皇国の耳 若の父の話
ジョシ子爵令嬢シノとは三十年前、皇王室が主催した宮廷舞踏会で偶然出会った。 その時この女性こそ我が妻という直感みたいなものを感じた。
シノは美しいが、彼女の容貌に魅かれたのではない。 外見だけを比べるなら私の周りには華やかに着飾った美人がいくらでもいたし、地味な装いのシノを振り返って見る人はいなかったが、私にはその慎ましさも好もしく思われた。
一目惚れと言う言葉は知っていたが、まさか自分がその一目惚れをする事になるとは全く予想もしていおらず、突然熱い想いに胸が高鳴るという経験に戸惑った事を覚えている。 これこそ一目惚れと自覚した訳ではなかったが、この機会を逃してはならないという焦燥感に動かされた。
出会ってすぐ踊りを申し込むのは些か手順を飛ばしている。 彼女の両親から見れば手放しで喜べないだろう。 しかし今すぐ彼女がどこの誰かを知らねば次に会おうにも手だてがない。
彼女の両脇にいるのは紛れもなく両親。 夫人の装いから察するに子爵だ。 それなら伯爵家継嗣の私に申し込まれて喜ばないはずはない。 彼女が既にどこぞの伯爵と婚約しているのでもない限り。
私はその場で彼女の両親に自己紹介し、是非御令嬢と一曲踊るお許しを戴きたいと丁寧にお願い申し上げた。 すると彼女を隠すかのように立っていた子爵が自らの名を名乗る前に言う。
「ふーん。 ヴィジャヤンの継嗣ねえ。 継嗣って事は、あの唐変木、まだ生きていたか」
「は?」
大概の応答にまごついた事のない私だが、この返答には意表を突かれた。
唐変木? とは、明らかに貶した言葉だ。 それに父は「まだ」と言われる程の年ではない。 第一、どう見ても目の前にいるこの男の方が私の父よりずっと年上ではないか。
類は友を呼ぶとか。 御自分が唐変木だから私の父の事もお分かりになるのでしょうね、と言い返してやりたい。 だが未来の義父を怒らせても構わないか、と言えば構う。
しかし失礼な格下貴族に丁寧な態度を見せれば舐められる事必至、と迷っていると、私が言い返さない事に気をよくしたか、相手はもっと無礼な事を言い始めた。
「そう言えば、お前さんはあいつに似てるっていやあ、似ている。 ちょっと足りない所まで似てたりしてな。 あっはっはっ」
貴族院では頭脳明晰な論客として知られる父上を掴まえて、ちょっと足りない? しかも子爵のくせに伯爵をあいつ呼ばわりするとは。
仮にこの子爵が上級貴族の姻戚だとしても格上の父を唐変木やら、まだ生きていると暴言を吐くなど許される事ではない。 又、私がいかに若輩であろうと子爵の身分で伯爵家継嗣をお前さんと呼ぶのも非礼に当たる。 儀礼を知らない年には見えないが。
相手の顔を思わずまじまじと見つめ、それで気付いたが、笑い声こそあげてはいても目が全然笑っていない。 私を大事な宝石を盗みに来た盗賊であるかのように睨みつけている。 無礼な発言は私に対する挑発であったか。
一体この男は何者? 宮廷舞踏会で格下の貴族にここまで言われて黙って引き下がってはヴィジャヤンの家名に拘る。 私は人の顔を覚えるのが得意だから上級貴族の名前と顔なら全員知っているし、親戚関係にも詳しい。 この男が公侯爵の血縁や姻戚ではない事は確かだ。
とは言え、ここに招待されているのは下級貴族であっても上級貴族に強い繋がりがある者だけ。 誰にどんな繋がりがあるのか分からない内に、売られたからと喧嘩を買うのは愚か者のする事。 彼は私に勝てる自信があるから挑発してきたのだろう。 相手の後ろ盾を知るまで迂闊な事は言えない。 ここで下手な喧嘩を仕掛け、引っ込みが付かなくなっては後が面倒だ。
私は怒りを抑えて訊ねる。
「失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「名乗る程の名じゃねえ。 さあ、帰るぞ」
