。 但し、タケオと戦って勝ったんじゃない。 近衛は同じ選手が出場出来るのは三回まで、という新しいルールを作る事で勝ったんだ。 既に三回出場しているタケオに出場権はない。
元々軍対抗戦出場選手は三十歳以下と決められている。 軍対抗戦に出られるほどの剣士となると先鋒でさえ三十に近いのが普通で、三回続けて出られる剣士自体あまりいなかったから、今まではそんなルール、あってもなくても変わりはなかった。 でもタケオは三度目の優勝時で弱冠二十一歳。 そのまま出場し続ければ後九回北軍に優勝をもたらしただろう。
強さで競うのが剣士じゃないの? 近衛って案外せこいぜ。 いや、予想通りせこいぜ、と言うべきか。 若いからどうした、平民だから何だ、貴族のプライドなんてくだらん、と俺なら思うけど。
まあ、北軍に負けた近衛の悔しい気持ちも分からない訳じゃない。 負けただけでも腹が立つのに、相手は北軍で、おまけに平民。 最年少大将として歴史に残る記録を残していくのが、ぽっと出の平民である事を面白くないと思う貴族はいくらでもいるだろう。 御前試合に出るような剣士は皆さん長年稽古している。 高い金を払って。
姑息なルールとは言え、それを阻止出来るぐらいの有力貴族は北軍にいない。 北に領地のある貴族って子爵か男爵だし。
軍対抗戦に参戦する剣士だってどの軍も貴族か貴族の親戚ばかりだ。 縁故のない平民が選ばれるだなんて他の軍だったら考えられない。 北軍なら平民の将校も結構いるらしいが。 そのため北軍は別名、平民軍と呼ばれている。 将軍、副将軍、大隊長ならさすがに全員貴族だと思うけど、他の軍なら中隊長はもちろん、小隊長だって貴族でなきゃなれない。
おかげで北軍は庶民の人気が高い。 でも貴族の子弟で自領が北にある訳でもないのにわざわざ北軍に入隊したいという奴はいない。 それでなくとも北は寒い。 土地は広いけど農家や牧場が点在するだけで娯楽らしい娯楽は何もないんだから。
俺にとっては悪い事ばかりじゃないが。 しがない伯爵位でも昇進の足しになるような気がするし。 もっとも昇進なんてどうでもいい。
北軍の魅力。 それは稀代の剣士リイ・タケオに生で会えるという事に尽きる。 十八年しか生きていないけど俺には分かる。 仮に俺が八十歳だったとしてもあれほど圧倒的な強さを目にするのは生まれて初めてだったに違いない。 近衛の奴らだって何年訓練しようと何年待とうと北の猛虎を打ち負かす剣士は現れないと思えばこそ、あんなルールを作る事に奔走したんだ。
ただ一口に北軍と言っても兵士は五万人いる。 その中の一人に会うために入隊したからって知り合いになれるか? もしかしたら東軍で皇太子殿下に会うより難しいかもしれない。 幸い相手は平民だ。 俺が会いたいと言えば会ってくれるかも? 頼めば剣の稽古をつけてもらえたりして?
いや、いや、いや。 それはいくらなんでも新兵の分際であつかましい。
でもさ、稽古している所を見学するぐらいなら構わないだろ? いつでも北の猛虎の姿が見られるだなんて。 それだけでも俺の剣道仲間が羨ましがる事、請け合いだ。
ひょっとして彼が小隊長を務める隊に入れたりして! その可能性を考えただけで、うわーっと叫びたくなっちゃう。
憧れの剣士がいる北軍駐屯地まで、もうすぐだ。 そう思えば多少のケツの痛みなんて何でもない。
その幸せな白昼夢を破る地鳴り。
どどどど、、、
がああああ、、、
ぎゃぎゃぎゃ、、、
オークだ。