見合い 若の次兄、サジの話
「サジ、お前に見合いの話が二百を少々越えるほど届いている」
そうおっしゃった後、父上はちょっとため息をつかれた。 おばあ様の葬式に出席したらその話は必ず出るだろうと覚悟していたが。
「二百とはまた。 六頭殺しの若の兄の称号の上に瑞兆景気が加わったとは言え、爵位を継ぐ訳でもない伯爵家の次男に豪儀ですね」
自分の事ではあるが、まるで他人に起こった出来事のように感じ、そう答えた。 私の職場ではサダが私の実弟である事を知られていない。 院長と事務局長は知っているが。 おかげで私の人生は有名人の弟がいても何も変わらずに済んでいた。 今までは。
現在の気楽な人生を変えないで済むものならそれに越した事はない。 だがそうは問屋が卸さないようだ。 父上が真剣なお顔でおっしゃる。
「残念ながらそれだけではない」
「他に何かありましたか?」
「サダが伯爵位に叙せられる」
「え?」
「サリが瑞兆と認定された。 叙爵式の後、オスティガード皇王子殿下との婚約式が執り行われる。 その関係で私には準公爵位を下さるそうだ」
「なんですって?」
「公式発表前だが噂が広まるのは早い。 しかも事実であるだけに事実無根と否定する訳にもいかん」
「サダは知っているのですか?」
「弔問に来るだろうから、その時サガが義母上の別邸で御内意を伝えることになっている。 当事者であるサダが一番最後に知るというのも皮肉な話だが」
サリが陛下の第一皇王子と婚約とは。 予想もしてなかった展開に驚きを隠せない。
可哀想なサダ。 一番可哀想なのは人生の全てを自分の与り知らぬ所で決められたサリなのかもしれないが。 彼女の場合最初から将来の国母として育てられるから、それなりの心の準備も覚悟も生まれよう。
しかしサダは呑気で気楽な三男の人生を送るつもりで、ちゃらんぽらんな毎日を過ごしていた。 父上はそれを御存知でいながら正そうとはなさらなかったのだから、言外にその生き方をお許しになっていた事になる。
なのに伯爵とは。 すると宮廷儀礼を一から習わされる訳だ。
おお、なんと哀れな。 考えただけで同情を禁じ得ない。 サダとサダに儀礼を教える教師のどちらにより同情すべきなのかはっきりしないが。
あの子が十二の時にやった儀礼特訓の一部始終は忘れようもない。 十三になれば貴族の子弟は御前試合へ連れて行って貰える。 だが、そこには他の貴族が数多いるから当然挨拶等のやり取りをせねばならない。
一つを覚えるだけなら簡単だ。 しかし挨拶というものは相手の身分、状況によって言葉も仕草も変える必要がある。 それは基本中の基本なのだが、サダは何度教えられようと試験される度に間違えた。 元々覚えがよくない子であるうえに、素早く沢山の応用をせねばならないからだろう。
いつまで経ってもきちんと覚えられないサダに業を煮やされた父上が、御挨拶を習得しない限り御前試合には連れて行かないと脅した。 その脅しには多大な効果があり、いつもは狩りにさっと逃げるサダが毎日一生懸命練習している姿を見る事になった。
彼なりにがんばった事はがんばったのだろう。 それでもサダは八種類の挨拶を習得しただけだった。 このままでは御前試合に連れて行ってもらえないと知ったあの子のうるうるとした瞳。 さすがの父上もサダの必殺涙目には勝てなかったよう。 おそらく芸を覚えられないお馬鹿な犬をいじめているような気分になったのだろう。 母上のお取りなしもあり、絶対私の側から離れず、挨拶は私の真似をするという条件付きで、サダは連れて行ってもらえる事になった。
私が南に旅立つまでには基本の御挨拶を覚えたようだが、あれから何年経とうと北軍に入隊したサダがそれ以外の儀礼を覚えたとは思えない。 なのに叙爵式。 しかも叙爵される本人として出席する事になるとは、一体何の冗談か。 天も中々意地の悪い事をなさる。
登城だけでも覚えねばならぬしきたりと手順が何百とあるのに、そのうえ儀式に参列するとなれば、その儀式特有の取り決めがある。 中でも叙爵式は陛下に直答する機会がある数少ない儀式の一つで、言葉遣いは勿論、足運びに至るまで細かく決められており、一つでも間違いがあれば罪に問われる。 それには儀礼の教師の脅しが多少は入っていると思うが、毎年不敬罪で投獄される者がいるのも事実なのだ。
叙爵式の式次第となると私も知らない。 ただ今回の場合私は当事者ではなく親族として出席するだけだから、いつも通りに入城し、式場へ進み出て拝礼。 そして席順に従って退出すればよい。 新しく学ばねばならぬ事は多くはないと思うが。 サダの場合、叙爵されたその日に不敬罪で爵位取り上げになったとしても驚けない。 皇王室からしてみれば娘さえ手に入れてしまえば父がどうなろうと知った事ではないだろうし。 そう考えるなら娘が皇王族に嫁ぐからと言って、それがどうした、とも言える。
それに爵位は取り上げられなくとも養育権が取り上げられるのではないか。 サリは父母の顔を生涯一度も見ずに育つ、となる事も考えられる。
「実父でさえどこまで有り難がられるか分からないのに。 実父の兄、花嫁の伯父と言うだけで、無爵の私を有り難がる意味がありますか?」
「サリの子が皇位を継承するかどうかは不確かな未来の話だが、オスティガード殿下に不慮の出来事があったとしてもサリが皇太子妃殿下となる事は確実。 それはわずか十七年後。 皇王妃陛下となるのも遥か未来の話ではない。 皇王妃陛下の血縁の伯父に何の価値もないと思うか?