まるで平民の如き乱暴な言葉遣いで、家族を促す。 そこにリヴァノファーバ侯爵が現れた。
「ジョシ子爵。 来たなら顔くらい見せぬか」
「来た事は来たのですから良いではありませんか。 侯爵ともあろう御方が顔を見せろの見せないのと細かい事をお気になさいますな」
「全く、相変わらずじゃのう。 向こうに席を用意させてある。 其方の好きなクラピリック(生牡蠣に似た貝の一種)を取り寄せておいたのだぞ」
「おおっ! それを先におっしゃって下さいませんと」
「それがなくては顔出しもせぬと言わんばかりじゃな。 ふっ」
リヴァノファーバ侯爵はジョシ子爵の無礼を気にする風でもなく、鷹揚に笑われた。 先ほどまでの仏頂面はどこへやら、ジョシ子爵は幸せそうな微笑みを浮かべて答える。
「冬のクラピリックほど太って美味いものはありませんからね。 最近は随分値上がりして、遥々マーシュまで行ったのに一皿三個で千ルークですよ。 食べ放題の店なんてもう一軒もありはしない」
ジョシ子爵はリヴァノファーバ侯爵と談笑しながら用意された席へと向かった。 私に一言の挨拶もなく。 令嬢の手をしっかり握って離さぬ様は、まるで私が娘を攫いに来た悪党と言わんばかり。
後で知った事だが、この時彼女は既に十九歳。 成人(女性の場合十六歳)をとっくに過ぎ、そろそろ嫁き遅れを心配せねばならぬ年だったと言うのに。
令嬢の顔に浮かんだ諦めの表情が印象に残った。 父の無礼をお許し下さいませんでしょうか、と言いたげな視線を私の方に投げる。 それに、お気遣いなく、と視線に労りを込めて応えた。 いずれあなたを頂戴しに参上致します、お父様を労っておあげなさい、と。
そして、ヴィジャヤンを名乗る者がこれしきの事で諦めると思うな、と無言の挑戦を歩み去る彼女の父の背に向けて送ってやった。
ジョシ子爵という名に聞き覚えがあったから有名は有名なのだろう。 しかし良い意味ではなかったような気がする。 変わり者、変人、奇人とかの類だった。 貴族など大なり小なり変人だから、その中で変人として名を馳せるとは只者ではない。
帰ってから貴族名鑑で調べたらジョシ子爵家は東にあった。 だが奇行の類は貴族名鑑に記載されたりしない。 自分で調査するつもりだが、まず父に聞いてみる事にした。
「父上、ジョシ子爵を御存知でしょうか?」
「ジョシ子爵だと? あやつを知らぬ者がいるものか」
「どういう意味でございましょう?」
「まあ、そなたの年では知らぬのも無理はないか。 以前、稀代の詐欺師が皇都に現れた事があってな。 貴族という貴族は全て騙されたのだが。 あいつだけは見事に見破りおった。 それで名が知れておる」
父の苦々しげな口調から察するに、どうやら父は騙された一人のようだ。
「父上とは個人的な交友がおありですか?」
「あんな変人と関わり合った事などあるものか。 姻戚関係は勿論の事、友人の友人でさえない」
どうやら父は関わりがあった事を知られたくないようだ。 少なくともジョシ子爵の方は父を知っている。 でなければ私の顔を見て似ていると言うはずがない。 もっとも貴族なら貴族院で父の演説を聞いた事が何度もあると思うが。 ジョシ子爵は真面目に貴族院に顔出しするタイプには見えなかった。
父が警戒の色を浮かべる。
「なぜそのような事を聞く」
「ジョシ子爵令嬢に結婚を申し込むつもりだからです」
普段から温厚とは言い難い父だが、私がそう言った途端、見た事のない怒りの表情も露わに反対された。
「だめだ! あんな貧乏子爵の娘など」
ジョシ子爵家は林業で知られているが、資産家ではないようだ。 大抵の貴族は配偶者を見合いで選ぶ。 その際、家柄や財産がまず何より考慮される。 子爵令嬢も貴族だが、伯爵家継嗣が妻を選ぶならまず侯爵令嬢を狙い、それが無理だったら伯爵令嬢となる。 子爵まで落とすなら持参金が破格とか、何か他に理由がなければならない。
