名花 若の義姉、ユレイアの話
歴史の時間は好きではないけれど、美しい女性の悲惨な行く末を知る事はとても参考になったわ。 だって傾国の美女と謳われる女性ほど悲劇的な結末を迎えているのですもの。 陛下の寵が失われるのではないかと心配した正妃に殺されたり、正妃にはなっても他国の王との争奪の種になって最後には殺されたとか。 妻と臣下の浮気を疑った国王に殺された、等々。
それらは皇国の名花ともてはやされ、いずれ皇王室、或いは外国の王室に嫁ぐ私が覚悟せねばならない運命でもあるのよ。
どうしてそんなに冷静なのか、ですって?
もちろん冷静ではないわ。 美女は幸せに長生きをしてはいけないだなんて。 そんな不公平な事ってあるかしら。 けれど不平不満を言った所で嫉妬された挙げ句に辿る悲運が変わる訳でもないでしょう?
今まだ後宮に上がってもいない内から私は羨望と嫉妬の的なのよ。 あの化粧を剥ぎ取ったらどんな顔が現れるのかしら、と陰口を叩かれた事なら数え切れない程あるわ。 どれ程化粧しようと元がよくなければ限界がある事くらい知っているでしょうに。
もっとも本音は私の容貌より実家の資産が羨ましいのでしょうね。 面と向かって資産の悪口を言われた事はないけれど。 国内のほとんどの貴族はお父様からお金を借りている。 どちらの家の資産が多いかなど聞くまでもない事。 だから私が身に着ける豪華な装飾品がなければ、あそこまで振り向かれる事はないという陰口になるのでしょう。
それに自分でも素顔のままならそれ程の美貌とは思わない。 美しく装い、高価な宝飾品を身に付け、目を見張る馬車に乗り、数多の侍女と護衛を従え、洗練された仕草で受け答えする。 美しさを演出するための小道具が全て揃っていればこそ、私は賞賛され注目を集めている。 それくらい承知しているわ。 自分で一々勘定した事はないけれど、濃やかな演出をする為にどれ程のお金がかけられているか授業で教えられているしね。 その日付けていた私の髪飾り一つが侍女の一年分の給金なんですって。
因みに私が外出する時、過去に一度でも付けた髪飾りを付けて出掛けた事はないの。 上級貴族であろうとそんな事が出来るのはダンホフをおいて他にいないでしょう。
お金のない人がお金に困った事のない私を見て羨む気持ちも分かるのよ。 けれど美女ともてはやされているから私が幸せだとでも誤解なさっているのではなくて?
幸せだなんて。 それは誰の夢物語をおっしゃっているの? 少なくとも私の話ではないわね。 もしあなたが御自分を幸せと思えるのなら公爵令嬢ユレイア・ダンホフより幸せな人生を手に入れていらっしゃるという事なのよ。 少しは喜ばれても良いのではないかしら。
もっとも私自身が幸せについて思い悩む事などないのだけれど。 それより次々と与えられる教養と儀礼、芸能、ダンスの稽古を立派にこなす方が先。 それらは全てお父様がなさっている将来に備えた投資であり、安いものではない。 私はその投資に見合うだけの結果をお父様にお見せする事を期待されている。
私以上のお勉強をこなしていらっしゃるお兄様の奮闘を見るまでもなく、結果を見せねばならないのは私だけでもない。 又、沢山いるお父様の子供達に限った話でもないのよ。 公爵邸に勤める執事、侍従、侍女達は皆厳しい訓練と勉強を毎日こなしている。 奉公人だったら結果が出ていない時点で能力不十分と見なされ、即座に本邸から左遷となるし。 努力しました、精一杯がんばりました、でも出来ませんでした、という言い訳が通用する世界ではないのですもの。
正嫡子である娘は私だけ、という点は確かに強みかもしれないわ。 だからと言ってどんな失敗でも許される訳ではないのよ。 タケオ様を射止められなかったのは見逃して戴くには余りに大きな失敗だったから仕方がないけれど。 あれで私はお父様の大変な御不興を買ってしまった。
考えつく限りの事は全て試したの。 毎日お慕い申し上げております、と手紙を差し上げたし、お茶へもお誘いしたわ。 何度断られても諦めずに。
タケオ様お一人だけを招待した所為で断られたのかしらと思い、他の皆様も御一緒に、とお誘いしたのだけれど、それもだめ。 お酒のお酌をさせて下さいませ、と申し出たら、酒は飲みませんと言われてしまった。 酒宴の酌を申し出るなんて少々やり過ぎたかしら、と心配した程だったのに。 まさか淑やか過ぎて自分には勿体無い女性、と言われて断られるだなんて。
今まで誘いを断る事はあっても断られた事など一度もなかった私には、それ以上どうしたらいいのか分からなかった。 名剣や武具など、タケオ様がお好みになりそうな贈り物をしても同じ事。 理由もなく受け取れない、と全て返された。 ただ喜んで戴きたいという理由のどこがいけなかったの?
