通りすがり アイデリエデン第一王子の話
「殿下、いらっしゃいました」
そっと囁く侍従が目で指し示す方向を見ると、かの六頭殺しが二十名程の北軍兵士に囲まれ、宿の正面玄関から入って来たのが見えた。
待っていた甲斐があった。 アイデリエデン王国第一王子の私を待たせるなど無礼者、と一喝したい所だが、向こうは待たれている事を知らないのだから仕方がない。
六頭殺しが瑞鳥と共に空を飛んだという知らせはすぐさま我が国にも届けられた。 どこであれ瑞鳥が現れたとは吉報だ。 現れたのがアイデリエデンなら尚の事良かったが、まあ終わってしまった事は仕方がない。 今度はアイデリエデンの上空を飛んでもらえればいいだけの事。 再び現れたのだとしてもアイデリエデンの国民にとって瑞鳥をその目で見るのは初めてなのだから有り難みに変わりがある訳でもない。
時を置かず父王陛下はアイデリエデンへの招待状を六頭殺しに送られた。 ところがそれには丁寧な断り状が帰って来ただけ。 それはまあ、予想していた。 向こうは簡単に応じては有り難みが減ると思っているのだろうし、上官の手前もある。 いそいそと外国の招待に応じる訳にはいくまい。
それで次は北軍将軍へ六頭殺しを親善訪問させるよう要請した。 それに対しては皇王陛下よりの許可が必要と言われ、断られた。
最後に皇国外交相を通じ、六頭殺しを親善大使としてアイデリエデンに派遣する事を皇王陛下に打診したが、いつまで経っても考慮中と言う返事で実現する様子がない。
アイデリエデンは相当数の日常必需品を生産して皇国に輸出している。 言うなれば皇国はアイデリエデンのお客様な訳だが、アイデリエデンが値段をつり上げたら真っ先に困るのは皇国だ。 我が国と競争出来るだけの安さと量が製造販売出来る国は他にないのだから。
それに皇国がフェラレーゼと婚姻関係を結んだ。 それはフェラレーゼが皇国東の国境を同じくする国はもとより、それ以外のどの国と比べても一つ頭が抜きん出た事を意味する。 国際関係のバランスが大きく崩れ、アイデリエデンとしては大変面白くない。 当然皇国もそれを承知していよう。 これ以上アイデリエデンを刺激する事は避けたいはず。
という読みは見事に外れ、散々待たせた後にアイデリエデン駐在の皇国外交大使が丁寧な断り状を届けに来た。
さっさと値段をつり上げて皇国に思い知らせる事は可能だが、皇国の武力はばかに出来ない。 我が国が生産競争に勝っているのは、ある意味では軍備を後回ししてでも産業の育成に力を入れたからだ。 いきなりアイデリエデンに攻め込むという無茶は皇国といえどもするはずはない。 とは言えフェラレーゼとの同盟を固めた皇国が、それにもう二、三の国を加え、結託してアイデリエデンに圧力をかけるくらいは簡単な事。 下手な動きは禁物だ。
一番いいのは六頭殺しが個人的な休暇でアイデリエデンへ遊びに来たという筋書き。 国や軍を通せばごたつくが、私人としてどこで遊ぼうと上がとやかく言える事ではない。 と言うは易く、行うは難し。 本人から既に断られている以上、絡め手でいくしかない。
そこで彼の生い立ちから家族、親戚、軍における交友関係、趣味、従者の類に至るまで、本人の周囲にいる者達の経歴を全て調べた。 しかし意外に隙がない。
生家がただの伯爵家ならなんとでも出来たのだが、父が皇王陛下相談役では両親に圧力をかけた所で無駄だ。
長兄であるヴィジャヤン伯爵はヘルセス公爵令嬢を娶った。 その関係でサジアーナ国の王太子妃殿下は義姉となる。 サジアーナ国は我が国にとって水源地。 ここと問題を起こす訳にはいかない。
次兄は南で医者をしているという話だが、南にはヴィジャヤン姓が沢山いる。 どこの病院勤務なのかさえまだ掴めていないし、仮に居場所が掴めたとしても弟とは七年以上一度も会っていないらしい。 疎遠な兄が頼んだとしても大した強制力はないだろう。
母方の叔母は東軍副将軍の妻。 アイデリエデンとの国境を警備しているのは東軍だ。 そちらに何かを仕掛け、国境紛争勃発の原因となっては目も当てられない。
母方の伯父であるジョシ子爵なら或いは、と金や女を使って近づこうとした。 実直愚鈍に見えるが、意外に鋭く人物を嗅ぎ分けるらしく、正式な接触も搦め手も全て失敗した。
従兄弟であるジョシ子爵の継嗣とその弟の二人は、何でも祖父の代からの習わしで世界を見る旅に出ている最中で、行方が知れない。