けれど私にとって家柄や資産などどうでも良い。 欲しいのはあの令嬢だ。 持参金など無くて構わない。 父に逆らった事などかつて無い私だが、これに関して譲る気はなかった。
それに父の反対は一見無理もない事なのだが、何となく家や金が理由で反対なさっているのではないという気がした。 単なる憶測だが、あんな男と親戚になるなんてとんでもない、と父に言わせる何かが過去にあったのだ。 何か経緯でもございましたか、と聞いても教えてくれなかったが。
まあ、親同士のそりが合わなかろうと、ジョシ子爵と一緒に暮らす訳でもない。 私は気にかけなかった。 父の子供は私一人。 私を廃嫡したら親戚から養子を貰うしかない。 その養子縁組みに無事皇王室から許可が戴けるかどうかは賭けだ。 その弱みにつけ込み、何とか父を説得する事に成功した。
次は花嫁の父から許しを貰わねばならない。 聞く所によるとジョシ子爵は大変な子煩悩で、娘を嫁にやるとしたらなるべく近くに、と常々口にしているらしい。 どうやら西南に領地のあるヴィジャヤン伯爵家では実家から余りに遠すぎるという理由で、婿には不合格と判断したようだ。 そんな理由で伯爵家継嗣を蔑ろにするなど普通なら考えられないが、相手は普通の男ではないのだから仕方がない。
私は自ら東のジョシ子爵本邸まで求婚に出向いた。 本人が足を運ぶとは熱意の表れ。 親なら喜んで歓待して当然なのに、肝心のシノに会わせてもらえない。 さすがに追い返す事はしなかったが、会いたいと正面から当たっても、のらりくらりと返事を先延ばしにする。 やれ今日は風邪を引いてるの、明日は先約があるの。 嫌とは言えないが、応とは言いたくないらしい。
一体どんな理由があってそんな引き延ばしをするのか。 仮に理由が分かったとしてもジョシ子爵が娘を手放す気はない事に変わりはない。
海千山千のジョシ子爵を説得するのは予想以上に手こずった。 巷間で聞く所のくそ爺という言葉がこれ程似つかわしい男も珍しい。 私は半ば感心して未来の義父を見つめた。
勿論そのような下品な言葉、何度頭に思い浮かぼうと口に出したりはしない。 ものには言って良い事と悪い事がある。 心の中で繰り返す、で止めおいた。
それに相手の評判を聞いてから訪問したのだ。 私とて嫌がらせの一つや二つ、覚悟していた。 何しろ調べれば調べる程、シラ・ジョシの逸話が次々と出て来る。
やれ盗賊の親玉だの、詐欺師だの。 裏の世界の顔役と噂されてもいた。 噂ゆえの誇張が含まれているとは思うが、信憑性の高い証拠が見つかる所を見ると単なる噂とは言い切れない。
そんな男にとって気に食わない娘の求婚者を門前払いするなど朝飯前。 たとえ私が公爵家継嗣であったとしても領地が東でなければ対象外だったろう。 何も仕掛けてこなかったらかえって心配せねばならない。
関わり合いたくない種類の男である事は間違いなく、慎重で奇矯を嫌う父が姻戚関係を持つ事に反対したのも頷けた。 皇都と東だけでなく、念のため南でも諜報員を雇って調査させたが、そこでは子爵位を継ぐ前、ジョシ子爵は海賊だったという噂さえあった。
子爵となってからは変わり者という以外の目立った噂はなかったが、面白いと言えば面白い男だ。 ただ貴族にとって、いや誰にとっても求婚は人生の一大事。 始まりは一目惚れでも、その後考え抜いた末に決心した事だ。 義父に多少の難があるくらいで揺らぐものではない。
互いの領地がどれだけ離れているかを考えれば、結婚式の後、義父とは生涯二度と会わずに済む事だってあり得る。 それは余りに希望的観測に過ぎるとしても私にはシノ以外を娶る気はない。 裏を知り尽くしている男の裏をかくというのは容易ではないが、シノに嫌われたのならともかく、父親がうんと言わないくらいで引き下がれるものか。