何か気晴らしになる事でも如何、と邸内に芸人を呼び、演芸会や歌会を催す事を申し出てみたけれど、皆様お稽古にお忙しいと言うつれないお返事。 侍女を通してお誘いしても断られてばかりで埒があかないから自分で出向いてポクソン補佐にお訊ねした。
「そのように連日連夜、お稽古ばかりではお疲れになりますわ。 偶には御休憩なさいませんと。 その時御一緒させては戴けませんの?」
「何分無骨な北軍兵士。 私共の休憩や気晴らしは高貴な御婦人に御同席戴けるようなものではございません」
「まあ。 そのようにお隠しになられるだなんて。 余計興味をそそられますわ」
「小便を飛ばす競争にそれほど興味がそそられますか?」
絶句した事などかつてないけれど、ポクソン補佐の言葉の意味を理解するのにしばしの時間を取られた。
「そこまで御覧になりたいとおっしゃるなら」
最後まで聞かず、私はその場から逃げ出してしまった。
野蛮よ! なんて野蛮なの。 北軍兵士となんて死んでも結婚するものですか! と心に誓いながら。
でも部屋に逃げ帰った後でよくよく考えてみれば、そんな競争あるはずないでしょう? きっと私を追い払うためについた嘘なのだわ。
後宮での女性のいじわるや嫌がらせに対する効果的な仕返しならいくらでも学んでいたのに。 初めてされた事とは言え、殿方のいじわるにしてやられるだなんて。 私もまだまだ勉強不足ね。
後でタケオ様がグゲン侯爵令嬢ヨネに申し込まれたと聞いて改めて納得がいったの。 おそらく私の邸を訪れた時には誰に求婚なさるか既に決まっていたのでしょう。 あのぽやぽやのヨネに出し抜かれた事が信じられない。 それより信じられないのが、ヨネがタケオ様の求婚を喜んでいる事。
滞在なさった四人の殿方は全員どこか掴みきれない所があり、中でもタケオ様は一番不気味だった。 まさに牙を隠した猛虎のよう。 その実、あんな兎みたいな女性がお好みだったのね。 あの二人が並んだら夫婦と言うより虎とその餌にしか見えないではないの。 ヨネに、お逃げなさい、今の内に、と言おうか言うまいか悩んだ程。 なのに彼女は頬を染めながら北へ嫁ぐ日を指折り数えている。
ともかく失敗は失敗。 奉公人と違い、失敗したからと言って家から蹴り出される事はないけれど、お父様はきっと今頃私の使い道をお考えになっていらっしゃるはず。 それが何であれ、今度こそ御期待に応えねばならない。
ロックが飛来する前でさえ六頭殺しの若様の人気には無視出来ないものがあった。 そして生まれたばかりのサリ様が瑞兆と認定されたのだとか。 それなら皇王室は是非ともサリ様を正妃としてお迎えするに違いない。 その為には若様に正爵位を下さるくらいはするでしょう。
サリ様には王族や貴族だったら何人もいるはずの周りを固める侍女がまだ一人もいない。 ひょっとしたらお父様は私を国外や格下の貴族に嫁がせるより将来の女官長として後宮を牛耳る事を望まれるのではないかしら。
女官長ともなれば後宮に勤める女性の大元締め。 それだけではない。 皇王妃陛下の御意を受けて実務の采配をする。 対外的にも政治的な面でも様々な気配りが要求される困難なお勤めだわ。
私にやれるのかしら? いえ、やらねばならないのよ。
その予想通り、お父様からサダ・ヴィジャヤン様の実兄、サジ様とのお見合いの日取りが決まった事を知らされた。
サジ様は爵位こそお持ちでないけれど、サリ様の血縁の伯父上。 お医者様でいらっしゃるから将来間違いなく御典医となられるだろう。
女官長を目指すなら御典医の夫はとても望ましい。 ここで気に入られて婚約が調い、来年一月に行われる北方伯の叙爵式に次兄の婚約者として出席する事になれば万全だわ。
私はサジ様に関する調査報告書を暗記する程何度も読み、お見合いに備えた。 第一印象ほど大切なものはない。 豪華絢爛な衣装はおそらくサジ様のお好みではないでしょう。 清楚に可憐に見えるよう、髪、化粧、宝飾品の類に至るまで華美を極力抑えた品を選んだ。