お前にとって二十年後は気が遠くなるような未来かもしれないが、貴族にとって二十年後に備えるのは明日に備えるも同然の事だ」
父上はそうおっしゃりながら鞄の中から分厚い封筒を取り出した。
「一応誰から話が来たのか名前だけは全部目を通しておくように。 城内で会う事もあり得るからな。 その際に失礼がないようにしておかねばならん。 お前が真剣に考えねばならない選択は二つ。 ダンホフ公爵令嬢とリューネハラ公爵の妹のどちらかだ」
「公爵令嬢とは。 庶子ですか?」
「どちらも正嫡子だ。 ユレイア・ダンホフ嬢は十八歳。 皇国の名花と謳われる美人だからお前も名前を聞いた事があるだろう。
ミサ・リューネハラ様はお前と同い年の二十四歳。 デンタガーナ国の王太子殿下に嫁がれたが、子供が生まれないという理由で先頃離縁となった。 妾妃の全員に子供がいない事を考えると、彼女のせいではないのだろうがな」
ずっしり重い釣書の山の一番上と二番目を読みながら言う。
「公爵家から申し込まれるとは思いもよりませんでした。 再婚相手としてならともかく、ダンホフの方は初婚です。 せっかくの正嫡子をどこぞの王族へ嫁にやろうとは考えなかったのでしょうか?」
「まあ、王族へ嫁がせるのも良し悪し、という事はある。 聡いダンホフの事だ。 下手な王族や格下の貴族に嫁に出して、あるかないかわからぬ利益を待つより、未来の宮廷女官長職を狙う事にしたのだろう」
「なるほど。 その手がありましたね」
「女官長の裁量に任されている事は多々ある。 後宮内では妃殿下以上に実力があり、有用と言えぬ事もないが、女官長になるには出自以上に妃殿下の厚い御信頼がなくては選ばれない」
「それで今の内に身内になっておきたい、という訳ですか」
「ダンホフ家の金融資本は国内最大。 国外にも相当数の支店を持つ故、その影響力には計り知れないものがある。 サリが妃殿下になった時に心強いお身内となろう。 獅子身中の虫となる危険性も無視出来ないが。
ミサ・リューネハラ様は宮廷生活に嫌気が差し、離縁となるよう自ら仕向けたようだ。 おそらく女官として出仕なさる事はあるまい。 実家は造船業で有名で、ダンホフ程ではないにしろ富裕だし、海外に幾つもの拠点を持つ。 持参金はどちらも相当なものが期待出来る。 人柄に関しては噂を聞くより見合いの際、自分の目で見て判断するがよい」
二通を手にして読み耽ったが、そこからお人柄が浮かび上がるはずもない。
「父上はどちらを御推薦なのでしょう?」
「推薦などせぬ。 二つに一つの選択は自由に選んだとは言い難いが、そのどちらを選ぶかくらいはお前の好きに任せたい。
どちらを選ぼうと妻の実家のしがらみは付いてくる。 サダとお前は皇王室や貴族の思惑に巻き込まれて欲しくはなかったが。 最早逃れられぬ運命と言えよう。
いずれ後宮に入るサリを孤独なままにしておきたくはない。 それが皇王族の運命と承知してはいても。 お前が御典医となり、サリに付いてくれれば有り難い。 サダの部下に中々有能な医師の心得がある者が一人いるが、平民だ。 サリが後宮入りする際に御典医として付いていく事は叶わない。 それにサダとリネの周りを守る医師も最低一人は必要だしな」
ガーデニアの香る庭で心安い誰かと二人でお茶を飲んだりするのもいいな、と夢見たことはあった。 けれど気ままな毎日も手放し難く、結局今まで誰にも結婚を申し込んでいない。 生涯独身でもよいと考えていた。 その私が公爵令嬢と結婚。 宮廷御典医とは。
サダに文句を言う気はない。 彼こそ一番運命に弄ばれているのだから。
それにしても未来の国母の父、か。 孫が戴冠したら準大公閣下になる訳だ。
あのサダがねえ。 泣いちゃうもんねっ、とどぼどぼ涙を流す様が目に浮かぶような。
兄らしい事など何もしてあげなかった私だ。 ここでひと肌脱ぐとするか。
「父上。 それではダンホフ公爵令嬢とのお見合いの話を進めて下さいますか」