長期戦を覚悟した私は情報収集網を東に作り始めた。 元々西と皇都には既に組織を配置してあったが、東で同様な事を始めたのはこの求婚が切っ掛けだ。 そしてジョシ子爵及び家族の日常を徹底的に調べあげた。
シノは父を愛している。 世間的な評判がどうであろうと、ジョシ子爵が父として子供達を慈しんできた事は確かだ。 子離れしない父親の悲哀など私の知った事ではないが、父に祝福されぬ結婚はシノを悲しませる。 それはこれから私達が築いていく幸せの陰りとなるだろう。 地道に外堀から埋めていくしかない。
ジョシ子爵と夫人は大恋愛の末に結婚した。 夫人は平民出身だが、ジョシ子爵に対して相当な影響力があるようだ。 それならジョシ子爵夫人を味方にしてしまえば後は時間が解決する。
私はジョシ子爵の留守時を狙って家を訪問し、未来の義母であるジョシ子爵夫人の歓心を買う事にした。 ジョシ子爵夫人の趣味の良い内装の腕前は東でよく知られていたが、皇都ではまだ知られていない。 そこで家具と内装の店を皇都に出してはどうか、という話を持ちかけたのだ。
又、ジョシ子爵は意外にも子供の意志を尊重する人として知られていた。 貴族の娘の場合、結婚相手は例外なく父親が決める。 しかしジョシ子爵は、娘であっても結婚相手くらい自分で決めさせてあげたい、と言ったそうだ。 その言葉をいざ自分の娘が私を結婚相手として選んだ時にも守るかどうかは疑問だが、私にとってまず掴まねばならぬのはシノの気持ちである事に変わりはない。
私はジョシ子爵夫人と仕事をする機会を利用してシノに会うようになった。 彼女を知り、また私を知ってもらい、一年がかりで彼女を口説き落とす事に成功し、同時にジョシ子爵の姉であるデーサレケン男爵夫人を味方に付けた。 ジョシ子爵は身分違いの結婚をしている。 その時彼女に助けられたようで、それ以来頭が上がらないのだとか。
今日こそは、という決意を固め、その日私はデーサレケン男爵夫人を伴い、ジョシ子爵本邸を訪れた。
「自分は好きな人と結婚したくせに、娘には諦めろと言うおつもりかえ?」
姉の言葉にジョシ子爵は深いため息をついてシノに訊ねた。
「本当にこいつでいいのか?」
「はい」
短い返事に込められた、その決意。 私は未来のヴィジャヤン伯爵夫人を愛を込めて見つめた。
義父となればジョシ子爵も少しはましになるのではないかと思ったが、往生際が悪いと言うか何と言うか。 この期に及んで準備がどうの、都合がこうのと難癖をつけ、結婚式の日取りを先延ばしにしようとする。 もう、これは三つ子の魂というものなのだろう。
だが私はこの求婚のため長らく領地を留守にしていた。 帰る期日が迫り、式の都合がつかないのなら入籍のみの式なしで構わないのですよと脅し、ようやく義父を黙らせた。
散々勿体を付けた後で義父がくれた結婚祝いは不気味な梟の彫刻付きのランプだった。 まるで生きているかのような出来栄えだから一級の職人の手による物ではあるのだろう。
ジョシ子爵が、夫婦の寝室に置くように、と言ったらしい。 正直な所嫌がらせとしか思えず、蔵にしまっておきたかったが、シノが喜んでいるので何も言わなかった。
このように人の神経に障る事を喜びとする義父だが、彼の人脈は予想以上だった。 しかもそれは皇国内に留まらない。 結婚後、私は義息としてその恩恵に与る数々の機会に恵まれた。
シノを喜ばせるため、私は結婚後も年に一、二回は東を訪れる事にした。 長旅なだけに道すがら知る事、学ぶ事が多くある。 間もなく私は皇国でも有数の情報通として知られ、情報を買いたい客の間で「皇国の耳」と呼ばれるようになった。
義父の死後二十年以上経った今、このふたつ名が元々はシラ・ジョシを指すものであった事を知る人は少ない。