その日、冬というのに南から送られた花々で飾られた本邸はまるで春のよう。 金ぴかの芸術品類は全て蔵に仕舞われ、皇王族をお迎えするかの如くに磨き上げられており、お父様、お母様の並々ならぬ気合いの入れ方が窺える。
サジ様の最初の印象は、物怖じしない御方、かしら。 意外に、と言う言葉を使って良いものかどうかは分からないけれど。
確かに今では準皇王族の伯父。 お父様は皇王陛下御相談役。 お兄様がヘルセス公爵令嬢と御結婚なさり、六頭殺しの若の実兄。 だから北の猛虎、そしてサジアーナ国王太子妃とも義兄弟。 どんな大貴族の前に出ても恥ずかしくはない出自ではある。 とは言え、それはここ二、三年に本人とは関係なく起こった事。 サリ様が瑞兆と認定された事に至っては、つい先月発表されたばかり。
ずっと貴族の出自を隠し、一介の医師として市井で暮らして七年経つ、と報告書にあったから、私はもっと平民らしい気さくな雰囲気の御方で、上級貴族の前ではさぞかし緊張なさるのでは、と想像していた。
優雅な御挨拶の後、皇国一の贅を尽くしたダンホフ公爵本邸に気圧される風でもなく、お父様の質問に落ち着き払って受け答えなさる。 緊張なさってはいないし、かと言って成り上がりにありがちな傲慢な態度をお見せになる訳でもない。 生まれながらの貴公子、といった風情。 そして誰の印象にも深く長く残るであろう温かな微笑み。
お父様に促され、二人で庭の散策に出ると、サジ様がおっしゃった。
「私達は良いパートナーになれそうですね」
「パートナー、でございますか?」
「そうです。 あなたは美しく賢い。 何を期待されているかを正確に理解し、その目標に向かって努力を怠らない」
どうして夫婦という言葉を使わず、パートナーとおっしゃったのだろう? それに私は美しいとは言われても賢いと言われた事はない。 女性が殿方から賢いと言われる場合賞賛ではないから、不安になってお訊ねした。
「何故私を賢いと思われたのでしょう?」
「私の好みをよく考えぬいた装いをなさっていらっしゃる。 私に関する調査をお読みになられたのでしょうが、格下の夫を従わせ、操ろうと考えたなら贅をこらした装いをなさったはず。
私達が夫婦として愛を育めるかどうかは結婚してみなくては分かりませんが、私にとって心強いパートナーになって下さるであろう事は今既に分かりました」
予想外のお言葉に呆気にとられ、サジ様のお顔をまじまじと見つめる。
「賢い方は好きですよ」
そして自然な動きで私の手を取り、口づけなさる。 思わずどきん、と胸が高鳴った。
「これはいけない。 お脈が跳ね上がったようです。 このような不整脈は早めに対処せねば。
来春の挙式を処方したい所ですが。 それは些か急ぎ過ぎでしょうか?」
私の手を優しく握って、けれど逃がさない。 瞳がいたずらっ子のように煌いていらっしゃる。
まあ、何と言う事。 ダンホフともあろう者が。 このままやられっぱなしになっていられるものですか。
「名医の処方を無視する愚か者など、ダンホフには一人もおりません事よ」
負けず嫌いな私の返す言葉にサジ様はくすくす笑いながら頷かれる。
この方とだったら、もしかしたら私にも幸せが訪れるのでは?
わ、私ったら何を呑気な。 あり得ない予感に頬が火照る。
それからは信じられない程全てがとんとん拍子に運び、翌年四月に結婚という超特急の挙式で社交界をあっと言わせた。 何より思いがけなかったのが夫の腕の中で見つけた幸せ。
結婚後、毎年北に遊びに行くようになり、ある日ふと思い出して北方伯に聞いてみた。
「北軍兵士の気晴らしで、お小水を飛ばす競争があるって本当ですの?」
「え? 聞いた事ないな。 そんなの屋内じゃ無理だし。 屋外だって風がある日は不公平になるからやれないでしょ。 冬にそんな事したら大事な物が霜焼けになるし。
屁の聞き分け競争の間違いじゃないですか? それなら俺、負けた事ないです。 義姉上も参加なさりたいんですか?」
その御質問には丁寧に、しかしきっぱりと、その意志は全くない事を申し上げた。