妻が平民と聞き、それならと思ったが、平民は平民でも北の猛虎の実妹。 妹や両親に手を出して猛虎を怒らせたら北軍だけでなく、猛虎に娘を嫁がせたグゲンが動くだろう。 アイデリエデンは皇国の主要輸出産品である穀物を輸入しており、グゲンはその製粉を一手に引き受けている。
六頭殺しは大隊長に昇進した。 部下の誰かを懐柔すればとも考えたが、肝心の部下はたったの五人。 しかも補佐がマッギニスというのもまずい。 オキ・マッギニスがどういう男かはよく知られていないがマッギニス直系なのだ。 やられっぱなしで黙っているような男のはずはない。 軍需産業を牛耳るマッギニス家からの報復だけは避けたい。
他の四人は全員平民だが、中々口が堅く、世間話のついでに大隊長の秘密をしゃべるような者がいなかった。 三人は住み込みなので金や女で籠絡しようにも簡単に近づけないし、住み込みではない部下は住んでいるはずの家にいつもいないと言う。
仮にも大隊長、伯爵家正嫡子なのに奉公人はたったの三人。 賄賂で懐柔出来るものならいくらでも払う用意があった。 だが厚顔無恥な馬丁は賄賂を受け取るだけ受け取って後は知らん顔。 侍女に近づいたら、怪しい奴と抜き身をちらつかされ、執事はマッギニスの妻公認の愛人。 金も色仕掛けも最初から諦めるしかなかったという有様だ。
六頭殺しの交友関係は広いが、広すぎてこの人なら間違いなくうんと言わせる事が出来るという人がいない。 命令出来る立場の北軍将軍からは既に断り状が来ているし、義兄のヘルセスや猛虎からも同様。 こうなっては直接本人の気持ちを動かすしかない。
彼の祖母の死期が近い事は既に掴んでいた。 出来れば第一王子である私が葬式に出席し、そのままジョシ子爵家に滞在して彼が来るのを待ちたかったが、大邸宅という訳でもないジョシ子爵家は集まった親族で一杯で空いている部屋がない。
それに祖母の訃報を受け取っても六頭殺しがすぐに弔問に来るかどうかは賭けだ。 何ヶ月もただ座って待っている訳にはいかない。 それで葬式には予め待機していたアイデリエデン大使が出席し、私はこのような片田舎の宿泊施設にお忍びで滞在することにした。
私が用意した餌は我が国の神弓、イアゼッタ。 伝説の「星を射落としたカヤ」が使った弓として知られている。 金や女で釣れるなら安上がりなのだが、そんな物で六頭殺しの気を引く事は出来ないだろう。 しかし伝説の弓なら射手でなくても一度は手にしてみたいと思うはずだ。
早速、私の侍従が六頭殺しに面会を申し込んだ。 一分の隙もない護衛達と王族かと見まごう威容の猛虎に立ちはだかられ、少々怯んだ様子だったが、何とか私の元へ彼の者を連れて来た。
鍛え上げられた剣士に囲まれた細身の六頭殺しは一見か弱い、守られるべき存在であるかのように見える。 だが印象的な瞳だ。 他国の王族へ紹介されたというのに臆した様子がない。 真っ直ぐな視線を私に向けて来る。
この目がどのようにイアゼッタを唸らせるか。 うむ、考えただけで心が躍る。
私は神弓イアゼッタを射させてあげるから、アイデリエデンへ遊びにこないかと招待した。 日程を語る間もない。 即座に断られた。
何故だ? 我が国の国王しか触る事の許されない国宝に触らせてあげると言っているのに断るだと?
さすがにその場で断られるとは想定しておらず、さっさと部屋へ下がる一団を呆然と見送り、引き止める事も出来なかった。
「イアゼッタって知ってる?」
六頭殺しが傍らの者に質問する声が聞こえ、思わずぎょっとした。 その者が何か囁き返す。
「ちぇっ。 いくら俺だって学年が上がるなんて思うもんか。 新しい弓なんだろ?」
そんな、そんな馬鹿な。 イアゼッタを、それどころか「神弓」という言葉さえ知らない!?
慌てて人をやり、改めて説明させたが、六頭殺しの返答に変わりはなかった。 国宝に触るなんて畏れ多いです、と。
夜、もう一度話をしたいと思い、侍従を派遣したが、主は明日早朝に出発するため既に就寝しております、何卒御容赦下さいますように、と執事に断られたと言う。
その言葉通り、次の日の朝早く、六頭殺しは旅立った。 廊下ですれ違った私に、良い旅を、と丁寧に挨拶してくれたが、彼は他の宿泊客にも全く同じ挨拶をしていた。 それを見て、アイデリエデン第一王子といえども通りすがりの旅人以上になることは出来なかった事を知った。




